6 シドニア公爵家の水差し①
ナタリアは大きな衣装の袋を肩に担ぎ、いつもの居酒屋の二階へと上がっていく。
幸いなことにまだ仮面の男は来ていなかった。
ナタリアは袋から例の衣装を取り出し、着てみる。
赤いシャツのほうは少し大きめだが、邪魔になるほどではない。次にショートパンツをためらいながら履いてみる。思ったより丈が長く、膝上3センチといったところか。
「え? これって……」
「ああ、少年だな、半ズボンの少年だ。女には見えない、好都合じゃないか」
背後から仮面の男の声が聞こえる。
男は酒の入ったコップを手に、眺めていた。
「そこで見ていたのか?」
「いや、今、上がって来た。おまえの下着姿には興味は無い!!」
仮面の男は吐き捨てるように冷笑を浮かべながら言った。
その態度に、ナタリの目には涙が浮かんできた。そして、ポロポロと涙が落ちてきた。
「……どうした? おっ、おい!!」
仮面の男はナタリアの涙に驚いたようで、手に握っていた酒の入ったコップをテーブルに置いた。
そして徐にナタリアを抱きしめた。
ナタリアは瞬間、仮面の男の足を踏みつけ涙目で睨んだ。
「な、何すんだよ! バカ、バカ、バカ!!」
ナタリアは叫んで、仮面の男の手を振りほどいた。
「そ、そんなに怒るとは思っていなかった」
仮面の男はナタリアに謝ることも無く、キョトンとしている。一体全体、どういう男なのだ、ナタリアは面食らった。仕草は品が良く、言葉使いもまあまあだ。育ちが良いのだろう、仮面を着けているのは、身分がバレないようにする為のはずだから。
だが、この仮面の男は人をイラッとさせる特技があるらしい。
ナタリアの地雷を幾つも踏んでくる。歯に衣着せぬというか、言いたい事をズバズバ言ってくる。今日の言葉はナタリアの限界を越えていた。
誰だって、あんな言い方にあんな笑い方をされれば、腹を立てるというものだ。
「あたしは、あんたなんかには興味は無い! ただ腹が立っただけだ、もう、あんな笑い方をするのは止めてくれ」
「分かった。もう止そう、あんな言い方をするのは。やはり女は扱いにくい……」
「悪かったね、だが、女だと思ってないだろ?」
「……さあね」
仮面の男は酒を一気に飲み干した。仮面のせいもあって、男の真意のほどは計りかねる。
だが、漸くナタリアはいつもの調子を取り戻しつつあった。
「で、どうやってお宝を盗み出すんだ、予告状が届いたらしく、シドニア公爵家の前は憲兵だらけだ。あれでは猫の子一匹入り込めない」
「そうだろうな、予告状を出したのは俺だ! 奴ら、慌ててるだろうな」
「おまえ、どうしてそんな面倒なことをするんだ! そんなことをしたら盗みづらくなるだろ」
「いや、予告状は必要不可欠だ、顔に泥を塗らなくては意味が無い」
「……もしかしたら、それが目的なのか?」
「おまえは目的など知らなくていい、盗めばいいんだ!」
「……なら、やらない。こんなリスクの高いことやってられないよ、借金だって本当かどうかわからないだろ? イカサマやったんじゃないのか? 本当のことを言わなければ、盗みのこと、憲兵にバラしやる!!」
「フーン、随分、お利口になったじゃないか? どうしたんだい?」
今までナタリアは仮面の男に、完全に馬鹿にされていたようだった。
「隠し事は無しにしよう。でなけりゃ、あんたは最初から仮面も被ってるし、何処の誰だかも分からない。あたしがあまりにも不利だ!」
「おう、よくそこに気がついた。なら、教えてやるよ。おまえが言うように、盗んだ品物は問題ではない。ただ、その品物に、奴らの名誉が掛かっている、それが欲しいんだ」
「……あんたって、一体、誰なんだい?」
ナタリアのその質問には答えず、男は「くっ!」と笑った。
「だから、言ってるだろ? 知る必要は無いと」
「あんたが誰だかしゃべったりしないからさ……」
「ああ、それは、しゃべるって言っているようなものだ、それより、本題に入ろうか……」
男はナタリアの攻撃をスルリとかわし、ポケットから見取り図を取り出し、テーブルに広げた。
それはシドニア公爵家の見取り図だった。
「まず、ここに憲兵がいる……そして、ここにも……」
そう言いながら、次々に赤い印をつけていく。
「ほら、出入り口からは入れない、しかも、あそこは塀だって高いよ、どうやって入るんだ? 予告状ななんて出すから、こうなるんだ」
ナタリアの非難めいた言い方に、男はムッとした顔をした。
「静かに聞いてろ! シドニア公爵家のことなら誰よりも良く知っている、猫の出入り口まで知っているんだ!!」
「わ、わかったよ。でも、どうしてあんたが憲兵の配置を知ってたり、シドニア公爵家の見取り図なんて持ってんのさ?」
「……だから、黙って聞いてろ! 蛇の道はへびだ、当たり前の事を聞くな!」
仮面の男は苛立ち始めた。ナタリアのほうが、この男の扱いに苦慮しているに違いない。短気な男は扱いづらい。
ナタリアは黙った、これ以上刺激してもどうせ本当のことを言うとは思えない。
「わかったよ、そんなに大声で怒鳴らなくてもいいよ、それより、どうやって入るんだ?」
男は気を取り直し、正門を指した。細くしなやかな、まるで女のような指だった。
「ここだ、ここから入るんだ」
「ここって、正門でしょ? どうやって?」
「馬車で、入るんだ」
「得体の知れない馬車は憲兵が通さないよ」
「いや、俺だったら通れるし、馬車の中も検閲されることはない、ただ、昼間に行くから夜まで隠れてろ、分かったな」
「……ああ、でも盗んだ後、どこから逃げるんだ?」
「それは、ここだ」
裏口の近くを指したが、そこは塀だ。
「ここは、以前出入り口だったところだ、そこを潰して塀にしている。ところが、ここの石が一つ動く。ただ、子供くらいの大きさの人間しか通らない」
「……だから、わたしなのか?」
「そう、だからお前なんだ!」
仮面の下の目は輝きを増し、ナタリアを見た。