第22話 約束のパフェ
シルフィーネとの会話を終え、僕は彼女の部屋を後にした。
案内役の侍従に導かれ、長い廊下を歩く。窓から差し込む午後の光が、石畳の床に影を落としていた。
離宮の入口まで戻ると——見慣れた赤い髪が目に入った。
「ルカ様」
リゼが、壁に背を預けて待っていた。
シルフィーネとの会談中、彼女は入室を許されなかった。「二人きりでお話ししたい」というシルフィーネの要望だった。
「お待たせ、リゼ」
「いえ。……それで、あの王女殿下は何を?」
リゼが、隣に並んで歩き出す。その目には、隠しきれない警戒の色があった。
「色々と、探りを入れられた感じかな。婚約破棄の件について」
「……何か、企んでいるように見えますね」
「そうだね。僕もそう思う」
シルフィーネの目。あの、獲物を見定めるような光。
彼女が僕に興味を持った理由は分からない。だが、単なる好奇心ではないだろう。
「……でも、今は考えても仕方ない。それより——」
「ルカ様!」
その時、聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返ると、クローネが小走りでこちらに向かってきていた。
近づいてくるにつれ、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
バニラと、いちご。そして、焼き菓子のような芳ばしさ。
——お菓子を作っていたのか。
「クローネ? どうしたの?」
「あの……お時間、よろしいでしょうか」
クローネは少し息を切らしながら、僕の前で立ち止まった。
彼女のエプロンの裾には、僅かにクリームの跡が残っている。髪にも、かすかに小麦粉がついていた。
「実は、お伝えしたいことがありまして。それと——」
彼女は、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「約束の……手作りパフェ、ご馳走させていただきたいのですが」
「え?」
「以前、お約束しましたよね? 私のパフェをご馳走するって」
三年前の約束。
あの時は果たせなかったけれど——彼女は、ずっと覚えていてくれたのか。
だから、あの甘い香りを纏っているのか。
「……ああ、もちろん。楽しみにしてたよ」
僕が笑うと、クローネの顔がぱっと明るくなった。
「では、こちらへ。離宮の一角に、使わせていただける部屋があるんです」
◇
案内された部屋は、小さな応接室だった。
テーブルの上には、三つのパフェが並んでいる。
いちごがたっぷり乗った、見た目にも美しいパフェ。クリームの上には、繊細な飾り付けが施されていた。
「すごいね、これ。本当にクローネが作ったの?」
「は、はい……。アリア様にも時々お出ししているんです。お口に合えばいいのですが……」
クローネが、僕とリゼの前にそれぞれパフェを置いた。
「いただきます」
僕がスプーンを手に取ると、リゼが申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……クローネさん。申し訳ありません、私、甘いものは苦手で……」
「あら、そうだったんですか?」
クローネは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「でしたら、ルカ様に二つとも食べていただきましょうか」
「え? 二つ?」
「甘いもの、お好きなんですよね?」
「そうだけど……」
二つは流石に多くないだろうか。そう思っていると、リゼが自分の前のパフェを僕の方へ差し出した。
「ルカ様、どうぞ」
「……ありがとう」
結局、僕は二つのパフェを前にすることになった。
一口食べる。
「……美味しい」
甘すぎず、でもしっかりと甘い。いちごの酸味とクリームのまろやかさが、絶妙なバランスで調和している。
「本当に?」
「うん。三年前に食べたあの店のパフェに、負けてないよ」
「……っ」
クローネの目が、潤んだ。
「よ、よかった……。ずっと、練習してきたかいがありました……」
彼女は嬉しそうに笑った。その笑顔を見ていると、こちらまで温かい気持ちになる。
「さて——」
僕は表情を引き締めた。
「今後のことを話そう」
「はい」
クローネも、真剣な顔になった。
「ドミニク公爵の動きについて、新しい情報が入りました」
「聞かせてくれ」
「公爵は、本格的に軍を動かす準備を始めています。規模は……おそらく、数千から一万」
「一万……」
予想以上だった。
アステリナ王国の正規軍と比べても、決して小さくない規模だ。
「そして、問題なのは——」
クローネは、声を潜めた。
「その軍の中核に、亜人で構成された部隊がいるということです」
「亜人の部隊?」
「はい。獣人を中心とした精鋭部隊です。彼らの身体能力は、人間の兵士を遥かに凌ぐと言われています」
「……なるほど」
獣人の戦闘力。 以前、野盗に混じっていた一匹狼の獣人と戦ったことがある。
あの時の、常識外れの速さと腕力。あれが「部隊」として襲ってくるのか。 背筋に冷たいものが走った。
「正面からぶつかれば、かなりの苦戦を強いられるでしょう」
リゼが、厳しい表情で言った。
「いくら我々が奮戦しても、数と質で押し切られる可能性が高い」
「……」
僕は考え込んだ。
亜人の部隊。
彼らは、なぜドミニク公爵の下で戦っているのだろうか。
亜人は、人間至上主義の大陸で迫害されている存在だ。そんな彼らが、人間の貴族のために命を懸けて戦う——普通に考えれば、あり得ない話だ。
「クローネ。その亜人たちは、なぜ公爵に従っているんだ?」
「それは……」
クローネが答えようとした、その時だった。
「——その答えなら、わたくしが持っていますよ」
聞き覚えのある声。
振り返ると——開け放たれた扉の枠に寄りかかるようにして、シルフィーネが立っていた。
まるで、最初からそこで舞台を鑑賞していたかのような、優雅な立ち姿で。




