第3話 追放
それから数日後。
僕は、父上の執務室に呼び出された。
重い扉を開けると、父上と母上が並んで座っていた。
二人の表情は、これまで見たことがないほど険しく、部屋の空気は張り詰めていた。
「……父上、母上。お呼びでしょうか」
僕が声をかけても、二人はしばらく何も言わなかった。
ただ、冷たい目で僕を見つめている。
嫌な予感がした。
「座りなさい」
父上が短く言った。
僕は言われるまま、椅子に腰を下ろした。
「……ルカ」
重い沈黙を破り、父上が口を開いた。
「お前が王女殿下と密会していた件について、第一王子殿下より直々にお叱りを受けた」
心臓が跳ねた。第一王子殿下……父上が仕える、この国の次期国王最有力候補だ。
「あ、あれは——」
「言い訳は許さん」
父上の声は、氷のように冷たかった。
「お前の軽率な行動が、どれほど侯爵家を……いや、派閥全体を危機に晒したか理解しているのか?」
「派閥……? で、でも僕は、ただアリアと——」
「気安くその名を呼ぶな!」
父上の怒声が響いた。僕はびくりと肩を震わせる。
「相手は王族だ。我々臣下が、個人的な感情で近づいていい御方ではないのだ」
母上が、冷ややかな視線を僕に向けた。
「あなたが何を考えていたかなど、どうでもいいことです。問題は、あなたの行動が『王族を危険な森へ連れ出した』という事実を作ってしまったこと」
「ち、違います! 危険な目に遭っていたのを助けたんです! 熊が出て——」
「黙りなさい」
母上の声には、慈悲の欠片もなかった。
「その『熊』の件こそが、騎士団の失態を露呈させる最大の醜聞なのです。お前が騒げば騒ぐほど、王家と騎士団の面目は潰れる。……これ以上、恥の上塗りをしないでちょうだい」
僕の言葉は、届かない。
助けたことすら、迷惑がられている。
「決定事項を伝える」
父上が、書類に目を落としながら言った。
「本日をもって、お前を侯爵家の嫡男から廃する」
「——え」
頭が真っ白になった。
「お前の籍は、辺境の『アーデンハイト子爵家』に移すこととした。かつて分家させたものの、今は当主もおらず荒廃した土地だ。そこへ新たな当主としてお前を送る」
子爵家当主。聞こえはいい。
でも、その実態は——。
「王都から遠く離れた山奥だ。そこで静かに暮らしなさい。……領地の務めで王都に出向くことはあろうが、不用意に王族に近づくな」
事実上の、追放だった。
「ま、待ってください……! 僕は、そんな……」
「決定は覆らない」
父上は、僕の方を見もしなかった。
「これは、お前のためでもある。第一王子殿下の怒りは深い。王都にいれば、お前の命すら保証できん」
——僕のため?
違う。
これは、侯爵家を守るためだ。
トカゲの尻尾切りのように、僕を切り捨てるんだ。
「父上……」
僕は、すがるような気持ちで父を見た。
「僕は……僕は、アリアと友達になりたかっただけです。それだけなのに……」
父上は、ようやく僕の方を見た。
でも、その目には何の感情も浮かんでいなかった。
「王族に『友達』などおらぬ」
冷たく、突き放すような声だった。
「身の程を知れ。お前の幼い感傷が、国を揺るがす火種になったのだ」
国を揺るがす? たかが子供の僕たちが?
僕には理解できなかった。
でも、父上の目は本気だった。そこには、僕には見えない「大人の事情」という巨大な壁があった。
「……下がりなさい。明日の出立の準備は、既に使用人にさせてある」
それだけ言うと、二人は僕から視線を外した。
もう、僕はこの家の人間ではない——そういう態度だった。
僕は、椅子から立ち上がることができなかった。
足に力が入らない。
「……どうして」
声が震えていた。
「どうして、何も聞いてくれないんですか……」
答えはなかった。
ただ、重苦しい沈黙だけが、僕を押し潰そうとしていた。
分からないまま——僕は、執務室を追い出された。
◇
翌日。
僕は、一台の馬車に乗せられた。
荷物は、小さな鞄一つだけ。
見送りに来たのは、数人の使用人だけだった。父上も母上も、姿を見せなかった。
「……行きなさい」
年老いた執事が、馬車の扉を閉めながら言った。
その目には、僅かに同情の色があった。でも、それだけだった。
誰も、僕を止めてはくれなかった。
馬車が動き出す。
窓から、見慣れた屋敷が遠ざかっていくのが見えた。
生まれ育った場所。
当たり前のようにそこにあると思っていた場所。
それが——もう、僕の居場所ではなくなった。
「……」
涙は、出なかった。
出せなかった、というのが正しいかもしれない。
あまりにも多くのことが起きすぎて、心が追いついていなかった。
アリアと引き離された。
両親に捨てられた。
たった数日で、僕の世界は全部壊れてしまった。
——僕が、悪かったのか。
何度も、自分に問いかけた。
でも、答えは出なかった。
僕はただ、アリアを助けたかっただけだ。
友達になりたかっただけだ。
それの何が悪かったのか、僕には分からなかった。
でも——結果として、僕は全てを失った。
馬車が山道に入る。
揺れが激しくなり、僕は窓枠にしがみついた。
「……強くなる」
小さく、呟いた。
誰にも聞こえない声で。
「強くなって……絶対に、迎えに行く」
アリアとの約束。
それだけが、今の僕に残されたものだった。
両親は、僕を捨てた。
でも、アリアは——最後まで僕の名前を呼んでくれた。
「迎えに来て」と、言ってくれた。
「……待っててね、アリア」
窓の外を流れていく景色を見ながら、僕は誓った。
何年かかっても。
どんな壁があっても。
必ず、あの約束を果たす。
そのために——僕は、強くならなければいけない。
誰にも負けないくらい、強く。
馬車は、山の奥へと進んでいった。
王都の喧騒は遠ざかり、やがて聞こえるのは風の音だけになった。
七歳の僕には、まだ分からなかった。
この日、胸に刻まれた傷が——後の僕を、どれほど突き動かすことになるのか。
両親への諦観。
無力感への怒り。
そして——手の届く範囲の人だけは、絶対に守り抜くという執念。
その全ての始まりが、この日だった。




