81.因縁の相手【♡】
「三縁さんって、すごく綺麗な髪をしてるよね!」
彼と初めて交わした会話は、そんな言葉から始まった。
「えっ? そ、そうかな……?」
「亜麻色っていうの? おにーさんも同じ色してたし、自毛なんだよね?」
「うん……」
私たち兄妹は、生まれつき髪や目の色素が他の人よりも薄かった。
髪は彼が言ったような亜麻色で、目は淡い褐色……榛色で、ヘーゼルアイともいうらしい。両親曰く、どうやら母方の先祖に外国人がいたらしくその人の血が影響しているんじゃないかとのことだった。
今はちゃんと自毛だと理解してもらえているけれど、兄さんが小学校に入ったばかりの頃は大変だったらしい。事あるごとに教師たちから染めてるんじゃないかと疑われ、病院からもらった自毛証明書と日々の授業や宿題等を真面目に取り組んでやっと信用してもらえたとのことだ。おかげで私が入学した時は兄さんの妹だということで何も言われなかった。
でも、この黒髪や焦げ茶色がほとんどの中でこの髪色はさすがに浮いてしまう。当然周りから奇異の目で見られたし、おまけに私は兄さんと比べても人と話すのが得意じゃなかったのもあって、周りが私の髪色に慣れてからも友達と呼べる友達は一人も出来なかった。
そんなままで四年生になり、もう誰も髪の色について何も言わなくなった頃。
四年に上がって初めて同じクラスになった彼にそう言われて、私は思わず目を瞬かせた。
「目もすっごく綺麗だしさあ……いいなあ、俺もそんな色になりたいなあ」
「でも実際この色だと結構大変だよ。今までも黒染めしようか何度も迷ったもの」
「えーっ、勿体無い! 絶対そのままの方がいいよ!」
そう言って私を見る目はキラキラとしていて、嘘偽りは感じられない。
「あ、ありがとう……」
自分で思っていたよりもずっと小さな声になってしまう。
ここまでストレートにこの色がいいんだと言ってくれた人は家族以外にいなかったから、何だかむず痒くて落ち着かなかった。
そして、それから彼――糸杉千景は私によく話しかけてくるようになった。
彼は小学一年生の頃から二年間アメリカにいたらしく、三年に上がった時に地元に帰って来たとのことだった。当時帰国子女が転校してきたと噂になっていたけれど、クラスが違い教室も離れていたから、同じクラスになって話しかけられるまでは何度か遠くから見たことがある程度だった。
顔立ちも整っていて、スポーツも出来て、流暢な英語も話せる。おまけに性格も明るくて、誰とも分け隔てなく接することが出来る。当然、男女問わず人気があったしクラスではいつも中心にいた。
他に友達と呼べる相手がいなかった私にとって、彼は気軽に話しかけてきてくれる数少ない一人だった。
話したところで面白いことは何も言えないのに、私の言葉一つ一つに大きくリアクションしてくれるのは純粋に嬉しかったし、抜群のコミュニケーション能力でどんどん話を盛り上げてくれるのはとても楽しかった。何よりも授業以外の息がしづらいような重苦しい時間が少なくなった。
でも別に私にだけこうだったわけじゃない。彼の友達、他の生徒……私以外の一人でいることが多い生徒も含めて、全員に同じような態度を取っていた。
だから『きっと彼にとって私はただのクラスメイトの一人なのだろう』と。『彼は何とも思っていないだろうけど、いつか友達になれたらいいな』と、そう思っていたのだ。
だから、
「好きです。俺と付き合ってください」
まさか友達をすっとばして恋人になって欲しいと言われるなんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。
その日は冬に差し掛かり始めたある金曜日の放課後のことだった。
いつもなら週末の放課後は休日の予定で会話が盛り上がり、教室に人が残っていることが多い。なのにその日は授業が終わった瞬間に皆さっさと教室を出て行ってしまった。
不思議に思いつつ帰る準備をしていると、どこか緊張した様子の彼に校舎の裏へ呼び出されて、そう告白されたのだ。
「え? ど、どうして私?」
「実はね一目惚れだったんだ」
困惑しつつもそう返せば、さらりと答えられる。
すると背後からヒューヒューと囃し立てるような声がして、思わず振り返ると帰ったはずの半数近くのクラスメートが面白そうに物陰からこちらを見学していた。
それを見て、ひくりと自分の口元が引きつるのを感じた。
もしかして今日彼が私に告白することをクラスメートは皆知っていたの? だから授業が終わった瞬間に皆いなくなってしまったの?
一体いつの間に、自分が知らないうちにクラスでそんな話が広まっていたことが信じられなくて、心臓が嫌な音を立てる。
「おいおい、止めてくれよ。三縁さんが緊張しちゃうじゃないか」
そんな周りの冷やかしに、目の前の彼はまんざらでもないように手を振った後、期待のこもった目で私を見る。そんな彼を見て、思ったのだ。
『あっ、私この人とは合わない』と。
別に彼が嫌いというわけではない。彼との会話は楽しいし、誰にでも親切だしいい人だとは思う。
でも、きっと彼は注目を集めたいタイプだ。もちろんそれが悪いわけじゃない。けれどももし今ここで恋人になることを了承したとして、彼が今後私にどう接してくるのか簡単に予想がついてしまった。
そしてそんな彼がいる学校生活は、友達はいなくとも四年間何だかんだで静かに平穏に過ごしてきた私には、とても耐えられるものじゃないと思ってしまった。
「三縁さんだって俺と一緒にいるの楽しいだろ?」
そう言う彼は自信満々で、まさか私が振ったりしないだろうといったような態度だ。そんな彼を見て、もう一度思ったのだ。
『あっ、私この人とは合わない』と。
ついさっきまでは彼と友達になれたらいいなと思っていたのに、今の彼を見て心の奥底に湧き上がって来たのは、名状し難い嫌悪感だった。
彼のこの一面に気づくのが、距離が近くなり過ぎる前で良かったのかもしれない。
「あの、その……ごめんなさい、無理です」
「ん? 何て? 聞こえないなあ」
意を決して出した私の声は、自分が思っていたよりもずっと小さかった。
だから本当に聞こえていなかったのかもしれないし、惚けているのかは分からないけれど、それでもその返しに私の彼への嫌悪感はさらに大きくなった。
「だから、無理だって言ってるんです!」
次に出た言葉はさっきとは比べ物にならないくらい大きな声で、私は頭を下げて「ごめんなさい!」と続ける。直後、彼の反応も見ないまま私の足は勝手に走り出していた。
自分の告白を受け入れて当たり前だと言いたげな態度の彼に、グサグサと突き刺さってくる周りの好奇の視線。とにかくあの場に居続けることが耐えられなくて、一刻も早く離れてしまいたかった。
「ぎゃはははは! 千景お前振られてやんの!」
背後から彼の友人の大きな笑い声が聞こえてくる。けれども当時の私に後ろの会話に耳を傾ける余裕なんてなかった。
その後私と彼が会話を交わすことはほとんどなくなった。私が意図的に避けていたのもあるかもしれない。告白の後『千景くんが好きだって言うから応援してたのに、あんな振り方して酷い』という理由で彼のことが好きだったらしいクラスの女子たちからいじめを受けたりもしたけれど、今となっては些細なことだ。
中学生に上がってからもたまにアプローチを受けるくらいでほとんど交流はなかったけれど、まさか告白から五年経った後に私への想いを拗らせてストーカーと化すなんて誰が思っただろうか。
どこへ行くにも私の後ろをつけ回り、教えてもいないのにスマホにはメッセージが届く。ブロックすれば今度は家に毎日のように手紙が届く。そして、それを隠そうともせず堂々と行う。当時私をいじめていた女子たちですらストーカー化した彼にはドン引きしていて、『あんなやつを好きだった私たちが馬鹿だった』と私に謝罪してくるほどだった。
――八千代へ。あの日からもう五年が経ったんだね。俺は心が広いし気も長いから、八千代が素直になって正直な気持ちを俺に伝えてくれるまで待ってたんだ。でも、今はこの方法は正しくなかったのかもしれないって思ってる。あの時は八千代も冷静じゃなかったから、話し合いも出来ずに終わってしまったけど、ちゃんと冷静になれてたら、今きっと二人で幸せになれてただろ? 八千代だって、そう思うでしょ?
八千代、今からでも遅くないよ。すぐに一言、あの時俺を振ったことを謝ってください。そうしたら、すぐに俺は許してあげる。お互い素直になって、一緒に幸せになろう。その方が、八千代にとっても幸せに決まってる。
そういえば今日、知らない男の人と喋ってたよね? 俺とは話してくれないのに、そいつとは普通に話せるなんて妬いちゃうなあ。そいつよりも俺の方が八千代のことずっとよく知ってるのに。例えば……、
ぐしゃり。
今日も届いた手紙をぐしゃぐしゃと丸くする。
ああ、気持ち悪い。気持ち悪い。
毎日毎日私を付け回って飽きもせずこんな長文の手紙を送ってきて、ちゃんと勉強してるんだろうか。彼も受験生のはずなんだけど。私はといえばこんなことをされて勉強に集中なんて出来るはずもなく、受験間近なのに成績は下がっていく一方だった。
それに今日話した男の人だって、たまたま落としたハンカチを拾ってくれただけの人だ。あのたった一言二言のやり取りで焼きもちを焼くなんておかし過ぎる。まずどこから見てたんだろう、あの人。
ふーっと気持ちを落ち着かせるように深く息を吐いて、丸めた手紙をゆっくりと開いて元に戻す。兄さんに警察に突き出す時の証拠として取っておこうと言われているからだ。
手紙を証拠ボックスに入れると今度は制服のポケットからボイスレコーダーを取り出す。再生ボタンを押すと、今日帰宅途中に言われた会話が流れ出した。
――もう付け回るのは止めて! 迷惑してるんです!
――どうして逃げるんだい? 俺には君しかいないんだよ。
――知りません! どうして私しかいないなんていうんですか!? 貴方には友達だって沢山いるでしょう!?
――あんな奴ら知らないよ。ほら早く素直になってよ……
停止ボタンを押す。安物のボイスレコーダーだったから不安だったけれど、はっきりと声は録音されていた。
最初は黙っていようと思ったけれど、家に毎日手紙が届くようになってからは隠し切れないと思い家族に相談した。両親も兄さんもすぐに動いてくれて、家族の存在がここまで心強いと思ったことはない。
用意してくれた監視カメラやボイスレコーダーのおかげで順調に証拠は集まっている。彼も隠そうともしていないから、証言者も探せばいくらでも出てくるだろう。彼に我慢するのも、あともう少しだ。
けれども、結局努力虚しく十分な証拠を揃えて出した被害届は揉み消されてしまった。
彼が帰国子女である時点で察しておくべきだったのだけれど、彼はこの辺りでもかなり力を持った家の子どもだったらしい。権力と金の力であっという間に無かったことにされてしまったのだ。
けれども法律的な罰や当人たちからの謝罪は全くなかった代わりに、この一件は地元中に広まることになった。彼の私への行いは学校の生徒のほとんどが見ていたし、生徒以外の目撃者も沢山いたのだから当然である。悪い噂ばかりは金や権力でどうにか出来るものではないのだ。
それに伴い体裁を気にする彼の家族は校区から離れた場所へ引っ越していき、そして彼には私への接触禁止令が出されたのだった。
それが、約半年前の出来事である。
◆
記憶の通り部屋を出てから左に真っ直ぐ進むと、ホテルや式場のエントランスホールのような大きな部屋に辿り着いた。
モザイク柄の洒落た壁に床は大理石のタイルで敷き詰められ、天井からは豪華なシャンデリアがぶら下がっている。ホールの中心には西洋風の白い柱が二列になって立ち並び、その間にレッドカーペットが敷かれて、外へ続く階段まで伸びていた。
そして階段の一番上、外へ出る扉の前。
待ち構えていたように彼――糸杉千景は立っていた。
「八千代? どうしてここに……」
世界で一番聞きたくなかった声に、体が強張る。
仮面をしていても私だと分かるらしい。相手は呆気に取られたような顔で私の名前を呼んだ。
明るい赤茶色の髪にアンバーの瞳。私の記憶では彼は髪も目も焦げ茶だったはずだ。染髪したにしてはあまりにも自然で、やはり彼も転生者なのだと改めて納得せざるを得なかった。
トラウマで震えそうになる体に力を入れ、仮面を外す。私の顔を見た途端に歓喜で恍惚とした表情になった相手をギッと睨みつけた。
「よくも、兄さんを」
「そんな顔するなよ、どんな顔だって美しいけど皺になっちゃうだろ?」
私を見て赤く染まった頬に両手を当てて、ほう、と法悦の息を吐く姿にぞわりと鳥肌が立つ。
そのまま彼は私を舐め回すように観察すると、少しだけ眉を下げて残念そうな顔をした。
「あーあ、綺麗な髪だったのに短く切っちゃって」
「……」
「まあ、また伸びるのを待てばいいかあ」
「伸ばす予定は、もうないよ。どこかの誰かさんのおかげで」
かつて腰まであった髪は高校に入った時にバッサリと切り落し、今は肩すれすれくらいの長さだ。ストーカーされていた時に彼に髪にキスされたことがあり、いくら洗っても気持ち悪さが取れなかったのだ。彼に言った通り、今後また伸ばそうとは思わない。この人の好みの髪型ってだけで嫌だ。
後は心機一転したかったこともある。六天高校はあまりにも派手な髪形でなければ染髪自体は禁止されていないから、本当は髪も染めたかったのだけれど……兄さんに泣きそうな顔で「その色まで嫌いにならないで欲しい」と言われてそのままでいる。
「今からお迎えに行こうと思ってたのに、八千代の方から来てくれるなんて嬉しいなあ! やっと素直になって、俺のものになってくれるのかな!」
今の私の態度を見ても微塵も嫌われていないと思っていることにぞっとする。そのままにやついた顔で階段を下り、両手を広げてこちらへ歩いてきた。
ストーカーされていた頃がフラッシュバックして思わず後ずさりしてしまう。
ああ、やはり私はまだこの人の亡霊に取り憑かれているのか。
駄目だ、逃げるな。変わるんだ。前に進むんだ。
勇気を振り絞って一歩後ろに下げた足を再び前に出そうとした時、それよりも先に別の影が私の前に出た。その大きな背中に隠れて糸杉千景は見えなくなる。
「おい、何だよお前」
「それはこちらの台詞です。どう見ても嫌がっているでしょう」
邪魔をされ途端に不機嫌になる糸杉千景。対して私を彼から隠すように立った夜久さんの声は冷静だった。
「まず何でお前が八千代と一緒にいるんだよ。千寿先輩はどうした?」
「知りませんよ、三縁殿といるのは単なる利害の一致です」
構わず噛みついてくる糸杉千景に夜久さんはそうバッサリと切り捨てる。
「今回の件について、貴方には聞きたいことが山ほどあります。
……俺の前世をどうやって知った? なぜ、弟を人質に取ってまで俺を明迅学園に入れようとしている?」
顔は見えない。けれども拳を握りしめて続けた彼の背中からは、隠し切れない憤怒が感じられた。
そんな彼の威圧に押されたのか「ははっ」と糸杉千景から引きつった声が漏れる。どうやら夜久さんの怒りは、少しだけ彼を正気に戻したようだった。
「……転生者にも色んなやつがいるんだよ。一目で相手が転生者なのか、そうだとして前世が誰なのか分かっちゃうやつとかね」
糸杉千景の言葉から、すぐに考える。
サーシス王国側から転生してきている転生者のほとんどは、あの時魔晶族が自爆で巻き込んだ相手のはずだ。その中にそんなことが出来る人物はいただろうか。
……分からない。
無理矢理出来そうな者を挙げるならば、ルーチェ教の聖女であるアリーチェ・エレナ・ケルニアくらいか。彼女については今世で鬼崎七生という名前になっていることと、樫山さんにかけた呪いのせいで大変なことになっていることくらいしか知らないけど。
「それに執拗にあんたを明迅に入れたがってるのは俺じゃないし……でも俺が言うのもなんですけど、あんなとこ入らない方がいいですよお。頭おかしいのしかいないんで」
この話が本当だとするならば、糸杉千景は夜久さんを明迅学園に入れることにあまり興味はないらしい。入れたいのは彼個人ではなく糸杉家の意向ということだろうか? それとも仄めかされている彼の協力者?
しかも彼は明迅学園に入らない方がいいとか言い出す始末。頭がおかしいのはどちらだと言いたいところだけれど、そう話す彼の声はどこか真面目な声色だった。明迅学園で関わりがあるのは樫山さんと陽菜さんくらいだけれど、別に二人の頭がおかしいなんて思わない。
この言葉には夜久さんも困惑したのか「はあ……」と呆けた声を出す。
しかし、次に糸杉千景は「ははっ」と今度はおかしそうに笑ってとんでもないことを言い出した。
「例えばね、今回この計画を考案したやつは、千寿組を自由に動かすために俺に『糸杉家の当主の脳を機械化して自由に操れるようにしろ』って言ってきたんだよ!」
ぎょっと目を見開いた私たちに、糸杉千景の狂った笑い声が響く。
「アハハハハ! 仮にも自分の祖父なのにイカれてるよねえ! ま、糸杉家の権力を好きに使えるのは俺にとっても悪くなかったし喜んでそうしてあげたんだけどね!」
脳を機械化って……まさか前世の技術を今世に流用したということだろうか。樫山さん曰くこの人の前世はディルク・バーンズという科学者だったらしいから、出来てもおかしくはない。マリー・カレンデュラの脳をいじって感情を消したように。
でもその技術を今の世界で使うのは倫理的に問題しかない。にも関わらずこの人は躊躇いなくそれをしたのか。自分の親族に。
……狂っている。
ごくりと唾を飲みこむ。
以前よりもさらにおかしくなっている彼に恐怖を覚えると同時に、ずっと腑に落ちずもやもやしていたものが一気に晴れた気がした。
「機械化で自由に操れるようにって、まさか、最近糸杉家と千寿組がおかしかったのは……」
――最近、組も……あの一族もおかしいんですのよ。
――確かに以前から糸杉家と千寿組は繋がっていましたわ。両方、一般的にはグレーと言われるような汚れた仕事も沢山やってましたし、不都合なことは権力で抑え込む所もありましたわ……でも、少なくとも何の関係もない一般人に手を出したりなんてしなかった。お父様も言いなりになって……皆、一体どうしてしまったんですの……。
陽菜さんが感じていた糸杉家と千寿組の変化。
糸杉千景は確かに糸杉一族の一員ではあるけれども、彼自身はただの高校生でしかも分家の出身だ。独断で千寿組を動かせる力なんて持っていない。千寿組を動かすには少なくとも本家の人間、もっと言えば糸杉家の『本当に力を持っている人物』の協力が必要だ。
けれども私へのストーカーの一件といい、あの一族は体裁を気にするところがある。
何の関係もない一般人にやくざを使って無暗に手を出したりしていれば、当然噂が広がって自分たちの首を絞めることになりかねない。権力の行使には責任が伴うことは権力を持っている者自身がよく分かっているだろう。
それにも関わらず、最近の糸杉家があまりにも好き勝手にしていたのは――
「おかしいなんて心外だなあ。ただあの爺さんの固い頭のネジを緩めて、俺らの要求を柔軟に受け入れてくれるようにしただけじゃん。 本当、前世の記憶を思い出せて良かった!」
私の辿り着いた答えを、彼はそのまま言ってくれた。
『本当に力を持っている人物』である糸杉家当主の協力を、機械化して傀儡にすることで得ていたから、今回のような誘拐事件を起こせたんだ。そこには当主自身の意思なんてない。もしかしたら千寿組の組長である陽菜さんのお父さんも……。
恐ろしい。
一体なぜ私を手に入れるために、夜久さんを明迅学園に入れるために、ここまでしてしまえるのか。
もう一つ確認したいことがあるため、再び私は口を開く。
「自分の祖父……ということは、今回の首謀者は糸杉家の当主の孫ってこと? 貴方はその人に協力しているの?」
「そういうことになるかな。三縁望を誘拐すれば八千代も手に入ると思って乗っからせてもらうことにしたんだよね」
今回の黒幕は糸杉家の当主の孫、か。多分その人も転生者なんだろう。
けれども続けられた彼の言葉に違和感を覚え、思わず言い返した。
「八千代『も』……? どういうこと? 貴方の目的は私じゃないの?」
「本来、三縁望をダシにここへ呼ぶつもりだったのは千寿先輩さ。でもせっかく三縁望を誘拐するんだからさ、ついでに八千代も手に入れたいって思ったんだよねえ! なのに八千代の方から来てくれてこっちとしてはラッキーなんだけど、どうしてここが分かったんだい?」
兄さんを誘拐したのは私じゃなくて陽菜さんをおびき寄せるためだった……?
確か陽菜さんに兄さんの居場所を教えたのはこの人だったっけ。話を聞いた時は、どうして企みを台無しにしてしまうかもしれない陽菜さんに話したのか疑問だったけれど、最初から陽菜さん狙いであったのなら納得がいく。
陽菜さんにとっても、想いを寄せる相手である兄さんは十分人質に出来るからだ。
さらに考える。
――あの人、話をした時に『どうしてお前なんかに話さなきゃいけないんだ』って愚痴ってましたの。
――はあ? それってどういう、
――恐らくですけれど――あの人本当は、わたくしにこの事を言いたくなかったんじゃないかしら。
蓮水邸での陽菜さんの発言。
そして今の彼の『乗っからせてもらうことにした』という発言。
これらから導き出せるのは――
恐らく今回の黒幕である糸杉家当主の孫は、兄さんを人質に陽菜さんを釣りたかった。そして糸杉千景は、兄さんを人質に私を釣りたかった……といったところか。
でもそうだとして、まだ分からないことがある。
「紫藤薫子から、千寿陽菜が私たちと接触していることは聞いてないの?」
「は? 何でそこで紫藤先輩が出てくるんだ?」
「……今日の午後、明迅学園で何が起きたのか知ってる?」
「知らないよ、今日は午後からサボってずっとここで準備してたからね。誰からも連絡なかったし」
「……」
彼は今日の昼の出来事を何も知らなかったらしい。しかも転生者の誰からも、何より黒幕からも情報共有されていなかったようだ。
そもそもの発端は自分が陽菜さんに兄さんの誘拐を話したことだというのに、何とも皮肉な話である。
「ま、とにかく八千代は自分から俺の元へ来てくれたんだ。さ、早くこっちにおいで! 俺と一緒に永遠になろうよ!」
「ふざけたこと言わないで! 兄さんを誘拐なんてしなければ、もう二度と会いたくなかった……!」
この期に及んでまだそんなことを言うのか。正直気持ち悪いし、私はここまで拒絶してるのにどうして全部無視されるのだろう。
「……糸杉千景といいましたね」
一触即発の空気の中、私たちのやりとりをずっと黙って聞いていた夜久さんが口を開いた。
「何だよ」
「貴方は本当に三縁殿のことが好きなのですか?」
夜久さんが少しだけ横にずれたため、相手の顔が見えるようになった。
糸杉千景は、夜久さんの問いに不服そうな表情を浮かべている。
「何でお前にそんなこと聞かれなきゃいけないんだよ、当たり前だろ!? お前は知らないだろうな、俺がルミベルナを……そして八千代を永遠にするためにどれだけ心を砕いてきたのか!!」
「それです」
感情的にそう告げる相手に、夜久さんは間髪を入れずに言い返す。
「ずっと気になっていたのですが、三縁殿を『物』として見ていませんか? 俺はてっきり貴方が三縁殿と恋愛関係になりたいのだと思っていましたが……今の会話からは、貴方が三縁殿のことを同じ『人間』として見ているようには思えません」
夜久さんの言葉に心臓が嫌な音を立て、冷たい汗が背中を伝っていく。
そう言われれば、以前彼に告白された時やストーカーされていた時、彼から出てくる言葉は『一緒に幸せになろう』とか『俺には君しかいない』という、恋人になることを求める言葉だった。
なのに今は『手に入れたい』、『俺のものになって』……まるで私を会話のできる人形とでも思っているみたいだ。
でも、それ以上に引っかかる嫌な言葉がある。
糸杉千景を睨みつけて、夜久さんは低い声をさらに低くして続けた。
「答えなさい。『三縁殿を永遠にする』とは、どういう意味だ」




