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人類の進化は何処から起きたのか。サバンナではなくアクア(水辺)なのではないか

 最初は短編で投稿するつもりでしたが、結果的に2話になりました。

 尚、連続投稿します。

 先日というには少なからず前になりますが、この年末年始を利用して、数日に亘って実家に帰省して、色々と溜まりに溜まっている書籍等を整理したのですが。

(それ以上に書籍等が増えているので、全く整理になっていない、と家族に叱られましたが)


 その過程で、一時、私がハマっていた人類進化に関する書籍資料を整理しました。

 後、長編映画「ドラえもん、のび太の海底鬼岩城」のコミック版を結果的に発掘してしまいました。

 そして、思わず整理の合間に共に読み耽ってしまったのですが。

 色々と考えてしまい、この際、エッセイとして書き残すことにしました。


 さて、人類が進化の過程の中で、猿の仲間、更には類人猿の仲間から分かれて進化したのは公知の事実と言ってよい、と私は考えますし、多くの方々が賛同されると考えます。


 でも、何故に人類は類人猿と枝分かれした進化の路をたどったのか?

 この点について、通説とされるところを述べるならば。

 

 人類は他の類人猿が森の中で進化できたのに対して、サバンナの中で進化せざるを得なかった。

 そうしたことから、毛皮を失い、遠くを見るために二足歩行を獲得して、独自の進化の路を歩んだ。

 と超要約すれば、人類進化に関する様々な書籍の中で述べられています。


 でも、それは本当なのでしょうか?

 私のようなド素人の目からすれば、なのかもしれませんが、本当に首を傾げざるを得ないことが多々あるのです。

(専門家に言わせれば、分からないお前がバカ、アホなのだ、ということになるのですが)


 まず、第一にサバンナで生活、進化した中で二足歩行を獲得した、といえるのは人類だけ、と言っても過言では無いようなのです。

 実際、サバンナに生息する動物の中で二足歩行を常に行う動物がどれだけいるでしょうか?

 ほぼ皆無、と言っても過言ではない気さえ、私はします。


 ゴリラ等、二足歩行を時としてしない動物がそれなりにサバンナにいる、と言われますが。

 ゴリラの二足歩行にしてもいわゆるナックル歩行で、更に言えば、人類進化に関する化石資料等からすれば、ナックル歩行の過程を得ずに、人類は二足歩行を行っていたようなのです。


 そして、二足歩行を完全に獲得した後ならともかく、それまでの進化の過程は、考える程にサバンナを舞台として考えれば不合理極まりません。

 何しろナックル歩行を経ずに、いきなり四つ足歩行をしていた動物が、二足歩行を始めたとして、どれだけ迅速に移動できるでしょうか?

 どう考えても、迅速に移動できず、肉食動物に容易に捕食されます。


 サバンナなので、二足歩行をすれば、敵を容易に彼方から見つけられるので、速やかに逃げられる、と説かれますが。

 裏返せば、二足歩行をすることは、彼方の敵に容易に見つけられるということでもあります。

 二足歩行をすることは、却って危険極まりない行動になりかねないのです。

 実際に二足歩行をする方が安全ならば、もっと多くの動物がサバンナで二足歩行に進化する筈では?


 又、人類が毛皮を失って、大量の汗腺を備えることで、体温調節ができるようになったのも、サバンナで進化した為、と説かれていますが。

 それならば、何故にサバンナで生息する動物の多くが毛皮を保持しているのでしょうか?

 毛皮は哺乳類の体温調節にとって、本来的には極めて都合が良い代物なのです。

 だからこそ、砂漠にすむラクダでさえ毛皮を持っているのです。


 更に言えば、汗腺を大量に備えるということは、逆に大量の水分が体温調整に必要になると言うことでもあります。

 本来的には水に乏しいサバンナ地帯で生息するのに、汗腺を大量に備えるように進化するのは不合理極まりないように、私には考えられてなりません。


 そうしたことから、反論というか、異端説が唱えられています。

 人類が進化したのは、サバンナではなく水辺なのではないか、というアクア説です。


 水辺で生活し、いざと言う際等には水中に入る生活を、人類は行って進化したのではないか、と異端説、アクア説は説くのです。

 そんなことはアリエナイ、実際に化石資料も存在しない、と多くの人類学者が冷笑しますが。

 でも、本当にそう言えるのでしょうか?


 水辺で生活し、いざと言う際等には水中に入る生活を送るならば、毛皮は体温調節に役立つ代物ではありません。

 水に濡れた毛は体温を奪う代物であり、毛が乏しい方が基本的に生存に有利になります。

 実際に水中生活を多く行う哺乳類の多く、例えばカバ等は体毛を事実上は失っています。

 

 更に言えば、水辺で生活するならば、容易に水分補給が出来、汗をかいても問題ないのです。

 勿論、汗をかけば、それだけ塩、ミネラル分を失うことであり、水分補給だけでは済まない、と反論されますが。

 少なくともサバンナ地帯で水分を確保するよりも、相対的に容易なことではないか、と私は考えます。


 そんなこんなのことに想いを馳せつつ、「のび太の海底鬼岩城」のコミックを読み返してみると、海底人というのが出てきます。

 他の人類と異なり、海の中での進化を選択した人類の末裔と言う設定です。

 この辺り、私なりに色々とツッコミたいところが満載なのですが、それは一旦、置いておいて。

 ひょっとして、藤子先生は人類進化アクア説を知っていて、この漫画を描いたのでは、という気がして私はならないのです。


 人類が水辺で進化して、一部は地上で進化する路を選んで現在の人類に通じたが、残りは更に水中へ海中へと進化の路を歩んだ末に海底人に至った。

 そんな設定が、藤子先生の頭の中にあった気が、私は「のび太の海底鬼岩城」のコミックを読み返す中で、してなりませんでした。


 後、人類の進化が水辺と推論される根拠ですが、他にも幾つかあります。

 まず、第一に口から呼吸できるのは、猿の仲間どころか、哺乳類の中でも人類だけなのです。

 だからこそ、話すことが人類は出来るのです。

 類人猿は鳴き声を上げることは出来ても、会話することは口呼吸ができないので不可能なのです。

 でも、何故に人類は口呼吸が出来るようになったのか。


 更に言えば、自らの意思で呼吸を止めることができる哺乳類は、人類以外では水に潜ることができる哺乳類だけとも聞いたことがあります。

 だからこそ、犬等は泳ぐことは出来ても、水に潜ることはできないのです。

 自らの意思で呼吸が止められない以上、そんな哺乳類は水に潜っては当然に溺れるのです。

 では何故に水に乏しいサバンナで進化した筈の人類が、水に潜れるのでしょうか。


 こうした主張については、化石等の科学的な資料が無い以上、全くの推論に過ぎない。

 そんな進化がサバンナでは起こらない、と何故に言えるのか、と批判されますが。

 それこそ悪魔の証明の世界に突入している気が、私はします。

 普通に考えれば、サバンナで進化したとは考えられない進化を人類は行っているのに、サバンナで進化したこともあり得る以上、サバンナで進化した筈、といって良いのか、とまで私は考えてしまいます。


 後、更なる証拠もあります。

 アフリカ大陸の猿は、樹上生活する仲間も含めて、全てがヒヒウイルス抗体を持っています。

 このウイルスは、ヒヒとゲラダヒヒが分離する以前に流行したウイルスのようで、裏返せばこの抗体を持たなかった猿の仲間は、アフリカ大陸で絶滅したのです。

 ところが、ヒヒと同様にアフリカで生活していた筈の人類は、ヒヒウイルス抗体を持っていません。


 こうしたことから、当時の人類はアフリカ大陸の外まで繫栄していて、ヒヒウイルスが流行した結果、アフリカ大陸の人類は絶滅したが、アフリカ大陸以外に侵出していた人類がアフリカ大陸に隙間を埋めるために戻ったのだ。

 その為に、人類はヒヒウイルス抗体を持っていないのだ、と一部のサバンナ進化説は説明するようですが。


 それならば、アフリカ大陸以外で、人類化石が出てきて当然なのでは?

 でも、当時の人類がアフリカ大陸以外で生存していたという化石は皆無なのです。

 それなのに、当時の人類はアフリカ大陸の外まで繁栄していたから、人類は生存できた、と言う主張は、アクア説に対して、化石が無い以上は成り立たないと批判するのに。

 それこそご都合主義の主張だ、と批判されて当然では無いでしょうか。


 そういう批判の声に対しては、偶々、人類がヒヒウイルスに感染する機会が無かっただけなのだ。

 そういった例外事例を持ち出すな、と再批判されて、それが多数説のようですが。

 アフリカ大陸にいる全ての猿の仲間が、樹上生活を送る猿までもヒヒウイルス抗体を持っていることからして、サバンナで進化した筈の人類がヒヒウイルスに感染する機会が皆無だった、というのは、どうにも無理がある主張としか、私には考えられません。 


 尚、この問題に対して、アクア説ならば、それなりの理屈が立つのです。

 当時の東アフリカでは大地溝帯が存在しており、それこそ現実世界で言えば、カスピ海に相当するような大きな淡水湖、汽水湖までもがあったようです。

 当然、それだけの湖内ならば、それなりの大きさの島があって当然です。

 そういった島に人類は閉じ込められた結果として、ヒヒウイルスに感染せずに生き延びることに成功することになった、と考えられるのです。


 更に言えば、島に閉じ込められることによって、交雑範囲が狭まって、進化がより促進されることになるのは公知の事実に近いことです。

 そうしたことを考え合わせれば、尚更にアクア説は納得のいく説では無いでしょうか。

 何しろ水に潜るのならば、四つ足歩行よりも二足歩行の方が容易に深い水の中にたどり着き、又、容易に地上へと脱出することが出来る、と考えられます。


 東アフリカの大地溝帯にあった湖の中の島の中で、人類は水辺で進化した結果として、現在のような姿になったのだ、と私には考えられてなりません。


 本当に私なりに考える程、サバンナで生活するのに、人類は向いているとは考えにくいです。

 例えば、人類の妊娠出産ですが、他の動物からすれば、余りにも未熟な状態で産まれるのです。

 多くの動物が出産と同時に立てるのが当たり前で、更にその多くがその日の内に歩けます。

 でも、人類の赤子が出産後、その日の内に歩けるでしょうか?

 そんな未熟な子がサバンナの捕食者から、どれだけ自分の身を守れるでしょうか?


 そして、地上で二足歩行する代償として、人類は腰痛を宿命の持病として持つようになり、又、胎児が流産、早産する危険が高い状態に置かれることになりました。

 四つ足動物ならば、流産、早産の危険が乏しく、より胎児を安全に保持することができるのです。

 その結果、出産後は速やかに歩けて、捕食者から自分の身を子どもは護れるのに。

 何故に人類は、そんな超早期の出産をせねばならないような進化をしてしまったのでしょうか。


 捕食者に乏しい島の中で、更により安全な水辺で生活したことから、現在のような二足歩行をする人類が進化の中で誕生した。

 そして、大地溝帯の湖が無くなり、止む無く完全な地上生活を人類は送らざるを得なくなった末に、現在の人類にまで進化していったのでは。


 そんなことを、これまでの遥かな人類の進化史について、改めて私は考えざるを得ませんでした。

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