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第2話 引き離される二人

それから、僕たちは何度かこの山で会うようになった。

最初は偶然を装っていたけれど、すぐにお互い「会いに来ている」ことに気づいた。


「ルカ、今日は何してたの?」


「素振りだよ。いつも通り」


「すごいね、毎日やってるの?」


「うん。父上に言われてるから」


僕がそう答えると、アリアは少し羨ましそうな顔をした。


「私も……剣術、習ってるの。でも、全然楽しくない」


「楽しくない?」


「うん。だって、決められたことをやらされてるだけなんだもの。自分で選んだわけじゃないのに」


その言葉に、僕は少しだけ驚いた。

僕も同じだったから。

剣術も、礼儀作法も、帝王学も——全部、「侯爵家の嫡男だから」という理由で押し付けられたものだ。自分で望んだわけじゃない。


「……分かるよ、その気持ち」


「本当?」


「うん。僕も、やらなきゃいけないことばっかりで、息が詰まる時がある」


アリアは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。


「ルカも同じなんだ。……なんだか、安心した」


その笑顔を見て、僕も自然と笑みがこぼれた。

この子といると、不思議と心が軽くなる。

誰にも言えなかったことを、素直に話せる気がした。


「……ねえ、アリア」


ふと、僕は前から気になっていたことを尋ねた。


「アリアはどうやってここまで来てるの? 一人で山奥まで来るの、大変じゃない?」


「ああ、それはね——」


アリアは少しいたずらっぽく笑った。


「秘密の抜け道があるの」


「抜け道?」


「うん。昔、お母様に教えてもらったの。離宮の庭園から続いてる古い通路があって、そこを抜けると森の近くに出られるの」


「へえ……」


「お母様も昔、息が詰まると一人でこっそり抜け出してたんだって。だから、私にだけ教えてくれたの」


アリアは懐かしそうに目を細めた。


「でも、誰にも言っちゃダメだよ? 私だけの秘密なんだから」


「……うん、分かった。誰にも言わないよ」


僕が頷くと、アリアは安心したように微笑んだ。


「ルカになら、教えてもいいかなって思ったの」


その言葉が、なんだかとても嬉しかった。



ある日のことだった。

いつもの場所に行くと、アリアが一冊の本を抱えて待っていた。


「ルカ、見て。これ、私のお気に入りなの」


「本?」


「うん。冒険のお話。すごく面白いんだよ」


アリアは嬉しそうに本を開いて見せてくれた。

表紙には、剣を持った若者と、広大な世界の風景が描かれていた。


「主人公がね、すごく自由なの。誰にも縛られないで、いろんな世界を見て回るの。山を越えて、海を渡って、誰も知らない場所を冒険して……」


アリアの目が、きらきらと輝いていた。


「私も、こうなりたいなって思うの」


「……アリアの憧れってこと?」


「うん」


彼女は本を胸に抱きしめた。


「私も、もっと自分の足でいろんな場所を見てみたい。誰かに決められた道じゃなくて、自分で選んだ道を歩きたいの」


その言葉は、僕の心にも響いた。

僕だって、同じことを思ったことがある。侯爵家の嫡男として用意された道筋の上を、ただ歩くだけの人生なんて——。


「……ねえ、ルカ」


「なに?」


「私が剣術を学んだら、この主人公みたいになれるかな?」


アリアは真剣な目で僕を見つめていた。


「どうかな……」


僕は少し考えて、答えた。


「でも、無駄ではないと思うよ。少なくとも、前みたいにただ逃げるだけじゃなくなる」


「……うん」


アリアは頷いた。その目に、決意の光が灯る。


「じゃあ、私も強くなる。それで、自分の足でいろんな世界を旅するの」


そして、彼女は僕の顔を真剣に見つめた。


「ルカも、手伝ってくれる?」


「……え?」


「私が強くなるの、手伝って。それで——」


アリアは少し恥ずかしそうに、でも真っ直ぐな目で言った。


「一緒に来てくれない? いろんな世界を見に」


心臓が、大きく跳ねた。

この子と一緒に、まだ見ぬ世界を旅する。

決められた道じゃなく、自分たちで選んだ道を歩く。

それは——僕にとっても、夢のような話だった。


「……うん」


気がつけば、僕は頷いていた。


「僕も、大切な人を守れるようにもっと強くなるよ。そして——一緒にいろんな世界を見て回ろう」


アリアの顔が、ぱっと輝いた。


「本当!?」


「本当だよ」


「じゃあ、約束ね!」


アリアが小指を差し出す。

僕は笑って、その小指に自分の小指を絡ませた。


「約束」


「一緒に、この本の物語みたいに冒険するの!」


「うん」


木漏れ日の中で、僕たちは笑い合った。

その約束が、どんな結末を迎えるのか。

この時の僕は、まだ知らなかった。



約束を交わしてから、数日後のことだった。

その日も、僕はいつもの場所でアリアを待っていた。

木々の間から差し込む光が、午後の傾きを帯びている。


「……遅いな」


普段なら、もうとっくに来ている時間だ。

何かあったのだろうか。

胸がざわついた。

——大丈夫、きっとすぐ来る。

自分にそう言い聞かせて、僕は待ち続けた。

やがて——足音が聞こえてきた。

でも、それはアリアのものではなかった。

重い、複数の足音。金属が擦れる音。


「——いたぞ!」


男の声が響いた。

木々の向こうから、鎧を纏った男たちが現れる。

騎士だ。それも、一人や二人ではない。


「お前は......アーデンハイト侯爵家の嫡男か?」


先頭の男が、厳しい目で僕を見下ろした。

——アーデンハイト侯爵家。僕の家のことだ。


「王女殿下をこんな山奥まで連れ回していたのは、お前か」


——王女殿下?

頭が真っ白になった。


「な、何のことですか。僕は——」


「ふん、惚けても無駄だ。王女殿下は既に確保した」


男が顎をしゃくると、騎士たちが左右に分かれた。

その奥に——。


「ルカ……!」


アリアがいた。

二人の騎士に両腕を掴まれ、無理やり連れてこられていた。


「アリア!」


僕は駆け出そうとした。でも——。


「動くな」


剣の切っ先が、僕の喉元に突きつけられた。


「これ以上、王女殿下に近づくことは許されない。侯爵家の子息といえど、王族を勝手に連れ出すなど言語道断」


「待ってください! 僕たちは、ただ——」


「黙れ」


冷たい声が、僕の言葉を遮った。


「子供の言い訳など聞いていない。この件は、侯爵閣下にも報告させてもらう」


報告? 父上に?

背筋が凍った。でも、それよりも——。


「アリアは何も悪くない! 僕が——」


「口を慎め。事情は侯爵家で聞く」


騎士は僕の言葉を遮り、部下たちに命じた。


「王女殿下をお連れしろ」


号令がかかる。

アリアが、僕の方へ必死に手を伸ばした。


「ルカ!」


「アリア——!」


僕も手を伸ばす。でも、騎士に押さえつけられて、一歩も動けない。


「離せ……! 離してくれ……!」


「暴れるな、小僧」


力ずくで地面に押し付けられる。土の匂いが鼻をついた。

顔を上げると、アリアがどんどん遠ざかっていくのが見えた。

騎士たちに囲まれて、森の出口へと連れ去られていく。


「ルカ——!」


アリアが叫んだ。

その目から、涙がこぼれていた。


「約束、忘れないで……!」


——約束。

一緒に世界を見て回ろう、という約束。


「あなたは強いから……! いつか、私のこと——」


アリアの声が、途切れそうになる。


「——迎えに来て!!」


その叫びが、森に響いた。

僕は——何もできなかった。

押さえつけられたまま、彼女の姿が木々の向こうに消えていくのを、ただ見ていることしかできなかった。


「……アリア」


声が震えていた。

手を伸ばしても、届かない。

あんなに近くにいたのに——何も、できなかった。

騎士たちが去った後も、僕はしばらく動けなかった。

地面に膝をついたまま、彼女が消えていった方角を見つめ続けた。

悔しかった。

情けなかった。

自分が、こんなにも無力だなんて——。


「……僕は」


拳を握りしめる。

土が爪の間に入り込んで、痛かった。


「僕は……」


あの日、熊からアリアを守れたのは、ただの偶然だった。

本物の騎士たちの前では、僕は何の力も持たない、ただの子供だった。

身分の壁。実力の壁。

そんなものに、僕は一瞬で押し潰された。


「……っ」


涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた。

泣いたって、何も変わらない。

泣いたって、アリアは戻ってこない。


「……絶対に」


僕は立ち上がった。

膝が震えていた。でも、歯を食いしばって、真っ直ぐに立った。


「絶対に、迎えに行く」


誰にも聞こえない声で、僕は誓った。

強くなる。

誰にも負けないくらい、強くなる。

そして——必ず、あの約束を果たしてみせる。

木漏れ日が、いつの間にか陰っていた。

風が冷たく頬を撫でる。

僕はその場を離れられないまま、沈みゆく太陽を見つめ続けていた。

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