第28話 ティアーヌの意思
翌日、僕は大聖堂を訪れた。
「ルカさん」
ティアーヌは、いつもの穏やかな笑顔で僕を迎えてくれた。
「また来てくださったんですね。嬉しいです」
「急に押しかけてごめん。話したいことがあって」
「いえ、いつでも歓迎ですよ。さあ、どうぞ」
ティアーヌに案内され、前回と同じ小さな書斎に通された。
扉が閉まると、僕は本題を切り出した。
「実は、作戦が動き出したんだ」
「作戦……ドミニク公爵の件ですか?」
「ああ」
僕は、これまでの経緯を説明した。
シルフィーネから得た情報。監獄に囚われた亜人たちのこと。魔法障壁と魔導機器。そして、レグナス殿下との交渉。
「……つまり、亜人たちを解放するために、監獄に潜入するんですね」
「そうだ。魔導機器を破壊して障壁を消せば、殿下の軍が突入してくれる。そこで亜人たちを解放する」
「……」
ティアーヌは、しばらく黙っていた。
その翠色の瞳が、何かを考え込むように揺れている。
「ルカさん」
やがて、彼女が口を開いた。
「私も、その作戦に参加させてください」
「……え?」
予想外の言葉だった。
「参加って……ティアーヌが?」
「はい。治癒術士として」
ティアーヌは、真っ直ぐに僕を見つめた。
「解放された亜人たちの中には、怪我をしている方や、衰弱している方も多いはずです。治癒術士が必要になります」
「それは……そうだけど」
「でも、おそらく——」
ティアーヌの声が、少しだけ沈んだ。
「軍に同行する治癒術士の大半は、ソルミナ教の信徒です。彼らは……教義に従って、亜人の治療を避けるでしょう」
「……」
「『天使に見捨てられた罪深き存在』——教義では、亜人はそう定義されています。信仰深い治癒術士ほど、彼らに手を差し伸べることを拒むはずです」
ティアーヌの言葉には、苦い響きがあった。
自分が仕える教団の教義を、批判しているのだ。それがどれほど彼女の心を痛めているか——僕には、分かる気がした。
「だから、私が行きます」
ティアーヌは、決意を込めた目で言った。
「私なら、亜人の方々も、人間の兵士たちも、分け隔てなく治療できます」
「……」
僕は、少し考えた。
彼女の言うことは正しい。解放された亜人たちには、治癒術士が必要だ。そして、教義に縛られずに治療できる者となると——確かに、限られてくる。
でも。
「ティアーヌ。君の気持ちは嬉しい。でも……」
「はい?」
「君が表立って亜人の治療を行うことになる。それは……さすがに問題になるんじゃないか?」
「……」
「君は聖女だ。ソルミナ教の象徴と言ってもいい。その君が、教義に反する行動を取れば——教会からの風当たりは、相当なものになる」
ティアーヌは、しばらく黙っていた。
そして——ふわりと、微笑んだ。
「そうですね」
穏やかな声だった。
「確かに、問題になるかもしれません」
「だったら——」
「でも」
ティアーヌが、僕の目を真っ直ぐに見つめた。
その翠色の瞳には、静かな、でも揺るぎない光が宿っていた。
「ルカさんなら、なんとかしてくれますよね?」
「……え」
「私、信じてますから」
にっこりと、聖母のような笑顔。
でも、その目は——完全に僕に丸投げしていた。
「いや、ちょっと待って。なんとかって……」
「ルカさんは、レグナス殿下を説得したんですよね?だったら、きっと大丈夫です」
「いやいや、それとこれとは——」
「私、ルカさんのこと、信じてますから」
もう一度、同じ言葉を繰り返された。
その笑顔は、完璧に無垢で、完璧に信頼に満ちていて——。
「……はぁ」
僕は、深くため息をついた。
勝てない。この笑顔には、絶対に勝てない。
「……分かったよ。なんとかする」
「本当ですか!」
ティアーヌの顔が、ぱっと輝いた。
「ありがとうございます、ルカさん! あなたが協力してくれるなら、とっても心強いです!」
「いや、協力っていうか……僕が協力してもらう側なんだけど……」
「大丈夫です。例えどんなことがあっても、私はルカさんの傍にいますから」
ティアーヌは、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見ていると——まあ、いいか、という気持ちになってくるから不思議だ。
「……頼りにしてるよ、ティアーヌ」
「はい。任せてください」
彼女は、胸の前で両手を組んだ。
「苦しんでいる方々のために——私にできることを、精一杯やります」
その言葉には、聖女としての使命感と——それ以上の、彼女自身の優しさが込められていた。




