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最期の言葉

作者: 雉白書屋

『実は――』


 父が死んだ。いつかは来ると思っていた別れの瞬間が予想以上に早く訪れたことに、おれは正直驚いていた。

 病院で父の最期に立ち合い、その後、雪崩のような勢いで諸々の手続きを済ませた。

 遺体をこの家に安置したら、どっと疲れが押し寄せてきた。ただ、今度は何もしない時間がどこか嫌に感じられたので、近所をぶらぶら歩くことにした。

 実家があるここは、ドがつくほどの田舎で、その景色は今も昔も変わらない。父も子供時代にこの辺りで遊んでいたそうだ。

 だからといって、感傷に浸るつもりはない……と思っていたのに、自然と思い出が甦ってきた。あの林ではカマキリがよく捕れた。もっと向こうでは夏にカブトムシが。それからあの辺でセミの羽化を見たんだ。あと、あっちの茂みで虫を探していたとき、持っていた虫捕り網の先にアシナガバチが止まったことがあったな。怯えていたら、一緒に来ていた父がやっつけてくれたっけ。ここには思い出がちょっと大きな石ころのように点々と落ちている。

『父さんも昔、トンボをたくさん捕まえて、家の中に放したことがあったんだ』と父は嬉しそうに話していた。それで、おれも同じことをした。楽しかったな。母さんは悲鳴を上げていたけど。


『実は、お――』 


 この辺りには何もないと思っていたけど、全然そんなことはなかったんだ。……まあ、今はそれよりも気になることがあるのだけど。


『実は、お前――』


 今、考えたいことは、病院で聞いた父の最期の言葉だ。先ほどから頭の中で繰り返しているが……。


『実は、お前は……』


 その先の言葉はいくら想像しても頭に浮かばない。


「いや、『実はお前は……』で息絶えるなよ……」


 父は最期に何を言おうとしていたのか。実はお前は……。おれの何がなんなのか。気になって仕方がないが、答えを聞くことはできない。遺言書もないし、心当たりがありそうな人物は誰もいない。葬式に来た人に聞いてみてもいいが、期待はできない。父はあまり人付き合いがいいほうではなかったようだから。母さんが生きていたら何かわかったかもしれないが……。


『あの人ったら、ふらっと現れてね、で、一目惚れしたのよ……。え? どっちがって、それはねぇ、うふふふ』


 母さんはよく笑う人だったな。


『そうか、そうだよな。それがいいんだよな……』


 もうここに戻る気ないから。大学進学時にそう言ったとき、父はそう返したな。実家は農業を営んでおり、たぶん裕福ではなかったが、学費はしっかりと払ってくれた。でも、おれはちゃんとありがとうと伝えたことがあっただろうか。


『あの星、あれは金星だぞ』 

『やりかえしちゃえばいいんだよ。男の子なんだからさ』

『大丈夫だよ』


 ……遺言のことはもういいか。言葉ならたくさんもらったものなぁ。


「でも早いよなぁ……二人とも、もう少し長生きしてくれてたらなぁ……」


 返したかったなぁ、いろいろと……。

 歩き続け、いつの間にか空は赤みがかり、山は一足早く黒く塗られた。おれは足元が見えなくなる前に、家に帰ることにした。


『ほらほら、暗いから転ばないように気をつけてな』


 わかってるよ。おれに大きな懐中電灯を持たせてくれたなぁ。

 重かったけど、おれはこれが自分の仕事だって意気込んで道を照らし、一緒に歩いた。それで母さんが待っている家に二人で帰って……。でも今は一人で真っ暗な家に、え、あれ……?


「ん、うちに何かご用ですか?」


「え、いや、えっと、この家って……」


 家に向かって歩いてきたはずだが、いや、目の前にあるのは実家に違いない。しかし、少し様子が違うし、知らない人もいる。これはどういうことだ……。


「あら、お父さんのお知り合いの方? わざわざ来てくださって、どうもありがとうねぇ」

「違うでしょ。若いし、あ、うちの母です」 


「父って、え」


「ささ、お線香あげていってくださいな」

「すみません、母は一度こうと思ったら聞かない人で……でも、もしよかったら、その、どうぞ。ぜひ……」


『実はお前は……』 


 おれなんだ。なのか? あの言葉の続きは……。

 おれはそう思ったが、誰に聞いても答えが返って来ないだろう。今は、まだ。それに聞かなくてもいい。今はただ、どうしようもなく惹かれるこの暖かい光のほうへ、おれは進むことにした。 

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