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三縁望の奪還 ~同時多発転生に巻き込まれ(に行き)ました~  作者: ひねもす
Chapter.5 交錯する思惑
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76.三分間【♡】

 ようやく涙が止まると、何だかとても胸の辺りがすっきりとした。冷たい空気を大きく吸い込んでゆっくりと吐き出すと、気分まで清々しくなってくるものだから不思議だ。

 もう、大丈夫。歩ける。

 そう自分の中で決心がついたので、顔を後ろに向けて声をかけた。


「もう、大丈夫です」

「本当に?」

「はい。もう十分過ぎるくらい泣きましたから……本当に、ありがとうございました」


 ゆっくりと立ち上がり、ずっと背中を叩いてくれていた夜久さんに頭を下げる。


「ハンカチも、ありがとうございます。ちゃんと洗って返しますね」


 貸してもらったハンカチは涙で濡れてぐしょぐしょになってしまった。使ってくれと言われたとはいえ、人の物をここまで濡らしてしまってかなり申し訳ない。

 そんなハンカチをこれまた借り物の服に接触させるのは憚られたけれど、このまま手に持ったままでいるわけにもいかず、心の中で侑里先輩に謝りながらジャージのポケットに入れた。


「それでは、行きましょうか。……それと」


 夜久さんは私を心配そうに見ていたけれど、私が本当に大丈夫なのが分かったのか、小さく頷いて立ち上がると、

 

「さっき俺はああ言いましたが、きっと同じことを先輩たちも思っているはずですよ。昔も今も……貴方は決して一人ではないのですから、それを忘れないでくださいね」

「……そうですね」


 私がやったことを知ってもなお、やり直したいと言ってくれた蓮水先輩。

 前世とは全く違う姿なのに、それでも今の自分を尊重して仲良くしてくれる侑里先輩。


 そして、無条件に私の味方になって体を張って守ってくれる兄さん。


 私は決して一人ではないと分かっていたのに、それを忘れそうになっていた。本当に恥ずかしいし申し訳ない。

 帰ったら改めてお礼を言おう。そして私も……皆に、何かしよう。

 正直まだ何も思いつかないけれど、このままじゃいけないと思うから。


 夜久さんから差し出された仮面を受け取る。

 それを見つめ――少し迷って、付けずに行くことにした。

 今のところ千寿組の組員が出てくる様子はないし、マントがあれば監視カメラに映るのは防げる。


 侑里先輩は仮面をしない場合も想定して作っていたのか、マントには背中の部分に仮面を引っかけるフックが付いていた。そのフックに仮面を引っかけると、


「お待たせしました」


 ――歩き出す。


 肝心なことを忘れたまま進もうとした時とは違う、全てを思い出した……今度こそ、三縁八千代の新しい一歩だ。

 やったことは取り消せないし、心はまだまだ弱いからきっとこれから何度も悩むんだろうけど……それでも、今度は一人じゃないんだ。正しくは前世でも一人じゃなかったけれど、今度は絶対に切り捨てたりなんかしない。


 さっきと同じように、夜久さんが先を進みその一歩後ろを私がついていく。

 その大きな背中を見ながら、ふと思う。


 今までも散々助けられてきたのに、さらに借りが出来てしまった。

 ここまで大きくなってしまった恩を、果たして、私は彼に返せるのだろうか。







 その後も地下水道の出口を目指し、さらに先に向かって進む。

 罠をかいくぐり、入り組んだ道を通り抜け――

 

 ――そして遂に、金属の長い梯子を上った先に……巨大な金属の扉が現れた。



「……いかにも、出口って感じですね」



 私の呟きに夜久さんも頷く。


「ええ、出口に間違いはなさそうですが……どうやって開けるのか」


 扉に取っ手はなく、いわゆる自動ドアの造りになっている。しかし近づいても何も起きず、罠がないのを確認して手で開こうとしても、相当固く閉ざされているのかびくともしなかった。

 きっとボタンや遠隔操作で開けるものなんだろう。けれどもそれらしき装置はどこにも見当たらない。ここはもう、強引に壊すしか……ここまで頑丈な扉、壊すためには相当なエネルギーが要りそうだけれど。


 何か仕掛けはないか扉の周辺を調べ続けている夜久さんに、そう提案しようとした時だった。



『やあやあ、よくここまで辿り着きましたね』



「っ!?」

「……!?」


 突如、空間内に響いた声。

 その忘れもしない声に、全身にぞわっと鳥肌が立つ。


「この、声っ……!」

「知っているのですか?」


 一体この声はどこからしているのかと見回せば、扉の少し上に監視カメラとスピーカーがあった。……おかしい、カメラに私たちの姿は映らないはずなのにどうして気づかれているんだろう。

 同じようにカメラとスピーカーを見つけた夜久さんが、それらを睨むように見ながら私に訊ねてくる。


「糸杉千景……兄さんを攫った人です」

「それは本当ですか……!?」


 声が震えそうになるのを押さえながら答えると、彼は驚きの声を上げた。それに小さく頷くと、震えそうになる手をもう片方の手で無理矢理抑えつける。


 彼がいるかもしれないことは、ここに突入する前から分かっていたことだ。覚悟だって出来ていたつもりだった。

 なのに実際に声を聞くだけで、どうして勝手に体が震えてしまうんだろう。これが、トラウマというものなのか。

 兄さんを攫った元凶がいるのに、何を怯えているの。今の私には彼の手を物理的に振り払えるだけの力もある。気を強く、強く持たなくちゃ。


『罠の場所は知っててもここまで来るの大変だったでしょ? ご苦労、ご苦労』


 そんな私を他所に、スピーカーからは呑気な声が聞こえて来る。

 けれどもその台詞や言い方に違和感を感じた。


 過去の経験からして、彼は私が絡んだ途端に落ち着きがなくなるというか……誰が見ても「あっ、この人ヤバい」って察するくらいには豹変する。

 なのに私を前にしているのに、今の彼の話し方にはそれがない。まず敬語ではなかったし……とても落ち着いていて、まるでストーカーになる前の彼のようだった。


 ……まさか。

 どうしてカメラに映ってないのに分かるんだろうと思っていたけれど、もしかして。


 その予測に答えるように、スピーカーから再び彼の声が響いた。



『ちなみに俺先輩たちがそこにいるのは分かるんですけど、姿とか声とかは分かんないんですよね! 本当厄介だよなあ、どういう仕組みなんだろ……あっ、だから俺と会話とかしようとしても無理なんで!』



 確かに、前世に関わることはカメラ等のメディアには映らない。彼も前世関係者であるのなら、もちろんそのことは知っているはずだ。

 でも逆に考えるのなら――沢山あるカメラの中で、時折不自然に映らなくなるものがあれば、そこに前世の力を持った者がいるということになる。


 ああ、ならマントを付けていてもあまり意味はなかったんじゃないか――と気落ちしそうになったけれど、今の彼の言葉から、決してそうでもなかったんだなと思えた。


「? 『先輩たち』……?」


 夜久さんも気がついたのか、困惑したように糸杉千景の言葉の一部を繰り返している。


「確か、貴方と彼は同学年だったはずですよね」

「……はい」


 兄さんが彼に攫われたことを説明した時に、その因縁も簡単に説明している。この話は地元でも有名だったのもあって、すぐに理解した彼にとても同情のこもった目を向けられてしまった。


 それはそうとして、私を相手にしているのにどうしてここまで普通なのか。

 同級生の私を、どうして先輩などと呼んでいるのか。



「彼、貴方を誰かと勘違いしていませんか?」

「……」



 つまりは、そういうことなのだろう。思い出すのは、陽菜さんの言葉だ。


 ――誰かの指示なのか、他の理由があるのかは知りませんけれど……はっきりと分かることは、相手側はわたくしが動く前提で準備を整えているということですわ。


 彼は陽菜さんに兄さんがここにいることを伝えていた。だから私はここに来れたのだ。


 多分……カメラで姿が見れない彼は、今ここに私ではなく陽菜さんがいるのだと勘違いしている。


 でもどうしてだろう。紫藤薫子から陽菜さんと私が接触していることは聞いているはずなのに。まさか私なんかがこんな場所まで来るわけなんかないとでも思っているのだろうか。


 ……そういえば、陽菜さんのことまだ彼に言えてなかった。


 ちらりと彼を見ると、訝し気な表情のまま何やら考え込んでいた。


「カメラで見えていないのに、なぜ俺の存在までバレて……」


 そう誰に言うわけでもなくブツブツと呟いている。

 糸杉千景は『先輩たち』と言っていたから、ここにいるのが一人だけじゃないことも分かっていることになる。


 これも分からない。もし監視カメラが同時に違う二か所でおかしくなっていれば、二人侵入していることは分かるだろうけど……ここに侵入した時から私と彼はずっと一緒にいたのだ。

 一人と二人で見え方が違うとか? ……今は考えてもしょうがないか。



『そうそう、今から大事なことをいいますね!』

「……!」



 その言葉に、私たちは勢いよく顔を上げてスピーカーを見る。


『今先輩たちがいる場所なんですけど……何と! これから三分後に海の中に沈んじゃいます!』

「えっ」

「……は?」


『そういうわけなんで、どうにかして脱出してくださいねっ!』


 彼の言葉に私も夜久さんも、呆けた声を出してしまった。

 

 はっとして、スピーカーよりもさらに上を見る。

 今いる場所は梯子を上った所にある、この地下水道でもかなり高い場所ではあるけれども……天井はさらに高い位置にある。天井の近くには巨大な排水口がいくつも並んでいた。

 最初見た時、一体どうしてあんなものがあるんだろうと思っていたけれど……まさか、あの排水口の使用用途は、


 さあっと血の気が引いていく私を他所に、スピーカーからは楽しそうな声が聞こえて来る。


『すみませんねえ、先輩に恨みは全くないんですけどこうしろって言われてるんですよ! ま、クレイヴォルの転生者も一緒にいるし大丈夫でしょ!』

「何……!?」


 突如彼の口から発せられた『クレイヴォル』という単語に、夜久さんが大きく目を見開いた。

 弟を誘拐しているから侵入者が夜久さんであることはまだ予想出来るとして、彼がクレイヴォルであったことまで知っているのはどうしてなんだろう。彼が誰にでも自分の素性をポンポン話すとは考えにくいし……。


 今回の誘拐……ただでさえ分からないことばかりなのに、謎がさらに増えていく。

 私を陽菜さんだと思っていることもそうだし、彼の台詞から見ても確実に協力者がいる。


 彼らの目的は本当に、兄さんと夜久さんの弟を人質に、私を手に入れて夜久さんを明迅学園に入れることなの……?


『俺も色々とやることがあるんで、これくらいにしときます! それじゃ、頑張ってくださいねー!』


 まるで、ここで私たちが死ぬことはないだろうと思っているような口振りだ。


 その言葉を最後に、スピーカーがブツッと音を立てて切れた。

 と、同時に天井付近にある排水口から勢いよく海水が流れ込み始める。


「ま、まずい……」


 手すりから下を見ると、既に下には海水が溜まり、水面が上昇し始めていた。糸杉千景の言う通り、ものの二、三分でここまで上がってきてしまうだろう。


「や、夜久さん、どうしましょう……!?」


 流れ込む海水のせいで、声を強めなければ相手に聞こえない。

 どうにかしなければ、と慌てて夜久さんを見ると、彼は険しい顔のまま目線を下に、顎に手を当てて何やら考え込んでいた。


「夜久さん?」

「なぜ、彼が転生者のことを」

「……っ」


 そうだ、彼はまだ、明迅学園の生徒まで前世の記憶が戻っていることを知らないのだ。あの時は状況を確認するのを優先して、そのことまでは話さなかったから……地下水道を進んでいる時に話しておくんだった。


「……三縁殿、何か知っていますね」


 はっとして顔を上げると、いつの間にかこちらを向いていた夜久さんが確信を持った目で私を見ていた。そうはっきりと言われるということは、私が相当分かりやすい顔をしていたんだろう。


「それは、えっと」


 私も素直にそうだと言えばいいのに、彼の凄みを持った真顔に怯んでしまって、引きつった顔でそんなどもり声を出してしまう。

 そんな私に、彼は知っていると受け取ったみたいだった。


「詳しく話を聞かせてもらいたいところですが……今はここを切り抜けるのが先ですね」


 こう話している間にも、地下水道に溜まった海面は段々と高くなっている。

 私が頷くと、彼は周りを見回し――そして、目の前にある巨大な扉を見つめた。


「……といっても他に逃げられそうな場所もないですし、この扉を壊して出るしかないようですが」

「そうですね。かなり頑丈そうですけど……」


 その考えに行き付くのは当然だった。

 ただ、前世の私なら難なく破壊出来ただろうけれど、今は全体的に魔法の威力が弱くなっている。さっきの魔晶族との戦いで結構体力も減っているし、破壊出来てもエネルギー切れになるかもしれない。


 そんな不安を感じ取ったのか、夜久さんはぎょっとして首を横に振る。


「まさか貴方が壊すつもりですか!? 俺がやりますよ!」

「えっ、いいんですか?」

「さっきので大分体力を消耗しているでしょう。俺ならまだ十分に行けますし……」


 そこまで言いかけて、少し表情が曇る。


「ただ……俺が扉を破壊するに当たって、いくつか問題が」

「問題?」

「この見るからに厚そうな扉を壊すわけですから、当然音が響きます。すぐに千寿組の組員が集まって来るでしょう……まあ、これは既にバレているので関係ないかもしれませんね」


 それは当然だろう。

 既に私たちの存在はバレているし、この地下水道を脱出した先で千寿組の組員がスタンバイしているのは容易に想像できる。


「他には?」

「距離が近過ぎます。破壊した際、その余波に巻き込まれてしまう可能性が高い」


 私たちを挟んだこの扉のすぐ後ろは梯子だ。距離を取るにも梯子で下に降りないといけないし、角度的にも扉を狙うには無理がある。仮にそれで壊せたとしても、また長い梯子を上るには時間がかかり過ぎる。


 だからこの場で破壊しなきゃいけないというのは理解出来る。近過ぎて、破壊した際に飛び散る扉の欠片に当たってしまう危険性も。


 言っている内容は真っ当だ。けれども、ここでふと疑問が浮かんだ。


「そんなの、私がやっても同じじゃないですか?」

「……最後が一番の問題です」


 目を逸らしながら苦い顔でそう続け、緊張した様子で視線を戻す。


「確かに破壊は出来るのですが……加減が出来ません。やり過ぎて最悪崩落するかもしれない。そうなると破壊の余波に加えて、瓦礫に巻き込まれる恐れがあります。

 まとめると……まず無傷では済みません。多少は怪我をすると思っていてください……本当に、申し訳ありません」


 ああ、この人は私に怪我をさせてしまうことを心配していたのか。

 頭を下げて謝られるけれども、私の心は既に固まっていた。



「構いません。思いっ切り撃っちゃってください」



 すぐさまそう答えた私に、彼は驚いたように顔を上げる。


「しかし……いいのですか?」

「私だって、まだやれますよ」


 一人だったら、彼の危惧する通りになっていただろう。でも、この場には二人いるのだ。しかも、異世界では四天王と呼ばれた者たちと同じ力を持った二人が。


 足を進めて、彼の隣に並ぶ。


「私、前世じゃ基本戦いの時には周りを洗脳して代わりに戦ってもらってたので……攻撃魔法は乏しいんですけど、でも、防御魔法のレパートリーには自信があるんです」


 ……自分で言ってて悲しくなってきた。

 つまるところ――ルミベルナの基本的な戦闘方法は、洗脳して駒にした人間や魔晶族を戦わせて自分は後ろで巻き込まれないよう盾を張って守る……といった戦い方なのだ。危なくなったら目くらましやこちらに来れないように壁を張って逃げるなんて手段を取ることもあった。

 こう考えると、戦闘狂のクレイヴォルがルミベルナのことを馬鹿にしていたのも当然である。


 今世では少しは自分も前に出ようとしてみたけれど、慣れないことをしたものだから当然色々とドジを踏み、結果夜久さんに危なっかしいと言われてしまった。


「……確かに、前世の頃からよく色々な盾やバリアを出していましたね」

「はい。その中にですね、外部の攻撃は防いで内部からの攻撃は貫通するものがあるんです。それでこちらからの攻撃は通しつつ、巻き込まれるのは防げます。もし破壊した後に崩落してしまうのであれば……落ちてくる瓦礫からも守りつつ、こちらから壊すことだって出来ます。

 それを使いますから、安心して攻撃してください。破壊したら、崩落に備えて一気に安全な場所まで駆け抜けましょう」


 自分が傷つかないことに特化した、正々堂々の欠片もない、卑怯な戦い方だった。

 でも見方を変えれば、例え卑怯でも……自分とそのすぐ周辺にいる者を危険から守ることが出来るのだ。

 殺しがご法度な今の世界において、こんなに適した力もない。


「そんなに便利なものが?」


 私の提案に、夜久さんは目を瞬かせている。

 きっとクレイヴォルはルミベルナの戦い方は知ってても、どんな魔法を使っているかなんて知らなかっただろう。興味すらなかったに違いない。


 私は頷くけれど、彼の表情は浮かないままだ。


「ですがそこまで出来る盾となれば、かなり高度な魔法のはずです。消耗した体で、本当に出来るのですか?」

「出来ます。こんな時くらい役に立たせてください」


 きっとこれは、新たな一歩を踏み出した私に与えられた試練のようなものなのだ。

 ここで戸惑ってしまったら、以前の私と何も変わらない。


「それに、帰ってしなきゃいけないことがいっぱいあるんです……こんな所で絶対に死んでなんかやりません。もちろん夜久さんのことも守り抜いてみせます、必ず」


 ちょっと強気な言い方になってしまったけれど、これは自分自身への宣戦布告だ。

 これで失敗なんかしたら、ただのビックマウスになってしまう。必ず、やり遂げなければ。


 目に力を込めて彼の黒い瞳を見つめ返すと、夜久さんははっとしたように目を見開いて固まってしまった。

 どうしたんだろう……と思ったのも束の間、


「貴方も、お兄さんと同じ顔をするのですね」


 伏し目がちにぽつりと、そう呟く。


「え? 兄さん?」

「やはり兄妹ですね……よく似ていますよ」



 そう言って彼は眉を八の字に下げて――少し悲しそうに微笑んだ。



「……え」

 

 心臓をぎゅっと握られたような錯覚に陥る。

 どうして、こんな顔を。

 今の言葉を聞いたら、普通ならもっとこう……頼もしい、とかもしくは大口を叩くな、みたいな反応をすると思うんだけど。


 ――そういえば。

 考えると、出会ってからの彼は苦笑いだったり自虐的な笑みだったり、今みたいな悲しそうな微笑みだったり……そんな顔ばっかりで一度も心から笑っているのを見たことがない。


「あ、あの」

「……やりましょう。極力最低限の消費で済むように、俺が魔法を放つタイミングで貴方の魔法を使ってください」


 言いかけた言葉は声が小さかったのもあって、すぐに彼の言葉にかき消されてしまった。扉に向かって手を構える彼は、既にいつもの表情に戻っている。


「……っ、はい、分かりました」


 どうしてあんな顔をしたのかは分からないけれど――きっと、こんな場所だから気を張ってるんだ。弟を無事助け出せたら、その時はきっと心から嬉しそうに笑ってくれるはず。そう、信じよう。


 構えた彼の手に黒いエネルギーが高密度に集まって、球体になっていく。クレイヴォルの持っていた、闇属性の魔力……久々に見るけれど、生まれ変わっても相変わらずのとんでもないエネルギーだ。別に攻撃される対象じゃないのに、バチバチと音を立てて大きくなっていくそれは、見ているだけで圧倒されてしまう。


 ……と、飲まれてないで私も自分の魔法に集中しないと。祈るように胸元で手を組んで魔法の発動に備える。


 そして、その黒い球体が両手で抱えるくらいの大きさになった時――夜久さんは少し余裕がなさそうに声を上げた。


「撃ちますよ、準備はいいですか……!?」

「……はい!」


 私もそれに強い声で答え――組んだ手に力を込めると、私を軸としたドーム状の淡い黄色い光を帯びたバリアが展開された。

 バリアが発動したのを確認した夜久さんも、構えた手からバリア越しの扉に向かって黒い閃光を放つ。


 瞬間――鼓膜が破れそうなほどの破壊音が、海水の流れ込む音に負けない音量で響き渡った。

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