おやすみのキス
登場人物
サンドリーヌ・プリドール
ジゼルの母親。イザベルとは親友。
イザベル・フォイエ
クロードの母親。
アベル・フォイエ
クロードの弟。
その日のクロードはいつもより気合を入れて冷徹眼鏡の顔を保った。気を緩めると今朝方のジゼルを思い出してしまうし顔も緩んでしまう。おでこの辺りに力を入れて真面目を装ってはいるけれど、思うのはジゼルのことばかりだった。
――今日は学園へ行くんだろうか。あれから眠れたかな。薔薇は? アンに渡したが気がついてくれただろうか。
「クロード様、何か問題でしょうか」
部下が声をかけてきた。
「いいや? 何故だ」
書面から顔を上げて答えた。別にクロードは問題を抱えてもいないし、むしろこんなに愛しいジゼルと離れていることの方が問題だとすら感じているくらいだった。
「とても険しいお顔でしたので書類に不備があったのかと。問題がないならいいのです、変な事を言いました、申し訳ありません」
「ふふ、変なやつだな。さ、早く仕上げてしまおう」
部下達は顔を見合わせた。あの冷徹眼鏡が笑顔を見せただけでなく、声に出して笑ったのだ。
それからのクロードは終始ご機嫌で仕事は捗り、いつもより早めに帰ることができた。
* * *
プリドール家に着くと、庭に居たローランからジゼルはサロンに居ると教えられた。学園から帰宅したばかりだという。手を洗いうがいを済ませてサロンへ急ぐ。コツコツと廊下を歩いて扉を開ければ、そこは夕陽が差し込んで茜色に染まりつつあり、まるで天国のようなその穏やかな空間に天使がいた。
「ただいま、ジゼル」
言いながらソファに座る彼女を抱きしめて頬に口づけた。その流れで、ジゼルの隣に腰を下ろす。
――マッ、マイエンジェル!!! マイエンジェル!!!
「クロード、おかえりなさい。私もさっき帰ってきたの、ちょうど良かった」
手をキュッと握ってくるジゼルが微笑んだ。
「今日は何をしてたんだ?」
「レポートを提出してきて、刺繍でわからないことがあったので家政科の先生に教えてもらったの」
ニコニコと話を聞くクロード。
「そうか。その間に、俺の事も考えた?」
「えっ、そりゃもちろん――」
――四六時中、クロードの事で頭いっぱい!
「ん、もちろん?」
「かっ考えてたわ当たり前でしょ、恋人、なんだからっ」
早口でそう答えたジゼルは、握ったままのクロードの指に自分の指を絡めたり、指をさすったりして照れを紛らわしていた。
幼い頃からジゼルはそうだった。話をしながら、また眠くなったりするとそうしていた。クセのようなものだろうが、毎回その様子はクロードの胸を撃ち抜いた。小さな手で自分の指をいじるその行為はかわいい。大人になった今もそれをされるとハンドマッサージをされているかのような気持ちよさの中にほんの少しの扇情も混じる。気持ちが昂って、空いている方の手でジゼルの頬を包み引き寄せたところで咳払いが聞こえた。ローランが居た。
「坊っちゃま、夕餉はどちらでお召し上がりに」
「こっちでいただきたい、良いだろうか」
ジゼルに聞くと、こくん、と頷いた。
「かしこまりました、ではそのように」
ローランがそう答えてサロンを後にした。もう一度口づける空気でも無く、クロードはジゼルに言った。
「まだ時間があるだろうから、俺は一度帰って着替えてくる」
帰宅してすぐにジゼルがここに居たのは、風呂を沸かしてもらっていたからだった。楽なドレスに着替えたかった。靴も脱ぎたかった。一日外に居て髪もバリバリだったから洗いたかった。だから夕餉の前に湯浴みをしたくて、アンにその用意をお願いしていたから、クロードが着替えてくるなら自分も、と腰を上げた。