三縁望の奪還 ～同時多発転生に巻き込まれ(に行き)ました～

Chapter.５ 交錯する思惑

９２．協力要請【♡】

　一区切りついたところで、樫山さんは陽菜さんに声をかけた。

「センパイたちが来るまでもう少しかかりそうだし、その間に話してくれば？」

　そう言って視線を夜久さんに向ける。

「いいんですの？」

「いいっていいって。折角再会出来たんだから行ってきなよ」

「え、ええ……」

　遠慮がちに聞き返す彼女に対し、樫山さんは軽くそう言ってぷらぷらと手を振る。どうやら樫山さんはここに残って動けない私たちのことを見ていてくれるらしい。

　陽菜さんは少し不安そうにしていたけれど、すぐに表情を引き締めると、深く息を吐き出し意を決したように夜久さんに向き直った。

「あの！」

　彼女の口から出たのは想像よりもずっと強い声だった。少しだけ驚いたように目を見開いた夜久さんに、緊張で少しだけ固くなった顔で彼女は続ける。

「今更こんなこと図々しいことは百も承知ですわ！　ですがどうか、少しだけで良いのです！　貴方の時間をわたくしにくださいまし！」

　あの時言えなかったことを今度こそ正直に話したいのです。

　前世と同じ……否、前世よりも強くなったその目でそう伝えると、深々と頭を下げる。

　そんな彼女に夜久さんは困ったように視線を彷徨わせ――私と目が合った。

　彼が迷うのはもっともだ。でも……逆に今ここで彼女を突っぱねたらどうなるだろう。それこそ逆に彼の中にいるもう一つの人格(クレイヴォル)を逆上させやしないだろうか。

　本当はクレイヴォルが無暗に出て来ようとするのを抑えてから陽菜さんに会わせたかったけれど、意図せずともこうして出会ってしまった。ここで陽菜さんの頼みを断ってしまえば――きっとマリー・カレンデュラとクレイヴォルはすれ違ったまま元に戻ることはない。

「夜久さん」

　私は静かに頷いた。

「この際もう、彼女との前世のことは綺麗さっぱり清算しちゃいましょうよ」

「……」

「私に話してくれたこと、陽菜さんにもそのままちゃんと伝えてくださいね」

　こればっかりは二人の問題で、私に出来ることはこれくらいだ。

　地下水道の話を彼女にもした上で彼女の話も聞いて互いに前世の頃の想いを理解することが出来れば……少なくともこれ以上拗れることはないだろう。そうなれば、一番の問題は残れど彼の心にのしかかっている重みは少しは軽くなるはず。

　夜久さんはしばらく俯いて、遂に固く首を縦に振った。

「……分かりました」

　その声に陽菜さんが下げていた頭を勢いよく上げる。そんな彼女に彼は背を向けて歩き出した。

「ここでは互いに気まずいでしょう、場所を移動しましょうか」

「え、ええ！　ありがとうございます！」

　少し早いスピードで進んで行く彼の背を、陽菜さんは少し慌てたように追いかける。

　あっという間に二人の姿は闇の中に消えてしまった。

　二人がいなくなった暗闇をしばらくじっと見つめ、樫山さんは私の隣に座って、再び二人が消えて行った方向に視線を向けた。

「あいつ、夜久っていったっけ。中々の曲者だね」

「曲者、ですか？」

　その意味を図りかねていると、樫山さんは鼻で笑う。

「あの上っ面だけの顔！　千寿さんは気づいてなかったけどあんたは分かってたでしょ、分かりやすく顔が強張ってたし」

　意味を理解して「ああ……」と思わず声が漏れた。ほぼ初対面なのに気がついたんだ、すごいなあ。

　そのままぼーっと樫山さんの横顔を見ていると、不意に彼があ、と小さく声を上げてこちらを向く。

「上っ面といえば、女王サマだってそうだったんじゃない」

「え？」

　突然前世のことを振られて目を丸くする。

　そんな私に一瞥して、彼は続けた。

「前世のあんたの前評判は個より全を重んじる冷酷な女王サマって話だった。でもいざ対峙してさ、確かにそう言われることはしてるんだけど……何て言うの？　上手く隠せてはいたけど違和感はあったよね、無理してるっていうか」

「……」

　前世越しにぞわりと肌寒さを感じる。今でも鮮明に思い出せる、サーシス王が私(ルミベルナ)に向けていた氷のように冷たく底暗い瞳。あの目でそこまで見通されていたなんて。

「……さすがですね」

　でも当時は仮面で顔を隠していたのに、顔も見ずに気づくのは相当鋭くないと無理だ。私の口からは素直に称賛の言葉が出ていた。

「伊達に前世の大半演技で生きてないからね。表面だけ取り繕ってるやつはすぐ分かるよ」

　ああ、そういえばサーシス王は――国に復讐するために、滅ぼすために、最期まで馬鹿殿として振る舞っていたんだっけ。

　感情を言動に出さず、表情にも出さず、ただ唯一その仄暗い瞳にだけは強い憎悪が爆ぜている。サーシス王が戦いの時にルミベルナに見せていたその凄みのある表情からは、普段国民に馬鹿にされていただなんて分かるはずがなかった。

　それが意図的だったのかどうかは置いておいて。

　もし、魔晶族と戦っていたあの姿と顔が。

　サーシス王がいつも国民に見せていた愚者の仮面を外した姿だったのだとしたら。

「そう考えると前世の私たちって結構似てたんですねえ」

　そう零すと、樫山さんは少しだけ驚いたように眉を上げてすぐに「はっ」と鼻で笑った。

「一族守ろうとしてたあんたと自分の国滅ぼそうとしてたおれを一緒にするもんじゃないよ」

「目的のために偽りの自分を演じてたところは一緒ですよ」

「……そ」

　少しの間を置いてどこか納得がいかないようにそう返す。

　ここで会話が途切れ、私たちの耳に入るのは草木が風で揺れる音と虫の鳴く声だけになる。私は再度二人がいなくなった方を見て、口を開いた。

「夜久さんは、ああ振る舞うしかなかったんだと思います」

　そもそもクレイヴォルのことを抜きにしても、当初彼は陽菜さんと会うつもりはなかったのだ。それはマリー・カレンデュラのが最後感情を失ってしまったのは自分のせいだと考えていたのと、加えて彼女の転生者である陽菜さんが自分を殺した相手に会いたいわけがないと思っていたから。

　あの時、私は彼の事情を知らずに二人は一度会って話すべきだと考えたから、それが誤解であることは伝えたけれど弁解まではしなかった。だから彼は今も彼女に後ろめたさを感じたままのはずだ。

　だから、クレイヴォルが出てくるかもしれないからと彼女を冷たく突き放すような行動は出来なかったのだと思う。多分、私が彼の立場でも同じように振る舞っただろう。

「まあ……何か訳アリそうだったしね」

　その一言だけで大方察してくれる彼に心の中でお礼を言いつつ、今二人はちゃんと話せているだろうかと思いをはせる。そうしていると、ずっと固い地面に横になっているせいか段々と身体が痛くなってくる。身を捩ろうとするけれど、相変わらず全身から力が抜けたように重くて動かない。

　変なの。意識はこんなにもはっきりしてて、会話だって普通に出来るのに。

「どうしたの？」

　私が動こうとしたのを見た樫山さんが首を傾げる。

「ちょっと体が痛くなってきたので、姿勢を変えようかなって」

「ああ、そういうことね」

　私の言葉に納得したように頷く。そして「ちょっと失礼するよ」と私をひょいと持ち上げると、寝方を仰向けから怪我をした右肩を上にした横向きに変えてくれた。見た目に寄らず力持ちだ。前世の力が戻った影響かな。

「ありがとうございます。助かりました」

「いいよこのくらい。ていうかその怪我本当に大丈夫なの」

「あはは……そう思いますよね」

　今の私の見た目は本当に酷い。これで気を失っていれば、私を見た人はまず死んでいると思うだろう。でも傷に触れられさえしなければ本当に平気なのだ。

「銃で撃ち抜かれるなんて普通なら重傷のはずなんですけど、そこまでないんです。不思議ですよね」

「随分呑気だね……」

　樫山さんはげんなりとしてはあ、と大きなため息を吐いた。

「この後を考えると気が重いよ、蓮水さんとか蓮水さんとか蓮水さんとか……」

「そう言う樫山さんだって、その頬を侑里先輩が見たら絶対に詰められると思いますよ」

「……そうだけどさ」

　当初、自分が持ち込んだ事件だからと私と一緒に製鉄所に侵入しようとしていた樫山さんを強く引き留めたのは侑里先輩だ。いくら解呪されたとはいえ呪いの影響で衰弱した身体でやくざの本拠地に入るなんて自殺行為だ、と。合わせて戦闘や魔法の使用は固く禁止されていたのに、それを破って戦闘して怪我をしたのだ。侑里先輩が怒るのは容易に想像出来た。

「私も止めませんでしたし……その時は一緒に怒られましょうか」

　でも、彼が事件に首を突っ込もうとしていることを知っていながら私も強くは止めなかった。もしそうなったら、一緒に謝ろう。

　バツが悪そうに自分の頬の傷をなぞる樫山さんにそう言うと、

「ちゃんとその辺りフォローしてよね」

「ふふ、分かってますよ」

　少しいじらしさの混じったジトっとした目に思わず笑みが漏れる。

　すると、ピロリンと樫山さんのスマホにメッセージが入る音がした。すぐにそれを確認しながら、彼は先輩たちがすぐ近くにまで来ていることを教えてくれた。

　……思ってたよりもずっと早い。一体どんな手段で来たんだろう。あんまり想像したくはない。

　返信するためスマホをいじる彼を見ながら、ふとあることを思い出す。

「あの、」

「何？」

「もしよければ連絡先を交換しませんか」

　突然の申し出だったからかもしれない。目を丸くして「は？」と間の抜けた声を出した。そのまますぐに訝し気に眉を寄せた彼に慌てて弁明する。

「ええと、その、今回みたいなことがまた起きた時はすぐ連絡出来ますし、それと……樫山さんには色々と聞きたいこともありますから」

「聞きたいこと？」

「はい。実は――」

　私は今回の転生騒動の原因を探っている最中であることを伝える。

　突然一斉に前世の記憶と力が戻ったことや、転生者ではない者には前世関連のことは認識出来ないという不自然な現象。それらからこの転生騒動が意図的に起こされたものであるという確信を持ったはいいものの、魔晶族が持っている知識も偏りが激しく調査が全く進んでいないこと。

　そこに前世で争っていたサーシス王国の者たちも同じように転生してきていることが分かった。彼らなら、魔晶族が知らないようなことも知っている可能性は大きい。

「なるほどねぇ……」

　説明を終える頃には樫山さんから警戒するような雰囲気は消えていて、納得したようにうんうんと頷いていた。

「とにかく今は少しでも手がかりが欲しいんです。明迅……サーシス王国側のことはあまりよく分からないし、互いに情報交換出来れば見えてくることもあるかなって……」

「確かにお互いの立場でしか知らないことはありそうだね。でもおれでいいの？」

「だってサーシス王国のことはどう考えたって樫山さんが一番詳しいじゃないですか」

　国一つをほぼ一人で滅亡寸前まで追い込むなんて、その国のことをよく知ってなきゃ出来ませんよ。

　そう続けて彼をじっと見つめると、相手は一瞬だけきょとんとした後ぷっと吹き出す。

「あっははは、そりゃそうだ」

　何が可笑しいのかひとしきり笑った後、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてぐいと私に向かって身を乗り出した。

「いいよ」

「本当ですか！」

「別に今更魔晶族(あんた)らに知られて困るような機密もないし、おれも今のこのふざけた現状に理由があるなら是非知りたいからね」

「ありがとうございます……！」

　やや緊張していた身体が緩むのを感じる。これで少しは調査が進展してくれるはず。仮に直接的な原因が見つからなかったとしても、三人寄れば文殊の知恵だ。転生騒動の原因を一緒に考えてくれる人が増えてくれるだけでも大きい。

「その件千寿さんにも頼めば普通に協力してくれると思うよ」

「はい、陽菜さんにも後でお願いしようと思います……！」

「……さっきまでの辛気臭い顔が嘘みたい」

「正直に言うと、ちょっと……ううん、すごくうきうきしてます」

　ゲームや漫画じゃないけれど、仲間が出来るというのは純粋に嬉しい。しかも相手はあの兄さんが信頼している相手と、私がこの目で見て信用しようと思った相手。気分も上がるというものだ。

　分かりやすくにやけている私に呆れたように肩をすくめた樫山さんは、途端に少しだけ表情に緊張を滲ませた。

「うきうきするのは構わないけどさ、まずは――」

　そう言って、視線を斜め上に向ける。

「治療とお説教が終わってからだね」

　瞬間、視線の先――上空の木々の隙間に飛び出す、巨大な影。

「八千代――――――ッ！！」

　切羽詰まった私の名を呼ぶ声と共に目の前に落ちてきたのは、巨大な紅色の蜘蛛。

　その背中には――予想通り顔を真っ赤にした侑里先輩と、逆に顔を真っ青にした蓮水先輩が乗っていた。