85.せめぎ合い【♡】
マントを割いて包帯にし血の流れ続ける腕に巻き付けて止血をする。
相当深く刺したのか包帯からは血が滲み出している。気休め程度にしかならないけれど、何もしないよりはましだろう。何度も声をかけ続けてようやく落ち着いてくれた夜久さんは、自分の腕に巻かれていく包帯を青白い顔でただじっと見つめていた。
互いに一言も話さないまま包帯を巻き終わり腕から手を離すと、彼は小さく頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「いいですよ、このくらい」
無言で彼の血の滲む包帯を見つめていると、彼は恐る恐るといったように私の手に持っている破れたマントを指差した。
「……貸して、ください」
「え?」
「貴方も、怪我をしています。止血をしなければ」
……あ。
色んな衝撃ですっかり意識から外れてしまっていたけれど、私も銃で撃たれていたんだった。
真っ赤に染まった私の肩を苦しそうに見つめながら「片手では巻きにくいでしょう」と続けられて、ようやく彼の言動の意図を理解する。
もしかして、巻いてくれるのかな。
別に自分でも止血は出来る。ただ、マントを指差す彼の手がわずかに震えているのが気になった。
思い出すのは、正気に戻ってすぐに私の肩に触れようとして手を引っ込めた彼の姿だ。いつもだったら申し訳ないし遠慮して自分で手当てするところだけれど、もしここで断ったら彼は私が自分を怖がっているのだと思わないだろうか。
そう思われたくはない。それに、震えてるということは彼だってきっと怖いのだ。それでも私に申し訳ないと思って、勇気を出して提案してくれたんだろう。ならその勇気を無碍にするのも違う。
「お願いしてもいいですか?」
そう思ってマントを差し出すと、彼は信じられないといったように目を見開いた。断られると思っていたのかな。
彼が受け取ったマントから包帯を作っている間、ジャージの厚手の生地じゃ止血に邪魔かなと思いジャージを脱ぐ。下に薄手のシャツを着ていて良かった。
分かってはいたけれど、ジャージの下は酷い有様だった。シャツのほとんどは血で染まって、銃弾で穴も開いている。もう使い物にならないだろう。帰ったら侑里先輩に謝って弁償しなきゃ……。
「ッ……」
上半身のほとんどを血で染めた私を見た夜久さんは顔を引きつらせて、包帯をぐしゃりと握りしめる。また謝ろうとする彼を半ば強引に止めて、私は安心させるように笑みを作った。
「気にしないでくださいよ。こうなったのは、相手は私に直接攻撃はしてこないだろうって油断したせいなんですから」
「無理もありません、相手は貴方を無傷で捕らえることに拘っていましたから。まさか迷いなく発砲してくるとは……」
糸杉千景は少し離れた場所に倒れたままだ。念のため、夜久さんの止血をする前に両手両足を縛って他に武器や妙な小道具を持っていないことは確認済みだ。さっきみたいに不意打ちなんかされたらたまらない。もちろんこの部屋の出口の鍵も抜き取ってある。
夜久さんは壊れ物を扱うような手つきで私の肩に包帯をきつく巻いて止血をしていく。
「痛みはありませんか」
「平気です」
この見た目で言われても説得力がないのか疑わし気な目で私を見てきたので、私は証明するために軽く右腕を上げる。
「確かに見た目は酷いですけど、思ってたより重傷じゃないみたいです。ほら、ちゃんと動かせますし……銃で撃たれたのに変ですね」
普通なら銃で撃たれればただでは済まない。撃たれた経験なんてないから詳しくは分からないけれど、出血も多いしまず動けなくなるはずだ。痛みで気絶する可能性だってある。
なのに今の私の意識ははっきりしているし、多少痛みはあるけれど腕が上がらないなんてこともない。以前と比べて本当に頑丈になったものだ。
「これも前世の力が戻った影響なんでしょうか、あはは」
「……」
空笑いする私を彼は形容し難い表情でじっと見つめ、包帯を巻く腕を再び動かし始めた。
会話が途切れる。お互いに言いたいことがあるのは察しているのに、何を言うべきか言葉が出ない。
そのまま包帯を巻き終わりジャージを着直す。その間も彼の表情は変わらなかった。
「ありがとうございました」
「……」
「夜久さん?」
さっきからずっと黙り込んでいる彼にさすがに違和感を覚え、おずおずと顔を覗き込む。彼の薄く開いた口はわずかに震え、そこから歯を食いしばっているのが見えた。今まで俯いていて気がつかなかったけれど、ずっとそうしていたのだろうか。
「なぜ……平然としていられるのですか」
ようやく聞こえた声は、今にも消えてしまいそうな声だった。
顔を上げてこちらを見る彼の顔は悲しみと困惑が入り混じったような、そんな顔をしている。
「俺が怖くはないのですか」
「……そんな顔で言われたって、怖いわけないじゃないですか」
クレイヴォルに引っ張られた時は確かに怖かったけれど、今の彼に恐怖なんて微塵も感じない。
あんなに謝ってたし、さっきの行為は彼が望んでやったことじゃないことは分かってる。一緒にいる時間は短いけれど、彼が優しい人だってことも分かってる。
「あれは、夜久さんの意思でやったことじゃないんでしょう。それに、どんな形であれ助けてくれたことは事実ですから。あのまま糸杉千景の思い通りにされてたら私はもっと酷いことになってました」
だから何も気にする必要はないのだと言外ににおわせるけれど、彼の顔は晴れない。何か、悩んでいるようだった。
そして自分の腕に巻かれた包帯にそっと手を添えると、苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「……これまでの俺の言動を見て、短気な奴だとは思いませんでしたか」
「へ?」
きゅ、急に何を言い出すんだろう。
「ええと……結構怒ってるなとは思ってましたけど、でも弟を誘拐されて、しかもその相手が前世でマリー・カレンデュラをああした張本人だったんですよ? 怒って当然ですよ」
「そう、でしょうか……」
「そうですよ」
感情的に怒る姿は何度か見たけれど、意味もなくカッカしていたわけではない。どれも怒って当然の場面だったし、しかも糸杉千景はわざとかと思うくらいに腹の立つことばっかり言っていた。私だって聞いていてイライラしたし、彼なら猶更だろう。
そう思って答えると彼はじっと私を見て、そして意を決したように話し始めた。
「前世の記憶と力が戻ってからです。些細なことですぐにカッとなるようになったのは」
目を瞬かせた私に、彼は続ける。
「最初は違和感を感じる程度でした。それが次第にコントロールが出来なくなっていき、遂には……相手に度を超えた暴力を振るってしまうようになりました」
「それって……」
ふと前の部屋で私たちを襲ったやくざの一人が、夜久さんに尋常じゃないほどに怯えていたのを思い出した。
「さっきのやくざが言ってたことは」
「全て真実です。あの時は父が止めてくれたおかげで最悪の事態は免れました」
「あー……そういうことですか」
恐る恐る口に出した私の予想はあっさりと肯定された。
あの時はありえないと思っていたけれど、そうであるなら納得がいく。
夜久さんの家に来たやくざのほとんどを半殺しにしたというのも、きっとクレイヴォルに引っ張られた結果だろう。
「最初は突然生えてきた前世の記憶に驚きはあれど、再び使えるようになった異能や魔法を楽しむ余裕もあったのです。ですが、力を使ったり前世のことを考える度に違和感も……自分が自分でなくなっていっているような感覚も大きくなっていってしまって」
「っ、もしかして……!」
思わず食い気味に身を乗り出していた。
彼の言葉の通りならば、彼は前世の力を使ったり過去の自分に思いを馳せる度に少しづつクレイヴォルに引っ張られていった、ということになる。だとすれば――
「学校で私たちを避けてたのも、陽菜さんに会おうとしないのも……」
「極力、前世のことに関わりたくなかったのです」
少し寂しそうに笑う彼に胸が締め付けられる。
私は彼がずっとそういった顔をしているのは、かつての自分の行いに、罪に、潰されそうになっているからだと思っていた。それもきっと間違いじゃないんだろう。
でもそれ以上に私と関わることで――かつての自分に乗っ取られるかもしれないという、怯えもあったのでは?
「もし貴方たちと接触した結果、完全にあいつに乗っ取られてしまったら……今以上に迷惑をかけてしまいます。そう思うと踏み出す勇気が持てませんでした。……今となっては、ただの言い訳にしかなりませんがね」
「そんなこと……」
「言葉を投げかけられてすぐに正気に戻れなかったのも、あいつが自分の意思で言葉を発したのも今回が初めてです。やはり少しづつ……限界が近づいてきている」
自分の腕に巻かれた包帯を見つめる彼の体はかすかに震えている。
「……っ」
私は馬鹿だ。
何も知らなかったとはいえ、あの時彼の前世を根掘り葉掘り聞き出すようなことを……!
「それに、今回乗っ取られかけたことで分かってしまいました。
あいつは……明確な意思を持って夜久朔彦から主導権を奪おうとしている、と」
「それは……そう、でしょうね」
あの時夜久さんを乗っ取りかけたクレイヴォルが言っていた言葉。
夜久さんの考えがそっくりクレイヴォルの考えではないと……まるで、今の夜久さんのスタンスが気に食わないと言いたげだった。
夜久さんのような例は初めてだ。
今まで私が見たのは、記憶が戻ったとほぼ同時に人格を乗っ取られた大半の転生者。
最初は引っ張られなかったのに前世に飲み込まれてしまった例は侑里先輩がいるけれど、そこにアイリーンの意思はなかった、と兄さんから聞いたし今は元に戻っている。
蓮水先輩は乗っ取られるどころか一度も引っ張られたことはないみたいだし、私だって最初の頃は何度かルミベルナに引っ張られているような感覚はあったけれど、乗っ取られるなんて危機感を覚えたことは一度もなかったのに。明迅学園の人たちはどうなんだろう……。
うーん、どうにか前世に引っ張られないように制御する方法はないのかな。
そう考えてすぐに心がずんと重くなる。
そんな方法があれば、六天高校内で起きている問題も、私に降りかかっている問題もとっくに解決している。
しばらくうんうん考えていると、ふと一つ疑問が浮かんだ。
「夜久さんは前世に関わる度に少しづつクレイヴォルに引っ張られているって言ってましたけど……」
「ええ」
「さっきのは突然だったじゃないですか」
「それは……その」
私の言葉に躊躇いがちに目を泳がせて、そして倒れている糸杉千景を見た。
「貴方があいつに触れられる姿が……その、カレンが無体を強いられている姿と被って見えて……」
「……っ」
ああ、あの時の私を見て、マリー・カレンデュラが凌辱されている記憶がフラッシュバックしてしまったんだ。
なら彼がクレイヴォルに引っ張られてしまったのも私の……、
「……ごめんなさい」
「謝らないでください。あれでスイッチが入るなど俺も想定していなかったのですから」
思わず出た謝罪の言葉に、夜久さんは眉を八の字に下げてゆるゆると首を横に振る。
「でも……」
「正直俺にも何がきっかけでああなるのか分からないのです。それに俺も貴方を傷付けました……お互い様です」
私の油断がきっかけで自分の人格を乗っ取られそうになったというのに、どうして何も責める言葉を言わないんだろう。ちょっと優し過ぎないかな、この人。
夜久さんは眉間に皺を寄せぎゅっと目を閉じると、小さなため息を吐く。
「こんな状態でカレンの転生者に……千寿殿に会ったらどうなるか」
「クレイヴォルが表に出て来ようとするかもしれない、ってことですか」
「ええ、しかもあいつは俺を通してカレンの生まれ変わりがこの世界にいることを知ってしまいました。恐らくは……今まで以上に自分が主導権を握ろうとしてくるでしょうね」
「夜久さんを乗っ取ったらやっぱりマリー・カレンデュラに……陽菜さんに会いに行くんでしょうか」
前世では自分の気持ちを自覚しないままマリー・カレンデュラと一緒に死んでしまったわけだけれど、今はもう夜久さんを通じて自分の抱いていた感情が恋情であったことには気づいているはずだ。だとしたら陽菜さんがマリー・カレンデュラとは別人だと分かっていても、一目会いたいと思うのは自然なことなんじゃ。
「千寿殿に会いに行く……それだけならまだいい。最も恐ろしいのは千寿殿をカレンと見なして再び殺し合いを仕掛けることです。あいつが周りに配慮なんてするわけがありません……そうなれば矢吹先輩の二の舞ですよ。いいえ、もっと酷いことになる」
彼の言葉にさあっと血の気が引いていく。
アイリーンは甚大な被害を残していった。到底許されることではないけれど、一つだけ擁護するとすれば被害を六天高校だけに抑えたことだ。もし女郎蜘蛛の巣で高校全体に結界を張っていなければ、学校周辺の建物まで被害が広がっていただろう。
もしクレイヴォルが陽菜さんに勝負を挑んで全力で戦えば、いくら転生して力が弱くなっているといえどうなってしまうのか……考えるだけでも恐ろしい。
「皮肉なものですね。前世の自分を忌避しておきながら、今俺はこうして前世の力を使ってここにいるのですから」
絶句する私に、夜久さんは自虐的に笑ってそう言った。
胸の奥底から何か得体の知れないものが湧き上がってくる。
何なの、これは。怒りでもない。苛立ちでもない。悲しみでもない。結局それに名前を付けられず、胸元をぎゅっと握りしめる。
「探しましょうよ、どうにかする方法を」
「え?」
「私たちが前世のことを調べている理由の中には、今回の原因を明らかにすることだけじゃなくて……前世に引っ張られた人たちを元に戻せないかっていうのもあるんです」
この理由は私よりも兄さんの方が強く意識していたものだったけれど。
相手は目をわずかに見開く。そんな彼の握りしめた拳に、私はそっと手を添えた。
「私も手伝います。兄さんや先輩たちだって快く協力してくれるはずです」
侑里先輩だって一度完全に乗っ取られたけれど元に戻れたのだ。きっと何か方法があるはず……。
「ありがとうございます。ですが貴方が俺などに気に病む必要はないのですよ」
「俺などに、なんて止めてください」
遠慮してしまう気持ちは分かる。私が彼の立場だったら同じように一人でどうにかしようとするかもしれない。
でも、それじゃいけないと分かっているから。決して一人ではないのに、一人で全て背負い込んだらどうなるのかは私が一番よく知っているから。
「いくら魂が同じだろうが夜久さんはクレイヴォルとは違うんです。夜久さんはまだ本当に取り返しのつかない罪は犯してない……クレイヴォルの生き方を後悔しているのなら反面教師に出来るんです。なのにそうやって卑屈にならないでください」
少し前まで前世の罪に押し潰されそうになって卑屈になっていた自分が何を言っているんだろう。
ああでも夜久さんもあの時、自分にそう言う資格がないと言いながら私に言葉を投げかけてくれたのだった。夜久さんもあの時、今の私と同じような気持ちだったのかな。
「第二の人生なんです。最初から幸せになることを諦めたような顔、しないでください」
彼は私や兄さんの恩人だ。出会ってまだ時間は短いけれど、彼自身のことも人として好感を持っている。
でも、彼が浮かべている表情は好きじゃない。
苦笑いだったり自虐的な笑みだったり、悲しそうな微笑みだったり……そんな顔ばかりじゃなくて、もっと陽菜さんが自分らしく生きていることを知った時にしたような顔をして欲しい。
そう思うのに、私の口からは何の言葉も出ない。喉が引きつったように声を出すのを拒んでいるのだ。
彼の拳に添えた自分の手をじっと見つめて身を震わせていると、頭上からふと、ふ、と息が漏れる音がする。
はっとして顔を上げると、そこには目を細めた彼が私を見ていて、
「貴方の気持ちはちゃんと伝わっていますよ……ありがとうございます」
柔和な笑みを浮かべて、そう言った。
「……っ」
初めて見る顔だ。一見安心してしまいそうな優しい笑みだ。
でも、あの笑顔を見てしまったらそれも造り物にしか見えない。
――嘘つき。
その言葉を口から出せるわけがなく、ただ小さく頷くことしか出来なかった。
悔しい。どうして気の利いた言葉が浮かばないどころか、何も言えないんだろう。じわりと視界が歪みそうになるのを目を閉じてやり過ごす。
ああ――もしこれが陽菜さんだったら、彼にピッタリの言葉を投げかけてあげられたのかな。




