変わり続ける社会
「ニュースになったのは、ついこの前だったのに――」
公園を離れた後も、美冬の声が一樹の耳に残っていた。言葉そのものよりも、その言い方だった。
それは、病気治療のためにこの最新医療を短期間受けた患者のことではなく、富裕層の健常者が自由診療で若返り技術を使ったセラピーを長期間繰り返し受けた結果、彼らの身体に起こった変化に関する報道のことだった。記事によると、若返りに伴い、彼らの成長ホルモンの分泌が増加し、骨端線の軟骨細胞も増殖し、一度止まった身体の成長がまた始まった、というのだ。
人々は、自分が望むものしか見えない。科学者であるはずの、ある研究者はインタビューで言った。
「人間の身長、骨密度、微細な構造的比率――これらは集団間で変動します。あなた方が見ているのは、おそらく統計的クラスタリング効果でしょう。想定範囲内と言えます」
自分が聞きたいことしか聞こえない、セラピー・レシピエントの多くは、その言葉を受け入れた。
しかし月日の経過とともに、セラピー・レシピエントの巨人化は、隠しようがない事実となった。50cm以上も身長が伸びたある著名投資家は、SNSで既にセラピーを止めたことを告げた。
しかしセラピーを中止した人々の成長は、直ぐには止まらなかったし、彼らは長く生き続ける。そして、巨人化した人々からは、一定の割合で生まれつき体格が大きい子供が生まれた。だから、彼らの体格に合った社会インフラ整備が必要なことは、誰の目にも明らかだった。そして、それらは忽ち実現していった。Adaptive Living Solutions(適応生活ソリューションズ)、Scaled Mobility Systems(階層移動システムズ)、Extended Architecture Group(拡張建築グループ)などが提案され構築された。
美冬と一樹は、あるファッション・ブランドの店の前を歩いていた。ショーウィンドーには服が並んでいる。見慣れたスタイル、見慣れた裁断。ただ――大きい。誇張でも演出でもない。スケールが違う。中のマネキンは完璧な比率で、横のパネルには控えめに身長が表示されていた。2.8メートル。店員がジャケットの袖を調整し、一歩下がってプロの冷静さでフィットを確認している。躊躇も好奇心もない。日常的な動作だ。
通りがかったカフェも席を改装していた。二層構造。一階の内装はそのまま。メザニンへ登る階段は段差が大きい。但し、安全基準を満たすため標準サイズの階段も別に設置されている。メザニン・フロアには大きな体格の人に合うテーブルや椅子があり、サイズに合わせた容器で飲み物が提供されている。違和感はない。浮いてもいない。ただ――適応している。
「彼女に会ってみる?」と美冬は一樹を見ずに言った。
「誰に?」
「毬子さんていうの。お母さんの友だち。初期治療グループの一人」
「会う目的は?」
「特にない」彼女は静かに言った。
一樹にはそれで十分だった。
二人は、適応区域の一画で毬子を見つけた。彼女に近づきながら美冬が言った。
「毬子さんはここが好きなの」
「なぜ?」
「“正直な感じがする”って」
一樹はその意味を聞かなかったが、直ぐに分かると思った。
この場所は、最新でも、おしゃれでもない。だが機能的だった。建物は補強され、道路は広げられ、人々が支障なく移動できる工夫が施されている。快適さのためではなく――活動継続のために設計された場所だ。
毬子は外で待っていた。大きかった。一樹がこれまで見た中で最大ではないが、比較という概念が意味を失う閾値を、明らかに超えていた。おそらく3メートル、たぶんそれ以上。
毬子は二人に気づき振り向いた。動きは慎重だった――遅いわけでも、躊躇しているわけでもない。だが常に空間や構造物を意識して、ぶつかった時の衝撃やその結果を計算した動きだった。
「美冬!」
毬子はアルト音域で呼んだ。人工的ではない、周囲と同じようにスケールが違うだけだ。
「来てくれたのね」と言って、彼女は微笑んだ。
「もちろんよ」と美冬は答えた。
毬子の視線が一樹に移る。
「それで君は――」
「お友だちの秋元一樹くん」と美冬は一樹を紹介し、一樹に向かって「母の友人の若水毬子さん」と続けた。
毬子は頷いて、「イケメンのお友だちね」と言って冷かした。
三人はショッピングモールの方に向かって歩き出し、毬子が言った。
「私が死にかけてたことは、聞いた?」
「はい」美冬が答えた。
一樹は、話の枠組みが変わったのを感じた。
「進行性の変性疾患で、どうなるかは、よく分かっていたの」
そして、幽かな笑み。
「治療はどうでした?」一樹が聞いた。
「見てのとおりよ。難なく終わって併発症もなく、完治したの」と毬子。
「よかった」と一樹はねぎらった。
彼女は頷いた。
美冬は、隣で黙って聞いていた。
「すべてを取り戻したわ」と毬子は続けた。
「体力も、頭の回転も、時間も」そう言って、毬子はまだ驚いているものを確かめるように手を軽く動かした。
「期待以上だったわ」
「その後は?」と、一樹が聞いた。
毬子は、すぐには答えなかった。そして言った。
「成長のことね。それは始まった」
角を曲がると、大きなショッピングモールの前に出た。完全に再設計された施設のひとつだ。マルチレベル・アクセス、補強されたフロア、分かりやすい通路で整備されている。効率的だ。
毬子が言った。「治療は終わっていたのにね」
美冬が言い足した。「でも止まらなかった」
毬子は、美冬を一瞥して認めた。
「そう」
「どれくらい続けたの?」美冬が聞いた。
「治療期間?」と聞き返して、毬子は続けた。「でも――長すぎた」
それは、答えではないが、重要なことだった。
「後悔してますか?」と一樹が聞いた。
美冬が一樹をちらりと見た。直接的で無遠慮な質問。でも毬子は、気にしない様子だった。
「いいえ」
一樹は待った。
「理解していなかったことは後悔している」と毬子は言い添えた。
「それは別のことだと思うけど」
「そうね」
彼らは広場の中央で立ち止まった。彼らの周りでは様々な大きさの人たちが衝突することなく、様々な方向に動き回っている。
毬子は、静かに言った。
「今は時間がある。本来なら無かったはずの時間よ。でもそれは同じ時間じゃない」
彼女は、広場を見渡して続けた。「それは新しい時間」
「どう新しいの?」と美冬が尋ねた。
毬子は微笑んだ。それは、苦々しそうでも愉快そうでもない、ただ気付いているという表情だった。
「私の周りが調整されていく。最初は私たちへの配慮の様に感じたわ。でも、そのうちに気付いたの――」
そう言って毬子は曖昧に手を振った。「調整する理由が私だったていうこと」
美冬は何も言わなかった。
毬子が続けた。
「自分がシステムの一部ではなくなり、システムが変化していくための変数になった」
一樹が尋ねた。「それは…良いことですか?」
「避けられないことね」と毬子が言った。
また別のことだ、と一樹は思った。
毬子は続けた。
「結局、若返り技術は、時間の矢の向きを変えなかったのよ。若返った個人としては、エントロピーが減少したように思えるけど、社会全体の構造はより複雑になったでしょう?良い悪いじゃなくて」
「そういう事か」と一樹は納得したようにつぶやいた。
「ねえ君たち、大きい方のカフェに入ったことある?」と、毬子が話題を変えた。
「ないです」と美冬。
「それじゃ、ご馳走する。面白いかも」
三人は大きい入り口からショッピングモールに入り、大きいエレベーターに乗ってレストランフロアへ上がった。美冬と一樹は毬子と一緒にカフェに入った。大きな椅子に子供用の補助シートを付けてもらい、踏み台を使ってそこに座った。毬子は楽しそうにその様子を見ている。
美冬が言った。
「なんかホビットの気持ちが分かるような気がする」
三人はそれぞれの飲み物を注文した。
毬子が言った。
「私ね、思うんだけど、私たちは元へは戻れないし、こういう形態は続くと思うけど、巨人化の問題はいずれ解決すると思う。たぶんかなり早く」
「それって、経済的要求からですか?」と一樹が聞いた。
「Exactly」と毬子が答えて続けた。「今その分野への投資がどんどん増えてる」
彼女は、続けた。
「このカフェを見渡してごらん。巨大な身体を維持するために標準サイズの数倍のカロリー摂取と、専用の広大なスペースが必要なのがよく分かる。離れた所へ移動するには特別に強化された交通手段が必要だし、オフィスは天井を高くし机や椅子も大きくしなきゃならない。結果、フロアの収容人数は激減して、資源効率が極めて悪い空間へと変わってしまった。つまり、大きくなった身体の維持には指数関数的に増大するコストがかかる」
一樹が言った。
「最近のニュースで、体が大きいことが理由で雇用されないことは差別だとして企業が訴えられ、敗訴したのを見ました」
毬子が応じた。
「基本的人権の問題だからね。せっかく難病から回復したり、若返ったりしても、それで得た時間を社会に関わって有意義に使えなければ、ヒューマン・リソースの損失になるし。たとえ事の始まりが本人の選択だったとしても」
毬子が続けた。
「それに、もう食糧供給網が歪みだしてる。穀倉地帯が単位面積当たりの収穫量が低い土地へも拡張されてるし、垂直農場は層を増やしてる。タンパク質生成施設はフル稼働してる。でもこれは、直線的にしか増産できない。指数関数的に増加する負荷を支えられない」
「それで、巨人化をブロックする技術開発のインセンティブが高まって、資金が集まっているんですね」と美冬が言った。
「そう。でも人体や自然は謎だらけでしょ?どういう難しさがあるのかよく知りたい。投資するには」と毬子。
「うちの両親がセラピーを受けるのは、待った方がいいのかしら」と美冬。
「だって病気じゃないんでしょ?今の健康的な生活を続けることが重要だと思う。戦争でも起きない限り、技術はなくならない」と毬子が答えた。
その後、毬子がショッピングがあると言うので、美冬と一樹は彼女と別れた。
二人はショッピングモールの各フロアを探索した後、一樹が美冬を家まで送り、次に会う日時を決めて解散した。
そのころヨーロッパのある研究所で、第二のブレークスルーともいえる、成長因子制御の技術が可能になりつつあった。
(続く)




