第18話 滲む想い
宰相との交渉を終えてから、数日が経った。
マルシャン宰相が、レグナス殿下の説得に動いているはずだ。
僕にできることは、待つことだけだった。
その日の夕方——。
宿の部屋で書類を整理していると、リゼが声をかけてきた。
「ルカ様。クローネさんが参りました」
階下に降りると、クローネがフードを被って待っていた。
「ルカ様。アリア様が、お会いしたいと仰っています」
「アリアが……?」
心臓が、大きく跳ねた。
「はい。今夜、王城の離れにお越しいただけないかと……」
「……分かった。すぐに行く」
◇
クローネに案内されて、僕は王城の離れへと向かった。
人目を避けるように、裏口から入る。長い廊下を抜け、小さな部屋の前で足を止めた。
「こちらです」
クローネが扉を開けた。
中には——アリアがいた。
窓際に立ち、外を眺めていた。月明かりに照らされた白銀の髪が、淡く輝いている。
「アリア様、ルカ様をお連れしました」
「……ありがとう、クローネ」
アリアは振り返った。
その瞳には——複雑な感情が渦巻いていた。
「クローネ。少し、二人にしてもらえる?」
「……はい。では、私は外で待っております」
クローネは一礼して、部屋を出ていった。
扉が閉まり、静寂が訪れる。
部屋には、僕とアリアだけが残された。
「……アリア」
「……」
アリアは、僕を見つめていた。
「どうして、ここに……」
「……婚約破棄の件」
アリアは、静かに言った。
「あなたが、何かしたのでしょう」
「……」
「宰相が急に動き出したと聞きました。何か弱みを握ったのか、取引をしたのか……詳しいことは分かりませんが」
アリアの目が、真っ直ぐに僕を捉えた。
「あなたの仕業でしょう」
否定はしなかった。
「……ああ」
「……そう」
アリアは、小さく息を吐いた。
「……どうして」
「どうして?」
「どうして、そこまでするの」
その声は、震えていた。
「私は、あなたを拒絶した。二度と現れるなと言った。なのに……どうして」
「……アリア」
僕は、一歩前に踏み出した。
「僕は、君を——」
「来ないで」
アリアが、鋭く言った。
僕の足が、止まる。
「……来ないで、ルカ」
「でも——」
「魔剣の呪いは、まだ解けていないの」
アリアは、自分の胸元を押さえた。
「近づいたら……どうなるか分からない。私にも、分からないの……」
その声は、恐怖で震えていた。
「婚約を破棄しても、呪いは消えない。あなたが何をしても……私たちは、結ばれない」
「そんなことない」
僕は、真っ直ぐにアリアを見つめた。
「呪いを解く方法は、きっとある。帝国には聖剣使いがいると聞いた。魔剣と深い関わりがあるなら、何か手がかりが——」
「……」
「アリア、一人で抱え込まないでくれ。魔剣の呪いも、二人なら絶対になんとかできる」
「——っ」
アリアの肩が、震えた。
その目に、涙が滲んでいるのが見えた。
「……関わらないでと、言ったはずです」
「アリア——」
「どうして……どうして、あなたはそうなの」
アリアの声が、裏返った。
「私があんなに突き放しても、どれだけ冷たくしても……どうして、諦めてくれないの」
「……」
「私は……私は、あなたに死んでほしくないの。あなたが生きていてくれるなら、私は……どんな男の元に嫁いでも構わないのに……」
涙が、アリアの頬を伝った。
「なのに……あなたは……」
「アリア」
僕は、また一歩前に出ようとした。
「来ないでっ!」
アリアが、叫んだ。
その声は、悲鳴のようだった。
「……近づかないで。お願いだから……これ以上、私を困らせないで……」
「……」
「もう……勝手にしてください」
アリアは、背を向けた。
その肩は、小さく震えていた。
「話は終わりです、帰ってください」
有無を言わさない声。これ以上この場にいることは許されなかった。
僕は何も言わず、扉に手をかけた。
「……感謝は、伝えておきます」
背後から微かに感謝の言葉が聞こえた。




