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古木のホラー短編集

幻の出前屋

作者: 古木花園
掲載日:2025/09/03


 夏場に出荷台数の増加による詰め込み作業の残業でクタクタになった夜。

電車の中でスマホをいじっていた時、ゲームをしていると切り替わった画面でふと指が広告をタップしてしまった。


――「幻の出前屋」


画面いっぱいに、湯気を立てるラーメン、肉汁したたるステーキ、艶やかな寿司が並ぶ。

見ているだけで腹が鳴り、唾液が溢れる。

疲れた体に「食え」と訴えかけてくるようだった。


妙なのは、どこにも値段が書かれていないことだった。

それでもその時の自分には、確認する余裕もなかった。

「一度くらいなら」と、試しにピザを頼んでしまった。


十五分後。

 帰宅した玄関先には、熱々のピザが置かれていた。

妻はもうすでに眠っている夜中、バレないようにこっそりと中に入る。美味しそうなピザ箱をリビングのテーブルに置いた。

 香ばしい匂いに吸い寄せられるように食べると、これまでの人生で食べたどんな料理よりも美味い。

胃袋だけでなく心までも満たされるような味に、疑問は吹き飛んだ。





翌朝、妻の作った味噌汁を口にした瞬間、絶望した。

何も味がしない。

塩気も旨味もなく、ただのお湯を飲んでいるようだった。

 妻に聞くも、「いつもどおりの味付けよ?」

と、怪訝な顔をされ、疲れているのかもと話題を変えた。


会社の飲み会も同じだ。

唐揚げも刺身も灰を噛むようで、吐き出したくなるほどまずい。

同僚たちが「美味い美味い」と笑うのを横目に、トイレに行ってビールと飯を吐き出した。


――もう、あの出前しか食べられない。



 それからは狂ったように注文した。

肉、魚、酒、ラーメン、パスタ、寿司にケーキ。

サイトにあるものは何でも揃っていて、届く料理はどれも天上の美味だった。それに、届くのが異常に早い。どれも十五分程度で到着するのだからきっと近所どやっているのであろうか。

食べるたびに震えが走り、涙が出た。


だが数日後、ポストに一通の封筒が入っていた。


――請求書。


ゼロがいくつも並ぶ金額に、心臓が止まりそうになった。

 あくまで心臓は止まれなかったのだが、驚きのあまり腰が抜け、膝から崩れ落ちた。目玉の飛ぶ金額とはまさにこのことだ。


支払えない。

だが、食べなければ生きた心地がしない。





それから家庭は崩壊した。

「あなた、おかしいわ」

妻は泣きながら出ていき、慰謝料を請求された。

 妻に黙って借金を重ね、会社にも居場所を失った。

カードは全て限度額、消費者金融は全て手を出した。

それでも――出前屋への注文だけは止められない。


最後の貯金を払い終えた夜。

スマホが震えた。

あのサイトからの通知だ。


――《次のご注文を承りました》


「いや、もう払えないんだ……」

震える指でキャンセルを試みたが、画面は固まったまま動かない。


その時、玄関のチャイムが鳴った。


恐る恐る扉を開けると、料理は置かれていなかった。

代わりに大きな木箱がひとつ。

蓋に貼られた伝票には、こう書かれていた。


――「お客様ご本人 お届け先:岡田食肉加工場」


 えっ



 大きな豚のリアルな頭部を被ったガタイのいい男が立っていた。その手には出刃包丁を持ち、鼻息が荒い。


 恐怖で、倒れるように後ずさる。

すぐにドアに後ろを阻まれ、固唾を飲み込む。


 目の前の豚顔の大男はまるで笑ってるようだった。


 「よく肥えた豚だ。きっとおいしくなる。」


 その言葉を最後に首元に振り下ろされた出刃包丁を見て、息絶えた。


 最期の想いは妻への後悔ではなく、もう一度食べたかったという欲出会った。



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