2 ナタリアとサラ②
翌日の午後、サラは神父の部屋へ呼ばれた。
そこには、がっしりとした身体つきの男が一人立っていた。その中年の髭面の男は立派なマントを翻し、胸には多くの勲章を着けていた。彼こそ武勇名高い、将軍ロドリゲスだった。
「君がサラだね、何と美しく成長したことか!!」
大きな声だった。サラは落胆した、もう少し上品で静かな人物を想像していたのだ。
「ところで、何時、此処を出るのかね?」
「……!?」
全く、失礼としか言いようが無かった、今まで放っておいて直ぐにと謂われても、納得いく筈が無かった。
「まあ、ロドリゲス様、お座り下さい」
流石の神父もタジタジであった。
「私は、此処を出ません! 神父様の子です、此処の修道女は生涯、修道院を出る事無く、レースを編み続け、神の元へと旅立ちます!!」
サラの怒った顔を見て、ロドリゲスは大声で笑った。
「良い、美しい女が怒る顔は良いのう!!」
「あなたは神を軽んじておられます、私を馬鹿にしているのですか!」
「おお悪かった……だがサラ、このままでは君の命の保障が出来ない」
「如何いう事ですか? 私は命を狙われる覚えはございません」
「今はまだ、その理由は言えない、ただ、何時の日かきっと、そのような日が来るのではないかと、私は心配している」
「兎に角、此処を出るのは嫌です、例えどのような事になろうとも、この修道院を出ることはありません」
サラの強さに神父とロドリゲスは顔を見合わせた。
「うーん、なら……如何だろう? 剣の稽古をして貰おう」
「……!? 剣の稽古ですって? 私は神に仕えるシスターです、剣は人を傷つけるものです! とんでもありません」
それを聞いたロドリゲスは髭面でニタリと笑った。
「剣は人を傷つける物とは限らない、人を守る為の物でもあるのだ」
「それは詭弁というものです、あなたは如何謂う方なのですか!」
「よかった、修道院で育ったからその程度で済んだ、やはりこの気の強さは……血は争えない、神父殿、これで決まりだ、明日から使いの馬車を遣す」
サラの返事など聞くことも無く、ロドリゲスは立ち上がった。
「私はまだ、承知していません!!」
「サラ、逃げるのか? 自分の運命から逃げるのか!!」
サラを一喝し、ロドリゲスは何喰わぬ顔でマントを翻し、部屋を出ていったのだった。
ロドリゲスはサラの性格を承知していたのだろう、逃げるという言葉でサラを陥落した。軍人でもあるロドリゲスはやはり勝負処を熟知していたのだった。
ナタリアはジットリとした汗をかいていた。
ルーレットが思うように入らない、今までこんな経験は無かった。
焦れば焦るほど負けは込んでいった。
何時ものように港へカモの船員を捜しに行ったが、今日に限って何故だか誰もいなかった。仕方が無いので帰ろうかと思っていたところ、この男に声を掛けられたのだ。
そしてこの居酒屋の二階で二人でルーレットをやっている、というわけだ。
男はナタリアより歳は少し上のようだった。
「これで最後だ、ナタリア、全部を賭けてやろう! さあ、賭けるんだ!!」
ナタリアは固唾を呑んだ。今までこんなに負けたことは無かった。
ルーレットが回り始める。
祈りにも似た思いがナタリアの中を駆け巡った。
しかし不運にも、最後も外れた、これでナタリアには莫大な借金が出来た。
「さあ、お嬢さん、如何しますか?」
男は冷ややかに笑った。
「好きなようにしてくれ! おまえの女にでも何でもなってやるよ!!」
「フンッ……俺はおまえを抱くほど飢えてない、女ならもっと上等がいくらでも買える」
「馬鹿にすんな! だが、金はねえよ、何時もの倍の金を賭けたんだ、ちょっとやそっとで返せる金額じゃねえからな」
「最初から払うつもりは無かったんだろ? いや、負けるつもりは無かった……」
「……今まで、こんなヘマはやらかしたことは無い」
「そうだな、なら、話は簡単だ、おまえは俺の言う事を聞くんだ、それで勘弁してやるよ」
「……」
「盗人も得意だろ? 少し手伝え!」
「……おまえは泥棒か?」
「いや、今から始めるんだ、怪盗をね!!」
男は嬉しそうに笑った。
一体全体、どういう訳なんだ、この男を信じて博打をやったのが失敗だった。
男は訳有りなのだろう、目の部分には仮面を着けたままだった。
そのため、細かな表情は見て取れなかった。
「どうだい? やってみないか?」
「……あたしはやったことが無いんだ、その泥棒ってのを」
「泥棒じゃあない、怪盗だ、貴族のお宝を頂く、コソ泥じゃあ無いんだ」
「貴族? 待ってくれよ、捕まったら大変な事になるじゃないか……勘弁してくれ!!」
ナタリアは両手を振ってみせた。
「捕まらなきゃ良いんだろ? 俺も一緒に行くよ、おまえが捕まってベラベラ喋ったんじゃ、俺のほうが危ない」
仮面の下の目が笑う、男は立ち上がった。
これでゲームオーバーだ。
「……本当にあたしで出来るのか? 怪盗なんてものが……」
「ああ、後の事はこちらから連絡する、おまえなら出来る」
仮面の男は店を出て行った。
店の主人に聞いても初めての客だったようで、素性は知らなかった。
ナタリアは嵌められたと思った、いや、嵌められたのだ。
最初からそんな大金をナタリアが持っている筈も無く、持っているようにも見えない。
だが、男の賭け方は見事だった、ナタリアなど比ではない。
何処かの金持ちなのだろうか、だが、金持ちは泥棒などやらないものだ。
ナタリアは大きな溜息をついた。