ミケーレの思い
石の階段を降りる。
カツン、カツン、と足音が響いて、やがて貯蔵庫に辿り着いた。木の扉を押し開けて中に入る。ジメジメはしていないが嫌な空気のする場所だ。何度来ても慣れない。
ミケーレはその部屋の奥、ワインや器具の置かれた奥の棚に鎮座する大きな木箱を開けた。中には小さく折り畳まれた白い紙がいくつも入っており、そのうちの数個をミケーレは掴み、持ってきた木のトレイに乗せた。
ミケーレは雇われ人だ。主家の命令ならば従うより他はない。
――早く戻らねば……。だが気が乗らない。こんなものを素人が使っていいわけがない。
この木箱が運び込まれたのはだいぶ前の夕方だった。何の先触れもなく訪れた黒いフードを被った数人の男が、貯蔵庫はどこだと聞いてきた。『アンソニー・バロワ伯爵に依頼された』と契約書類を見せてきたため、ミケーレは渋々貯蔵庫へ案内した。彼らは木箱を二つ地下に運び込んで、その帰りには"報酬"だと言ってワインを数箱持ち去った。
彼らに荷の中身が何なのか聞いたが、旦那に訊け、と言うだけで教えてもらえず、ミケーレは帰宅したアンソニーを問い詰めた。
「旦那様、夕方運び込まれた木箱の中身をお教えください」
「あれは――大丈夫なやつだ」
「目深にフードを被った男共がいきなりやってきて正体不明の物を持ち込んで、貯蔵庫のワインを勝手に持ち出されたのです、大丈夫だと言われても安心する要素が何一つございません。荷の中身をお教えください。あれは当局に踏み込まれても"大丈夫"な代物なのでしょうか」
「荷は……"麻酔薬"だ」
「なっ!! 麻酔!? 医学の資格を持たない者は保管することすら違法で、しかもあんなにたくさん!」
「あれはまだ国内では流通していないものだ、これから認可を申請するのだ。とてもカジュアルに使う薬だ。痛みや感情が鈍るという。使う量によっては天にも昇るような気持ちになれると隣国では人気の大衆薬だ。だから、"大丈夫"だ。これ以上の詮索は許さん」
――あの時、旦那様は"麻酔薬"だと言った。認可申請もしていない。申請していれば監査が入るはずで、こんな所に2年も置いてあるはずがない。中身が減ればいつのまにか増えていて、どこで仕入れられて、誰に売っているのか。素人の保管も使用も違法だとわかっているものをお嬢様に渡すのは気が重い……なんとか思い直していただけないだろうか……他人を思い通りにする為に使うものではないのに。
ため息と共に重たい足を前へ前へと運ぶ。
「まだなの?」
貯蔵庫の扉を閉めたところで声が降ってきた。階段の上にカレンが居た。胸の前で腕を組んで階下のミケーレを見下ろしている。
「ただいま上がります」
「ふん、早くなさい」
去っていくカレンの足音を聞きながら大きく溜息を吐く。
『ねえミケーレ、父様と母様はいつ帰ってくる?』
『ミケーレがお父様ならよかったのに』
『これ美味しいね、ミケーレ』
『大人になって結婚したらミケーレを楽にさせてあげるね』
2年前、この木箱が持ち込まれてから少しして、お嬢様は旦那様に取引の場へ連れて行かれるようになった。その頃からお嬢様は何かを諦められ、けれど一方では何かを強く求めはじめた。もしコレが露見した暁には伯爵家はお取り潰しとなるだろう。手を染めているのが旦那様だけなら奥様とお嬢様はせいぜい領地謹慎程度で済むかもしれないが、意図してコレを人に使ったとしたら……。
ミケーレは覚悟を決めた。