06.親友と相談
その夜、一件の着信があった。
お風呂から上がり、明日からどうしようか自室のベッドに横になって考えていたオレは、いきなり鳴り響いた音に思わずびくりと体が跳ねてしまった。
普段はメッセージ交換のアプリでやり取りをするため、電話がかかってくることはほとんどない。
こんな時間に誰だ、と体を起こしスマホの画面に写っていた名前を見る。
樫山 律
オレが明迅学園にいた時に一番仲の良かった友人だ。
オレが退学になった後も週に一回はメッセージでのやり取りをしていたが、直接電話がかかってくるのは珍しい。
今日に限ってどうしたんだと思いながら、オレは電話に出た。
「もしもし、リツ?」
『ノゾム? ごめん、いきなり電話して』
電話の先から律の特徴的なハスキー声が聞こえてくる。
コイツの声を聞くのも随分と久しぶりだ。
「別にいいぜ、いきなりどうしたんだ?」
『……いや、特に理由は無いんだよね。ただ久しぶりに声を聞きたいと思っただけ』
思わず笑い声が漏れる。
「ははっ、何だそれ。でもそんな日もあるよな」
互いに笑い合った後、律が神妙な声色で話し始めた。
『あのさ、噂で聞いたんだけど……最近あんたの学校ヤバいんだって?』
六天高校と明迅学園は電車で三十分ほど離れているが、さすがに今の六天高校のことは知られてしまっているようだ。
悪い噂はすぐに広がるっていうしな……。
律はもしかすると、心配して電話をしてくれたのかもしれない。
「ま、まあ……」
『あんたも災難だね、退学になった挙句再入学した高校がそんなじゃ……あんたも妹ちゃんも大丈夫?』
律はオレが退学になり、六天高校に再入学した経緯を家族以外で唯一知っている相手だ。
オレはともかく、八千代は大丈夫か、と言われれば大丈夫じゃない。
実際に前世の行いに恨みを持っているヤツらから敵意を抱かれているようだし、いつか見た怪我もそいつらに襲われて出来たものだろう。
前世云々は分からなくとも、八千代に向けられる敵意に気づくことくらいなら出来たかもしれないのに……八千代を守ると決めて再入学したはずなのに何も出来なかった自分が腹立たしくなる。
無意識にギリ、と歯を食いしばった。
『ノゾム?』
心配そうな律の声にはっと我に返る。
「あ、ああ……悪りー、何でもねーよ」
オレの高校のヤツら、いきなり前世の記憶が戻ったみたいでさー……なんていくら律にでも言えるわけがない。気がふれたと思われるのがオチだろう。
そう思い答えたが、律の返事がない。
決まずい沈黙に耐えられず、オレは声を上げた。
「お、おい、リ……」
『ノゾム――何かあったでしょ』
静かな、確信を持った声だった。
ごくりと唾を飲み込む。
コイツの勘の鋭さは知っているが、ここで発揮しなくてもいいのに。
『そんな押し殺すような声で言っても無駄。誤魔化すの本当に下手だよね、あんた』
「……うっせー、分かってるわ」
数時間前に似たようなことを言われた気がするが、こうなったコイツに下手な隠し事は通用しない。
転生云々は省いて今日の出来事を簡単に説明する。
『へ、へぇ……妹ちゃんを姉上と呼んでくる生徒会長に、学校のほとんどの生徒から敵意、ね』
当然と言うべきか、律の声はかなり引きつっていた。
「信じられねーかもしれねーが、マジだ。今日も助けようとして逆に八千代に助けられちまった」
ふがいねーよな、と自虐的に笑う。
だが律からは何も返ってこない。電話の向こうにいる気配ははっきり感じるのだが。
確かに学校中が敵になるなんて小説みたいな話だが……そんなに絶句するほどか?
「リツ? いるよな?」
『ノゾム』
「何?」
『あんたのことだから心配はしてないけど、妹ちゃんのことちゃんと支えてやりなよ。……一人でもそばで支えてくれる奴がいるだけで、救われるものなんだからさ』
いつもの飄々とした律らしくない言葉にオレは言葉に詰まった。
『……なーんてね。でも妹ちゃんも幸せ者だねぇ、こんなシスコン兄貴がいてくれて』
そんなオレの思考を感じ取ったのか、一瞬の間を置いて律はハッと息を漏らした。電話の向こうでにやにやしているのが容易に分かる。
その声色に直前の真剣さはどこにもない。
「シスコンじゃねーよ、お前がオレの立場でも同じことするはずだぜ」
『さあね。でも八千代ちゃんだっけ、あんたがそこまで大切に思うくらいだから相当可愛いんでしょ?』
「もっちろん。ま、会わせてやらねーけどな!」
『はっ、そりゃどうも。兄離れ出来なくてもおれ知らないからね』
律としばらくくだらない軽口を叩き合う。
六天高校でこんなやり取りをすることもここ最近全然なかった。気が楽になるのを感じる。
やはりここ一か月の劇的な環境の変化でオレも気を張っていたみたいだ。
「でも明日からどうするかな……今こっちの生徒は話通じねーヤツがほとんどだし」
もう八千代に怪我などさせるわけにはいかないが、相手は前世の力を持ってる分多分オレよりもずっと強い。
それにオレも蓮水先輩に命を狙われている。命を狙われているなんて現代日本でまず聞かない言葉だが、今の蓮水先輩に犯罪だとかそういう意識はないだろう。
八千代を狙うヤツらばかりに気を取られてオレがやられる可能性もある。
『いつもみたいに殴れば? イキりと暴力はお前の十八番じゃん』
「十八番って言うな。情けねーことに返り討ちにあったばっかだよ。それにまだ直接現場を見ちゃいねーが、八千代を狙ってるのは一人や二人じゃねーって話だ」
『ふーん……お前以外に味方は?』
「八千代と同じ委員会の先輩が一人。女子だけどもし困ったら頼れって言ってたし、多分強い……と思う」
矢吹先輩の前世のことについてはあまり知ることは出来なかったが、ルミベルナの洗脳が効かなかったと言っていたし、格が高い魔晶族であったのは間違いなさそうだ。
矢吹先輩と言えば、律と矢吹先輩はどことなく話し方とか雰囲気が似ているなと思う。
『はっ、いくら強かろうとあんたとそいつだけじゃ心もとなさすぎるでしょうが』
律はオレの言葉に鼻で笑った。
確かに転生者のことを知らなければそんな答えになるのは当たり前だ。
『相手は全校生徒の大半で、喧嘩も強いんでしょ。しかも罰せられることも恐れず直接暴力で来るときた。もはやお前と妹ちゃん、その先輩だけで済ませられる規模じゃないの分かってんの?』
言い方はキツいが、オレの話を真剣に聞いてくれるばかりか現状を聞いて冷静に分析してくれる。命がかかっているこの状況でこれは本当にありがたい。
頭の回る友人を持ったことにテスト以外でこれほどまでに感謝することになるとは。
『一番手っ取り早いのは警察に頼ることだけど』
「警察は信用出来ねーよ」
『まあそうなるよね』
ストーカー事件の一件から、オレの中での警察の評価は最下層にある。あの時権力に屈して被害者側のオレら一家をぞんざいに扱った時点で、もう二度と警察には頼らないと決めた。
あのクソっぷりは散々話してあったせいか、律はオレの拒否にすんなりと納得した。
『ほんと、何でこんなことになってしまったんだろうね』
ぽつりと、律が呟く。
それは独り言に近いものだったが、その声色には切実さが漂っていてオレは強烈な違和感を感じた。
「え、何でお前がそんな深刻そうに言うんだ……?」
思わず訊ねるが、律はすぐにいつものおちゃらけた声で「何でもなーい」と答える。
気のせいか……?
オレが言い返す隙も与えず、律は言葉を続ける。
『ほら、急に学校の大半が狂暴化なんてどう考えても異常でしょ? おれとしては何でそんなことになってるのかが一番知りたいんだけど』
それは、学校の生徒たちに人外だった前世の記憶や力が生えてきて、それに引っ張られているからだ。
ここまで親身になって聞いてくれる律にならば話してもいいんじゃないか……と思う気持ちもあるが、まだ憚られる。
しかし何でそんなことになってるのか、か。
よくよく考えてみれば、一番根本的なことが分からない。
何で突然、一斉に、前世の記憶や力が戻って来たんだ?
「確かに、そうだな」
図書室で話した蓮水先輩のことといい、まだまだ分からないことが多すぎる。
明日からどうなるかは分からないが、学校という閉鎖的な空間で一日の大半を過ごす以上、オレや八千代を狙うヤツらから逃げるのにも限界がある。衝突は避けられないだろうし、逃げるだけじゃ何も変わらない。
前世の記憶が戻っちゃいました、で終わってはいけない。戻った原因を調べるんだ。
原因が分かれば、もしかすると元の学校に戻すことも出来るかもしれない。
そのためには八千代たちの前世のことをもっと知らなければ。
耐えられずに学校を辞めるのは最終手段だ。オレは一度退学になっているし、これ以上両親に迷惑はかけられない。
目的も見えたところで、オレは気持ちを新たにスマホを持っていない手で拳を握った。
「ありがとなリツ、お前に話してよかったぜ」
『おっ、いつものノゾムに戻った?』
「やることを見つけたっつーか、まー何か吹っ切れた! 礼に次会った時何か奢ってやるよ、今度また遊ぼうぜ」
『えっ奢ってくれるの? 言ったね? でも今結構忙しくてしばらく会うのは難しそうかなー……』
明迅学園は全国的にもそこそこ名の通った進学校だ。授業の進みも全然違うだろうし、特待生で通っている律は当然忙しいだろう。
「授業とか大変だろうし、しょうがないか。また連絡してくれよな」
それからは雑談やいくつかのアドバイスをもらい、夜も更けるころオレは電話を切った。
「ふー……さすがはリツだな。軍師みてーなアドバイスくれやがる」
このタイミングで律から電話が来たのは本当に運が良かった。
アイツはこういうことに単細胞になりがちなオレと違って、色々と考えられる。
自分たちだけでやる以上、多少身を危険に晒してもやれることは何でもやらないと……
もう八千代に怪我をさせてなるものか。
そんなことを考えているうちに、だんだんと瞼が重くなってきた。
それに蓮水先輩から受けた攻撃の痛みはもう引いているが、あれからずっと体が熱っぽい。風邪ではないだろうし、きっと体がびっくりしているのだろう。
明日に備えて今日は早く休もう。
スマホを置いて目を閉じると、あっという間に眠りの中に落ちて行った――