60.弁解と告白と【♡】
気がつけば300,000文字を超えてました。
第1話を投稿したときはまさかここまで書き続けられるとは思っていませんでした。
まだまだ至らない点も多いですが、これからもよろしくお願いいたします。
「ど、どうしてそんなやつがここに……」
兄さんを誘拐した反社会的組織のトップの娘。
まさかすぎる人物の登場に蓮水先輩は冷や汗を流している。
その人物である千寿陽菜は――そんな蓮水先輩の顔をじっと見つめ「貴方、ルカですわね」と確信を持った目で訊ねる。別にルカは顔を隠していたわけじゃないし、分かって当然なのだけれど。
それに先輩が頷くと相手は苦虫を嚙み潰したような顔をして、
「本当に繋がりがあったなんて……」
と呟き再び樫山さんを目を向けた。
「ズルいですわよ! 魔晶族の転生者と知り合いなら、教えてくださってもいいのではなくて!?」
ジュッと音を立てて、凍り付いていた腕の氷が溶ける。……この人の氷の魔法って、ちょっとやそっとじゃ溶けなかったはずなんだけどな。
拳を握りしめて喚く千寿陽菜に、相手はすぅと目を細めた。
「あんたに教えても混乱しか招かないでしょ」
「そんなこと、」
「本当にトラブル起こさないの? 何度も六天に単騎突入しようとして、その度に学園中を震撼させてたあんたが?」
「あ、あれは周りが過剰に反応しやがっただけですわ! わたくしは穏便に」
「穏便? 止めるやつらをグラウンドごとぶっ飛ばしといて何言ってんのさ」
口論は始まるまでもなかった。感情的にまくし立てようとする千寿陽菜に対し、怒りが一周回って冷めきっている樫山さんの方が何枚も上手で容赦なく彼女の言葉を切り捨てていく。
「普通に考えて、そんなんで教えたりなんかしたら絶対何かやらかすと思うでしょ」
「ぐぬぬ……」
彼女の態度を見るに、今交わされた会話の内容は事実なのだろう。もしかすると明迅学園でも相当な問題児なのかもしれない。
冷たく言い放つ樫山さんに相手は屈辱で顔を真っ赤にし、いじらしく睨むことしか出来ないようだった。
このまま見ていても一向に本題に入らなさそうだったため、
「あ、あのー……」
と恐る恐る声をかけると、彼女はそこで初めて私の存在に気がついたのか、その金色の瞳でじっと私を見つめてくる。
「覚えてますわよ。貴方、三縁くんの妹さんでしょう」
お、覚えてる……?
私この人に会うのはこれが初めてのはずなんだけどな。
こんな強烈な人一度会ったら忘れるはずがないし、過去に関わりなんてなかったと思うけれど……。
不思議に思いながらも頷くと、相手は「やっぱり!」と大きな声を出して勢いよく頭を下げてきた。
「わたくしの家がごめんなさい!! 今回の件は本当に本当に、何とお詫び申し上げればよいか!!」
謝る彼女の顔色は真っ青だ。
私のただの偏見だけれど、やくざって面目を気にするというか、舐められたら終わりと考えてそうな……要するにそう簡単に人に頭を下げないイメージがある。
そんな人たちに囲まれて生きてきたであろう彼女がこの世の終わりのような顔をして頭を下げるのは相当なことなのでは……?
でも、今私が聞きたいのは謝罪じゃない。
彼女の両肩を掴んで半ば無理矢理謝るのを止める。
恐る恐る顔を上げた彼女に私は訊ねた。
「今兄さんがどこにいるのか分かりますか」
その言葉に相手はわずかに目を見開いて、そして――固い面持ちで頷いた。
「ええ。既に調査済みですわ」
その目は最期に見せた暗く淀んだ目ではない。
今の時点での彼女と私の知っているマリー・カレンデュラは見た目も性格も別人のように違うけれど、この目は――
恐ろしく強かった時の、きらきらと輝いていた時の――真っ直ぐな強い光の灯った目。
その目を見た私は思わず口を開いていた。
「樫山さん、この人の話、詳しく聞きましょう」
「……信じるの」
「今の状況で、話も聞かずに追い返すのは悪手だと思います」
彼女が本当に信用出来る人なのかはまだ分からない。
樫山さんの言う通り彼女が兄さんの誘拐に絡んでいたのならば、こうして私たちの前に現れた時点で、既に相手にとって不足無しの状態になったということを意味する。
マリー・カレンデュラは人質を取るような手を使う人ではなかったけれど、生まれ変わったことでとんでもない悪女になっている可能性もある。
けれども、しらみつぶしに千寿組を調べようとしていた今彼女が来てくれたのは幸いだった。
たとえ罠だったとしても、今は彼女から兄さんのことを聞き出すのが一番いい。
……さっき二人が話していた内容も気になるし。
それでも難しい顔をしたままの樫山さんに、ふくれっ面になる千寿陽菜。
「もう。今回の件、誓ってわたくし自身は何も関与していませんわ。そもそもわたくしは、三縁くんを退学させた挙句、うちの会社を好き勝手こき使うあの家が大嫌いですのよ。話を聞いてくださいまし」
「……樫山さん」
今の彼女から全く敵意は感じられないし、この件について話を続けようとする意志もある。
二人でじっと樫山さんを見つめると、相手はしばらく黙り込みそして、観念にしたように手を上げた。
「分かったよ。妹ちゃんに免じて話だけは聞いてあげる」
「……!」
緊張で硬直していた体が緩む。
「ありがとうございます……!」
「はあ、本当……簡単に信用するんだから」
そう言って呆れたようにため息を吐いた樫山さんを千寿陽菜がじとーっとした目で見ていた。
「貴方、妹さんには随分甘いんですのね?」
「うるさい。言っとくけど、何か変な真似したら容赦しないよ」
睨み返しながらそう返す樫山さんを、「まあ怖い」と言いながらわざとらしく身震いする彼女の顔は笑っている。
やっぱり、マリー・カレンデュラがしていた笑みとは全く違う。
そもそもマリー・カレンデュラはこんなお嬢様口調じゃなかったし、性格ももっとこうクールというか……ボーイッシュな感じだった。髪と瞳の色、そしてあの真っ直ぐな目は変わらないけれど……。
彼女を見ていると、前世と今世の人格が別物だというのがよく分かる。
そんなことを思っていると、私たちのやり取りを見ていた蓮水先輩が口を開いた。
「……なあ、話してくれるのはいいんだが」
そう言って全身灰と砂埃を被った千寿さんを、そして彼女の周りのフローリングに散らばった土と灰をやや迷惑気に指差した。
「まずはその恰好と床を何とかしてくれないか」
◆
「まあ、なんて美味しい紅茶!」
その後、部屋の中に入れるくらいには綺麗になった千寿陽菜……もとい千寿さんは、私の隣の席に座って蓮水先輩の淹れた紅茶に舌鼓を打っていた。
理事長先生の淹れる紅茶も美味しかったけれど、先輩の紅茶も同じくらい美味しい。茶葉を入れる前にポットやカップを温めていたし、時間もちゃんと計っていたし、きっとこの美味しさは茶葉だけからくるものじゃないんだろう。
「貴方、淹れるのがとってもお上手ですのね!」
「あ、ああ……ありがとう」
きらきらと顔を輝かせながら絶賛する千寿さんに、向かい側に座っていた蓮水先輩は少し照れくさそうに頷いた。
無理もない。普段から良い物を食べて舌の肥えていそうなお嬢様に、こうやって手放しで褒められれば私だって同じ反応になる。
「ねえ、ゆっくりお茶する暇あるなら早く話してくんない」
再び紅茶を口に含み顔を緩ませる千寿さんに、蓮水先輩の隣の席で腕組みをしていた樫山さんが不機嫌そうに声を上げた。
「あ”あ”ん!? うるせェですわね、出されたものを適当に召し上がる方が失礼ではありませんこと!?」
「……」
「……分かりましたわよ」
お嬢様にあるまじき声を出しながら、くわっと今にも噛みつかんとばかりの顔になる。それでも表情をピクリとも変えずにじっと見つめるだけの樫山さんに、彼女はうっと声を詰まらせた。本当にころころとよく表情が変わる人だ。
ティーカップをソーサーに置いて、千寿さんは背筋をピンと伸ばして改まった格好になる。
「先に誤解を解いておきましょうか。今回の件にわたくしが関与していると思ったのはなぜ? そもそも、樫山はどうやってこの事を知ったんですの?」
「今日の昼休み、あんた糸杉千景と話してたでしょ」
「ああ、あの時」
あっさり肯定した千寿さんに、樫山さんの目つきが鋭くなった。
「惚けないでよ、おれ聞いたんだからね。妹ちゃん目当てにノゾムを人質にしようとしてることも、あいつが『あんたのおかげで組が動いてくれた』って言ってたのも」
千寿さんのおかげで組が動いてくれた?
その言い方じゃ、千寿組は元々兄さんを誘拐するのを嫌がっていたような言い方だ。それを実行させたのが千寿さんってこと?
樫山さんは彼女が兄さん目当てにやったと言っていたけれど……。
対してその言葉を聞いた千寿さんはどこか腑に落ちたような顔になった。
「貴方、その後の会話を聞いていないでしょう」
わずかに目を見開いた樫山さんに、千寿さんは「そういえば」と続ける。
「あの時周りが少し騒がしかったですわね。どうせ貴方、生徒たちに追いかけられでもして話を最後まで聞かなかったのではなくて?」
「……それは」
少しバツが悪そうに目を逸らす。
その顔は図星だと分かったのか、千寿さんは心外だと言わんばかりに眉を吊り上げた。
「もう、勝手に勘違いしないでくださいまし! わたくしも今回の件については、あの時に初めて知ったんですのよ!」
「じゃああの会話は何なの」
「それが、どうやらわたくしが三縁くんに会いたがっていることを、お父様がどこかで知ったみたいなんですの。それで、糸杉の要望通り捕らえたついでにわたくしと会わせればと考えたみたいで……」
そこで言葉を止めると、千寿さんはぐいっと身を相手に向かって乗り出した。
「そ・も・そ・も! 貴方がさっさと三縁くんの連絡先を教えてくださっていればこんなことには!」
「しょうがないでしょうが! ノゾムが今は止めてくれって言ったんだから!」
そのままやいのやいのと言い合いを始める二人。
話に付いていけているようで付いていけていない私たちは、完全に置いてけぼりをくらっていた。
千寿さんの言う通りであれば樫山さんが誤解していたということになるけれど、それはそうとして分からないことがある。
「あの、さっきからずっと気になっていたんですけど、千寿さんはどうして兄さんに会いたいんですか?」
千寿さんが樫山さんに兄さんの連絡先を教えてもらおうとしてたりとか。
樫山さんが千寿さんを応援してたとか。
そもそも兄さんが誘拐されたのは、糸杉千景が私を狙ったのに加えて、千寿さんのお父さんが娘を兄さんに会わせるためだった、とか。
これじゃまるで――
「え、ええとそれは……」
私の質問を聞いた途端、顔がりんごのように真っ赤になった。
さっきまでの堂々とした態度はどこにいったのか、恥ずかしそうにぷるぷると震えている。
「三縁くんと、お、お友達になりたいなぁ、と思いまして……」
しどろもどろになりながらはにかんで答えるその顔は、どう見ても恋する乙女の顔だった。
こんな顔を見せられて気づかないほど鈍い人はこの場にいない。
樫山さんの隣に座っていた蓮水先輩も、ソファにぐったりとしたままずっと黙って私たちの話を聞いていた侑里先輩も、まさかの事実にぎょっと目を見開いていた。
「え……え? 君、三縁が好きなのか?」
蓮水先輩にはっきりと好きという言葉を使われて、彼女の頬にはさらに朱色が差し、
「は、はい……」
今にも煙が出そうなほどに赤くなった頬を押さえながら、こくこくと頷いた。
「えっ、で、でもそれじゃ……」
その答えを聞いた蓮水先輩の目が泳いでいる。ここまで混乱している先輩を見るのは、以前私にルカになりきっていることを指摘された時以来だ。
でもそうなる理由は何となくだけれど予想がついた。私も一瞬頭をよぎったから。
愕然とする私たちを他所に、当の本人は「きゃーっ、言っちゃった! 言っちゃいましたわ!」と一人体をくねらせて盛り上がっていた。
「で、でもどうして今になって? 兄さんが明迅学園にいる時に仲良くなればよかったんじゃ」
去年は同じ学校だったのだから、その時にいくらでもチャンスはあったと思うんだけどな。どうして今になってこう積極的になっているんだろう。
退学になってから好きになったなんて考えにくいし……。
私の素朴な質問に、千寿さんは途端に表情を暗くし下を向く。
そんな彼女を見た樫山さんが呆れたようにため息を吐いた。
「こいつ、恥ずかしがって授業以外ノゾムの前にほとんど姿を見せなかったんだ。おかげで同じクラスだったのに顔すら覚えられてないんだよ」
「だ、だって、いざ話しかけようと思ったら頭が真っ白になってしまって……その間に三縁くんはいなくなってしまいましたし」
恥ずかしくて話せなかったんだ……姿を見せなかったから当然なのだけれど、顔を認識されていないのは中々不憫だ。
今世の彼女はお世辞抜きに綺麗で可憐な姿をしているし、普通の男子なら絶対に一目で記憶に焼き付けるだろうけれど、兄さんだもんなぁ……。
兄さんは、相手からの好意に疎いところがある。
別に鈍いわけじゃないのだ。相手が自分に好意を抱いていることは分かっているのに、その好意を無碍にする時がある。
人間関係リセット症候群なんて最たる例で、関係を絶った相手の中にはきっと兄さんを良く思っていてくれた人もいただろうに。
朴念仁よりもよっぽど質が悪い。
そんな相手を好きになってしまった彼女に、少しだけ同情した。
「そうこうしているうちに退学になってしまって落ち込んでいたのですけれど、そしたら前世のことを思い出して……何だかこれまで恥ずかしがって何もしなかった自分が馬鹿らしくなってしまったんですのよ。あの時の経験に比べれば、三縁くんに話しかけることくらい、取るに足りないことですのに」
当時を思い出しているのかそう話す彼女の目は凪いでいる。
マリー・カレンデュラの人生は壮絶だ。魔晶族と戦う兵器として体を改造され、改造された後もその身体を凌辱され、挙句には感情まで消されてしまった。
あの体験をしてしまえば、並大抵のことがどうでもよくなってしまうのは間違いないと思う。
でも、そもそも彼女は最期どうしてあんなに弱くなってしまったんだろう。
変わり果てた自分を見て絶望していた好敵手を、感情を取り戻した今、どう思っているんだろう。
今それを聞く勇気は、私にはなかった。
「ホント、おれから連絡先聞こうとしつこく付き纏ってさ。組を使えば簡単に分かるってのに」
「組を使わずに自力で接触したかったんですのよ。でもまさか、こんなことになるなんて」
まさか自分が会う前に家族が手を出すなんて思わなかったのだろう。太ももの上に置かれた拳が震えている。それを押さえるように拳に力を入れると、
「とにかく、今回わたくし自身は何もしていませんわ。これで信じていただけます?」
と真剣な表情で樫山さんを見つめた。
その言葉に、そもそも千寿さんは誤解を解くために話し始めたことを思い出したのか樫山さんの顔が曇る。
その表情を見るに、粗方誤解は解けているんだと思う。ただ決め手がないだけで。
「信じてもいいんじゃないでしょうか」
迷う素振りを見せる樫山さんに助け舟を出すと、少しだけ驚いた顔をして私を見た。
「どうしてそう思うの?」
「千寿さんが『兄さんと友達になりたい』って言った時の顔です」
その返答に今度は千寿さんが「え?」と驚いた声を出す。
嘘じゃない。
最初は少し疑っていたけれど――あの顔を見た瞬間、私から『彼女は糸杉千景と組んでいる』という考えは完全に消えてしまった。
「演技であんな顔出来るわけないです。なのに兄さんを退学にしたあの人と組んで兄さんを誘拐するなんて、そんな兄さんに嫌われるだけな行為はしないと思います」
千寿組を使わずに樫山さんから連絡先を聞き出そうとしていたのは本人から聞いている。
六天高校に単騎突入しようとしていたのも、もしかしたら兄さんに直接会おうとしていたからかもしれない。
少なくとも彼女は真っ当な方法で兄さんとお近づきになろうとしていた。
そんな彼女が今更そんな外道なことをするとは思えない。
「そう、だね」
私の意見に、樫山さんも納得せざるを得ないみたいだった。
そもそも彼も千寿さんを応援していたらしいし、その辺りは私よりもよく分かるはずだ。
樫山さんは一つ頷くと、そのまま千寿さんに向かって頭を下げた。
「……疑ってゴメン」
「ふふん、分かってくれればいいんですのよ」
そう言って千寿さんは得意げに笑う。
そんな二人を見てふと疑問に思った。
今更だけど、千寿さんはサーシス王の生まれ変わりである樫山さんのことを恨んでないのかな。ある意味、一番サーシス王の復讐の被害を受けたのは彼女のはずなんだけど。
「誤解が解けたところで、三縁くんの居場所ですけれど」
けれども、その思考は次に発せられた千寿さんの言葉に塗り替えられる。
はっとした私たちに、彼女は机の上に広げられたままの地図を指差してにやりと笑った。
「貴方たち、中々いい所まで突き止めてましたのね。三縁くんはここにいますわよ」
そう言って一枚の地図を取り上げる。
私たち全員に見えるように掲げられたそれが示していたのは――『南天鍾製鉄所』の場所だった。




