58.波乱の予感【♡】
今の私はきっと、口をあんぐりと開けた間抜けな顔を晒しているのだろう。
混乱する頭で意味もなく前に座る二人の顔を交互に見る。
侑里先輩は相変わらず苦笑いをしていて、樫山さんは少し決まり悪そうに視線を逸らしている。
声を出せない私に侑里先輩は乾いた声で笑った。
「あの時はさすがに凹んだよねぇ。確かにちょっと顔似てるなーとは思ってたけど、まさか血が繋がってるなんて思わないって」
つ、つまり侑里先輩は――
母親の不倫相手との子どもで、
その母親は刑務所に入るくらいの重罪を犯していて、
おまけに付き合ってる恋人は血の繋がった弟だった。
どれか一つだけでも、下手すればショックで心が壊れてしまうだろう出来事だ。
なのにこれら全てを一度に知ってしまったのか。
「アレかな、因果応報ってヤツ。やっぱ前世の悪行がはね返って来てんのかなー」
「それは……」
侑里先輩も、さっきの私と同じことを思ったらしかった。けれども何気なく言ったであろうその言葉に、樫山さんの顔が分かりやすく曇る。
それに気づいた先輩ははっとして、
「あーゴメン、りっくんを責めてるわけじゃないよ。さっきの話なら聞いてたし、サーシス王がやったことは最低としか言いようがないけど……でも、あたしだって前世じゃ千年近く生きてたんだ。その間に結構悪いことしてるんだよ」
とフォローを入れた。
その言葉に、考える。
アイリーンに思い当たる悪行は一つだけ。それも、当時の感覚なら悪行とまで言っていいものなのかも分からない。
アイリーンはルミベルナよりも遥かに長く生きているし、ルミベルナが生まれる前に何かやっていたのかもしれないけれど。
それでも樫山さんは納得がいっていないみたいで、眉間に皺を寄せて言い返す。
「因果応報だって言うならあんた、間違いなくおれの因果に巻き込まれてますよ。……あんたは許せるんですか」
さっきの会話で樫山さんから語られた戦争の全貌は、侑里先輩も蜘蛛を通して聞いていた。多分樫山さんも聞かれていたことは察しているだろう。
「前世のあたしだったら絶対に許してないと思うよ。矢吹侑里も……りっくんが赤の他人か大嫌いなヤツだったら許せなかっただろうね」
頬杖を付きながら侑里先輩は即答する。
「でもあたしにとって今もりっくんは大切な人だよ。弟だとか、元彼だとか……そんなの関係なくね。
それに……前世を思い出してもりっくんはりっくんのままだったじゃん。なのに嫌いになんてなるわけないよ」
「……」
樫山さんは何を考えているのか読み取れない顔で、ただじっと侑里先輩を見ていた。
「あいつらがりっくんにやったこと……サーシス王が許せなくてやったのなら気持ちは分からなくもないけど、さっきの話聞いてるとさ、それを口実にただりっくんが妬ましくてやってるみたいだったじゃん。だったらもう何の擁護も出来ないよね」
そう言って侑里先輩は、自分の中で何かを固めたような真剣な顔で樫山さんを見る。
見ているこちらからも緊張しているのが伝わってくる。その顔を向けられている樫山さんも言わずもがな、同じように緊張した顔になった。
「前世の力の前じゃ、前世に関係のない人に助けを求めてもどうにも出来ない。おまけに明迅学園って隠蔽体質なんでしょ、上層部は警察ともグルだって話だし。だから……決めたの」
ごくりと唾を飲み込んで、先輩は続ける。緊張からか、最後の方の言葉はわずかに震えていた。
「世間の目を気にして逃げるのはもう止める。りっくんはあたしが守るよ」
声は震えていたけれど、堂々とした佇まい。
けれどもその姿を見た樫山さんは目を伏せて、苦し気に息を吐き出した。
「……だから電話でわざと自分にヘイト向けさせるようなこと言ったんですね。分かりやすくアイリーンの口調を使って」
「やっぱりっくんには分かっちゃうかぁ」
なるほど、あの時アイリーンの話し方になったのはそういう目論見だったんだ。
樫山さんの姉がアイリーンの転生者であることは、紫藤薫子によってすぐに広まるだろう。
呪いを解いたことであちらで何が起こったのかは分からないけれど、少なくとも魔晶族側に呪いを解く力があることは分かったはず。
それに、電話のあの脅し文句からして侑里先輩は暗に「これ以上樫山さんに手を出したらこちらからも同じことをするぞ」と伝えていた。
呪いを解ける人が明迅側にいなければ少しは樫山さんにちょっかいをかける人は減る……と思いたい。
「何で、」
樫山さんが口を開く。その顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。
「あの件で一番の被害者はあんたですよ。おれだって最後はあんたを突き放したんだ……なのに何で、まだおれにそこまでするんですか」
樫山さんのその表情とは裏腹に、先輩はきょとんとしたかと思えば、心底おかしそうに笑い出した。
「あはは何言ってんの、助けたいからに決まってるでしょ? それ以上の理由なんている?」
そう言い返す侑里先輩の表情と声は、どこまでも明るい。
そんな先輩に樫山さんの口がわずかに開き、そして何の音も発さないまま閉じられる。何を言い返しても笑い飛ばされてしまうと思ったのかもしれない。
そのまま俯いて黙り込み、しばらくしてようやくゆるゆると顔を上げると、
「……気持ちは、受け取っておきますよ」
静かに、そう告げた。
「でも、呪いを解いてくれたのと、さっきの電話で十分です。これ以上あんたたちに守られる気なんてない」
そしてそうきっぱりと言い切った樫山さんに、納得がいかないような顔になる先輩。
そんな先輩に、樫山さんは口元に小さく笑みを浮かべながら首を横に振る。
「大丈夫ですよ。あいつらが散々おれをいたぶったのも……ただおれが気に食わなかったからってことが分かった以上、こっちにだって考えはあるんですから」
そう言うと、その小さな笑みは悪だくみをするような意地の悪い笑みに変わる。
そんな樫山さんを侑里先輩はしばらく見定めるように見つめていたけれど、とうとう観念したように肩を落とした。
「そっか。敢えて聞かないけど、サーシス王みたいなことはしないでね」
「さすがにもう、あんなどう見ても自分に非があるようなことはしませんよ」
「その言葉信じるからね。でも何かあったら言ってね、あたしはいつだってりっくんの味方だから」
「……そういうこと、よく恥ずかしげもなく言えますね」
ニコニコと笑って胸を張る先輩に、げんなりとした顔をしつつもまんざらでもなさそうな樫山さん。
ついさっきまで拗れてたなんて嘘みたいだ。
でもあんなことがあったとはいえ、ただ親に振り回されただけで二人自身が何かしたわけじゃないしなぁ。
でも元恋人同士……か。
そうだとすると、さっき外のデッキで感じた違和感の理由が分かったような気がする。
樫山さんの身の無事を知って浮かべたあの顔。
あれは、弟に向ける安心や慈愛の笑みにしては少し変だった。そしてそれに対する樫山さんの反応も。
多分だけど、この二人今も――
絶対に、口には出せないけれど。
◆
「なあ、そろそろ本題に戻らないか? 色々横やりが入ったが、そもそも樫山は三縁の話をしに来たんだろう」
その後、しばらくして。
侑里先輩は紫藤薫子が呪いの球による一時的な魔力封じが解けた瞬間に戻ってくるのを警戒して、こっそり蜘蛛を尾行させていたらしい。(ちなみに私にかけられていた魔力封じは、侑里先輩が言っていた通り、きっかり十五分で解けた)
戻って来た蜘蛛の報告から紫藤薫子が真っ直ぐ明迅学園に帰ったことを確認すると、無くなった麦茶の代わりに紅茶を淹れていた蓮水先輩がそう提案する。
「そうですね。まさかこんなことに時間を取られるなんて思ってもみませんでしたから」
その提案に樫山さんも頷いた。
確かに、紫藤薫子さえ来なければもっと話は進んでいただろうに。兄さんは大丈夫かな……。
「樫山さんは私に兄さんを助けたいんじゃないのかって言ってましたけど、何か手はあるんですか?」
「……場所ならある程度は絞れてるよ」
そう言って樫山さんはスクールバックからクリアファイルを取り出す。
その中には何枚かの書類がはさめられていた。
「主犯は糸杉千景だけど、実行犯は別にいる」
「実行犯、ですか」
「あいつだって馬鹿じゃない。もしもの時に自分が罪を被らないよう、いつでも切り捨てられる相手のところに置いているはずさ。で、糸杉と繋がってて誘拐なんて真似が出来そうなのは……」
そう言いながら、その書類から一枚の紙を抜き取って私の前に出す。ホームページを印刷したもののようで、そこに書かれていた名前を私は小さく読み上げた。
「千寿組……」
地元では一番の建築会社だ。ローカルでのCMもしているし、多分この地域に住んでいて名前を知らない人はいないと思う。でもどうしてこの会社が兄さんを誘拐なんて……。
困惑する私の様子に何も知らないと踏んだのか、樫山さんが紙上の会社名のロゴを指差しながら言った。
「知らないの? ここ、表向きクリーンな印象の会社だけど、その実やくざが仕切ってんだよ。最近は糸杉と繋がって色々と悪事をやってるって話」
「えーっ、あの会社ってそんなだったの!?」
リビングのソファに横になって話を聞いていた侑里先輩が驚きの声を上げる。私も頷くと、樫山さんは残りの紙を取り出し机の上に広げた。
何枚かの地図。地図にはどれも赤で丸が付けられていて、一緒にその場所の写真が付けられている。
「で、この会社結構大きいから、この辺りにいくつも工場や倉庫を持ってる。ノゾムはこの中のどこかにいると睨んでるよ」
全員分の紅茶を淹れ終えて戻って来た蓮水先輩が、私と樫山さんの前にティーカップを置きながらじっとその地図を見つめた。
「本社含めて候補は七か所か……結構あるな」
全部市内にあるとはいえ、結構場所がばらけている。
見当が付いているだけいいけれど、これを一つ一つしらみつぶしに探っていくとしても、突き止めるのにどれだけ時間がかかるのだろう。
ピロリン
難しい表情になった私たちに、樫山さんのスマホにメッセージが入る音が響いた。
実はさっきからずっと鳴り続けているのだけれど、最初見たきり樫山さんは無視し続けている。
一度蓮水先輩が見ないのか聞いたけれど、その時の樫山さんは『無表情なのに青筋を浮かべている』という今思い出しても身の毛もよだつ顔をしていたので、それ以上突っ込めなくなってしまった。
……あの様子から見ても、さっき樫山さんに電話をしてきた人と同じ人なんじゃないかなと思う。
すると、ソファから上半身だけ起き上がった侑里先輩が小さく手を上げた。
「蜘蛛を派遣して確かめてこよっか? 直接確認するよりはずっと早く分かるはずだよ」
「だ、駄目ですよこれ以上力を使っちゃ」
侑里先輩の体調が万全だったのなら是非ともお願いしたいところだけれど、生憎今はそうじゃない。病み上がりで戦ってふらふらな上に、今だって家の周りに結界を張りながら何匹も蜘蛛を召喚して家周辺や明迅学園を偵察させているのだ。
ただでさえ横になっていないと辛いくらい無理をしているのに、これ以上の負担はかけさせられない。
「後七匹呼び出すくらい大丈夫だよ。もしこの間に望クンに何かあってたらどうするの」
「で、でも……」
「命には代えられないでしょ」
「それで先輩に何かあったらどうするんですか……!」
いくらそれで兄さんが助かっても、それで侑里先輩が体を壊して最悪死んでしまったりしたら。
……駄目。そんなこと、私も兄さんも絶対に望まない。
「そ、そもそも兄さんは私をおびき寄せるための人質なんですよね。だったら待っていれば相手の方が教えてくれるんじゃ……」
「相手を万全の状態にしてから、のこのこ向かうつもり? 脅しじゃなくてさ、あんた今度こそ捕まってまじで監禁されるよ」
「う…」
樫山さんにきつく言われ、言葉に詰まる。樫山さんの言う通りだ。あの人は殴られた兄さんに恨みを持っているはずだし、何もされないとも限らない。
こうやって焦っている時間も惜しいのに。
どうしよう、どうすれば……。
その時だった。
「ピイイイイイイィィ!!」
開いた窓から侑里先輩の蜘蛛が勢いよく中に飛び込んで来た。
蜘蛛は着地に失敗し床を二、三回跳ねた後、侑里先輩の元へ猛スピードで這っていく。
「ど、どうしたの? そんなに慌てて」
侑里先輩の膝によじ登った蜘蛛は体を起こすと、前足を振りながら何かを伝えた。
さっき兄さんのスマホを見つけた時とは明らかに様子が違う。緊急事態であることが見て取れた。
蜘蛛の報告を聞いた侑里先輩は眉を吊り上げて「はあ!?」と大きな声を出す。
「明迅から誰かがこっち来てる!?」
「何だって!?」
侑里先輩の言葉に、私も蓮水先輩も大きく目を見開いた。
一体誰が、まさか早速紫藤薫子の敵討ちにでも来たんだろうか。
樫山さんは何かを察したのか、今になって慌ててスマホを確認している。
そして、メッセージを読んだのか「げっ」と小さく声を上げたのを私は聞き逃さなかった。
「樫山さ」
「えっ、すぐそこまで来てるって!?」
しかし何が書かれてたのか聞こうとした私の声は、その後の侑里先輩の声にかき消されてしまう。
「おい待て、あの紫藤とかいう女が明迅に着いてからまだニ十分くらいしか経ってないぞ!? いくら何でも早過ぎないか!?」
蓮水先輩が慌てて時計を確認する。ここと明迅学園までの距離は、電車を使ってニ十分ほどだ。
そのニ十分という時間だけを見れば、ここには十分来れる時間ではある。
けれども、紫藤薫子がここで起きたことを説明する時間を含めればそうではない。一分位で話し終えられる内容でもなかったはずだ。
それに、数分おきに電車が来る都会とは違ってここはそこそこ田舎だ。ちょうどタイミングよく電車に乗れたとも考えにくい。タクシーを使っても二十分じゃすまないだろう。
そうだとして考えられるのは。
紫藤薫子から居場所だけ聞き出して、話は聞かずに飛び出した。
もしくは電車なんかよりもずっと早くこちらに来れる手段を持っていた。
もしくはその両方。
侑里先輩は蜘蛛を両手で掴んでぶんぶんと揺さぶる。
「ちょっと誰なの、前世と顔一緒なんだから分かるでしょ!」
「ピ、ピイィ」
「――え」
しかし、蜘蛛の鳴き声を聞いた瞬間、先輩の手がピタリと止まった。
元々あまり良くなかった顔をさらに悪くして、ぴくぴくと引きつらせている。
「あ、あたし、確かに全員返り討ちにしてあげるって言ったけどさぁ……」
「だ、誰なんですか?」
そう訊ねてみたけれど、分かりきった話だ。
魔晶族と戦えた人間たちの中でも、侑里先輩がここまで拙そうな反応をする相手なんて一人しかいない。
案の定、先輩は青い顔で私が頭の中に浮かべていた人物の名前を告げた。
「マリー・カレンデュラがすぐ近くまで来てるってさ」
最初から最強が来るなんて聞いてないよ……と先輩は頭を抱える。
蓮水先輩も落ち着かない様子で周りをうろうろとし、樫山さんは苦虫を潰したような顔でスマホを見つめていた。
そして十秒も経たないうちに、ヒュウウウウと何かが落ちてくる音と一緒にその声が響く。
「かあぁしいぃやあぁまああああああああああああぁぁッ!!」
バリイイイイイイィン!!
地獄の底から這い出すような叫び声。
結界が破られる音と共に生じた衝撃に、蓮水邸全体がぐらぐらと揺れた。




