95.白昼夢
気がついたら、視界には一面の青と白が映っていた。
ほんの一瞬だけ混乱して、すぐにこれは夢だと分かった。だって今オレは空中に立っているのだ。風が全身を撫でる感覚も、燦々と輝く太陽が肌を焼く感覚も感じない。まるで幽霊にでもなったかのようだった。
なんで夢を? そうだ、オレはあのストーカー野郎に何発も魔法をぶち込まれて――気を失う前の記憶を思い出してはっとする。
夢なんか見てる場合じゃない、早く覚めてあの場所から逃げ出さねーと。
どうにか目を覚まそうと目を何度か瞬かせてみたり身じろぎしてみたりしてみるが、夢から覚めるどころか指一本動かせない。クソッ、今現実ではどうなってる? 八千代は無事だろうな……!?
現実の時間は分からねーが、多分八千代は矢吹先輩か蓮水先輩と一緒にいるはず。先輩たちと一緒なら問題ないと思いたいが……気を失う前にあの男が魔法を放ったのが引っかかり、どうにも安心出来ない。
――!
するとあれだけもがいても動かなかった体が勝手に動き始めた。まるで誰かに操られているかのように、ふわふわと揺れながら地上へと降りていく。
下の方がやけに騒がしいとは思っていたが、地上に広がっていたのは凄惨な景色だった。
まず目に入るにはそこら中に転がっている潰れた死体。B級スプラッタ映画でも見ないあまりにもリアルでグロテスクな姿に、激しい吐き気に襲われる。けれども口を押えることも出来ず、吐くことも出来ない。
必死に気持ち悪さに耐えていると、視線が地面から離れた。数えきれないほどの死体と同じ西洋の鎧を着た兵士らしき人たちが、武器を振り上げて戦っている。
その相手を見て、オレはこの夢がただの夢ではないことに気がついた。
サイに似た姿をした化け物が炎を纏いながら複数人の兵士に体当たりして蹴散らし、醜い顔の付いた大木のような別の化け物は地面から壁を出して兵士を押し潰している。それらの身体は鉱石のようなもので出来ていて――
兵士も化け物もこの景色も全て初めて見たはずなのに、あまりにも心当たりがあり過ぎた。
思い出すのは、蓮水先輩と体験したあの妙な出来事だ。先輩と一緒に前世に行き、ルカがルミベルナに改竄された記憶を見た。
だがあの時と今回は全くと言っていいほど状況が違う。まず今ここにいるのはオレ一人だ。それに前は自由に動けたが、今回は体の自由が全く効かない。
一体どういうことなんだ? 蓮水先輩の時とは違う力が働いているのか?
前世の記憶らしきものは何も思い出せないのに、こんな体験をしているオレは一体何なんだ?
そんなことを考えても何も分かるはずもなく、しばらく兵士――多分サーシス王国の所属だろう――と化け物――魔晶族と戦っているのを観戦していると、再び体が動く。
『あーあ、何度も何度も見ているのに今だに慣れないや』
戦っている者たちをすり抜け、飛ぶように進みながらオレの口が勝手に動いてそんなことを言った。声は聞こえないが、そう言っているのは分かる。オレの話し方とはちょっと違っている。
オレの意思に反して勝手に動く体と口。まるで誰かの中にオレが入り込んで、ソイツの視点を一緒に見ているような――まさか。
オレは一つの仮定に行きつく。
もしかして――今オレは、前世のオレの記憶を見てるんじゃ?
まだオレが何者なのかハッキリしていないが、蓮水先輩との件やアイリーンの言葉からもオレがただの一般人ではないことはほぼ確定している。もしオレが転生者だったのなら今までの謎の力も説明がつくだろうし一安心だ。そう思うと幾分か気が楽になってきた。
さて、一体オレの前世(?)はこんな戦場のど真ん中で何をしているんだ?
分かるのは今この体は霊体だということだ。その証拠に足が地に付いていないし、さっきから弓矢の流れ弾が何本も飛んで来ているが全部体をすり抜けている。
しばらく進むと、サーシス王国の兵士はいなくなり魔晶族だけがいる場所まで来た。多分、魔晶族の陣地が近いのだろう。最初はその姿に身が竦んだが、今の自分に危害を加えて来ないという安心感からかすぐに慣れる。まばらに立っている魔晶族をもっとじっくり観察したいのだが、体の主は興味が無いのかすぐに通り過ぎてしまう。
だがこうしてみると魔晶族って姿は化け物だが宝石みたいにキラキラしていてマジで綺麗だよなあ……。
サーシス王国はコイツらをエネルギー資源にするために捕らえていたらしいが、オレの世界でも実際にいたら絶対乱獲されるだろうなあ……。イヤ、逆に神聖な生物として崇められるかも。
そして最奥まで進んだ体の主は、そこに立って戦いを見ていた魔晶族らを見つめる。
黄色を帯びた乳白色の体に羊のような曲がった角。西洋甲冑のような仮面で顔を覆った女性。
青緑色の体で翼を生やし、顔の半分だけ仮面で覆った男性。
大型車と同じくらいの体躯をした、深紅の蜘蛛。
ルミベルナだ……! ルカもいる、まさか二体が座っているあのバカデカい蜘蛛がアイリーンか!?
もし今オレの体が自由に動いていたら、きっと腰が抜けてガタガタと震え上がっていたことだろう。
アイリーンが起こした六天高校破壊事件の中である程度蜘蛛は克服出来たつもりだったが、この規格外の大きさを見てしまうとまだまだだと思い知らされる。……イヤ、これは蜘蛛が苦手じゃなくても無理だろう。一般人で震え上がらないヤツなんているのか?
極力アイリーンを見ないようにしたいのだが体の主がじっと三体を見ているためそうもいかない。
三体はしばらく戦いの様子を見ていたが、ふとルミベルナの顔が下――アイリーンを向いた。
「戦況は?」
「うーん、今のところ五分五分といったところかなー」
アイリーンから想像していた言葉遣いとは違うゆるい話し方に目をひん剥きそうになる。
……あ、そういえば蓮水先輩が前世じゃ猫被ってたって言ってたな。確か猫被ってる時の話し方が今世での素になってたんだっけ。
矢吹先輩よりもアイリーンの方が言葉を交わしたことが多かったし、あの古風な口調で馴染んでいたオレからすれば矢吹先輩の口調で話されると脳がバクりそうになる。
彼女に戦況を聞くということは、きっとあちこちに蜘蛛を派遣して偵察させているのだろう。すぐにそう返した彼女にルミベルナは「そう」と短く返した。
すると今度はルカが口を開く。
「クレイヴォルはどうしてる?」
「無事、接触したよ」
ルカの問いにもすぐにそう返答するアイリーン。
「他の敵兵には目もくれず、真っ直ぐ向かってった。ったく、少しくらい敵軍削っとけっての」
蜘蛛の表情などサッパリ分からないが、その声からは不機嫌さを隠し切れていない。そんなアイリーンにルミベルナは首をふるふると横に振る。
「別に構わないわ」
「ええ~、本当にいいんですかぁ」
「相手の戦力を削るだとか、そんな期待は最初からしていないもの。ただあのニンゲンさえ止めてくれれば、それでいい」
「そりゃそうですけど……っと、おやおや」
そんなやり取りをしていたが不意にアイリーンは視線をこちらに向ける。体の主の体がびくりと跳ねたのが分かった。体の主の心臓がドッ、ドッ、と音を立てているのが分かる。
も、もしかして、気づかれた……?
「前方からこっちに突っ込んでくる人間がいるね……数は」
瞬間、ぐるりと視界が後ろを向く。背後にはいつの間にか遠くから猛スピードでこちらに近づいて来る二つの影があった。
どうやら、気づかれたわけではなさそうだ。
『バレたかと思った……』
体の主もそんな独り言と共にほっと胸を撫で下ろしている。
「誰かしら……あれは確か」
「ルミベルナ様はここにいて下さいね。あたしがちょっと揉んできますから!」
そう言ってアイリーンはのそりと立ち上がり、二体が背中から降りたのを確認すると飛ぶような速さで影の方へと駆けて行った。
……速過ぎる。オイオイ、あの巨体であのスピードは反則だろ。
「ぼ、僕も」
「駄目よルカ」
視界が再び元に戻ると、アイリーンを追って行こうとしていたルカをルミベルナが引き留めていた。
「だがここまで来れる人間なら相当な手慣れのはずだ。二対一じゃ」
「貴方が入ってもアイリーンの足を引っ張るだけだわ。ここにいなさい」
「姉上……」
ルミベルナの顔は見えない。だがその有無を言わせない圧のある冷たい声と、ルカの腕をこれでもかと強く掴んだ手からは、決して彼を参戦させない意思をひしひしと感じさせた。その圧を感じ取ったのか、ルカは苦し気な顔で小さく頷く。
そんな彼に「物分かりのいい子は嫌いじゃないわよ」と冷たく返してすぐにふいっと顔を逸らしてしまったから、きっとルミベルナには見えていないだろう。自分を見つめる弟の顔が、寂しそうに、悲しそうに歪んでいることに。
バカなヤツ。本当はルカのことを一等大事に想っているくせに。
蓮水先輩と見た記憶が嫌でも思い出されて、やるせない気持ちになった。
◆
あれからすぐにルミベルナとルカへの興味を失った体の主は、今も戦場を滑るように進んでいる。体の主が言っていた通り、どこにでも転がっているグロテスクな死体には慣れそうもない。体の主が極力見ないようにしてくれているのがせめてもの救いだった。
途中でアイリーンが突撃してきた人間と戦っている側を通り過ぎたが、体の主が興味がなかったのか碌に観察出来ずに終わった。分かったことといえば、アイリーンが戦っていたのは人間の男女二人組で男の方が水色、女の方がピンク色の髪だったことくらいだ。水色とピンクといえば、そんな髪色の姉弟がオレの世界のキャラクターにもいたような……何だっけ、思い出せねーや。オレの世界じゃありえない髪色だが、世界も違うしああいう髪色もいるんだろう、多分。
ちらりと見た顔が知り合いに似ていた気もしたが、きっと気のせいだ。
だが、今だに分からないこともある。
この体の主はどうしてこんなことをしているんだ?
絶対に攻撃されない安全な状態で、ただ戦の様子を眺めているだけ。魔晶族側なのかサーシス王国側なのかも分からない。もしかしたら、どちら側でもないのかもしれない。だがそれを知る手段は、今のオレにはない。
そんなモヤモヤとした気持ちを抱えていたたその時、周りの戦う音にも負けないほどに響き渡る爆発音。
体の主がはっとしてその音がした方向に顔を向ければ、そう離れていない場所からモクモクと黒い煙が上がっている。
イヤ、それよりも……あれは何だ?
黒い煙が上がっている場所の周辺が何やら動いている。オレの目がおかしくなければ、ありえないスピードでにょきにょきと何本も木が生えてきているように見えるんだが……? 気のせい……じゃ、ないよな? ビデオの早送りのごとく、間違いなく生長してるよな?
荒れた平地が広がっていた場所に突如大量に生えてきた木は、成長してあっという間にそこそこの大きさの林になってしまった。
その光景を呆然と見ていると、突然体が今までにないスピードで動き出す。
『やっと見つけた! ちっ、どこにいるかくらい言っときなさいよ!』
どうやら体の主の目的はあの爆心地だったらしい。
だが今のオレは体の主の言葉に困惑を隠すことが出来なかった。
この話し方……まさかこの体の主って女なのか?
ならもしコイツがオレの前世だとしたら、オレって前世は女だったのか? でも八千代たちは性別そのままで生まれ変わってるし……どういうことだ? コイツはオレの前世じゃないのか? まさかオレだけ性別が反転して生まれ変わったのか? それともコイツがただ女っぽい話し方をしているだけで実は男だったりするのか? クソッ、声さえ聞こえれば……!
景色は目まぐるしく過ぎていき、あっという間に林の側までやってくる。
林の周辺には爆発に巻き込まれたのか黒焦げになった遺体があちらこちらに倒れていた。爆発で吹き飛ばされたのか体の一部だけが転がっていたりもした。
目を逸らすことも出来ず、再びせり上がってくる吐き気を押さえながらその光景を見ていると、ふと疑問に思う。
おかしいな、この辺りは激戦区だったはずなのに魔晶族が一体も見当たらない。逃げたのか?
体の主は迷いなく林の中へと進んで行く。
中に入って分かったのはこの林、円状に生えていて中心はドーナツのようにぽっかりと何も生えていないということだ。
そしてその中心地――林の外側以上に荒れ果てた大地で、二体の化け物が対峙していた。
一体は、全身が夜のような色をしていた。
アイリーンほどではないがかなりの大きさで、下半身は馬に似た胴体と四肢と尾を持っている。上半身は一見人型に見えるが、頭部には牡鹿のような何股にも枝分かれした大きな角が生え、その顔には鼻が無く、口には鮫のような鋭い牙がびっしりと並んでいる。その全身は――体の一部なのだろう――鎧のような鱗に覆われ、両腕には何者も触れさせんばかりに鋭い棘がびっしりと生えていた。
例えるならばケンタウロスをこれでもかとおどろおどろしくしたような、そんな化け物と呼ぶに遜色ない見た目だ。
だがその手に黒い巨大なランスを携え、同じ色の長いたてがみをなびかせ立つ姿には、威厳や神々しさも感じられる。
黒曜石のような体からこの黒いケンタウロスの正体はすぐにピンときた。
特徴的な四つの鋭い目をギラギラと輝かせながら、黒い魔晶族は相手に向かって心底楽しそうに笑い出す。
「ハハハッ! この死んだ大地に草木を蘇らせれんのか! テメェのことだからただ適当に生やしたってワケでもねェんだろ!?」
遠目に見ても上機嫌なのは伝わって来ていたが、想像以上にテンションが高い。
「当然でしょ?」
対して、対峙している相手は何というか……大分冷めている。
「味方ごと巻き込むなんて酷いことをする相手だからね、近づいちゃいけないって教えてあげなくちゃ」
「ああ? あんな分かりやすい攻撃を避けられねェヤツが悪ィんだよ」
ああ、だから魔晶族が全く見当たらなかったのか。あの爆発の時に全て形残らず消し去ってしまったといったところか? この林も味方が巻き込まれないよう近づいてはいけないラインとして生やしたようだ。
態度から見る限り、同族を殺しているのに当の本人はこれっぽっちも悪いとは思っていないらしい。
この魔晶族――クレイヴォルのことについては簡単にだが八千代たちから聞いている。
魔晶族の本来の王。魔晶族で最も強い男。だが王の役割を果たす気は全くなく、まとまりを失って好き勝手振る舞う同族たちに見かねたルミベルナが代わりに王を務めることにした。
確か最初は魔晶族とサーシス王国の戦争に興味を示さなかったが、強いヤツとの戦いに飢えていたクレイヴォルをサーシス王国でも一等強かった改造人間にルミベルナが引き合わせたとか……。
と、いうことはだ。この冷めた態度を取っている化け物は――
短く切られた濃いオレンジ色の髪。黄緑色の肌。クレイヴォルは目が四つあるが、こちらは腕が四本ある。こちらにもその腕を中心とした一部には爬虫類の鱗のようなもので覆われていて、その小さな体のあちこちに何かを繋ぎ合わせたような縫い跡がいくつもあって痛々しい。その背中にはグロテスクな触手が何本も蠢いており、一緒に生えている美しい白い翼とはあまりにもアンバランスだ。
コイツが例の改造人間なのか。蓮水先輩もおぞましい姿だと言っていたが、その人間を辞めたあんまりな姿にオレは絶句した。
戦争のためだけにこんな体にされてしまっただなんてあまりにも惨過ぎる。
しかも周りからも人間扱いされていなくて、色々と大っぴらには言えないこともさせられてたって話だ。
そこまで思い返して、思わずオレは改造人間を二度見した。
濃いオレンジ色のベリーショート。少し垂れ気味の大きな金色の目。
全身はあんなだし顔にも縫い跡があるが、それでもその顔立ちをよく見ればそういったことをされてもおかしくないくらいには整っている。だが――
えっ、コイツ女なの?
「でも、魔晶族にまだこんなのが残っていたなんて。直接ボクを狙って来たということは、女王様直々の命令だったのかな」
女……? マジで……? 服もみすぼらしいボロボロな男物を着ているし一人称も相まって成長期直前の少年にしか見えないんだが……?
軍隊の中にいれば女っ気もなくなるのかもしれないが、さっきアイリーンと戦ってた女はちらりと見ただけでいい服を着ているのが分かったし美少女だと分かる容貌もしていたのに。この扱いの差は何なんだ?
こてんと小首を傾げながら静かにそう訊ねる改造人間にクレイヴォルは仰々しく両腕を広げてみせる。
「あの女からテメェのことを聞いた時は何の冗談かと思ったが、嘘は言ってなかったらしいな! まさかこんな強ェヤツに会えるとは! 無駄に長生きしてみるもんだぜ!」
「女王様をあの女呼ばわりか……キミ、何者?」
「答える必要なんざねえだろ? それよりも早く続きといこうぜ! 遠慮なんざいらねえ、全力でかかって来やがれ!」
「……何こいつ」
人間の質問に答えるよりもとにかく戦いの続きがしたいらしい。手に持っていた自分の背丈ほどもあるランスを構えるクレイヴォルに、戦闘狂だという話はマジなんだなと思う。
そんな戦争……殺し合いの真っ只中だというのにウッキウキな相手とは対照的に、人間は完全にドンび……冷めていた。だがすぐに真剣な顔になると、
「恨みはないけど、大人しく捕まってもらうよ。キミ大物そうだし、連れて帰れればきっと国を助けられる」
両手を構えて相手をじっと見つめる。その黄金の瞳は凛とした芯のある輝きが宿っていて、相応の覚悟を持って戦いに臨んでいるのがたった今初めて彼女を見たオレにも分かる。
お世辞にも気持ちの良い姿とは言えないのに、その目の光はとても、とても綺麗だった。
そんな人間を見たクレイヴォルはニィ、と大きな口の端を吊り上げる。
その時、遠くからブォーブォーと低い音が鳴る。
この音は――多分、角笛か法螺貝が鳴る音だ。
その音を聞いた人間はハッとすると構えていた両手をそっと下ろした。
「どうやら、ここまでみたいだね」
「あ”あ!?」
「この音、撤退の合図だから。ボクは帰るよ」
「ふざけんな! ここで止めるってのか!? 俺様と戦え!」
あっさりクレイヴォルに背を向けて去ろうとする人間に、打って変わって不満気な表情になったクレイヴォルが呼び止める。人間は顔だけ振り返ると熱の消えた目をすぅと細めた。
「悪いけど、軍の命令を無視してキミと戦う権利はボクには無いんだ。ボクだってまだ死にたくない」
それは、命令を無視して戦闘を続ければ自分は死ぬということと同義で。
クレイヴォルの眉間にぐっと皺が寄る。たっぷりの間を置いて、苦々しく口を開いた。
「……次の戦には出るんだろうな。その時にまた俺様と戦え」
「その要望は聞けないよ、ボクの今後は軍の指令次第だから」
やっと見つけた戦相手をそう簡単に失いたくはなかったらしい。
不本意であることを全身から隠さず、しぶしぶ了承したクレイヴォルは次にそう要求したが、即座に却下された。取り合おうともしない相手にクレイヴォルは舌打ちをして、そしてすぐにニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
「フン、嫌でも出ざるを得なくしてやる」
「ええ……めんどくさ……」
今後の戦が心底楽しみなのか上機嫌でニヤついている相手に、人間の口がひくりと動く。
「はあ……ま、いいか。ボク以外にキミを対処出来る人も少ないだろうから」
仕方がないといったようにそう続けて、こんどこそクレイヴォルに背を向ける。
「待て」
「……まだ何かあるの。ボク早く帰りたいんだけど」
「テメェ、名前は」
ウンザリとした顔を隠さなくなった人間にクレイヴォルが訊ねたのは、彼女の名前だった。そういえば、八千代たちからもこの改造人間の名前までは聞いていない。
「SP-506」
彼女の口から飛び出したのは、とても人間に付けるような名前ではなかった。どう見ても実験か何かをされていた被験体の識別コードだ。
人間の名付けの文化などクレイヴォルには分からないだろうが、その響きに違和感を覚えたらしい。訝し気に「本当の名前を言え」と低い声で続けると、
「嘘じゃないよ。仮にあったとして、どうしてキミに教えないといけないの」
彼を一切見ることなく、そう冷たく吐き捨てた。
「何だと……!」
「キミのことは国にちゃんと報告しとくから。じゃあね」
「おい待ちやが……ッ!?」
人間を追おうと一歩前に踏み出したクレイヴォルの足元から棘の生えた太い木の枝が飛び出す。それに一瞬気を取られた隙に、人間は背中の翼で空へと飛び立ってしまった。
「……クソッ!」
完全に逃げられてしまい、クレイヴォルは苛立ち気にその蹄で地面を思い切り叩くと、地面は割れて粉々になってしまった。
一連のやり取りをみて、思う。
クレイヴォルがあの人間と戦いたい、あの強い人間のことを知りたいといった感情はすごく伝わってくるんだが、その本人にはほとんど相手にされていない。人間にとってクレイヴォルは重要度の高い捕縛の対象でしかないように見えた。
この後は確か……戦の度にあの人間と戦うようになったり、個人的に勝負を挑みに行くようになったとかいう話だが、クレイヴォルがそうした理由が今の会話から何となく分かったような気がする。二人はこれからも戦いを繰り返して、そして最後は――
その時だった。
体の主は相変わらずクレイヴォルを見つめ続けていたが、突如景色がぐにゃりと歪む。
『今日はこれくらいでいいか』
口が勝手にそう動き、段々と歪んだ視界が白んでいく。
ああこの奇妙な夢から覚めるのだな、とぼんやりと思った。
何でこんな夢を見たのかは分からない。
でも、もしかするとこの夢で見たことは今後何かの役に立つかもしれない。
どうか覚えていますように、と願いながらオレは意識を手放した。




