69.侵入者【Side:Y.M.《♡》】
製鉄所から少し離れた場所にある岩陰に身を隠すと、そっと入り口を観察する。
入り口に傍にある点滅した外灯の下に、一つの影が見えた。
今はもう使われていない場所なのに門番がいるんだ。
どうしようか。入り口は閉じられていて、外壁もかなり高い。今の身体能力だったらこっそり飛び越えられなくもないけど……。
そこまで考えて首を横に振る。
どうやって中に入るのかは考えるのはまだ早い。
この場所の関係者を見つけた以上、やることは一つだ。
私は入り口の影に向かって真っ直ぐに向かった。
「な、何だ君は!?」
今の私はマントに仮面を付けた、どう見たって不審者の恰好をしている。しかもいきなりこんな場所に現れれば怪しさ満点だろう。
当然と言うべきか、入り口で警備をしていた男の人はそんな私に警戒心を露わにした。至って普通の容貌で、やくざには見えないけど……もしかして、雇われた警備員とかかな。
構わずずんずんと近づいていく私に、相手は持っていた警棒を構える。
「動くな、さもな……」
相手が言い終える前に素早く相手の懐に入り込む。右手で相手の頭を鷲掴みにし、相手が混乱した一瞬の間に素早く情報を読み取った。
なるほど、この人は本当に雇われ警備員みたいだ。兄さんの情報どころか、この製鉄所の内部情報すら知らない。唯一得られた情報は、外壁には赤外線の感知センサーがあって、触れれば製鉄所内部だけではなく、警備会社や千寿組の他の組織に警報が鳴る……ということ。
ただでさえこれから製鉄所にいる全員を相手にしなくちゃいけないのに、外から応援を呼ばれるわけにはいかない。
なら入る方法は一つだけだ。
「入り口を開けて」
短くそう警備員に伝えると、虚ろな目をした相手は素直に鍵を開け人一人通れるくらいまで門をずらしてくれた。
素早くその隙間を通ると、警備員の視界から隠れるところまで移動して門を閉めさせる。
「ありがとう、今あったことは全部忘れてね」
そう言ってぱちん、と指を鳴らす。途端にはっと我に返った警備員は、訳が分からないといったように辺りをキョロキョロと見回すと何事もなかったかのように警備に戻った。
さあ、早く製鉄所の内部まで入らなくちゃ。
とにかく誰か人を探そう。今みたいに一人づつ当たって行けば、いつかは兄さんの居場所を知っている人に行きつくはず。
多分、陽菜さんはまだ来ていない。
勝手な想像だけど、陽菜さんは警備とか構わず正面から大暴れしそうだし。侵入していればもっと騒ぎになっているはずだ。
辺りはもう夜と変わらないくらいに暗く、誰もいないかのようにしんとしている。本当なら、誰かいてはおかしいのだけれど。
ぽつぽつと付いている照明の光が私の影を長く伸ばしている。普通の侵入なら影が出来るのは避けるべきなのだろうけれど、今回は特殊だ。特に最初の方は敢えて見つかるようにしておかないと――
……あれ?
今影が一瞬だけぐにゃりと歪んだような――
しばらく壁にうつった自分の影をじっと見つめ続けたけれど、何の変哲もないただの影だ。
……気のせいだったかな。
いいや、時間もたくさんあるわけじゃないし早く先に進もう。
私は内部の人を探して奥に向かって走り出した。
誰にも出会わないまましばらく進むと、製鉄所の中でも一番大きな建物の入り口にたどり着く。
多分人が出入りするならここだと思うんだけど……どうしよう、無理矢理壊して騒ぎを起こそうか? でも外部から人を呼ばれたくはないし……。
そんなことをうんうんと考え込んでいると、ふと扉の内側から人がこちらに向かって来るような気配を感じ、私は慌てて近くのごみ箱の影に隠れた。
中から男の人が二人出てくる。門の入り口にいた警備員とは違って、スーツ姿だ。
一人は大柄でオールバックといった風貌、もう一人は小柄だが顔に大きな傷がある。見た目も堅気には見えないし……間違いなく千寿組の一員だろう。
二人は私には気づいていないようで、こちらにもはっきりと聞こえてくる大きな声で話している。
「ったく、何で俺らが確認しなきゃなんねえんだよ」
「全くだ。だが外の監視カメラが一斉に調子が悪くなるなんて、一体どうなってんだァ?」
暗くて見つけられなかったけれど、やっぱりこの辺り一帯に監視カメラが仕掛けられていたみたいだ。調子が悪くなったというのはきっと、私が映ったカメラがモザイク画面になったとかそういったところだろう。
今のところカメラの故障と思われていて、私が侵入したとは思われていないみたいだ。侑里先輩の仮面とマントはしっかり効果を発揮してくれているらしい。
心の中で先輩にお礼を言いつつ、私は二人の背後に忍び寄ると勢いよく後頭部を掴んで押し倒した。
「なっ、誰だ!? 何しやがる!?」
二人もまさか誰かが忍び込んでいるなんて思ってなかっただろう。慌てて私を振り払おうと暴れるけれど、いくら体格のいい大の男が二人でもがこうと――今の私には相手にすらならない。
さっきの警備員と同じように記憶を探るけれど、この人たちも兄さんの居場所は知らないみたいだった。もしかして、兄さんのことはほんの一部しか知らない極秘情報だったりするのかな。
仕方なく、この建物についての情報を探る。
どうやらこの不気味な建物は本当にカモフラージュにしか使われていないようで、千寿組の本部は地下にあるらしい。中は迷路のように入り組んでいて、正直記憶を覗く程度じゃ覚えきれない。おまけに千寿組の人しか知らない危ない仕掛けもある。
千寿組の二人の頭から手を離して立ち上がると、二人も同時にゆっくりと立ち上がった。私を見つめる目はさっきの警備員と同じようにぼんやりとしていて、私の洗脳が十分にかかっていることを意味してい
る。
雇われで千寿組とは全く関係の無かった警備員とは違って、この二人はまだ十分利用出来る。
「仲間がいる場所に、案内して」
私の命令に、虚ろな目をした二人はゆっくりと頷いた。
◆
建物の中に入り、二人についていく形で薄暗い廊下を先に進む。
内部は確かに古臭い造りだったけれど、ずっと放置されていたような気配は全くなくて、常日頃から人に使われていることは明らかだった。
歩きながら時折二人は不自然に何かを跨いだり、頭を下げたりする。その場所をよく見ると、分かりにくくセンサーのようなものがあったり、細い糸が張られたりしていた。
触れれば何が起こるかなんて想像に難くない。一人で入ってたら、間違いなく引っかかってただろうなと思う。
陽菜さんが『例え前世の力を持っていようと、何も知らない人が入ればあっという間に死んでしまう場所』だと言っていた理由。記憶から中の情報を知るうちに嫌でも理解することが出来た。
この場所は、一言で表すならば『殺意の高いからくり屋敷』なのだ。
さらりと記憶を覗いただけでも銃弾に爆弾にギロチンに……挙げればきりがない。
外部の侵入は警戒されているといってもどう考えてもこれは――多分だけれど、この仕掛けを考えた人の趣味も入っている。
少し歩くと資料室のような部屋にたどり着く。
中は小さな図書館のようになっていて、廊下に比べても新しく小綺麗に掃除されている。男たちは壁際に敷き詰められた本棚の中、隅に一つだけ不自然に離された本棚へと向かった。オールバックの男の人が本棚から一冊の分厚い本を抜き出す。
後ろから本を覗き込むと、開かれた本に文字もページもなく、ただ意味深な赤いボタンがあるだけだった。
男の人がボタンを押すと、本棚がガラガラと動き地下に続く階段が現れる。
「わぁ……」
ベタだけれどよく作られた隠し階段に思わず感嘆の声を上げてしまった。二人はそんな私の反応なんてどうでもいいのか、さっさと先に進んでしまう。
暗闇に消えていく背中を見つめ、私は緊張で汗をかき始める手をぎゅっと握りしめる。
千寿組と本格的に出会い始めるのはきっとここからだ。
どうにかここまで来れたけど、ここから先は絶対に失敗は許されない。
最終目標は、兄さんの救出。救出後、千寿組に恨みや因縁を付けられないことが絶対条件。
そのためにやるべきことは二つ。
一つはさっきみたいに千寿組の記憶を覗いて、兄さんの居場所を突き止めること。
もう一つは廃製鉄所にいる千寿組の全員から、兄さんと今回侵入した私に関する記憶を消去すること。
誰一人とも記憶を消さないまま逃がしたり、外に助けを呼ばれたりしてはいけない。
ここまでドキドキするのは前世の時以来かも。仮面の下で下唇を舐める。
不思議な感覚だ。
緊張はあるけれど、不思議と心は凪いでいて……でも、闘志の炎はメラメラと燃え上がっている。
……やってやる。
いくらやくざだからって、権力を持った家だからって――何の関係もない兄さんに手を出したこと、絶対に許さないんだから。




