第17話 交渉
闇オークションを抜け出した僕たちは、一度宿に戻った。
手に入れた書類を確認し、証拠として十分かどうかを精査する。
「……これだけあれば、十分だね」
「はい。資金の流れ、宰相の署名、顧客名簿……言い逃れはできないでしょう」
リゼが頷いた。
「それで、ルカ様。これからどうされますか?」
「宰相に直接会う」
「……直接、ですか」
「ああ。証拠を突きつけて、交渉する」
「危険では?」
「かもしれない。でも、回りくどいことをしている時間はない」
僕は書類を懐にしまった。
「アリアの婚約は、着々と進んでいる。早く手を打たないと、手遅れになる」
「……分かりました。では、私もお供いたします」
「ありがとう、リゼ」
◇
翌日。
僕は王城に赴き、マルシャン宰相との面会を申し入れた。
「アーデンハイト子爵が、宰相閣下に?」
受付の役人は、怪訝そうな顔をした。
「何の用件でしょうか」
「それは宰相閣下に直接お伝えする。至急、お取り次ぎ願いたい」
「しかし、宰相閣下はお忙しい身。アポイントもなしに——」
「これを見せれば、会ってくれるはずだ」
僕は一枚の紙を差し出した。
闇オークションの帳簿の写し。宰相の名前が記された部分だ。
役人の顔が、青ざめた。
「……少々、お待ちください」
役人は慌てて奥へと消えていった。
しばらくして——。
「……宰相閣下がお会いになるそうです。こちらへ」
案内されたのは、宰相の執務室だった。
◇
「やあやあ、これはこれは。アーデンハイト子爵殿」
マルシャン宰相は、にこやかな笑みを浮かべて僕を迎えた。
太った体躯。油っぽい肌。そして——ねっとりとした、爬虫類のような目。
「わざわざのお越し、恐れ入りますねぇ」
「突然の訪問、失礼いたします」
僕は表情を崩さずに答えた。
「まあまあ、お座りくださいな。お茶でもいかがです?」
「結構です。長居するつもりはありませんので」
「おやおや、せっかちな方だ」
宰相は椅子に深く腰掛け、僕を見上げた。
「それで? ご用件は何でしょうかねぇ」
「単刀直入に言います」
僕は懐から書類の束を取り出し、宰相の前に置いた。
「これが何か、お分かりですね」
宰相は書類を一瞥した。
その目が、一瞬だけ細くなった。
「……ほう」
「王都郊外で行われている闇オークション。その運営資金の流れを示す帳簿です」
「なるほど、なるほど」
「ご覧の通り、あなたの名前がしっかりと記されている。署名もある」
僕は宰相の目を真っ直ぐに見つめた。
「宰相閣下。あなたもご存知でしょうが、人身売買は国際法で明確に禁じられている。亜人であろうと、人であろうと——関係ない」
「……」
「これが表に出れば、アステリナ王国は国際社会から非難される。周辺国との関係も悪化するでしょう。そして何より——」
僕は、冷たく言い放った。
「その責任者として、あなたの名前が挙がる。王国を窮地に陥れた売国奴として、あなたの政治生命は確実に終わる」
沈黙が落ちた。
宰相は書類を眺めながら、しばらく黙っていた。
そして——。
「ふふふ……」
笑い始めた。
「いやあ、これはこれは。最近の若い者は、活きが良くていいですねぇ」
「……」
「子爵殿、なかなかの胆力をお持ちだ。この私を相手に、ここまで堂々と脅しをかけるとは」
宰相は書類をぽんと机に置いた。
「それでぇ? 何が目的なんです?」
「……」
「わざわざ交渉に来たということは、私にやってほしいことがあるのでしょう? でなければ、こんな面倒な真似はしませんよねぇ」
宰相の目が、ねっとりと僕を捉えた。
「さあ、おっしゃってくださいな。子爵殿のお望みは、何です?」
「……ああ」
僕は、一呼吸置いて言った。
「アリア王女の婚約を破棄しろ」
宰相の目が、僅かに見開かれた。
「王女殿下の……?」
そして——何かに気づいたように、にやりと笑った。
「はははっ、なるほど、なるほど。あの時の小僧が……」
「……」
「九年前、王女殿下との密会が発覚して廃嫡された侯爵家の嫡男。今は辺境の子爵……ふぅん、よく調べておくべきでしたねぇ」
宰相は愉快そうに体を揺らした。
「白馬の王子様気取り、というわけですかぁ。いやはや、若いって素晴らしい」
「茶化すつもりなら、この書類を然るべき場所に届けるだけだ」
「おっと、怖い怖い」
宰相は両手を挙げて見せた。
「まあ、いいでしょう。婚約の破棄……検討しないこともないですよぉ」
「検討ではなく、実行してもらう」
「せっかちですねぇ」
宰相は肩をすくめた。
「ですがねぇ、子爵殿。婚約を破棄したとして——先方が納得するかは、別の話ですよぉ?」
「……」
「ドミニク公爵閣下は、王女殿下をそれはそれは楽しみにしておられる。『最高のコレクション』だと、目を輝かせておりましたからねぇ」
宰相の目が、意地悪く光った。
「婚約を破棄すれば、公爵閣下は激怒するでしょう。下手をすれば、戦争になるかもしれませんよぉ? それでも、構わないとぉ?」
「もちろんだ」
僕は、迷わず答えた。
「その後処理も含めて、協力してもらう」
「……ほう?」
「あんたには、この王国での人脈がある。外交の経験もある。ドミニク公爵を納得させる手段の一つや二つ、持っているだろう」
「いやいや、買いかぶりすぎですよぉ」
「謙遜はいい。できるか、できないか——それだけ答えろ」
僕は宰相を睨みつけた。
「断るなら、この書類は今日中に表に出る。あんたの政治生命は、そこで終わりだ」
沈黙。
宰相は、じっと僕を見つめていた。
その目には——不思議な光が宿っていた。
「……ははは」
やがて、宰相は笑い出した。
「いやあ、人使いが荒いですねぇ、子爵殿」
「……」
「脅して、要求して、さらに後処理まで押しつけるとは。なかなかの図太さだ」
宰相は立ち上がり、窓際に歩み寄った。
「ですがねぇ……その強気な姿勢、嫌いじゃありませんよぉ」
振り返った宰相の顔には、どこか愉快そうな笑みが浮かんでいた。
「いいでしょう。協力して差し上げますよぉ」
「……本当か」
「ええ、ええ。ただし——」
宰相は、人差し指を立てた。
「その書類、いつまでも子爵殿のお手元に置かれては困りますねぇ。いつまた脅されるか分かりませんから」
「それについては、提案がある」
僕は書類を手元に引き戻した。
「まず、婚約破棄を実行してもらう。それが正式に決定した時点で、この書類は破棄する」
「ほう……?」
「そうすれば、あんたも安心だろう。書類がなくなれば、僕があんたを脅す材料もなくなる」
「なるほど、なるほど……」
宰相は顎に手を当て、考え込むような仕草をした。
「ですが、そうなると——後処理に私が協力する保証がなくなりますよねぇ? 婚約破棄の後、私が手を引いたらどうするおつもりでぇ?」
「それこそ、あんたの利益に反するだろう」
「と、言いますとぉ?」
「婚約破棄だけして後処理をしなければ、ドミニク公爵の怒りを買うのはあんたも同じだ。公爵に恨まれて、得することは何もない」
「……」
「それに、後処理がうまくいけば、あんたの外交手腕を示すことにもなる。王国を戦争から救った功労者として、立場は強まるはずだ」
僕は真っ直ぐに宰相を見据えた。
「協力した方が得だ。あんたなら、分かるだろう」
宰相は、しばらく僕を見つめていた。
その目には——計算高い光が宿っていた。
「……ふふ」
やがて、宰相は笑った。
「いやあ、子爵殿。なかなかの交渉上手ですねぇ」
「買いかぶりだ」
「いえいえ。この私を相手に、ここまで理詰めで追い込むとは……将来が楽しみですよぉ」
宰相は両手を広げた。
「いいでしょう。その条件で、お受けいたしますよぉ」
「……本当だな」
「ええ、ええ。婚約破棄が正式に決定したら、書類は破棄していただく。その後、私は後処理に全面的に協力する。——それで、よろしいですねぇ?」
「ああ」
僕は頷いた。
「約束を破れば——」
「分かっておりますよぉ。その時は、別の形で私の首が飛ぶ。重々、承知しております」
宰相はにっこりと笑った。
「それでは、子爵殿。今後ともよろしくお願いしますねぇ」
その笑顔には——どこか、油断のならないものがあった。
◇
宰相の執務室を出た後、リゼが小声で言った。
「……ルカ様。本当に、あの男を信用してよろしいのですか」
「信用はしていないよ」
僕は廊下を歩きながら答えた。
「でも、利用価値がある限り、あの男は約束を守る。そういう人間だ」
「……」
「それに、僕たちには他に手がない。今はあの男の力を借りるしかないんだ」
「……はい。主がそう仰るなら」
リゼは頷いた。
だが、その目には——まだ不安の色が残っていた。
僕も、同じ気持ちだった。
マルシャン宰相は、信用できる男ではない。
でも——今は、前に進むしかない。
アリアを救うために。




