70.手駒【♡】
地下に下りると、すぐ傍にあった事務室らしき部屋に案内された。
そこには千寿組の組員が三人いたけれど、それを取り押さえる。仲間を呼びに行く暇なんて与えず、あっという間に抵抗不可の状態にした。
新たに洗脳した三人の記憶を覗くけれど、兄さんに関する記憶は出てこない。本当に下っ端には何も知らされていないみたいだ。
だったら幹部級の記憶を覗くしか……ならもっと奥に行かないと。
洗脳をかければかけるほどこちら側は増えていくわけだから楽にはなっていくのだけれど、あまり多く連れ歩いても動きにくくなるだけだ。今洗脳した三人はここに置いて、もし外に誰かが逃げようとした時に止めてもらおう。
そう命令し、全てが終わったら私に関することはすっかり忘れるように暗示をかけて、私は三人に軽く頭を下げる。
「少しだけ、私の言う通りにして。お願いね」
何言ってるんだろう、私。お願いじゃなくて強制的に言うことを聞かせているだけなのに。
私の異能を知っている人からは、今の私はただの悪い女にしか見えないんだろうな。
「っ……さ、さあ、早く他の組員さんの所へ行こう。案内を続けて」
駄目駄目、今は集中しなきゃ。今の隙に誰かに見つかって仲間を呼ばれに行かれたりしたらどうするの。
無理矢理気持ちを切り替えてここまで案内してくれた二人の組員の背中を押す。二人は私にされるがまま足を動かし、事務室から出て行った。
何事もなかったかのように仕事に戻る三人を確認し、私も出て行った二人を追いかける。
先ほど事務室で覗いた記憶が正しければ、今日この廃製鉄所には二十七人の組員がいるらしい。私が対応済みなのは五人、後二十二人相手にしなきゃいけないみたいだ。
ちょっと多いけど……六天高校で百人近く記憶を消した時に比べれば全然マシだ。
相手が転生者じゃなくて人数も減った分、別の所で難易度が上がってるけど。
◆
次に案内されたのは、畳が敷き詰められた――いわゆる大広間だった。
昔ちらっと見た任侠ものか時代劇ものの映画であった……一番偉い人が一番奥に座っていて、その前に部下がずらっと並んで平伏している場所だ。
覗いた記憶によると組長は今本社にいるらしいから、集会は開かれてはいないと思うけど……。
閉めきられた豪華絢爛な襖の前に立ち、中の様子を窺う。中からはガヤガヤと人が話す声が聞こえてきて、宴会中なのかなと予想を立てた。
まだ夜になるかならないかの時間なのに、もうお酒飲んではしゃいでるんだ。一般人を誘拐した直後なんだからもうちょっと気を引き締めとこうよ。
「――よし」
せっかくの宴会を台無しにしてしまうのは申し訳ないけれど、兄さんを助けるためだ。
意を決して襖に両手をかけ――襖が外れて飛んでいきそうなほどに勢いよく開け放った。
あれだけ騒がしかった声が止み、場は凍り付いたように静まり返る。
当然だ。楽しくやっているところに、いきなりジャージに仮面とマントという妙ちくりんな恰好をした女が現れたのだから。
やっぱり中で酒盛りをしていたのか、畳には飲み終えた一升瓶やビールの缶が転がっていた。中には既に出来上がっているのか顔を真っ赤にして寝転んでいる人もいる。
数は一、二、三……十一人。ちょうど残りの半分だ。
「な、何だテメェは!?」
私の一番近くにいた組員の一人が慌てて立ち上がろうとするけれど、酔いで上手く体に力が入らないのかふらりと体勢を崩す。その隙を狙って素早く男に駆け寄ると、頭に手を置いて暗示をかけた。
途端に畳に倒れ込んだ組員に、他の人たちも私が彼に何かをしたと察したようだった。
「捕まえろ!」
一人の組員がそう叫ぶと、他の九人も立ち上がって私の方へ向かって来る。手には常日頃から持ち歩いているのか、ナイフや銃が握られていた。
「この場所がバレてる以上遠慮は要らねえ! 最悪殺せ!」
パン、と銃声が響く。もちろん私に向かって撃たれたものだ。でも酔っているのか狙いが全然定まっていない。外れた銃弾は後ろの襖に当たって畳に落ちた。
飛びかかってきた組員の一人を光球で吹き飛ばす。この人数を一人で相手に出来なくもないけど、武器も持っているし少し面倒かも。
「手伝って!」
外で待機させていた二人に声をかけると、ゆっくりと広間に入って来た。そんな二人を見て、増援が来たのかと組員たちの表情が余裕を持ったものに変わる。
「お前たちちょうどいい、そいつを……」
「拘束をお願い!」
ナイフを持った組員が二人にかけるのを無視して私は声を張り上げた。
すると二人は今までぼうっとしていたのが嘘のように、俊敏に動いて相手を一人づつ羽交い絞めにする。
当然と言うべきなのか、混乱するのは相手の方だ。
「な!? おいお前ら何やってんだ!? 何でオレらを……ブッ」
その隙を逃しはしない。素早く顔を押さえ込んで暗示をかける。記憶は片付いた後にまとめて覗くとして、今はちょっとだけ力を貸してもらおう。
「捕まえるか気絶させて! 絶対に誰一人逃がさないで!」
洗脳によって新たに増えた二人の仲間に指示をする。二人は私の命令通り、他の組員を取り押さえようと動くけれど、お酒が回っているのか最初に洗脳した二人と比べて足元が覚束ない。
「ええい、構うな! こいつらごとやれ!」
羽交い絞めにされた仲間が自分たちを襲ってくるようになったのを見て、最初に私を捕まえるよう叫んだ組員がそう叫び、銃を撃ってくる。
銃弾は彼に掴みかかろうとしていた顔に大きな傷のある組員の足に命中し、撃たれた組員はバランスを崩してうつ伏せに倒れた。
相手はそのまま続けて洗脳された仲間を撃っていく。
狙っているのは主に足で、急所は避けてはいるけれど……たった今まで一緒に酒盛りをしていた相手を迷いなく撃つなんて、この人かなりドライというか、割り切るのが早い。この人のおかげで、他の組員も混乱しつつも襲ってくる自分の仲間に対応出来ている。
周りへの指示もこの人が出しているし、もしかしたらこの中では一番高い役職なのかもしれない。もし兄さんの情報を持っているのならこの人かな。
飛んで来る銃弾を小型の光の盾で防ぎながらそんなことを考えていると、二人の組員が私を挟みこむように飛びかかってくる。それを一歩後ろに下がると二人のナイフを持っていた手を掴んで、強い力で引き寄せた。
まさかこんな小柄な女がここまで人外じみた怪力を持っているなんて思っていなかったのだろう。碌に踏ん張りもしていなかった相手二人は面白いくらいに簡単に引き寄せられて――がつん、と音を立てて互いの顔面をクリーンヒットさせた。
「ぐはあっ!?」
鼻血を流しながら悶絶し周りに無警戒になっている二人の頭に手を置いて「他の皆と同じようにして」と暗示をかけると、私は広間の奥で銃を構えていた組員の一人に向かって走り出した。
仲間に戸惑いなく攻撃出来る相手がいるなら、頼りきりも駄目だ。
狙いの相手は私に向かって銃を三発放つけれど、私のスピードが速いのかどの銃弾も私を掠めることはなかった。
そのまま目の前まで来た私に、相手は頭を両手で覆う。どうやら頭に触れられたら洗脳にかかってしまうことは分かっているらしい。
なら――
「ごめんなさい!」
頭の防御に気を取られて無防備になっていた相手の急所を蹴り上げた。
「ッ、ぎいゃあああああああぁぁ!!」
この世の終わりのような悲鳴を上げ、反射的に蹴られた場所に手を持っていく相手。今度こそ露わになった相手の顔に手を伸ばして洗脳をかける。……きっと洗脳したところで動けないだろうけれど。
光球で気絶させたのも合わせて、これで七人。後四人。
洗脳した七人のうち、三人はリーダーらしき人に撃たれていた。一人は今私が戦闘不能にした。こっちの残りは三人、最初に洗脳した二人を入れれば五人。
振り返って状況を確認すると、洗脳した一人はされていない組員二人ががりでボコボコにされているところだった。指示を出していたリーダーらしき人はこちら側の四人を一人で相手にしていて、残りの一人はスマホを出してどこかに連絡を入れようとしている。
「させない」
手から光の球を放つ。弾丸のように飛ばされた野球ボールの大きさをした光球は、組員が持っていたスマホに命中し、スマホはボンと音を立てて爆発した。
爆発したスマホに動揺しているうちに間合いを詰めると、その組員にも洗脳をかける。
後三人。中でもあのリーダーは厄介だ。洗脳がかかっているとはいえ、一人で複数人相手に出来ていることからもそれが分かる。今この瞬間も自分を取り囲んでいる相手の一人を銃で撃ち抜いているし、このままにはしておけない。
残りの二人の得物はナイフだし、距離を置いていれば大丈夫。次はあの人を――
そう思い、一歩踏み出そうとした時だった。
「ふ……っざけんなよこのアマぁ!!」
「う、わっ」
突如何者かに両足を掴まれ、バランスを崩して膝を付いてしまう。
思わず振り返ると、いつの間にか私の背後に回り込んでいた一人の組員が私の両足を握り、怒りに目をギラギラと光らせて私を睨んでいた。
おかしい、数え間違いはしていないはず――と思ったけれど、この人はさっき私が光球を当てて吹き飛ばした人だった。あの時気絶したと思っていたけれど、そうじゃなかったみたいだ。
慌てて手を伸ばして洗脳をかけるけれど、それは洗脳した一人を気絶させてフリーになった二人の組員が私に迫る隙を与えるには十分過ぎた。
「調子乗りやがって!!」
「……っ、二人を止めて!」
今洗脳をかけた組員と連絡を取ろうとしていた組員に指示を出す。しかし前者はどうやらさっきの私の攻撃で立ち上がれないらしく痛みに顔を歪めていて、後者はここまで少し距離がある。
私が咄嗟に反応出来ないことが分かったのか、洗脳されていない三人の顔が勝ち誇ったものに変わる。
まずい、せめて魔法で目くらましを――
フラッシュで怯ませようと手を前に出したと同時に、二人の組員も早く私を捕らえようと走り出し、
――瞬間、同時にバランスを崩して派手に転倒。前のめりに倒れて畳とキスをした。
「へ?」
空気の凍り付いた広間に、私の気の抜けた声が響く。
「何やってんだァ!! チャンスだっただろうが!!」
リーダーらしき組員がすっ転んだ二人に激しい怒りを露わにして怒鳴りつけた。
同時に転んだのがちょっとおかしくて思わず笑いそうになってしまったけれど、リーダーらしき組員が怒りたくなる気持ちも分かる。絶好のチャンスだったよね? なのに同時に転ぶなんてことあるの? こんな厳つい見た目でドジっ子だったとか?
対して怒鳴りつけられた二人の組員は顔を真っ青にして首を横に振っていた。
「ち、ちが」
「誰かに足を掴まれ……」
でも、どんな理由であれ私を捕らえる最大のチャンスは潰された。この一瞬の油断が命取りだ。
何かを言いかけていた二人の組員に飛びかかると、他の人と同じように洗脳をかける。
これで残りはリーダーらしき組員一人だけ。
相手をしていた三人に加えてたった今洗脳をかけた二人と、私。計六人で一人を囲い込む。
どうやらもう銃弾は使い切ってしまったみたいで、最後の組員は苦い顔をしてじりじりと壁際に下がる。それを追い込んでいく私たち。
そして壁まで追い込むと、組員は悪あがきといったように私に拳を振り上げてきた。
その腕を難なく掴んで動きを止めると、その力の強さから私がただの小娘ではないと察したようだった。
いくら押しても引いてもびくともしない腕に、相手の顔から血の気が引いていく。
「何者だテメェ、何が目的だ……!」
「何も聞きませんし、何も答えなくていいですよ」
仮面の下で薄く微笑むと、そう答えて組員の頭に手を乗せる。
「貴方の記憶を直接調べますから」
相手の目が驚愕に見開かれたのと同時に、洗脳をかける。
お酒を飲んでいても鋭さの変わらなかったその眼光は、あっという間に濁り淀んだものに変わっていった。
◆
「……ふう」
ここまで力を使ったのも久しぶりかもしれない。特に最近は、襲って来る生徒たちの相手を蓮水先輩がしてくれていたから。
静かになった大広間を見回す。
私の周りには洗脳した六人の組員が虚ろな目で立っている。全員宴会をしていたメンバーで、少しだけお酒臭い。
床には気絶した、もしくは動けなくなって床に倒れている組員が七人。最初に洗脳した二人も、オールバックの方はさっきリーダーらしき組員に足を撃たれて負傷し、顔に大きな傷がある方は二人の組員にボコボコにされて見るも無残な姿になっていた。畳にはひっくり返った一升瓶からこぼれたお酒で染みが出来、一部には血が飛び散った跡もある。
いくら私でも争った跡までは消すことが出来ない。
どうしよう……そうだ、お酒でハイになって思わず銃やナイフを使った喧嘩になったことにしておこう。喧嘩が終わった後は皆疲れて寝てしまった――と。
そうと決まれば早速そうしようとしたところで――顔に大きな傷のあるボロボロになった組員が目に入った。
この人は千寿組内では下っ端で、兄さんのことは何も知らなかった。
私が洗脳して、戦いの手駒に使わなければ――きっとこんな酷い目に遭うこともなかっただろうに。
この人に限らず、この場にいる組員全員がそうだ。
一番悪いのはあの人と、あの人に協力することを決めた陽菜さんのお父さんだ。仮にこの中に兄さんを誘拐した実行犯がいたとしても、それは上の命令でやっただけだ。
普通の会社ならまだしもやくざの組織。おかしいと思っても逆らえるわけがない。
この人たちも、ある意味被害者なのだ。
「……ごめんなさい」
そう思うと一気に罪悪感が襲ってきて、その言葉が口を出た。
そして強烈な自己嫌悪に襲われた。
本当に、何を言ってるんだろう。この言葉が相手に届くことはないし、こんな目に遭わせてしまった以上、この言葉はただの偽善でしかないのに。こんなの、ただ自分が楽になりたいだけじゃない。
現に私の周りにいる六人は何も反応せず、ただじっと私を見ているだけだ。
……止めよう。変わるって決めたんだから。
ネガティブなことばかり考えてちゃ、それは以前の私のままだ。もっと前向きに行かなくちゃ。
大きく息を吐き出すと、組員たちの記憶を改竄すると合わせて、兄さんの情報がないか探りを入れる。
何となく想像していたけれど、やっぱり兄さんの情報が出てこない。
どうして。確かに誘拐されたのは今日だし、知らない人が多くても不思議じゃないけど……普通どこからか噂程度は流れてくるはず。
まさか、最初からこの製鉄所内に兄さんがいないとか……?
すぐに首を横に振る。
陽菜さんがここにいるって言っていたんだ。彼女が嘘を吐くようには見えない。探りも入れたって言ってたし、きっとこの敷地のどこかにいる。
そして遂に最後の組員――他の組員に指示を出していた男の人の番になった。
畳に横に寝かせると、頭に手を伸ばす。
この人から何も得られなければ、この先はかなり雲行きが怪しくなる。何でもいい、兄さんに関する情報を――
「っ……!?」
しかし組員の頭に触れる直前、妙な気配を感じて顔を上げる。
「――え」
いつの間にか広間にいたものに、頭が真っ白になった。
「なんで」
私はそれをよく知っていた。
似たようなものを何度も見たことがあった。何度も触れたことがあった。
でも、ありえない。
そこにいたのは、一匹の狼だった。
でも、ただの狼ではない。一般的な狼よりも遥かに大きく、頭には小さな角が生えている。身体はアクアマリンのような透き通った水色の鉱石でできていて、広間の蛍光灯を受けてきらきらと輝いていた。
ありえない。
でも、見間違えるはずはなかった。
「何でこの世界に、魔晶族が……!?」
もしかしてここはずっと気がつかなかっただけで前世の世界なの? ……違う。それはない。そうだったら地図があまりにも違い過ぎる。
でもそれなら……どうして生まれ変わっていない魔晶族そのものの姿でこの世界に。
色んな考えがぐるぐると頭の中を駆け回っているけれど、何も分からない。
その間に魔晶族の狼は隅に寝かせていた一人の組員の元へと近づいていく。鉱石の鋭い牙が生え揃った口から涎が垂れているのを見て、血の気が引いた。
「止めて!」
人を食べる魔晶族は数は少なかったけれど確かにいた。このままじゃあの人は……!
謎の魔晶族から組員を助けようと立ち上がる。そのまま狼に向かって光球を放とうとした――その時だった。
ガコン
「!?」
大きな音と共に体にかかる重力がなくなり、思わず下を見る。
そこに畳はない。
底の見えない――真っ暗闇の奈落だった。