あの日のやり直し2
それから庭をひと歩きして昼食を摂った。食欲も湧いてきて美味しく平らげた後は、街へ買い物に行きたいとアンに言った。
「それでローランとアンに着いてきてもらいたいの」
前回の事を思うと、一人で外出は躊躇いの気持ちがあった。意図せず攫われたわけではなく、カレンの誘いに乗った自分が悪いのだから、それでも、またカレンと街で会ったらと思うと不安が過ぎる。
二人の仕事のひと段落を待って、『ティアーズレモン』へ向かった。レモンクッキーとチョコチップクッキーを買い、今度は無事に帰宅できた。
「ありがとう、二人とも忙しいのにごめんね。けど助かったわ」
「なんの。お嬢様をお守りするのも大事な仕事ですから」
ローランはそう言い、屋敷の仕事に戻っていった。
「さ、お嬢様は坊っちゃまをお迎えする支度を始めましょう」
菓子はアンに託した。頃合いをみて部屋に持ってきてもらう。
話す場所は窓際のヌックがいいと思うから、そこの前にテーブルを動かした。クッションカバーを取り替えて、ストールも傍に置く。
昼間歩き回ったため、クロードが来る前に風呂に入って汗を流した。乾かした髪はゆるく三つ編みにしてサイドに垂らし、楽なドレスを纏った。香水の類は苦手なのでつけない。そうこうしているうちに空はオレンジ色に変わり、西の空には三日月が浮かんでいた。
ストールを肩に掛けてベランダで三日月を見上げていたら"扉"が開いた。ドキッとした。こちらを見上げながらクロードが手をあげる。
ドクン、ドクン。
やがて部屋の戸が叩かれ、愛しい人が姿を現した。
「おかえりなさい、クロード」
「ただいま」
「そこで聞いていて」
近づこうとして、そこで、と言われ、クロードの表情に緊張が走った。緊張というならジゼルも同じで、口から心臓が出てきそうなほど、鼓動が大きい。
「"偽"の恋人を提案してくれて、その役を全うしてくれてどうもありがとう。例え"偽"でも嬉しかった。一時的でもその座に居られるんだと思ったら"偽"でもいいって思った。同時に、クロードには好きな人がいるって知ってショックを受けたの。だけど十日間だけは私の恋人なんだからって思った。クロードがキスしてくれるのも抱きしめてくれるのもとても優しくて愛されてるって勘違いしそうなほどドキドキしたのよ。クロードが真剣に役を演じてくれてるなら私もって思ってた。今だけだからって気持ちを抑えて、十日間を恋人に成り切ろうって思ってた。けどもうダメなの、クロードが好き、誰にも渡したくない。クロードに婚約が決まって、私っ」
「……婚約はまだ決まってないよ」
「だってカレン様が言ってた。私がいるから婚約の話が進まないって。だからクロードと別れて欲しいって、あの日言われたの」
ジゼルはあの日を思い出した。
人が変わったように厳しい口調になったカレン。荒々しい態度に急変したカレン。
「俺の――好きな人を知ってる?」
――知るわけないじゃない、知りたくもない。
頭を振るジゼルに向かってゆっくり近づきながらクロードは話し続ける。
「その人はいま」
ドクンドクンと耳に響く鼓動がうるさい。
「この部屋のバルコニーに居て、俺の話を聞いている。三日月の浮かぶ空の下で、美しさが増したジゼルという名前の、ずっと前から愛しい女性だよ」
もうあと数歩でジゼルに手が届く。そこで歩を止め、話を続ける。
「はじめに俺が、"偽"だと提案したのがいけなかった。あそこで本当の気持ちを伝えるべきだったんだ。だからお互い本当の気持ちを言い出せなくなってしまった。すまなかった」
「ク、クロード」
クロードの言葉が、まるで優しい花ひらが舞うようにジゼルに降り注ぐ。緊張でいっぱいだった身体をほぐすように優しく包み、気がついたらジゼルの頬は濡れていた。
「ジゼル、これは"偽"なんかじゃない。君を誰よりも愛してるんだ。一番近くで君を愛する権利を俺にくれないか。一生共に生きていく権利をくれないか。ジゼル・プリドール、俺と結婚して欲しい」
「わ、私」
「ん」
おいで、と言わんばかりに両腕を拡げたクロード。バルコニーからは数歩だが、ひどく遠くに感じた。早くクロードのところに行きたい。焦ったジゼルはつまずきながらもクロードの胸に飛び込んだ。
「クロード、つかまえた」
飛び込みながら小さい声で言った。幼い頃そうしたように、頼もしくて大好きな隣家の幼なじみに抱きついた。思えば"偽"の間は自分から抱きついたことはなかった。ずっとこうしたかった。大きくて安心する匂い。背中に回された力強い腕。
「ああもう、だから敵わないんだ」
ジゼルの背に手を回して強く抱き寄せながら呟いた。
初めてジゼルを守ると決意した時と同じく、この腕の中の愛おしいジゼルを生涯かけて守るのだと改めて決意し、覚悟した。
腕の力を緩めてジゼルを見つめる。風呂上がりなのか、二人の間にふわっと甘く花のような香りが立ち上り、それはとても扇情的だった。
背を屈めて丁寧に唇を重ねれば、ジゼルが涙目で言ってきた。
「クロード、好き、好き、大好きなの」
抱えられるジゼル。クロードはテーブルに眼鏡を置き、寝室へ通じる扉を開けて大股でベッドに向かった。頭の後ろに手を当てながらジゼルを優しくそっとベッドに下ろす。
「まだ無理はさせられないから、あんまり煽るな……」
クロードの左手はジゼルの後頭部に、右手はジゼルの指と絡みあい、近づく唇。互いにしか聴こえないくらいの声で名を呼び合って、それはやがて吐息へと変わった。
何度もしてきた口づけとは全く違う口づけに、ジゼルは戸惑った。このまま蕩けてしまうのではと怖くもなりつつ、心からクロードと通じ合えたのだという喜びも感じていた。何度目かの深い口づけからようやく離れた二人は見つめあう。
どちらからともなく、愛してる、と囁いた瞬間、扉が勢いよく開いた。
「父上、待って!!!」
ジャンが、部屋に駆け込んでくるモーリスを背中から掴んでいた。
「ク、クロード! ダメだ、その先は許さん! 婚約は許したが!」
その突然の騒がしさに驚いた二人。起き上がったクロードはジゼルを腕の中に閉じ込めた。
「べべべベッドから降りて! ジゼルを離せ、結婚まで我慢だ!」
素知らぬ顔でクロードは冷静に言い放った。
「おじ上、明日結婚致しますありがとうございます幸せになります」
「ゆるさん!」
「なら明後日」
「あああーだめだ、ヤダヤダ! ジゼルは嫁になんかやらん!」
ジゼルの部屋のバルコニーは開け放たれており、室内の喧騒が庭や隣家にまで漏れ聞こえる。ローランやアンをはじめとする使用人達も、聴こえてくる賑やかな笑い声に釣られて笑いをこぼした。
あの日、したかった会話はこんなかんじだったのです。
* * *
アクセス・感想・お星様などなど、ありがとうございます。
励みになっています。
最後までお付き合いください。
星影くもみ☁️




