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第25話 伐採計画

 図書室に来てください、とテオフィルから言付けを受け取った頃には、ヘルミーナはすっかり気分を落ち着けていた。

 髪に差していたフレナグの花を外し、緩く結んで地味なワンピースに着替えてしまえば、非日常――昼間のできごとが遠く感じられる。


 図書室に運ばれた大きなポットから、テオフィルによって二人分のお茶が注がれる。

 本を積み上げ、手製の地図を広げたヘルミーナがすぐにティーカップを空にしたのは、これから飲んでいる暇もなくなるからだったが、同時に微かに動揺した気持ちを静めるためでもあった。

 先に待っていたウィルヘルムの顔は、布に巻かれていなかったからだ。手袋もしていない。


「……館では布は取っていようと思いまして」


 意識させないようにとちらりとだけ向けた視線に敏く気付いたウィルヘルムが、普段の凪いだ表情に目尻を少し下げて恥ずかしそうに口を動かす。

 それでヘルミーナも覚悟を決めて正面に立ち、視線を合わせた。言及しない方が良いのか、と思ったが、そんなこともなかったらしい。


「久々なので、なんだか顔が固まっているような気がしますね。おかしくないですか?」

「はい、何も」


 はっきり言えば緩む目元がくすぐったそうで、ヘルミーナはじんわりと胸の中が暖かくなる。

 布を取った方がいい理由は幾つも本人に挙げたが、無理やり剥すつもりなどなかったのは、それがウィルヘルムにとって鎧であり、絆創膏のようなものではないかと思ったからだ。

 今のところ後悔していないようで良かった――いや、後悔させないように城の皆でするのだ。


 たったひとつだけ問題があるなら、ついつい、嬉しそうな素顔を見るとさっきしたばかりの「勘違いしないで一線を引く」という決心が緩んでしまいそうで、そして引いた線ががたがたになってしまいそうなことだけだ。

 気を引き締めねば、と唇を引き結ぶ。


「今はこうですが、普段は作っていただいたマスクをしようと思います。瘴気は触れないことより吸わないことの方が大事なようですし……急に変わるよりは皆が驚かないかと」

「もしサイズの調整や洗い替えがご入用でしたらお作りします」


 たくさん作って型紙もラーレに渡しておこう、とヘルミーナは思った。

 とにかく瘴気の件が片付いたらきっと、ウィルヘルムはもっと健康で魅力的になるに違いない。そうしたら他の女性――元婚約者などとまた上手くいく時がくるかもしれない。

 その時にマスクはお任せして、すぐに館を出て行けるようにしなければ。

 そう自分に言い聞かせながらヘルミーナは首を緩く振り、


「……それでは領地と瘴気について、こちらで調査したことをご報告します。山に関しては旦那様や館の皆さんの方がお詳しいと思いますので、理想論や現実にそぐわない点があるかと思いますが……」

「ひとまず伺います」


 ヘルミーナは広げた六角形を描いた地図(へクスマップ)の上に、瘴気を描いた油紙を重ねてから、上に親指大の木片を置いた。


「瘴気が集中しているのはブラウの山、それも虫の付いたピケアです。瘴気発生の真の原因が何か、という点はまずは置いておきます。

 放置することによる影響としては瘴気、ピケアそのものが根が浅い上に立ち枯れていることを考えますと土砂災害が考えられます。土と水だけでなく、ピケアそのものが麓にとって凶器となりますので――破城槌はじょうついのような」

「物騒な単語をご存知ですね」


 城門を鐘のように突いて叩き壊す原始的な攻城兵器の名前を挙げられ、ウィルヘルムは訝しげだ。

 シミュレーションゲーマーのたしなみだと頭の中で前世が言った気がした。が、当然口にはできない。


「とはいえ、一気に根から伐採すれば本当に土を掴まえておくものがなく土砂災害の危険性が上がりますし、木材の価格もさらに下がるかもしれません。

 ですので瘴気が濃い場所を重点的に、間伐を――ピケアの間引きを複数期に分けて行うのはどうでしょうか。切株では瘴気も飛びませんから、ひとまず根は掘らずに」

「この木片は製材所の位置ですか?」

「はい。こちらの水色の線は川です。幅の狭い川では水車の動力を利用して製材しつつ、川そのものを道に、流送といって下流に木材を流すそうですね。製材所と伐採作業、各運搬の導線確保の兼ね合いを考えて、大よそここからここに道を引いて……」


 へクスマップの上にヘルミーナは鉛筆で線を引く。


「ここまで、製紙工場や市場へも伸ばしてしまっても良いかと思います。倉庫の建設も必要でしょうか」

「虫に喰われたピケアの使い途は考えていますか?」

「はい、瘴気のものとそうでないものとサンプルを頂いたので……こちらに」


 ヘルミーナが持参した箱には食い破られた樹皮が入っている。一部は薄紙の試作に使用したが、まだ十分残っていた。


「樹皮の間に虫がいると仰っていましたが、実際のところ虫はこの……見えますでしょうか、小さな穴を穿って樹皮内に侵入してから活動するようです。

 その際に出た木の粉と……糞が……失礼しました、これらが虫にとって居心地の良い環境を作ります。その間にピケアの水や栄養を運ぶ通り道も食い破ってしまい、栄養を得られなくなって枯死するのではないかと……あの、これは村出身のエメリヒにも見解を聞いたのですが」

「そして最終的に樹皮がボロボロになるのですね」

「はい。卵を産んで新しい幼虫が育ち、次の樹木へ行く……のですが」


 これは仮説です、と断る。


「虫が大量移動していない、ピケアにしか付けない理由があると思います。先日サンプルと一緒に魔物の虫の死骸を送っていただきましたよね」


 生体は万が一があるといけないので、本当は見たかったがやめたのだ。こちらは自分で登山するしかない。


「ええ、驚きました」

「瘴気が花粉に含まれる仕組みのすべてを暴くことは現状不可能にしても、虫から取り込まれる分もあると考えるのが自然だと思います。

 例えば樹を齧った時や、虫の死骸がその場で土壌に分解された場合……」 


 ヘルミーナは木箱の中から、布にくるまれた薄い虫の羽根を取り出して見せた。5ミリにも満たない大きさの半透明のそれに、灰色の花粉がびっしり付着している。


「虫の羽根は繊細ですから、これでは長距離の飛行が無理ではないでしょうか。成虫になったばかりの虫と比較実験したいのですが」

「なるほど、花粉のせいで飛べずにその場に留まり続けるしかなく、フェルベルク領より外には広がらないと……」

「虫と瘴気とピケアの関係については追加調査を進めながら、同時にもともと山に生えていた広葉樹を植えた方が良いかと思います。

 ピケアが虫が付きやすいだけで、他の樹種は付きにくいかもしれません。同一の植物しかない場合、今回のように何かあった時に壊滅的な被害になりますから」

「ピケアは実際のところ根の浅い樹種ですし、ブナとマツ、それから木の実類もいいですね。食料として、それから家畜の飼料にも、山の獣の食事にもなります」

「コリスも良いと思います。この方向性でいかがですか?」


 ヘルミーナは前髪の下からウィルヘルムの表情を伺う。

 地図を見る視線は真剣そのもので、領主のものだ。

 

「先ほどのピケアの使い途に戻りますが、瘴気が樹に入り込んでいるなら薪が第一の選択肢になりますが、他にお考えは?」


 瘴気が一般的に燃やすことでなくなる、というのは実は知られている。花粉と一緒のあの粉を集めてそうするのが実際不可能なだけで。


「そこまではまだ。ただ喰われた後の材木としての質が悪いことは分かっていますので、建材以外が良いと考えています」


 ヘルミーナも、まだその辺りはぼんやりとしている。

 優先的に薪にすれば燃料になるし、いわゆる生産力が全体的に向上して悪いことではない。


「例えばブラウの聖人について、宗教と技術を切り離してしまって良いのなら、知識の保存として印刷して流通させてしまう方法もありますので、紙も選択肢かと」


 追々検討しましょう、とウィルヘルムの指がいくつかの六角形と製材所を指で差す。


「まず伐採に人手を回します。領内の製材所は現在休止している場所も多いので、順次再開を検討しましょう。それから山に住む魔物対策に、街道を中心に騎士団が巡回する必要もありますね。

 どの場所から何を進めるべきかは、別邸への帰りに視察してから決めますが……」


 そして指先がラーナ村のあった場所を通り、更に一点を指した。


「……ここの森林限界の上が、いわゆるお花畑の小屋があるところです」


 その場所は、瘴気の靄が描かれていない場所だ。高地が広いために六角形のひとマス分空けてある。


「宜しければ、視察を兼ねて花畑の家を見に行きませんか。あなたが山に登る為に鍛えていることは聞いていて……無理をさせるようでしたら申し訳ないのですが」


 今度は、ウィルヘルムの目がヘルミーナを伺う。 

 静かだった瞳にいつの間にか家族に向けるような親しみが混じって溶けていて、ヘルミーナはこくりと頷いた。

 一度高山病で失敗している彼女の願いを覚えていて、挑戦させてくれようとしたことが嬉しかった。


「ぜひお願いします」

「……ではそろそろお開きにしましょう。テオフィル、検討用にこの地図の複製をお願いします」


 かしこまりましたとテオフィルが答えれば、ウィルヘルムはヘルミーナに微笑んだ。


「まとめるのは大変だったでしょう。今日はありがとうございました。ヘルミーナ様、良い夢を」

「旦那様も良い夢を」


 礼を取って微笑み返す。顔に巻いた布が取れたせいか、幾分自然になった微笑みを見られることが嬉しいけれど、余計なことも脳裏に浮かんでしまう。


(ウィルヘルム様は、この後お仕事が終わったら、またあの人の夢を見るのだろうか)


 本当はここにいて微笑んでもらうのは元婚約者ではなかったのか、と。居心地の悪さにウィルヘルムの視線を手繰り寄せようとしてしまって、ヘルミーナは目を伏せてしまうのだった。

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