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第10話 ティアーヌ

翌朝、僕とリゼは王都の大聖堂を訪れた。

白亜の壁に、天を突くような尖塔。ステンドグラスから差し込む光が、荘厳な雰囲気を醸し出している。

ソルミナ教の総本山——とまではいかないが、王都の大聖堂は大陸でも有数の規模を誇る。


「……ここに、ティアーヌが」


九年前、孤児院にいた少女。

今は聖女として、この場所で人々を導いているという。


「アーデンハイト子爵様ですね。お待ちしておりました」


入口で待っていた神官が、僕たちを中へ案内した。

長い回廊を歩く。壁には聖典の一節が刻まれ、天井には天使の絵が描かれていた。

やがて、一つの扉の前で神官が立ち止まった。


「聖女様は、こちらにおられます。どうぞ」


扉が開く。

その先に——彼女がいた。


「ようこそ、アーデンハイト子爵様」


柔らかな声が、僕の耳に届いた。

金色の髪が、窓から差し込む光を受けて輝いている。翠色の瞳は、慈愛に満ちていた。

白い聖衣を纏ったその姿は、まさに「聖女」と呼ぶに相応しかった。


「……ティアーヌ」


思わず、名前を呼んでいた。

彼女は——僅かに目を見開いた。

そして、その顔に柔らかな笑みが浮かんだ。


「お久しぶりです、ルカさん」


その声を聞いた瞬間、記憶が蘇った。



あれは、僕が八歳の頃のことだった。

廃嫡されて一年。僕は辺境の領地で、一人で暮らしていた。

剣の稽古と、領地の管理。それだけが、僕の日常だった。

その日、僕はいつものように山で鍛錬をしていた。

木剣を振り、汗を流す。誰に見せるわけでもない。ただ、強くなりたかった。

アリアを迎えに行くために。あの日の約束を果たすために。


「——お願い、誰か……!」


その時、悲痛な声が聞こえた。

僕は反射的に声のした方へ走った。

森の中を駆け抜けると、一人の少女が膝をついていた。

金色の髪。翠色の瞳。僕より少し年上くらいの少女だった。


「どうしたの?」


僕が声をかけると、少女は涙でぐしゃぐしゃの顔で僕を見上げた。


「弟が……弟が、熱を出して……! 薬草を探してるんですけど、見つからなくて……!」


「薬草?」


「はい……! お医者様が、この山に生えてる薬草があれば熱が下がるって……でも、私、どれがその薬草か分からなくて……!」


少女は必死な顔だった。


「このままじゃ、ノアが……弟が、死んじゃう……!」


弟が、死ぬ。

その言葉が、僕の胸に突き刺さった。


「……どんな薬草?」


「え……?」


「どんな特徴がある薬草か、教えて。僕、この山のことなら詳しいから」


少女の目が、僅かに見開かれた。


「あ、あの……白い花が咲いていて、葉っぱがギザギザしてて……」


「シロバナソウだね。分かった、僕が取ってくる」


「え……でも……」


「場所は知ってる。すぐ戻るから、ここで待ってて」


僕は言うが早いか、森の奥へと駆け出した。

シロバナソウの群生地は、この山の北側にある。険しい崖の近くで、普通の人には辿り着けない場所だ。

でも、僕は知っていた。

一年間、この山を歩き回って、どこに何があるか把握していたから。


「……あった」


崖の縁に、白い花が揺れていた。

僕は慎重に近づき、根元から数本を摘み取った。

そして、来た道を全速力で戻った。



「——これ」


少女の元に戻った時、僕は息を切らしていた。


「シロバナソウ。これで合ってる?」


少女は、僕の手の中の薬草を見て——泣き崩れた。


「あ……ありがとう、ございます……! ありがとう……!」


「泣かないで。早く弟さんのところに行かないと」


「は、はい……!」


少女は薬草を受け取り、立ち上がった。


「あの……お名前、教えてもらえますか……?」


「僕? 僕は、ルカ。ルカ・アーデンハイトだよ」


「ルカ、さん……」


少女は、涙を拭いながら微笑んだ。


「私は、ティアーヌです。本当に……本当に、ありがとうございます……!」


「うん。弟さん、良くなるといいね」


「はい……! 必ず、お礼をさせてください……!」


ティアーヌはそう言って、山を駆け下りていった。

その後ろ姿を見送りながら、僕は思った。

——助けられて、良かった。

誰かの役に立てた。

それが、あの頃の僕にとっては——何よりも嬉しいことだった。



それから数日後。

僕がいつもの場所で鍛錬をしていると、見覚えのある姿が現れた。


「ルカさん!」


ティアーヌだった。

彼女は息を切らしながら、僕の前までやってきた。


「弟は……ノアは、どうなった?」


「おかげさまで、熱が下がりました……! もう元気に走り回っています」


「そっか……良かった」


心から、そう思った。


「あの……これ、お礼です」


ティアーヌが差し出したのは、小さな包みだった。


「孤児院のみんなで作ったんです。大したものじゃないんですけど……」


「孤児院?」


「はい。私とノアは、この近くの孤児院で暮らしてるんです」


開けてみると、中には素朴な焼き菓子が入っていた。


「……ありがとう」


「いえ……こちらこそ、本当にありがとうございました」


ティアーヌは深く頭を下げた。


「ルカさんがいなかったら、ノアは……」


「そんな大げさなことじゃないよ。僕は、たまたま薬草の場所を知ってただけだから」


「たまたまなんかじゃありません」


ティアーヌは、真っ直ぐに僕を見つめた。


「ルカさんは、見ず知らずの私のために、危険な場所まで走ってくれました。それは……とても、すごいことだと思います」


その目は、真剣だった。


「……ありがとう」


僕は、少し照れくさくなって目を逸らした。


「あの……ルカさん」


「ん?」


「もしよければ……また、会いに来てもいいですか?」


「え?」


「私、薬草のこと、もっと知りたいんです。弟が……ノアが、また病気になった時のために」


ティアーヌは、少し恥ずかしそうに言った。


「迷惑じゃなければ……教えてもらえませんか?」


僕は——少し考えて、頷いた。


「いいよ。僕でよければ」


「本当ですか!?」


ティアーヌの顔が、ぱっと明るくなった。


「ありがとうございます! じゃあ、また明日来ますね!」


「うん、待ってるよ」


こうして、僕とティアーヌの交流が始まった。



それから、僕たちは何度も一緒に山を歩いた。


「これがシロバナソウ。熱冷ましに使えるやつ」


「これは覚えてます。ノアを助けてくれた薬草ですね」


「こっちは……ヤマニガナ。傷薬になる」


「へえ……葉っぱの形が特徴的ですね」


ティアーヌは熱心だった。

僕が教えることを、一つ一つ丁寧に覚えていく。


「ルカさんは、どうしてこんなに薬草に詳しいんですか?」


ある日、彼女がそう尋ねてきた。


「……一人で暮らしてると、自分で何とかしなきゃいけないことが多いから」


「一人で……?」


「うん。僕、この領地に一人で来たんだ。使用人は何人かいるけど……家族は、いない」


「……」


ティアーヌは、少し悲しそうな顔をした。


「私も……両親はいません。孤児院で育ったから」


「そっか」


「でも、ノアがいます。弟だけど……私にとっては、たった一人の家族なんです」


「……いい弟だね」


「はい。生意気だけど、可愛いんですよ」


ティアーヌは、嬉しそうに笑った。

その笑顔を見ていると、僕も自然と笑みがこぼれた。


「……あの、ルカさん」


「ん?」


「私たちも……家族に、なれませんか?」


「……え?」


思わず、聞き返した。


「あ、その……変な意味じゃなくて……!」


ティアーヌは慌てて手を振った。


「ルカさんは一人で、私とノアには両親がいなくて……だから、その……お互いに、支え合えたらいいなって……」


彼女の顔は、真っ赤になっていた。


「……ふふ」


「わ、笑わないでください……!」


「ごめんごめん。でも——」


僕は、微笑んだ。


「嬉しいよ。ありがとう、ティアーヌ」


「……っ」


ティアーヌの目が、潤んだ。


「じゃあ……」


「うん。僕たちは、家族だ」


その言葉を聞いた瞬間、ティアーヌの顔に満面の笑みが浮かんだ。


「はい……! よろしくお願いします、ルカさん……!」


「うん、よろしく」


あの日から、僕の「家族」が一人——いや、二人増えた。

ティアーヌと、ノア。

彼女たちがいてくれたから、僕は孤独に押し潰されずに済んだ。

廃嫡されて、両親に捨てられて。

それでも——僕は、一人じゃなかった。

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