80.物が無ければ影ささず【♡】
一本道の通路を歩いて行くと、床や壁が灰色のコンクリートから白い磁器質のものへと変化する。
そしてその一番奥は行き止まりになっており、ぽつんと白いドアがあった。いかにもといったようにある怪しいドアを、まじまじと観察する。
「罠は仕掛けられてはいないようですが……」
そう言って夜久さんはドアを――正確にはその先を睨みつけた。
やはり彼も気がついたようだ。
「この先、人の気配がありますね。しかも複数人……私たちが入ってくるのを待ってるんでしょうか」
「恐らくはそうでしょうね」
ドアの向こうに漏れないよう声をひそめて話す。
「数は……」
「糸杉千景を除いて……後は外から仲間を呼ばれていなければ、最大で十一人いるはずです」
私がそう答えると、相手は少しだけ驚いたようにこちらを見た。さっき記憶を覗いた時にこの施設にいる人数も調べていたことを伝えると、ほお、と少しだけ感嘆の声を上げる。
「記憶から情報を探るというのは、相手の頭に触れれば一瞬で出来るのですか?」
「兄さんの関する記憶だけをピックアップすれば触れた瞬間に分かりますよ。この製鉄所の内部構造とか、もっと詳しく知ろうと思ったら大体十秒から三十秒くらいかかりますけど……」
「たった三十秒で……!? 潜入にはもってこいですね」
「それをちゃんと覚えられなくちゃ意味ないんですけどね、あはは」
私の異能は潜入向きではあると思うけれど、前世じゃ自らどこかに忍び込むなんてまずしなかった。洗脳した関係者やアイリーンの蜘蛛にやらせた方が危険も少ないし、ずっと効率的だったからだ。
それに、一気に流れ込んでくる大量の情報を全て記憶出来るほど私の脳は出来ていない。一度覗いた記憶は全て自分の中に残って忘れることはない……なんて都合の良い力ではないのだ。
改めてドアの向こうの気配に集中する。
はっきりとは分からないけれど十人前後は確実にいる。でも、十五人以上いるようには思えない。
仮面を被り、ふーっと手のひらに息を吹きかけて擦り合わせた。
「でも、何人いても関係ないです。さっきみたいにこっち側を増やせば……」
罠の場所を探すことといい、今まで散々助けられてきたけれどここからは私の仕事だ。
しかし意気込む私に相手は小さく首を横に振った。
「いえ、洗脳はもう必要ありません」
「え?」
「組員の拘束は俺がやります。貴方はお兄さんたちの居場所を探るのと、俺たちの記憶の消去……後は意識を奪うことに専念してください」
ぽかんとする私に夜久さんは続ける。
「あの力はあまり使いたくはないのでしょう」
「……!」
視線をわずかに逸らして言われた言葉に、私は大きく目を見開いた。
そして、思う。ここに入ってからの私の行動を影の中から全部見ていたのなら――意味もなく謝っていた、あの偽善じみた行動だって見ていたはずだ。
「あー……」
気がついてしまった瞬間強烈な羞恥心に襲われたけれど、今は自己嫌悪している時じゃないと無理矢理雑念を振り払った。
さっきは一人だったから洗脳を使うこともやむを得なかったけれど、今回は違う。役割を分担するという彼の提案に反論する所はどこにもない。
気を遣わせてしまったなと思いつつ、その申し出をありがたく受けることにする。
「……分かりました。それで行きましょう」
相手が小さく頷いたのを見て、私はドアに右手を向ける。
「もう気づかれているのなら、遠慮は要りませんよね。ドアを吹き飛ばしたら、一気に突入します」
「ええ」
きっと相手は入ってきた瞬間に取り押さえられるよう……もしくは殺せるように準備しているだろう。さっき銃も持っていたし、ドアを開けている一瞬の間も命取りだ。
私の手から放たれた光弾がバァンと激しい音と立てて扉を弾き飛ばし、すぐに部屋に足を踏み入れる。
その瞬間――足元からカチッと高い音が鳴った。
「――!」
嫌な予感を感じ全方位を覆うドーム型のバリアを張ったのと、ボンともバンとも呼べる爆音が響き渡ったのは同時だった。
視界が煙に覆われて、周りが見えなくなる。
「いきなり爆弾ですか……!」
夜久さんの声に反応したのか今度は銃弾が飛んで来たため、それもバリアで弾き飛ばした。
一発だけならまだしも数えきれないほどの数……きっとマシンガンあたりを複数人が使っているのだろう、腕にかかる衝撃が半端じゃない。
でもたった二人相手にここまでするなんて――遠慮していないのは相手の方も同じみたいだ。
少しずつ煙が晴れていき、飛んで来る銃弾の数も減っていく。
銃声が鳴り止んだ時には爆発で舞い上がった煙も既に晴れており、この部屋の全貌を見渡すことが出来た。
そして視界の先には、スーツにサングラスのいかにもといった格好をした男が一、二、三……十一人。残りの全員が勢揃いしている。
この部屋はどこかの倉庫なのか、何かが入ったコンテナが詰められた棚が並んでいる。それでも中は爆弾を仕掛けても自分たちが巻き添えを食らわない距離を取れる程度には広い。
爆発に巻き込んで銃弾まで打ち込んだのに、私たちがぴんぴんしているのが信じられなかったのだろう。相手側は皆、顔を引きつらせていた。
少なくとももう銃は持っていなさそうだと思い、バリアを解く。
そして早速行動しようと一歩足を前に踏み出そうとした時、突然前方から野太い叫び声が響いた。
「あ、あいつはァ!?」
思わず足を止める。見ると組員の一人が腰を抜かしてここからでも分かるくらいにガタガタと震えあがっていた。酷く、怯えているみたいだ。
「おい、どうした!?」
困惑しているのは私だけじゃなく相手側もだったようで、腰を抜かした組員の隣にいた別の組員が慌てて声をかける。
聞こえているのかいないのか、怯えた組員は腰を抜かしたままずりずりと私たちから後ずさった。
「忘れもしねえぞ! こないだあいつの家に行った時、俺以外全員あいつに半殺しにされたんだ!」
そう叫んでガクガクと震える指でこちらを――夜久さんを指差した。
「え……?」
思わず隣にいる彼を見上げる。彼は何とも形容し難い表情で相手をじっと見ていた。
そういえば、最初に既に顔は割れているって言っていたような。以前から『明迅学園に入れ』と絡まれていたのなら一部の組員と面識があってもおかしくないけれど……は、半殺し……?
他の組員たちも同じ言葉に反応したのか、訳が分からないといったように怯えた組員へ詰め寄っている。
「はあ!? どういうことだよ!?」
「あいつの母親を人質に取ったら、あいつが襲って来て、き、気がついたら血の海で……! とにかくあいつはやべえんだよッ!」
ち、血の海……? いやいや、そんなわけ……。
地下水道で話した時、糸杉家にカチコミに行こうとしていると勘違いした私に「そんな物騒なことするわけない」って言ってたし……今までの彼からもそんな暴力的なことをするイメージは全く湧かない。
「何だと!? オレらはただ侵入者を『どんな手を使ってでも』排除しろとしか聞いてないぞ!?」
「お、俺だって、あっ、あいつがいるって知ってればっ『どんな手を使ってでも』逃げ出してたさ!」
相手は精神的ショックを受けたのか過呼吸になっており肩が大きく上下に動いている。相手の怯えようから演技をしているようには見えない。加えて自分の陣営を混乱に巻き込む理由もない。一体どういうことなんだろう……?
「だ、駄目だ、あいつはバケモンだ、殺せるわけがねえ! 早く逃げ――」
相手はガクガクと体を震わせながらも、傍の棚を支えにしながらどうにか立ち上がる。
そして仲間に向かってそう叫びながら逃げようとした、その時だった。
「逃げ場などありませんよ」
吐き捨てるように呟かれた言葉と共に、組員全員が黒に塗りつぶされた。
「うわあっ!?」
足元の影から飛び出した鎖が全身に巻き付き、あっという間に全員を縛り上げる。相手はどうにかして鎖を緩めようともがいているけれど、びくともしないようだ。
「三縁殿、今のうちに」
「……っ!」
ピクリとも動けない相手をただ呆然と見ていた私に夜久さんが声をかける。
その声は、いつもの落ち着いた語り掛けるような口調に戻っていた。
「は、はい……!」
はっとして、急いで組員の元へと向かう。
頭に手を当てて、一人一人記憶を覗かせてもらう。何もないと分かれば即座に私たちの記憶を消して気絶させたので、見ていた残りの組員は殺されたと思ったらしい。激しく抵抗するけれど、夜久さんが鎖の締める力を強くするとすぐに大人しくなった。
そして、七人目の組員の頭に手を置いた時、
「――! 分かりました!」
「本当ですか!?」
即座に相手の意識を奪い、さらに詳しく情報を読み込む。
「この部屋を出てから左にまっすぐ進んで……大きなホールを抜けて外に出たら、その少し先に火薬庫があるはずです。その中に兄さんと、後小学生くらいの男の子が」
「ほぼ間違いなく、弟です」
複雑な経路じゃなくて良かった。
それに、この火薬庫は外にあるみたいだけれど……立地と造りが特殊でこの地下を通らないと行けないように出来ているようだ。地下に潜ったのは無駄足ではなかったらしい。火薬庫までの道のりに特に罠もない。
居場所と罠がないことが分かれば十分なので、残った四人の記憶は覗かず、私たちに関する記憶と意識だけを奪った。
そして怯えて逃げようとしていた組員の番になった時、ふとどうしてあんなに夜久さんを怖がっていたのか気になったけれど――自分の記憶を勝手に覗かれるのも嫌だろうなと思い、意図的に夜久さんに関する記憶をシャットアウトする。お母さんを人質に取られていたみたいだし、うっかり前世の力で反撃してしまったとか……きっとそんなところだろう。
全員の意識を奪い、記憶消去も終わらせる。
もう鎖を解いても大丈夫だと伝えようとした時、組員の一人が「うぐ……」と苦しそうに呻く声が聞こえた。
「ん?」
呻いた組員の身体を見ると、さっきよりも鎖が食い込んでいて、見るからに苦しそうだ。
「ちょ、ちょっときつく締めすぎじゃないですか……!?」
「! え、ええ……そうですね」
抵抗しているのなら分かるけれど、意識を無くした相手まで締め上げる必要はないはずだ。そう言って慌てて夜久さんを向くと、彼ははっとしたように拘束を解いた。鎖が消えて支えを失った組員たちは次々に床に倒れていく。
「申し訳ありません、少し加減が難しくて。居場所も分かったことですし、急いで向かいましょう」
「……?」
少し前に中庭で生徒たちを縛り上げていた時はちゃんと加減出来てるように見えたけどなあ。うーん、あの時は相手が転生者だったから多少力を入れても大丈夫だったとか? 一般人に使うのは難しいのかな。
少しだけ困惑する私を他所に彼は先に歩き出してしまったものだから、私も小走りで追いかける。
小走りになってしまうのは、私と彼では歩幅が違い過ぎるから――あれ? さっきまでは小走りにならなくても普通についていけたのに。もしかして、今までずっと歩幅を合わせてくれていたのかな。……それなのに、どうして今は先に行ってしまうんだろう。
心の中で芽生えた不安に気がつかない振りをして、先を急ぐ。
兄さんが捕まっている場所まで、後少しだ。