第20話 新たな接触
数日後。
僕の元に、クローネからの手紙が届いた。
『婚約破棄が正式に決定しました。詳細は直接お伝えします』
◇
その夜、クローネが宿を訪れた。
「ルカ様、お伝えした通り……婚約破棄が正式に決まりました」
「……本当に」
「はい。今朝、王宮で正式な発表がありました」
クローネは、どこか信じられないという顔をしていた。
「正直、こんなに早く決まるとは思いませんでした。マルシャン宰相が、驚くほど手際よく動いてくれたようです」
「……そうか」
僕は、複雑な気持ちで頷いた。
マルシャン宰相。
あの男は、約束を守った。
それも、予想以上の速さで。
「どうやってレグナス殿下を説得したのか……詳しいことは分かりませんが、噂では——」
クローネは声を潜めた。
「婚約破棄によって、むしろ王国に利益がある、という論法だったようです」
「利益?」
「はい。ドミニク公爵が怒って戦争を仕掛けてくれば、その報復として——マルディナ王国の金鉱山を奪取できる、と」
「……なるほど」
僕は、思わず唸った。
マルディナ王国には、大陸でも有数の金鉱山がある。それを手に入れることができれば、アステリナ王国の国力は大幅に増す。
婚約破棄という「失態」を、むしろ「好機」に変える——。
「あの男……本当に有能だな」
「え?」
「いや、何でもない」
僕は首を振った。
マルシャン宰相は、腐敗した享楽家だ。闇オークションに関わり、亜人を食い物にしている外道だ。
だが——政治家としての能力は、本物だった。
レグナス第一王子という野心家を相手に、婚約破棄を認めさせる。それも、王子にとって利益になる形で。
あの短期間で、それをやってのけた。
「……油断はできないな」
「ルカ様?」
「あの男は、いつか必ず僕を利用しようとする。今回の件で、僕という駒の価値を見極めたはずだ」
「……」
「でも、今はそれでいい。アリアを救うことが、最優先だから」
僕は立ち上がった。
「約束通り、書類は破棄しよう。それで、宰相との取引は一段落だ」
「はい……ですが、ルカ様」
クローネが、少し言いにくそうに言った。
「一つ、気になる情報がありまして……」
「何だ?」
「ドミニク公爵が……動き出しているようです」
「……っ」
「婚約破棄の知らせを受けて、公爵は激怒されたとか。まだ確定ではありませんが……軍を動かす準備を始めているという噂があります」
「……そうか」
予想はしていた。
ドミニク公爵は、執念深い男だ。面子を潰されて、黙っているはずがない。
「……ありがとう、クローネ。助かるよ」
「いえ、何かあればすぐにお申し付けください」
◇
クローネが去った後、僕は窓の外を見つめていた。
「……ルカ様」
リゼが、静かに声をかけてきた。
「戦争が起きるかもしれない、ということですね」
「ああ」
「……どうされるおつもりですか」
僕は、少し考えてから答えた。
「僕が始めたことだ。僕が、責任を取る」
「責任……?」
「もし戦争になったら、僕は前線に出る」
その言葉を口にした瞬間、自分の心臓が大きく跳ねた。
戦争。
——正直に言えば、考えたこともなかった。
剣の鍛錬は積んできた。野盗や魔獣との戦いなら、経験もある。
でも、戦争は違う。
人と人が殺し合う。国と国がぶつかり合う。
そんな場所に、僕は立ったことがない。
怖い、と思った。
手が、僅かに震えている。
「ルカ様……!」
リゼの顔が、強張った。
「それは危険です。相手はマルディナ王国の正規軍……!」
「……分かってる」
僕は、震える手を握りしめた。
怖い。本当に怖い。
でも——。
「傍観しているわけにはいかない」
僕は、拳を握りしめた。
「アリアを救うために婚約を破棄させた。その結果、戦争が起きようとしている。その責任は——僕にある」
「……」
「……怖いよ」
僕は、正直に言った。
「戦争なんて、考えたこともなかった。人を……殺すかもしれない。僕自身が、死ぬかもしれない」
「ルカ様……」
「でも」
僕は、顔を上げた。
「逃げるわけにはいかない。僕が始めたことだから。僕が蒔いた種だから——僕が、刈り取らなければならない」
それが、責任を取るということだ。
「具体的にどうするかは、まだ考えがまとまっていない。でも、必ず方法を見つける」
リゼは、しばらく僕を見つめていた。
その目には、心配と——どこか、誇らしげな光が混じっていた。
「……分かりました。主がそうお決めになったのなら」
「リゼ」
「私は、どこまでもお供いたします。例え戦場であろうと——この命に代えても、主をお守りします」
「……ありがとう、リゼ」
僕は、窓の外を見た。
夜空には、星が瞬いていた。
戦争が迫っている。
時間は、あまりない。
でも——必ず、道を見つける。
アリアを守るために。この国を守るために。
◇
——同じ頃、王城の離宮——
庭園に面したテラスで、二人の王女が向かい合っていた。
アリア・アステリナと、ソリュシア王国の王女シルフィーネ。
シルフィーネは、アステリナとの外交交渉のため、数日前から王都に滞在していた。今日の茶会は、その前段階としての形式的なものだった。
「お茶のお代わりはいかがですか、シルフィーネ殿下」
「ええ、いただきますね」
シルフィーネは優雅にカップを受け取りながら、何気ない様子で話題を変えた。
「それにしても驚きました、アリア王女殿下」
「何がでしょう?」
「あの宰相マルシャンと、ドミニク公爵の連名による結婚案が、まさか白紙になるとは」
シルフィーネの紫色の瞳が、アリアを捉えた。
「一体、どのような政治的取引を使ったのですか?」
アリアは、少し間を置いてから答えた。
「取引……そうですね。でも、それを成し遂げたのは私ではありません」
「ほう?」
「アーデンハイト子爵が、私のために動いてくれたのです」
アリアの声には、どこか誇らしげな響きがあった。しかし同時に、寂しさも滲んでいた。
シルフィーネは、内心で眉をひそめた。
——子爵が? 下級の貴族が、そこまで……?
——一体、何のために?
彼女の常識——政治的リアリズム——では、ありえない話だった。
子爵という低い身分の者が、宰相を動かし、王族の婚約を破棄させる。そんなことができるはずがない。
——彼は、裏でとんでもない智謀を巡らせた策士なのか。
——あるいは、運だけで勝った愚か者なのか。
どちらにせよ、興味をそそられる人物だった。
「それは興味深いですね」
シルフィーネは、微笑みを浮かべた。
「アリア王女殿下。その『彼』に一度、お会いしてもよろしいですか?」
アリアは、少し驚いた顔をした。
「シルフィーネ殿下が、ルカに……?」
「ええ。お話を聞いていたら、どうしても興味が湧いてしまいまして」
「……構いませんが」
アリアは、少し複雑そうな顔をした。
「彼は……少し、変わった人ですよ」
「変わった?」
「はい。普通の貴族とは、違うんです。何というか……損得ではなく、感情で動く人」
「ふふ、それは確かに珍しいですね」
シルフィーネは、カップを口元に運んだ。
——感情で動く、か。
——ますます興味深い。
「では、後ほど使いを出させていただきますね」




