第11話 呪い
——あの頃の笑顔と、今の彼女の笑顔が重なった。
「お久しぶりです、ルカさん」
聖衣を纏い、聖女としての威厳を備えた姿。
でも、その微笑みは——九年前と何も変わっていなかった。
「……久しぶり、ティアーヌ」
僕は、自然と笑みがこぼれた。
「聖女になったって聞いた時は、驚いたよ」
「ふふ、私も驚きました。まさか自分が聖女に選ばれるなんて」
ティアーヌは少し照れたように笑った。
「でも……ルカさんに教えてもらったこと、今も役に立っているんですよ」
「薬草の知識?」
「はい。治癒術と組み合わせると、より効果的な治療ができるんです」
「そっか……それは良かった」
あの頃、一緒に山を歩いたことが、彼女の役に立っている。
それが、素直に嬉しかった。
「ノアは元気?」
「はい、おかげさまで。今は王都で勉学に励んでいます」
「へえ、勉学を。あの泣き虫だったノアが」
「将来は内政官を目指しているんですよ。人の役に立ちたいって」
「そうか……立派になったんだね」
「もう、ルカさん。ノアが聞いたら『泣き虫は余計です』って怒りますよ」
ティアーヌはくすくすと笑った。
でも——その笑顔が、少しだけ曇った。
「……それで、ルカさん。今日はどのようなご用件でしょうか」
聖女としての顔に戻る。
僕も、表情を引き締めた。
「……ティアーヌ。君に、聞きたいことがあるんだ」
「はい」
「魔剣の……呪いについて」
ティアーヌの目が、僅かに見開かれた。
「呪い……ですか」
「ああ。知っていることがあれば、教えてほしい」
僕は、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「大切な人が……魔剣の呪いに苦しんでいるんだ。なんとかして、助けたい」
ティアーヌは、しばらく黙っていた。
その翠色の瞳が、僕を見つめている。
やがて——彼女は、小さく頷いた。
「……分かりました。私の知っていることを、お話しします」
「ありがとう」
「ただ、その前に——」
ティアーヌは、リゼの方をちらりと見た。
「お連れの方は……?」
「ああ、紹介するよ。リゼ、僕の従者だ」
「リゼと申します。ルカ様にお仕えしております」
リゼが一礼する。
ティアーヌは柔らかく微笑んだ。
「ルカさんの従者様……ルカさんをよろしくお願いしますね」
「……はい。この命に代えても、主をお守りいたします」
「ふふ、頼もしいですね」
それから、ティアーヌは僕たちを奥の部屋へと案内した。
「ここなら、誰にも聞かれません」
小さな書斎だった。壁には古い書物が並び、机の上には聖典が開かれている。
「さて……魔剣の呪いについて、ですね」
ティアーヌは椅子に腰掛け、僕たちにも座るよう促した。
「ルカさんは、魔剣がどのようにして生まれるか、ご存知ですか?」
「……人の負の感情が、武器に宿って結晶化したもの……だよね?」
「はい、その通りです。絶望、憎悪、怨念……そういった強い負の感情が、長い年月をかけて剣に宿り、魔剣となります」
ティアーヌの声は、静かだった。
「そして、魔剣には必ず『呪い』が宿ります。それは、魔剣を生み出した感情の形……とでも言えばいいでしょうか」
「感情の形……」
「例えば、『裏切り』によって生まれた魔剣は、持ち主を裏切りへと導く呪いを持つ。『孤独』によって生まれた魔剣は、持ち主から人を遠ざける呪いを持つ……といった具合です」
「じゃあ……『最愛の人と結ばれた時、その相手の命を奪う』という呪いは……」
「おそらく……『引き裂かれた想い』から生まれた魔剣でしょうね」
ティアーヌの目が、悲しげに揺れた。
「愛する人と結ばれることを望みながら、叶わなかった誰かの……強い絶望」
「……」
アリアの顔が、脳裏に浮かんだ。
彼女は今、その呪いに縛られている。
愛する人と結ばれたら、その人を殺してしまう——そんな残酷な運命に。
「……呪いを解く方法はないんだろうか」
「……申し訳ありません」
ティアーヌは、苦しそうに首を振った。
「私の知識では……呪いを解く方法は分かりません」
「……そうか」
落胆が、胸に広がった。
「ただ——」
ティアーヌは、少し考え込むように言った。
「お力になれるかは分かりませんが……帝国の聖女様に、お伺いを立ててみることはできます」
「帝国の聖女?」
「はい。実は……帝国の聖女様は、私の師匠なんです」
「師匠……?」
「私が聖女に選ばれた後、修行のために帝国を訪れたことがありまして。その時に、色々と教えていただいたんです」
ティアーヌは、懐かしむように目を細めた。
「今でも定期的に書簡のやり取りをしています。帝国には聖剣使いもいると聞きますし、魔剣についての知識も、こちらより豊富かもしれません」
「聖剣使い……」
その名前には、僕も聞き覚えがあった。
神聖レヴァリア帝国——大陸最強の国家。人間至上主義の総本山であり、ソルミナ教の中心地でもある。
そこに、聖剣を操る者がいるという噂は、辺境にいた僕の耳にも届いていた。
「ただ……」
ティアーヌは、少し申し訳なさそうに付け加えた。
「必ずお力になれるとは、お約束できません。帝国は遠いですし、お返事をいただけるまでに時間もかかります。あまり……期待はしないでいただけると」
「いや、それでも十分だよ」
僕は、自然と笑みがこぼれた。
何の手がかりもないと思っていた。でも、可能性が生まれた。それだけで、ありがたかった。
「……分かった。何か分かったら、教えてほしい。ありがとう、ティアーヌ」
僕が立ち上がろうとした時——ティアーヌが、少し躊躇うように口を開いた。
「あの……ルカさん。もう一つ、お話ししたいことがあるのですが」
「何?」
「実は……ここだけの話なのですが……」
ティアーヌは声を潜めた。
「私、密かに亜人の方々を保護しているんです」
「……え?」
思わず、聞き返していた。
「亜人を……保護?」
「はい」
「でも、それは……」
僕は言葉を詰まらせた。
ソルミナ教の教義では、亜人は「天使に見捨てられた罪深い存在」とされている。
聖女が亜人を保護するなど——教義に真っ向から反する行為だ。
「……教義に反しているんじゃないのか?」
「……はい。確かに、教義ではそうなっています」
ティアーヌは、少し俯いた。
でも、すぐに顔を上げた。その翠色の瞳には、強い意志が宿っていた。
「ですが……何も罪を犯していない方々を、ただ亜人だからという理由で迫害するなんて……私には、どうしてもできません」
「ティアーヌ……」
「苦しんでいる人がいるなら、助けたい。それが人間であろうと、亜人であろうと……同じ命じゃないですか」
その言葉に、僕は胸を打たれた。
教義よりも、自分の良心に従う。
それがどれほど危険なことか、彼女は分かっているはずだ。それでも——彼女は、自分の信念を曲げなかった。
「……君は、変わらないね」
「え?」
「昔から、そうだった。誰かのためなら、自分の危険も顧みない」
ティアーヌは、少し照れたように笑った。
「それは……ルカさんに言われたくないです」
「……そうかもね」
僕も、つい笑ってしまった。
「それで……その亜人の方々から、気になる話を聞いたんです」
ティアーヌの表情が、再び真剣なものに戻った。
「捕まりそうになっていたところを逃げてきた方が何人かいるのですが……『売られそうになった』『貴族が関わっている』と……」
「売られる……?」
「詳しいことは分かりません。ただ、断片的な話を繋ぎ合わせると……どうやら、亜人を捕らえて売り買いしている者たちがいるようなんです」
「……」
「そして……その中心にいるのは、宰相マルシャン様らしい、と」
「マルシャン宰相……!」
第一王子派閥の筆頭。アリアの政略結婚を推し進めている張本人。
その名前が、ここで出てくるとは。
「確証はありません。あくまで、保護した方々の証言に過ぎませんが……」
「いや、十分だ」
僕は、頭の中で情報を整理した。
マルシャン宰相が、亜人を使って何かをしている。
もしそれが事実なら——大きな弱みになる。
「ティアーヌ、ありがとう。その情報、とても助かる」
「お役に立てたなら、嬉しいです。ただ……」
ティアーヌは、心配そうな顔をした。
「くれぐれも、お気をつけてください。マルシャン宰相は、強大な権力を持っています」
「分かってる。慎重に動くよ」
「それと……何かあれば、いつでも私を頼ってください。私は……ルカさんの、家族ですから」
その言葉に、胸が温かくなった。
「……ああ。ありがとう、ティアーヌ」
僕が踵を返そうとした時——ティアーヌが、僕の袖をそっと掴んだ。
「……ティアーヌ?」
「あ……」
彼女は自分の行動に気づいたように、慌てて手を離した。
「す、すみません。つい……」
「いや、どうかした?」
「いえ、その……」
ティアーヌは少し俯いて、言葉を探すように唇を噛んだ。
「……九年ぶりに会えたのに、こんなお話ばかりで……もう少しだけ、昔みたいにお話できたらよかったなって……」
その声は、どこか寂しげだった。
「……そうだね」
僕も、同じ気持ちだった。
久しぶりに会えたのに、話したのは呪いのことや宰相のことばかり。昔のように、他愛のない話をする時間はなかった。
僕は、ティアーヌの目を見て言った。
「また、ゆっくり話そう。昔みたいに」
ティアーヌの瞳が、一瞬揺れた。
「……本当ですか?」
「ああ。約束する」
「……っ」
ティアーヌは、両手を胸の前で握りしめた。
その頬が、ほんのりと赤く染まっている。
「……はい。楽しみに、しています」
彼女は微笑んだ。
でも、その目尻には——僅かに、涙が滲んでいるように見えた。
「……お気をつけて、ルカさん」
「ああ。ティアーヌも、無理はしないで」
僕は最後にそう言って、書斎を後にした。
扉が閉まる直前、ちらりと振り返ると——ティアーヌは、まだ同じ場所に立っていた。
まるで、少しでも長く僕の姿を目に焼き付けようとするかのように。




