64.太陽の回顧(上)【♡】
「やっぱり、いますのね」
表情を変えた私たちを見て確信したのだろう、千寿さんの瞳が少しだけ揺れ、そのまま静かに目を伏せる。
「彼は元気にしていますか?」
前世の自分を殺した相手だ。しかもあんな形で……気になるに決まってる。
私が千寿さんだったとしてもしクレイヴォルも転生していることが分かれば、もっと彼のことを詳しく聞こうとするだろう。
六天高校の中庭で襲われた時に見た影の鎖。あれを作れるのは彼だけだ。それにアイリーンの件でも兄さんを助けてくれたと聞いている。
彼が今世にいるのはほぼ間違いない。
あのクレイヴォルが助けてくれたのかと思うと信じられないけれど、きっと今世の彼は人に助けの手を差し伸べられる人なのだろう。
「え、ええと、それが……」
でも生憎、私はまだ一度もクレイヴォルの転生者と会ったことがないのだ。
マリー・カレンデュラ本人が出てくるなんて思ってもみなかったにしろ、兄さんとその話題になった時にせめて名前くらいは聞いておくんだった。
そのことを彼女に伝えようとしたけれど、それを遮るように蓮水先輩が言葉を被せた。
「ああ。記憶が戻ってからは話したことはないが、至って健康そうだったぞ」
思わず先輩の顔を見る。
まるでクレイヴォルの転生者が誰なのか知っているような言いぶりだ。一体どこで……もしかして、兄さんに聞いたのかな。
「……そう」
先輩の言葉に、千寿さんは小さく頷いて軽く頭を下げた。
「元気そうなら良かった。……それだけですわ、ありがとうございます」
そう言って顔を上げると、少し太めの眉を下げてぎこちなく笑う。
ただ単に様子が気になって聞いたにしては、どこか後ろめたさを感じる顔だった。
再び静まり返った室内で、ただ決まずい空気が流れる。
どうやってこの空気を払拭しようか各々が迷いを見せる中、しばらくの沈黙の後「よし」と小さく声を上げたのは侑里先輩だった。
「ちょうどいい機会だからさ。あの時のこと、この際全部聞いてもいい?」
そのまま背筋をピンと伸ばして千寿さんに向き直る。
真剣な顔で彼女を見つめるその焦げ茶色の瞳。それはさっき彼女がしていたものと同じくらい真っ直ぐだ。
「あの時のこと、ですか」
その瞳に少しだけ怯んだのか千寿さんは先輩から目を逸らした。
きっと彼女は侑里先輩――いや私たち全員が聞きたい『あの時のこと』が何なのか察しがついているだろう。
「前世の君とあいつが原因で、魔晶族は訳も分からぬまま甚大な被害を受けたんだ。君たちの死に方といいさぁ……ぶっちゃけあいつとはどんなカンケーだったの?」
「おい、さすがに少し無遠慮じゃないか」
あまりにもストレートな物言いに、蓮水先輩が冷や汗をかいている。
「だってさー気になるじゃん? 最期のアレはどう見てもただの宿敵関係じゃなかったでしょ」
そんな彼に口を尖らせながらそう返す侑里先輩。
確かに少しデリカシーがない言い方だとは思うけれど、先輩がそう聞きたくなる気持ちはよく分かる。
今だって鮮明に思い出せる。
機械と同等の存在となった挙句弱体化したマリー・カレンデュラの強さに合わせて戦いながら、何度も何度も正気に戻そうと声をかけ続けたクレイヴォルの姿を。
そしてどうあってもそれが叶わないことを悟った彼の、悲痛な笑い声を。
彼女の攻撃で致命傷を負った彼が、既に己の得物によって事切れた彼女を抱きしめながら黒い煙を出して消滅していく、あの光景を。
致命傷を負った攻撃もいつもの彼なら簡単に避けたり弾いたり出来るもので、わざと当たりに行ったようにしか見えなかった。
敵には一切の容赦はない。誰の助けも借りず、どんな相手にも手を抜かず、真正面から全力で叩き潰す戦い方をするのが彼だった。
彼が魔晶族に王だと認められたのは、決してその強さだけじゃない。その孤高な在り方に魔晶族が惹き付けられたのも大きい。
だから信じられなかった。
敵であるはずの彼女に手を抜いて戦う姿も。
孤高であるはずの彼が戦い以外の何かに――しかもそれが戦争相手の人間に――執着しているのも。
消滅する時の彼が今までに見たことがないほどに穏やかな表情になっていたことも。
彼が死ぬときは一人、戦いの中で死んでいくものだと思っていた。
まさかあんな――戦いを放棄し、相手と心中とも呼べるような死に方をするなんて微塵も思っていなかったのだ。
「二人だって気になるでしょ?」
侑里先輩の言葉でハッと我に返る。何やら考え込んでいた蓮水先輩もびくりと肩を跳ねさせた。
きっと、蓮水先輩も私と同じようなことを考えていたんだろう。
「それは……」
「ま、まあ……」
あの時のことをもっと詳しく聞きたいのは事実だ。ぎこちなく、でもしっかりと頷く。
そんな私たちを見ていた千寿さんは、覚悟を決めたように口元を引き締めた。
「いいですわよ」
「え?」
「貴方たちは実質的な被害者ですもの……知る権利がありますわ」
そう言って頷く彼女の顔色は少しだけ悪い。
確かに前世に関して最も知りたいことの一つではあるけれど、無理に話させてしまうのもいただけない。
「ほ、本当にいいんですか? 話したくなかったら別に……」
「いいんですのよ。クレイのことを振った時点で、聞かれることは分かっていましたし……わたくし自身も一度整理したいんですの」
「整理……ですか」
「ええ」
苦笑いをする彼女を見て、ふと兄さんに転生のことがバレた次の日に、兄さんから前世の私を知りたいと言われたことを思い出した。
あの時の私は、ルカに引っ張られている(と思っていた)蓮水先輩が前世とは別人のような振る舞いをして、おまけに兄さんを殺そうとしたことに少なからずショックを受けていて、そしてこの件に兄さんを巻き込んでしまったことに落ち込んでいた。
話したところで兄さんが私のことを嫌いにはならないと分かってはいたけれど、今はもう別人とはいえ罪深いことばかりしていたかつての自分を話すことへの恐怖があった。
それでもいざ話してみると、それで何かが解決しているわけではないのに、少しだけ気が楽になったのだ。
もしかしたら彼女も同じように、話して気持ちを落ち着けたいのかも。
クレイヴォルのことを聞いてきた彼女の顔を見るに、彼女が彼に対して何か悩んでいることがあるのは間違いなさそうだし。
「それなら、ぜひお願いします」
それで話して楽になるのなら聞いてあげよう。
兄さんが私にしてくれたように。
千寿さんは小さく頷く。
そのまま話し始めるかと思いきや、こめかみに指を当ててうーんと唸り始めた。
「とは言っても、正直わたくしにも彼とマリーがどんな関係だったのかよく分かりませんのよねぇ……」
クレイヴォルは確か、戦場以外でもマリー・カレンデュラに個人的に会いに行っていたことがあったはず。
気になってこっそりと偵察に行ったルカが『戦いが終わった後、戦争に関係のない個人的な話をしていた』と言っていた記憶がある。
顔を合わせば殺し合い。でも、時折個人的な話をしたりもする。
不思議な関係だったとは思う。
外から見ていた私たちでさえ分からないのだから、本人たちが分からないのも無理はない。
「それでも一つだけはっきりと言えるのは……マリーにとってのクレイヴォルは『己の全てを犠牲にしてでも殺したかった相手』だということですわ」
続けて出てきた言葉に、妙な違和感を覚えた。
「殺したかった……?」
「ええ、殺したかったのです」
確認する私に彼女は淡々と答える。
思っていたよりも物騒な感情を抱いていたことに驚きはあれど、その感じた違和感が何なのか考えていると――
「『殺したい』? 『捕まえたい』とか『倒したい』ではなく?」
その答えを言い当てるかのように蓮水先輩が口を開いた。
はっとして千寿さんを見ると、少し決まづそうな顔をしている。
違和感を感じたことに納得し、再び小さく頷く彼女の言葉を待つことにした。
「殺す気でかからなければまともに戦えない相手だとはいえ、彼は国が確保すべき最重要エネルギー資源の一体……決して殺さず、生け捕りにしなければならなかった。だから、いくら全力を出そうが最後の最後には殺さないようにブレーキをかけなくてはいけなかったのですわ。
クレイもそれには気づいていて、全力で戦えといつも不満そうにしていました」
そう。いくら殺し合いをしようが、本当に殺してしまってはいけないのだ。
サーシス王国軍の一番の目的は、国の再建のために魔晶族から魔素を抽出することなのだから。
そして今の台詞で分かってしまったこともある。
一見拮抗していたように見えた二人の戦い。
でもそれはマリー・カレンデュラがクレイヴォルを殺さないよう力をセーブして戦っていたから。
生け捕りという制限さえなければ、きっとマリー・カレンデュラはクレイヴォルよりも強かったのだ。
人一倍プライドの高いクレイヴォルのことだ。加減をされるのはこの上ない屈辱だっただろう。
だから何とかして全力を引き出そうと、何度も彼女の元へ通っていたに違いない。
「わざとでなくとも、殺してしまえばただでは済まないことは分かっていました。国への裏切り行為ですし、国のためにあんな体になってまでしてきたことが全て無駄になってしまう」
最初魔晶族の前に立ちはだかった彼女は、必ずルミベルナたちを捕らえてやるという決意に満ち溢れていた。迷いなく魔晶族と戦う姿は眩しかった。
そんな彼女が『戦争の目的』を台無しにするようなことをするなんて――
「でも、」
深く俯くことで出来た陰と重力に従って垂れた横髪に隠れて顔が見えなくなる。
ただ唯一見えるパーツである桜色の唇はわなわなと震えていた。
「情が湧いてしまいましたのよ」
震える手をもう片方の手で抑えつけて静かに吐き出す姿。
その今にも泣きだしそうな様子に全員の顔が強張る中、彼女は懺悔するように話し始める。
「自らが望んだこととはいえ、姿の変わっていくマリーに恐れをなして誰も近づかなくなっていく中、あの人だけは変わらなかった。会ってすることは命と命の削り合いでしかなかったけれど、マリー自身を見て、真っ直ぐにぶつかってくれましたから……絆されるのも時間の問題でしたわ」
クレイヴォルは強者との戦いを望んでいた。
でも彼の強さは有名だったから出会った相手は皆逃げ出すか媚びへつらう者がほとんどで、まともに戦えるどころか戦ってくれる相手すらいなかった。マリー・カレンデュラと出会うまでは。
久々に現れたまともに戦える、戦ってくれる相手。姿を見た誰もが怖気づく威圧感を放つ彼から逃げ出さずに立ち向かう勇気と、それに見合った強さ。マリー・カレンデュラはその両方を持ち合わせていた。
渇きを癒すように戦いを挑んでいたのを見るに、彼にとってはそれらさえあれば彼女の姿なんてどうでもよかっただろう。
「だから」
千寿さんは強い語気でそう言って顔を上げる。気丈な顔つきをしていたけれど、その金色の瞳は少しだけ潤んでいた。
「彼の望み通り、全力で戦いたくなったのです。国のために捕らえた後、エネルギーを抽出されるだけの置物にされるくらいならいっそ自分が、と思ってしまいました。
戦争に勝っても負けても自分が死ぬ運命が変わらないのなら――唯一自分を等身大で見てくれる彼の期待に、自分の欲に、応えてもいいのではないかと」
きっと今だから話せる本音。
そんな素振り全く見せなかったけれど、マリー・カレンデュラ自身はそう思っていたんだ。
「どういうこと? 死ぬ運命は変わらないって」
侑里先輩が不可解そうに口を挟むと、千寿さんは自虐的に笑ってこう言った。
「魔晶族を捕らえて国が豊かになったところで――マリーの存在は国の新たな脅威になりかねませんわ。戦争が終われば、用済みになって殺されることくらい最初から分かってましたわよ」
彼女の言葉に息を飲む。質問をした侑里先輩も口をわずかに開いて固まっていた。
平和になってしまえば、強過ぎる兵器――しかも自我を持った兵器は邪魔なだけ。彼女を狙って他の国が探りを入れて来る可能性もあるし、処分するのが一番いいのだろうけれど……それじゃあ国のためにあんな姿になったのにあんまりだ。
樫山さんがそっと目線を下に向ける。その仕草が彼女に言っていることが本当なのだと裏付けているようで、少し胸が苦しくなった。
「全力で彼と戦おう。彼を戦士として死なせてあげよう……そのエゴ塗れの決意が、マリーの国への最初で最後の反抗でしたわ」
マリー・カレンデュラがクレイヴォルに抱いていた『己の全てを犠牲にしてでも殺したかった』理由はよく分かった。
でもそれじゃあ――
「ならどうして、あの時はあんなに弱くなってたんですか?」
「ああ、それだ。改造で感情を消したと聞いたが……」
私に合わせて蓮水先輩も口を開く。
先輩の顔は少し苦し気に歪んでいて、何となくだけれど、今いる中で一番この件が気になっていたのは先輩だったのかなと思った。
前世で二人の様子を一番見に行っていたのはルカだったから。
千寿さんは少しだけ目を瞬かせると、すぐに静かに瞳を閉じた。
「迷いを捨てたかったのですわ」
「迷いを?」
「ええ。決意したはいいものの、本当に自分に出来るのかと不安になってしまったんですの。いざ殺そうとした時に、もしかしたら無意識に躊躇って……攻撃が鈍ってしまうのではないかと。それだけマリーの中で彼の存在が大きくなっていましたのよ」
再び瞳を開けると、薄く笑う。
「だから科学者の人たちに感情を消せる方法があると聞いて、そうしてもらうことにしたのです。どうせ彼を殺した時点で大罪人ですから、国を裏切る罪悪感も消してくれると思えば何も怖くはなかった。
感情が消えても、『彼を殺すために感情を焼き切る決意をした』……それさえ分かっていれば十分でした」
感情を消しても記憶が消えるわけではない。
その『原動力』さえ覚えていれば、迷いなく全力でクレイヴォルを殺せると思ったのだろう。
でもその結果は、実際にそれを見た私たちが一番よく知っている。
「その後は貴方たちの知る通りですわ、いざ戦おうとすると全く力が湧いてきませんの。
……これは生まれ変わってから知った話です。実はわたくしが彼を殺そうとしていることは最初から国に気づかれていて、感情を消したと同時にそうしないよう弄られていましたのよ」
思わず樫山さんを見る。
嘘であって欲しい……そんな期待を裏切るように樫山さんは黙って首を縦に振った。
「ふふふ、反逆なんてする前から終わっていましたのね」
絶句する私たちに千寿さんは穏やかに笑っている。
彼女の行為は間違いなく反逆で、国の存命がかかっているのだから分かった時点でそうするのは当然だ。でも――
――ふざけんじゃねェぞ!! テメェの言ってた本気の姿がそれか!? 違うだろうがァ!!
クレイヴォルのあの叫びから考えるに、多分マリー・カレンデュラは事前に「次は本気で戦う」と言っていたのではないだろうか。
今思い返すとあの戦いの直前までの彼は、いつもよりも機嫌が良かった。死ぬかもしれなくても、きっと彼女との本気の殺し合いを楽しみにしていたんだろう。
「どんな形であれ、彼を殺すことは出来た。でも結局わたくしは……全力での戦いを望んでいた彼を最低な形で裏切ってしまいました」
お互いが望まぬ形のまま対峙して、そして終わってしまった。
これでは二人にとってあまりにも救いがなさすぎる。
「あの人も、過去の自分が下した命令にも従えない機械に成り下がったわたくしを……無様だと笑って、さっさとスクラップにしてくだされば良かったのに」
そう皮肉をこぼして冷たい笑みを浮かべていたけれど、直後震えだす体に、それが強がっているだけなのだとすぐに分かった。
歯をカチカチと鳴らして今にも溢れ出してしまいそうな感情を必死でこらえているみたいだったけれど、とうとう我慢できなくなったのか机に伏せてしまう。
「なのに、どうして……あんなことを……」
潤んだ声でそう呟いた彼女に、私たちはどう言葉をかけていいのか分からなかった。




