71.謎の魔晶族【♡】
突如無くなった床。
前世で戦っていた時の感覚を必死に呼び覚ましたおかげで何とか受け身を取れたはいいものの、それでも完全に体への衝撃を押さえられたわけではなく……。
「あいたたたたた……」
私は、思い切り打ちつけたお尻を押さえて床を転がっていた。
まさか、あの広間そのものが巨大な落とし穴になっていたなんて。メインで使われているっぽい部屋だったし、呑気に酒盛りもしていたし、こんな危ない仕掛けなんてないと思っていたのに。
どうして作動したんだろう。銃もバンバン撃ってたし、他の人に気づかれちゃったのかな。
だとしたらまずい、早くこの場所から出て記憶を消しに行かなくちゃ……。
見上げると、今落ちてきた穴がぽっかりと空いている。遠くに明かりが見えるけれど天井も高いし這い上るのは無理そうだ。
辺りを見回す。最低限の明かりしかついておらず薄暗い。
さっきの広間ほどじゃないけれど結構広い空間だ。床も壁も天井も無機質なコンクリートで出来ていて、冷たさを感じる。物は何も置かれていないし、落とし穴の落とし先以外には使われていない部屋なのだろうか。
出口は……あった。少し見えにくいけれど、照明の届かない壁の隅にうっすらとドアのようなものが見える。
良かった。閉じ込められたわけではなさそう。
痛みも大方引いたため、立ち上がってマントに付いた埃を手で叩き落とす。そのまま出口に向かって歩き出そうとした時、
ボトリ、と私の目の前に何かが落ちてきた。
「ひゃあ!」
咄嗟に声を上げてその場から大きく飛び退いてしまう。
「び、びっくりし……」
一体何が……と確認しようとして『それ』を見た瞬間、全身から血が引いていくのを感じていた。
落ちてきたのは、人間の手だった。
血で濡れて、照明を反射しててらてらと光っている。それはその手が本物であること、そして遠くない時間にちぎれたものであることを意味していた。
思わず落ちてきた穴を見上げる。
思い浮かぶのは、落ちる直前に現れた――謎の魔晶族。
まさか――
最悪の答えに行きついた瞬間に、今度は手よりもさらに大きな物体が落ちてくる。
私に背を向けるように天井から現れたのは、さっきの狼型の魔晶族だった。
きっと私を追って来たのだろう。
けれども、私の視線は魔晶族を捉えてはいなかった。
正しくは、私が見ていたのは、魔晶族と一緒に付いてきた血塗れの塊の方だった。
「あ、あ……」
口から漏れた情けない声に、魔晶族がこちらを振り返る。
同時にその血濡れの塊も、嫌でも目に入り込んでくる。
魔晶族の口に咥えられていたのは、ここに落とされる前に私が記憶を覗こうとしていたリーダーらしき組員だった。
全身が真っ赤に染まっており、首には掻き切られた跡がある。右手は喰い千切られたのかなくなっていた。ピクリとも動いていないのを見るに、首を掻き切られた時に絶命したようだった。
魔晶族は私をじいっと見て、咥えていた組員をその場に落とす。
ごくりと唾を飲み込む。
魔晶族の目はギラギラと輝いていて、どう見ても私を獲物と見なしているものだった。一歩下がって距離を取りながら、改めてそれを観察する。
見る限りそこまで魔晶族としての格は高くはなさそうだけど……。
「どうやってこの世界に来たの。どうしてこんな場所にいるの」
言葉くらいなら理解できるはずと駄目元で声をかけてみるけれど、案の定何の反応もない。
そのままこちらに向かって飛びかかって来る魔晶族に――私は、迷わず手を向けた。
この魔晶族がどうやってこの世界に迷い込んで来たのか、それは全く分からないけれど。
魔晶族はこの世界に在ってはならない存在だ。
それだけは、分かる。
手から放たれた光球は魔晶族の顔に命中し、ガラスが割れるような音を立てて砕け散った。
頭部の無くなった魔晶族は力を失い、その場にぱたりと倒れる。
「……?」
何だろう、この強烈な違和感は。
ものすごく引っかかるのだけれど……うーん、分からない。言われればすぐに気づきそうな感じなのに。
……まあいっか。とにかく急いでこの部屋を離れなきゃ。その前に――
魔晶族の遺体を通り過ぎ、魔晶族が咥えていた千寿組の組員の傍まで歩く。膝を付いて容態を確認したけれど、既に彼は亡くなってしまっていた。亡くなってしまえば、記憶を覗くことは出来ない。
直接手にかけたのは魔晶族というイレギュラーとはいえ、今回の件で誰も死なせるつもりなんてなかったのに。
「巻き込んでしまってごめんなさい。どうか、安らかに」
前世の世界のものに関わって死んでしまったのだから、きっとこの世界に都合よく解釈されて処理されてしまうのだろう。やくざだし、組によって亡くなったことすらなかったことにされてしまうかもしれない。
だから、彼の本当の死因を知っている私が弔ってあげなければと思ってしまった。散々酷い目に遭わせた身の上で、ただの偽善でしかないのだけれど。
しばらくの間手を合わせると、静かに立ち上がる。
同時に背後から、ドサドサドサと何かが複数落ちてくる音がした。
また何か落とし穴に落ちたのかなと思い、後ろを振り返る。
「な……!?」
そこにはさっき私が倒したものと全く同じ見た目をした――アクアマリンの身体を持った狼型の魔晶族が、四体。
「……おかしい」
魔晶族に、同一個体は存在しない。
鉱物から生まれる魔晶族は、例え同じ種類の鉱物から生まれたとしても、一体一体に少しずつ違いが出るはずなのだ。掘り出されたばかりの宝石の原石に同じ形のものが一つとしてないように。
なのにこの魔晶族は大きさ、形、色、全てが揃っていて――まるでクローンみたい。
……そういえば。
さっき倒した魔晶族に目を向けると、先ほどと変わらず頭の無い状態で倒れていた。
魔晶族が死ぬ時は、体内の魔素が煙となって放出され、身体は崩れて――最後は跡形もなく消滅する。
なのにこの魔晶族は魔素が放出されないばかりか、身体も消滅せずに残っているのだ。さっきの強烈な違和感の正体はこれだ。
でも、だとしたらこれは一体……?
今私の前にいるこの狼は、私の知っている魔晶族じゃないの……?
ぎゅっと拳を握りしめる。
だとしても、やるべきことは変わらない。
どう見たって、これらはこの世界に存在するはずのないものなのだから。
光球一発で倒せる程度の魔晶族が集まったって、私の相手には――
その時だった。
私が倒した魔晶族の周りを四体の魔晶族が取り囲み、一斉に喰らいついたのだ。バリバリと音を立てながら、その石の身体を噛み砕き、飲み込んでいく。
訳の分からない行動に、ただ私はぽかんとそれを見ていることしか出来ない。
そして魔晶族の遺体を跡形もなく食べ終えたかと思えば、今度は四体で共食いを始める。
不思議なのは、特に争うわけでもなく一体がもう一体に自身を差し出していることだ。
こうして大した闘争もないまま四体から二体に、二体から一体に。
数が減るにつれ、一体の大きさは逆に倍加していく。
そうして出来上がったのは。
この部屋の高い天井にも届きそうなほどに大きい、巨大な二足歩行の狼だった。
さっき私が倒した時の姿とはあまりにも違う。
身体は硬い鎧のようなもので覆われ、爪は私の身体なんて簡単に引き裂けそうなほどに長く、鋭く伸びている。
そんな爪を研ぐように擦り合わせて――見た目通りかなり硬くて丈夫そうだ――巨大になった狼の魔晶族は、私を見てグルル、と喉を鳴らした。
こんな異能を持った魔晶族がいるなんて聞いたことがない。
そもそも、異能を持つ魔晶族はほんの一握りで、どの個体も相応の格を持った者ばかりだった。
今の姿が本来の姿なのだとしても、それでも異能を持つような格があるようには見えない。
『ウオオオオオオオオオオオォォン!!』
「……ッ」
私に向かって遠吠えをする魔晶族。
準備万端、と言ったところなのかもしれない。その吠える声の大きさに思わず耳を塞いでしまうが、それでもその声は私の肌をビリビリと揺らした。
そのまま両手を広げ、私に覆い被さるように飛びかかって来る。
――速い!
咄嗟に右に飛び退くけれど、マントの裾が少しだけ切り裂かれてしまう。ズシャッと音を立て、私が立っていた場所は魔晶族の爪によって大きく抉れた。
ぞくりと寒気が走る。もし怯んで動けなかったら大変なことになっていた。
いくら相手の格が低くても、私だってルミベルナだった頃よりも弱くなっている。
体力だって前世よりも落ちているし、時間なんてかけられない。早く倒してしまわないと。
「やあっ!」
こちらを向こうとした魔晶族に向かって光球を放つ。
光球は魔晶族の左肩に命中すると、そのまま左腕ごと吹き飛ばした。
良かった。さっきと同じ攻撃だけど、ちゃんと効くみたい。
鎧みたいなもので覆われているけれど、攻撃力やスピードとは違って身体の硬さはそこまで強化されてないみたいだ。
速くなっても的は大きくなった。なら、倒すのはそう難しくない。
もう三発、光の球を撃つ。
一発は躱されたけれど、後の二発は魔晶族の横腹に孔をあけ、頭部の右半分を吹き飛ばした。
バランスを崩したのを見逃さず、続けて両足を破壊する。
『ギャオオオオオオオ!』
支えるものが無くなった魔晶族は叫び声を上げながら後ろに倒れた。そのまま、ピクリとも動かなくなったのを確認して、私は大きく息を吐く。
あまり苦労せず対処は出来たけど……本当に何だったのだろう、この魔晶族は。
目も何だか生きている感じがなかったし、知能が有る無いというよりは……何だか、機械みたいだった。
うーん……融合能力といい、ますます謎が深まるばかりだ。
でも、何の手がかりもないのに今このことを考えても時間の無駄にしかならない。
早く残りの組員を洗脳して、記憶を改竄して、兄さんの居場所を探らなくちゃ。
部屋の出口まで向かい、ドアノブを回す。予想は出来ていたけれどやっぱり鍵がかかっているみたいだ。
仕方ない、出来れば大きな音は立てたくなかったけれど、ここは扉を魔法で吹き飛ばして――
「何を気を抜いているのですか! 後ろを見なさい!!」
「え?」
突然響いた謎の声につられるように、振り返る。
「な……!?」
そこにはたった今倒したはずの魔晶族が、五体満足で私のすぐ目の前に迫っていた。
どうして。腕も頭も両足も、私が使えなくしたはずなのに。
どうして何事もなく動けているの……!?
『ウオォン!』
魔晶族の爪が今度こそ私を切り裂こうと大きく振りかざされる。
完全に予想外の事態に、体が動かない。
ナイフのように鋭い爪が今にも私に触れようとした瞬間、バキッという音と共に視界に映る黒い影。
思わず瞬きをする。
それは黒い杭のようなもので床から――否、私の影から伸びて、私に触れようとしていた魔晶族の右腕を貫いていた。
貫かれた魔晶族の腕は千切れ、ゴトンと音を立てて床に落ちる。
魔晶族はそれでも構わずもう片方の腕で攻撃しようとしてきたため、我に返った私は慌ててその場から離れた。
距離を取り、改めて見た魔晶族の姿に唖然とする。
「嘘、再生してる……!?」
失ったばかりの右腕が、形を取り戻していく。ものの数秒で、千切れた腕は元の鋭い爪を持った腕へと戻っていた。千切れた方の腕はそのまま床に落ちている。
融合だけじゃなくて、自己再生まで出来るの? 一体どうなって――
そんなことを考える暇もなく、魔晶族は私に向かって来る。
あまり体力は消耗したくなかったけれど、こうなったらとことんまでやらなくちゃいけないみたいだ。
さっきと同じように光球を放つ。それは魔晶族の胸に孔をあけるけれど、すぐに塞がっていく。
それでも私は同じ攻撃をし続けた。
いくら再生出来るといってもその力は無限ではないはず。
私はただ、再生出来なくなるまでその身を破壊し尽くすだけだ。
体を破壊されながらも、超速で再生させながら私を攻撃する魔晶族。
私はそれを縦横無尽にかわしながらも、光球をひっきりなしに当てていく。腕、足、頭部……攻撃を当てるごとに魔晶族の一部が床に散らばっていく。
「はあっ、はあっ……」
最低限の動きを心掛けていても、次第に息が切れていく。
前世の力が戻ってから魔法をここまで使うのは初めてだ。確かに、これはかなりきつい。
でも、先輩たち二人だって私のためにもっと無茶して魔法を使ったんだ。こんなところでへばってなんていられない。
攻撃を当て続けてしばらく経った時、変化は起きた。
何十回吹き飛ばしたか分からない魔晶族の左腕が再生しなくなったのだ。
『ウ、ウォォ……』
再生しない自分の腕に、魔晶族の方も戸惑っているようだ。
けれどもすぐに自分が長くないことを本能で理解したのか、最期の力を振り絞るように私に向かって来る。
かく言う私も限界だった。
足はもうガクガクで、床に落ちていた魔晶族の足につまづいてその場に膝を付いてしまう。立ち上がろうと思うけれど、足が動いてくれない。
今までずっと爪で攻撃していた魔晶族は最期の武器を己の牙に変えたようで、口をガバッと大きく開く。
これが最後の一撃だ。
光球に、いつもよりも魔力を込める。魔力のこもった光球はそれ自身が電球になったかのように、その輝きを強くした。
光が強くなるのに合わせて、今まで弱い照明でうっすらとしか映らなかった影も濃く浮かび上がる。
「これで、おしまいっ!!」
私が放った光のエネルギーは、大きく開いた魔晶族の口の中に入りボンと音を立てて爆発する。残ったのは左腕のない体のみ。
終わったと思ったのも束の間、頭部を失った身体はそれでも私を仕留めようと残った右腕を振り上げたのを見て、目を大きく見開いた。
待って、頭が完全に無くても動けるなんて聞いてない。
こっちは疲労で膝を付いている状態。咄嗟にかわせるような体力は残っていない。
ここまで来て怪我しちゃうのか。仕方がない、せめて軽症で済むように……、
爪が振り下ろされる場所を予測し、極力当たらないよう体を捻る。
けれどもその爪が私に触れることは最期までなかった。
魔晶族の身体を、足元の影から伸びた数本の黒い杭があらゆる方向に貫いていたから。
杭によって粉々になった身体が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
魔素の煙も出ないし消滅もしないけれど、その身体の崩れ方は私の知る魔晶族の死に方によく似ていて、何とも言えない気持ちになった。
床に散らばった破片を固唾を飲んで見つめる。
しばらく経って今度こそ再生しないのが分かった瞬間に、全身の力が抜け、私はその場にぺたんと座り込んだ。
「はあっ、はあっ、はあっ」
疲労と、緊張が解けたせいか息切れと動悸が止まらない。それでも何度か深呼吸をして、どうにか呼吸を落ち着かせる。
時間がない。今のでかなり時間を取られてしまったけれど、早く兄さんを探しに、
ううん、その前に。
どういうつもりか知らないけれど、問い詰めなきゃいけない相手が出来たんだった。
「隠れたって無駄ですよ。出て来てください、いるんでしょう」
クレイヴォル、と呼んだ私の声は掠れていた。




