56.逆恨み【♡】
突然の絶叫に、戦っていた侑里先輩も何事かと動きを止める。
目を大きく見開いた紫藤薫子は口をパクパクさせながら、呪いが解けてさっきよりも幾分か顔色が良くなった樫山さんを指差した。
「な、何で治っとんのや」
わけが分からないと言いたげに顔面蒼白になるのを見て、彼女以外の全員が困惑した表情を浮かべる。
何でと聞きたいのはこっちの方だ。
侑里先輩は解き方を知っているようなことを言っていたし、相手もそれを分かって阻止するために戦いを挑んだと思っていたのだけれど。
その疑問は、その後に続けられた言葉によってある程度解消する。
「何でアイリーンじゃなくルカの方が呪いを解いとるんや……!」
それでも何でと聞きたいのは変わらない。
この人、最初『魔晶族は呪いを解いてしまうかも』みたいなこと言ってたと思うんだけどな。
私と同じことを侑里先輩も思ったみたいで「はあぁ?」と口をあんぐりと開けた。
「あたし『呪いを解けるのはあたしだけ』なんてひとっ言も言ってないんだけど」
「何やて!? じゃああんたが囮になって結界で隔離しとるうちにルカに解呪させたっちゅうことなんか!? よくも騙しおったな!」
「ええー……騙してないし、勝手に勘違いしたのはあんたでしょ。本当どうしたの? 前世はそんなじゃなかったじゃん」
この人もしかして、結構馬……ポンコツだったりするのだろうか。先輩の言う通り、前世の時はこんな失態を晒すことなんて絶対なかったのに。
顔を真っ赤にして怒りを露わにしている相手に対し、侑里先輩は完全に呆れている。
そんな相手の態度は紫藤薫子の怒りの炎に油を注ぐ結果となったのか、バックジャンプをして先輩から距離を取ると、
「殺してやるッ!」
と言いながら、制服のスカートのポケットに手を入れて侑里先輩に向かって何かを投げてきた。
「先輩! 避け……」
それがさっき私に魔法を使えなくした謎の球だとすぐに分かり、思わず声を上げる。
しかし言葉を言い切る前に侑里先輩は指から糸を出すと、その球を絡め取ってしまった。
私の時のように球が破裂する様子はない。
絡め取った球を自分の元に引き寄せ、直接手に取ってまじまじと観察する。緑色に黒い模様が付いていて、微弱だが禍々しい気がその球から発せられている。
まさか不発のまま取られてしまうとは思わなかったようで、ぽかんとした顔で固まっていた。
「なるほど、空気中の魔素を遮断する呪術をこの球に詰めてるんだ。糸で触れば問題なかったし、誤発防止かなんかで、発動させるにはある程度の距離から一定以上の速度で相手にぶつけないといけないとか?」
一通り眺めた後、先輩は自分なりに分析した上での予想を相手にぶつける。当たっていたのか相手の顔が強張った。
「ざっと見た感じ効果は十五分くらいしか持たないみたいだけど、戦闘の真っ只中に使われたら最悪だね。でも、この程度ならあたしにも作れそう」
そう言って先輩は相手に満面の笑顔を向ける。
親指と人差し指で摘まむように持っていた呪術入りの球に中指が添えられた。
「わざわざ見せてくれてありがとー。じゃ、返すね?」
瞬間笑顔を消し、アンダースローで球を力いっぱい投げる。
これが普通の女子高生が投げる球であれば、簡単に避けることが出来ていただろう。けれども前世の影響でバトル漫画並みに身体能力の上がっている侑里先輩が投げることで、その球速は弾丸とほぼ同じになっていた。
もちろん相手も同じように身体能力が上がっている。
けれども、怒りと動揺で冷静さを失った紫藤薫子は盛大に隙を晒しており、そんな彼女がその速度に反応することは出来ず、目の前に飛び込んで来た球に目を瞑ってしまった。
パン、と今度こそ球が破裂する。
同時に、彼女が呼び出していた蛇が全て消えてしまった。
「しまっ……」
相手に言わせる隙も与えず、侑里先輩と周りの蜘蛛たちが一斉に糸を発射し相手を拘束する。
持っていたナイフも先輩に奪われ、あっという間に頭以外を糸でグルグル巻きにされた紫藤薫子は、バランスを崩して焼け野原となってしまった地面に倒れた。
忌々し気な目で睨む相手に侑里先輩は無表情で見下ろし、口を開く。
「リリス・ラジアータは強かったよ」
紫藤薫子の先輩を睨みつける目が強くなった。そんな彼女に特に反応もせず、先輩は問いかける。
「でもあいつが一番得意だったのは隠密行動で、単純な戦闘能力で見るならそこまでなかった。あんたはさ、そんな前世の自分がどうして魔晶族と対等に渡り合えていたのか分かる?」
相手は俯き、その顔に影が落ちる。
何も答えないけれど、様子を見る限り、多分彼女はその答えが分かっているんじゃないだろうか。
誰も何も言わないまましばらくの沈黙が流れる。だんまりを続ける彼女に、先輩はスゥと目を細めた。
「あいつはいつも胡散臭くて飄々としてて、絶対に本心を相手に読ませなかった。戦闘中はふざけたように相手をおちょくりながら、常に細かく相手の様子を観察して隙や弱点を探ってた。どんなイレギュラーなことが起きても動揺しない冷静さも持ってた。正直力だけ強い他のやつらと戦うよりも、すっごく厄介で面倒臭い相手だった。
でも今のあんたはさ――そのリリス・ラジアータの持っていた『強み』が全部消えてるんだよ」
先輩の言葉に、思わず頷いてしまった。
そうなのだ。私たちの知るリリス・ラジアータにしては、あまりにも短気で感情的で無鉄砲過ぎるのだ。
私と戦っている時まではリリス・ラジアータのように取り繕っていたみたいだけれど、前世では散々おちょくり合っていた侑里先輩が来た瞬間すっかり崩れ去ってしまった。
先輩の言葉を聞いた紫藤薫子の身体が震えている。
「あのメンタルは素直にすごいって思ってたのにさ、ちょっとショック。あんたはあたし達に弱体化したって言ってたけどさぁ、弱くなったのはあんたも同じじゃん」
「……い」
「ん?」
「うっさいって言ってんのや!!」
突如響いた怒号に、彼女以外の全員が目を丸くした。
顔を上げた紫藤薫子の目は血走っており、息も荒い。こめかみには青筋が浮かんでいて、今にもちぎれそうだった。
今までにないほどの怒りの表情を侑里先輩に向け、紫藤薫子は叫んだ。
「あんたまで同じこと言うんか! 『見た目と実力が伴ってない』、『有能だったラジアータがどうして』……もう聞き飽きたわ!!」
生まれ変わってポンコツになったと思ったのは私たちだけじゃなかったらしい。きっとサーシス王国側の転生者にも同じことを言われ続けていたのだろう。
それに彼女は私や樫山さんみたいに今世では憎んでくる者だらけというわけではないと思うし、今世で仲の悪くない相手にそう言われて比較されるのはきついと思う。
私だってルミベルナと比較され続けるのは嫌だ。少し彼女に同情したが、そう言われた相手である侑里先輩は眉間に深く皺を寄せた。
「はーあ? あんたがあたしたちを前世とイコールで接してくるから、こっちも同じように接してあげてるだけじゃん」
「余計なお世話や! 今のうちはリリスやないわ! 同じにすんな!!」
「あたしだってアイリーンじゃないっつーの。ってゆーかさ、『今の自分はリリスじゃない』って言いながらりっくんはいじめてんの? 矛盾してない?」
話し方や今までの言動で分かっていたことではあったけれど、今の発言で紫藤薫子が前世の人格に乗っ取られていないことがはっきりした。それに彼女は前世と今世が別個の人物であることも分かっている。
なのに、どうして今はもうサーシス王じゃない樫山さんにこんなことをしているのだろう。
前世と同じように見られる辛さは彼女もよく分かっているはずなのに。
そんな侑里先輩の疑問に、紫藤薫子は今まで抑えていたものを吐き出すかのようにまくし立てた。
「だっておかしいやろ!! 何であの馬鹿で国民を散々苦しめたサーシス王がこんな秀才になっとるんや!! 先生たちにもチヤホヤされて、バイトせんと生活出来んくせに、何でその間塾行って一日中勉強しとるうちらより頭ええんや!! 不公平やろ!!」
その内容に、絶句する。
どうやら樫山さんは学業での成績がいいらしい。サーシス王が全く関係ないとは言わないものの、この人ただ単にそんな樫山さんに嫉妬してただけってこと?
当人である樫山さんもそんな言葉が飛び出すとは思っていなかったようで、顔を引きつらせている。
同じく唖然としていた侑里先輩は、目をぱちぱちと瞬かせながら、
「えっ、八つ当たり……?」
と返すことしか出来なかったようだった。
「な、何それ」
引きつった顔のまま、樫山さんが口を開く。
「あんた、サーシス王が憎いからおれに苦しんで欲しいんじゃなかったの」
「ああ憎いで!! それよりも今世でもあんたの方が上なのが我慢ならんのや!! あんたなんかさっさと落ちぶれる所まで落ちぶればええんや!!」
紫藤薫子もうどうにでもなれと言わんばかりに唾を飛ばしながら口汚く樫山さんを罵倒する。
……隣で小さく蓮水先輩が「醜い」と呟いたのは聞かなかったことにしよう。
樫山さんはそんな彼女の罵倒を黙って聞いていたが、話が終わるとすぐに言い返した。
「つまり、あんたたちが今までおれに散々色々してきたのは『サーシス王』に復讐したいからじゃなくて、成績で勝てない『樫山律』を潰したかっただけ?」
「ほとんどはそうやろうな! あんたがサーシス王やったってのはええ大義名分になったで!」
紫藤薫子のその言葉に、樫山さんの顔から全ての感情が消える。
ただ唯一目だけは、怒りと悲しみが入り混じったような、そんな感情を映していた。
「……なぁんだ、そういうことね」
少しだけ目を伏せて、誰に言うわけでもなくぽつりとそう呟く。
その時、ほぼ同時に二つの着信音が鳴り響いた。
突然の着信に思わずびくりと体が跳ねる。
誰にかかってきたのか耳をすまして音の発信源を探ると、どうやら樫山さんと糸で縛られた紫藤薫子の制服のポケットの中から聞こえてくるようだった。
「何だよこんな状況で……」
面倒臭そうにそう言いながら樫山さんはポケットからスマホを取り出す。
けれどもスマホの画面に出ているであろう相手の名前を見た瞬間、忌々し気に顔を歪めた。
「今更、何を」
憎悪のこもった声でそう呟くと、電話に出ることなく切ってしまった。
すごく怒っているみたいだけれど、一体どうしたんだろう……?
対して今も鳴っている紫藤薫子の着信。
侑里先輩は膝より下だけ糸を残し、残りの糸を消滅させると、着信がなっているスカートのポケットを指差した。
「いいよ、出ても」
両手が自由にはなったものの、魔法は使えずナイフも侑里先輩の手の中にある。おまけに周りは蜘蛛に取り囲まれ、少しでも変な動きをすればすぐにでも飛びかかるだろう態勢を取っていた。
走って逃げることも出来ず、紫藤薫子は悔しそうに歯を食いしばると、着信の鳴るポケットのスマホに手を伸ばした。
相手を確認し、受話器を取る。
「先輩、どないし……ッ!?」
言い終える前に勢いよくスマホを耳から遠ざけた。
どうやら相手の声がかなり大きかったようだ。内容までは聞き取れないけれど、離れたこの場所まで相手の声が漏れている。声を聞く限り、相手は男の人のようだ。
紫藤薫子は何とか通話出来るギリギリの場所までスマホを離すと、苦々し気に口を開く。
「何か周りが騒がしくないですか、どないしたんです」
その問いに答えているのか相手の声が漏れてくる。
その言葉を聞きながら、彼女の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「七生は無事なんですか!?」
彼女が話していることだけでの推測にしかならないけれど、もしかして電話の向こうで彼女の知り合いに何かがあったのかな?
切羽詰まった顔でしばらく相手とやり取りをしていたが、不意にこちらに向けられた紫藤薫子の憎しみのこもった眼差しに、何となく察してしまった。
「ああ、うちですか? うちは、今その子がそうなっとる原因の前におるんですよ」
――矢吹侑里としては弟がこんな目に遭わされて黙って見てるなんて無理なわけ。今すぐにでも解いてやって楽にさせてあげたいの。そしてその結果――呪いをかけたやつがどうなろうが知ったこっちゃないんだよね。
侑里先輩が少し前彼女に言っていた言葉を思い出す。
呪いを解いてしまったということは、つまりはそういうことだ。
しかしそこで侑里先輩がずんずんと彼女に近づいて来ると、
「はい、ちょっと貸してー」
「なっ」
と言いながら、紫藤薫子のスマホをひったくってしまった。
相手はすぐに取り返そうと手を伸ばすものの、すぐに周りにいた蜘蛛に再度縛り上げられてしまった。今度は口まで糸で巻かれている。
「んー、んんーっ!!」
口を塞がれてもがく彼女を無視すると、スマホを少しだけ離し、侑里先輩は電話の相手に話し始めた。
「もしもーし、あたし今までこのスマホの持ち主に殺されかけてた者なんですけどぉ」
間違ってはいないけれど、もっと良い名乗り方はなかったのだろうか。
侑里先輩が話し始めた瞬間、相手が早口で何か言っている声が漏れて来るけれど、生憎この場所からは分からない。
相手の声を聞きながら、侑里先輩はうーんと唸りながら首を傾げる。
「その声、聞き覚えあるような気もするんだけど思い出せないや。ゴメンね? ……え? うんうん、目的? あー、ちょっとそっちの生徒たちにさぁ、伝えといて欲しいことがあるんだけど」
伝えといて欲しいこと……?
そう言っておほんと一つ咳払いをすると、先輩はニィと唇を剃り返したような、先輩らしくない邪悪な笑みを浮かべた。
「そやつと同じ目に遭う覚悟があるやつだけが、樫山律に手を出せ……とな」
一週間前に聞いたばかりの声色。前世では知らなかったアイリーン本来の話し方。
でも今侑里先輩がアイリーンに引っ張られているわけではないから、敢えてこの話し方にしたんだろう。
スマホから相手の声は漏れてこなかった。
「ヒッヒッヒ。悪いが、詳しい事情はこれの持ち主の糸目女にでも聞くことじゃな、じゃあの」
それだけ言って、すぐに電話を切る。そのままスマホを紫藤薫子の顔の傍に置くと、今度こそ全ての拘束を解いた。
体を起こして強く睨みつける紫藤薫子。対し侑里先輩はさっき奪ったナイフを顔の高さまで上げると――それはボンと音を立てて燃え上がった。
ナイフだったものが地面に舞い落ちていくのを見て、侑里先輩はようやく相手の顔を見る。
「てなわけで、さっさと帰って? 明迅のやつらに事情説明してきなよ。どうせ今のあんたに勝ち目なんてないんだからさ」
そう言って、門扉がある方向を指差す侑里先輩の声と話し方は、いつもの先輩の声だった。
「別にありのまま話してくれて構わないよ。でも嘘は止めといた方がいいかなぁ、今のあんただと墓穴を掘るだけになりそうだし」
魔法が使えるようになるまでまだ少し時間がかかる。ナイフも無くなってしまい蜘蛛に囲まれた今の状況でどうあがいても勝ち目はないと悟ったのか、紫藤薫子は苦虫を噛み潰したような表情をしながら立ち上がり、
「ッ……あんた、うちらを敵に回してどうなっても知らんよ」
と脅しに近い台詞を先輩に向かって吐き捨てた。
そんな相手に、侑里先輩は不敵に笑う。
「何? 次は徒党を組んで殺しに来る? それとも周りの親しい人でも狙ってくる? ……上等、全員返り討ちにしてあげるよ」
その姿はとても頼もしい。
けれども紫藤薫子は馬鹿にしたように笑った。
「はっ、その余裕そうな笑みがいつまで続くか見ものやわ」
そう言い残して、彼女は急ぎ足で蓮水邸から出て行った。