98.明迅学園の変化(上)
誘拐事件から四日後。
休校明け前日の今日、オレたちは市内の図書館にある会議室に集まっていた。
「さて、兄さん」
今、白い長机を挟んで、オレの目の前に八千代が座っている。
机に肘を付き、指を組んでじっとオレを見てくる姿はさながら面接官のようで自然に背筋が伸びた。
「もう少しで樫山さんたちとの話し合いが始まるわけだけど」
そんなこと言われなくても最初から分かっている。
こうやって集まったのは前世で魔晶族だった八千代たちと人間だった律たち、立場の違うお互いの情報を擦り合わせて、今回起きた転生騒動の原因を探るため。後はオレの誘拐事件についても話すらしい。だが前者はともかく後者については既に八千代と律の間で粗方全貌が分かっているようで、それを共有しつつ後は曖昧な部分を埋めていくだけのようだ。
会議室には既に先輩たちも到着していて、向かい合うオレたちを遠巻きに見ていた。
「どうしたんだよ、そんな改まって」
「話の中で専門用語や固有名詞がポンポン出てくると思うけど、兄さん付いていける?」
「無理だな」
即答する。
何度か前世の光景をこの目で見ているとはいえ、オレに前世の記憶はない。
話し合いの中で前世のディープな話に触れていけば完全に置いて行かれるのは目に見えていた。
すると八千代はくすりと笑い、鞄の中から数枚の紙を取り出しオレに差し出した。
「だと思って、話し合いの前に簡単に確認しておくつもり」
「マジで!? 助かる!」
だから予定の時間よりも随分早くにここに集まったのか。確かに前世のことを学ぶのにはいい機会だ。
渡された資料を眺めているとオレの一つ離れた席に座っていた蓮水先輩が苦笑いをする。
「とは言っても、魔晶族に関することはお前も知っていることばかりなんだ」
「そうなんですか?」
「魔晶族なんて姉上をトップとした四天王と、姉上が洗脳したその他魔晶族……といった感じで複雑な組織なんて全くないからな。前世の僕たちのことはお前も分かっているだろう? 今回は人間側……サーシス王国がメインだ」
「なるほど……」
蓮水先輩の言葉の通り、資料のほとんどはサーシス王国の組織について書かれている。
「大丈夫だ、多分一部の内容は僕たちよりもお前の方が理解出来ると思う」
「……? どういうことすか、先輩たちが教えてくれるんじゃ?」
「実は、兄さんに教えるのも兼ねて私たちも一緒に話を聞こうと思ってるの」
てっきり八千代たち三人で説明するのだと思ったが違うらしい。
八千代がバツが悪そうにそう言うが、いまいちピンとこない。一体何を聞くのか、どうしてオレの方が理解出来るのか……?
頭の上に『?』を浮かべているオレに矢吹先輩が説明を入れてくれた。
「君は元明迅学園の生徒だった。つまり今世のサーシス王国の面子についてはあたしたちより君の方がよく知ってるってコト」
「ああ、そういうことか!」
八千代たちはサーシス王国のことは知っていても、転生したヤツらが今世でどんな人物になっているかまでは分からない。逆にオレはサーシス王国のことはほぼミリしら状態だが、転生したヤツらがどんな人物なのかを知っている。律も転生者は学園でも有名人ばかりって言ってたしな。
「で、誰が教えてくれるんだ?」
「それはもちろん――」
「お待たせ」
八千代が言いかけたその時、部屋の扉を開けて中に入って来たのは――
「リツ!」
「久しぶり。直接会うのは退学になった時以来?」
久々に見た親友の姿は、以前とは様変わりしていた。
明迅学園の制服はそのままだが、真っ先に目を引いたのはその髪と目だ。黒髪黒目だったその色は、眩いプラチナと薄い青に変わっていて、息を飲んだ。
「お前……それ」
「ああ、おれの見た目が気になるの? これは、」
「何だよ! スッゲー似合うじゃねーか!」
もっとその色を間近で見たくて、席を立って律の傍まで歩いて行く。
イケメンというよりは美人に近い品のある顔立ちをしているが、まさかこんなに派手髪との相性が良いとは思わなかった。マジで違和感がない。
しばらくの間、部屋の蛍光灯を反射して輝く髪とその涼し気な青色の瞳を見ていると、
「何だよそんな穴が空くほど見つめちゃってさぁ、今のおれってそんなに男前に見える?」
「そのままアイドルデビュー出来そう」
「そりゃあ光栄なこって。褒めても何も出てこないよ」
ニヤリと笑ってわざとらしく前髪を掻き上げる。カッコつけてやってるんだろうが、様になっているのがちょっと悔しい。だが、ちょっとだけお茶らけた飄々とした態度はオレの知っているいつもの律のものだ。
どうやら、この髪と目は前世の記憶が戻った時に一緒に変化したものらしい。
前世の人格に乗っ取られている、もしくは強く引っ張られている時だけ瞳の色が変わる六天高校の面子とは違い、明迅学園では常時前世の色であるとのことだ。律以外もそうらしい。
「樫山、千寿さんは?」
蓮水先輩が不思議そうに声をかけると、律はすぐに「少し遅れるみたいです」と返す。
今日の話し合いには律と千寿陽菜が参加する予定だ。てっきり一緒に来るかと思っていたが……まあ、あの家は今色々と大変なことになってるからな……。
「いらっしゃい。今日は学校大丈夫だった?」
千寿組に同情はしないが千寿陽菜に対しては気の毒に思っていると、心配そうな矢吹先輩の言葉にはっと我に返る。そうだった、今朝八千代から聞いたばかりだったが……。
「その、リツ、お前前世のせいで酷い目に遭ってたって……」
オレが誘拐される直前の電話でのやり取りを思い出す。
あの時はパニック状態だったのもあって何が起こっているのかサッパリだったが、今なら分かる。あれは、自分に暴力を振るって来る学園のヤツらから逃げていたのだ。
本人が何事もないように振る舞っているから分かりにくいが、よく見れば制服は以前よりもくたびれて擦り切れたような跡もあるし、顔もやつれて少しだけ痩せている。顔色は悪くないから体調は問題ないみたいだが、前世の記憶が戻ってからどんな目に遭ってきたのか容易に想像出来て胸がずんと重くなった。
そんなオレを見て、律は目を細めて薄く笑う。
「何、心配してくれるの? 今妹ちゃんが身内に敵意を向けられてる一因は、前世のおれにもあるんだけど?」
律とあのストーカー野郎の前世のことだけは、事前に本人や八千代たちから聞いている。
八千代たちはともかく、律本人はまるで他人を説明するように淡々と話していたが、その時の衝撃と混乱は忘れない。
律の前世はジュリアス・シェルシエールという人間だった。フルネームは長過ぎてとても覚えられなかったが、当時魔晶族と戦争をしていたサーシス国の国王だったという。
そしてあのストーカー野郎はディルク・バーンズという人間の科学者……そして当時から八千代の前世であるルミベルナをストーカーしていた。そしてルミベルナを手に入れるため、魔晶族から魔素を抽出する技術を開発した。
この二人が結託する形で魔晶族に戦争を仕掛けたというのだ。
これだけでもインパクト大なのに、サーシス王が乗った理由が自国への復讐のためで? しかも最期の魔晶族の特攻のお膳立てまでしたって?
ストーカー野郎は最後の最後で思惑を滅茶苦茶にされ、サーシス王は完全勝利な形で終わったという違いはあるが。
端的に言うのであれば――今世まで続いている因縁の大半は『大体コイツらのせい』だったのである。
……八千代といい律といいオレに近しいヤツはどうしてこうも前世でやらかしてるんだ?
このことを聞いた時はさすがにビビったし、結果今八千代が受けている惨状をこの目で見ている以上、全く怒りが湧かなかったかと聞かれればハッキリ頷くことは出来ない。だが――
「オイオイ前にも言っただろーが。オレ前世の罪とか負の因縁とか、そーいうの今世に持ち込むの嫌いなんだよ」
それで律を憎むのはお門違いだ。魔晶族に酷いことをしたのはサーシス王であって、今世で律自身が八千代たちに何かしたわけじゃない。ああ、あのストーカー野郎だけは別だ。アイツは今世でも八千代に性懲りもなくつきまとって危害を加えている。
(前世の)罪を憎んで(今世の)人を憎まず、オレ自身はこのスタンスだ。
ただそう思えるのは、オレ自身がルミベルナやサーシス王の被害を被っていない――もしくは覚えてない――からだ。実際に前世で被害を被ったヤツらからすればやはり怒りを感じてしまうのだろう。それは仕方がないとしても、そこから前世と同一だと見なしてやり返してくるのはやっぱりおかしいと思う。
「あっでも前世の縁で交流を深めるのは大歓迎だぜ。むしろ前世は敵だったけど、今世ではダチになりましたなんてアツいじゃねーか」
前世のことを聞いた時電話で話した内容をそのまま繰り返し伝え、笑いながら親指をぐっと立てると、律は少しだけ呆れたように息を吐いた。
「本当、兄妹揃ってお人好し。どうにか距離置こうとしてたおれが馬鹿みたいじゃん」
「ハハッ、お前警戒心強いもんな! ……なあ、それより、矢吹先輩も言ってたけど学校には問題なく行けてんのか」
「完全に、とは言わないけど昨日から嘘みたいに何もされてないよ」
すると律の言葉を聞いた矢吹先輩が不審そうに眉をひそめる。
「糸目女と巖禽は?」
何だそのあだ名は。
糸目女は心当たりがあるが後者はサッパリだ。がんきん? どういう意味かも分からない。
「あたしたちの関係とか広めたりしてないの?」
「それが、あんたが今世でおれと姉弟になっていることしか伝わってないんですよ。あいつが突き止めてないはずないんですけど……バラす最高のタイミングでも見極めてるんじゃないですかね」
「ま、警戒しておくに越したことはないか。あたしは別にいつでもバラしてもらって構わないんだけどね」
オレの誘拐事件が終わってから今日までに聞いた律に関することで、多分一番飛び上がったのはこれだろう。
律と矢吹先輩が腹違いの姉弟だったこと。驚きはしたが、妙に納得してしまった。どうやら以前二人の雰囲気が似てると思ったのは気のせいではなかったようだ。
だがそれだけじゃない。二人がまだ中学生だった頃、その事実をお互い知らないままに付き合っていたらしい。そのことを聞いた時オレの頭の中でフラッシュバックしたのは、前に電話の流れで恋バナを聞き出そうとして尋常じゃない態度で断る律の声だった。
……そりゃ、あんな態度にもなるわ。
別れる経緯といい、当人たちは何も悪くなかったのがさらに救いを無くしている。
それからずっと絶縁状態だったようだが、オレが誘拐されている間に色々とあったようで、今はまた普通に話せるようになったようだ。
二人のやり取りにぎこちなさは感じない。良かったと思い……ふと疑問が芽生える。
やっぱ二人とも今もお互いに好きなのかな? あの時の律の反応を見る限り引きずってんのは間違いなさそうだったけど。
……止めておこう。あまりにもデリカシーが無さすぎるな。
「でも良かった……! 本当に侑里先輩の脅しが効いてるんですね」
律が何もされていないことを知った八千代が安心したように表情を緩ませる。
「アイリーンの魔法の実力は皆知ってる。加えて人間の扱う呪いにも精通していることが分かれば、少なくとも転生者は誰も手を出そうなんて考えなかったみたい」
いつぞやの女郎蜘蛛の巣を思い出す。転生して弱体化した状態であのヤバさだったのだ。明迅学園の転生者からすれば当時の全盛期の力を目の当たりにしていて、しかもイメージはあのバカでかい蜘蛛だろうからな。そりゃ怖いに決まってる。
だが……。
律のいじめの話を聞いてからずっと、分からないことがある。
「なあ、明迅の転生者にはオレみてーな考えのヤツっていなかったのかよ?」
オレの問いに、部屋にいた全員の視線がオレに向く。
「話を聞く限り、直接お前を庇ってくれたのは千寿だけって話じゃねーか」
前世も人間だったのだから、もし乗っ取られてしまったとしても六天のように知能が下がって理性のない獣みたいになることはないだろう。
前世の罪は今世では関係ない、と考えるヤツは千寿陽菜以外にいなかったのだろうか。いくらなんでも……少な過ぎないか?
「確かにサーシス王が話に聞くだけでもとんでもないヤツだったのは理解出来るんだが……でも明迅の転生者って六天とは違って理性があるやつばっかなんだろ? 皆前世に乗っ取られてしまってんのか?」
「……ノゾム。悪いんだけど、先にその質問のことから話してもいい?」
「えっ?」
神妙な顔でそんなことをいう律に思わず首を傾げる。
『その質問』……そう聞くということはオレが訊ねたかった『千寿陽菜以外に味方になってくれるヤツはいなかったのか』ではないんだろう。だとすれば直前に言った――
「『皆前世に乗っ取られてしまってんのか?』……ねえ」
含みを持ったようにそう言って歪に笑う。
だが、オレを見つめる目は一切笑っていなかった。
「聞いたよ、六天の転生者全員が二重人格者になって主導権の奪い合いが起きてるって? なんでそんなサイコホラーなことになってんの?」
律の口から飛び出したのは、オレが想像にもしない言葉だった。




