54.運命の巡り合わせ【♡】
侑里先輩の口から告げられた言葉に、辺りがしんと静まり返る。
「お、弟……!?」
実際に驚いている様子を見せているのは私と紫藤薫子の二人だけだ。侑里先輩は相変わらず紫藤薫子を睨みつけているし、樫山さんは侑里先輩から目を逸らして俯いていて、蓮水先輩は神妙な表情で先輩の背中を見つめていた。
思わず侑里先輩と樫山さんを交互に見る。そう言われて改めて二人の顔を見比べると、確かに顔立ちや雰囲気がよく似ている。特に目元辺りが。
でもサーシス王は今の樫山さんよりも大分痩せこけていて表情も雰囲気も全く違ったし、人間に化けたアイリーンは今よりも化粧が濃く、髪型も緋色のロングウェーブだった。いくら顔立ちが似ているとはいえ、当時そのことに気がつくのは無理だ。
姉弟だというのは納得出来る。
でも、そうだとして不思議に思う点もある。
今世だけの話であれば、姉弟なのだから似ているのは何もおかしいことじゃない。
でも私たち転生者は、親の遺伝子など関係なく前世の容姿(侑里先輩は前世で人間に化けていた時の姿を)引き継いでいるのだ。現に両親や兄さんと私は全く似ていない。
なのに――どうして二人はこんなにも『似ている』んだろう。
そもそも、どうして種族から違う前世の二人は『似ていた』んだろう。
そんな中、私と同じように二人の顔を見比べていた紫藤薫子が乾いた声で笑った。
「ははは……噂は本当やったんやなぁ、樫山律に腹違いの姉がおるっちゅうのは」
「へえ、知ってたんだ」
「何言っとんのや。噂だけで根拠もないわそれ以上はいくら調べても何も出てこんわで、完全にデマやと思っとったで。普通ならどこかから漏れるもんやけど、よう今まで隠しとれたな」
相変わらず冷たい態度の侑里先輩に対し相手は本心から感心したように頷いていた。
紫藤薫子の前世であるリリス・ラジアータはサーシス王国隠密部隊の隊長。その情報収集力の高さはよく知っている。
そんな彼女が調べても分からなかったということは、相当に厳重に隠されていたことだったのだろう。
「しっかし魔晶族の化け蜘蛛と、サーシス王国の国王。何の因果もなさそうな二人がまさか生まれ変わったら姉弟になるなんてな。ほんまに何があるか分からんもんやで」
「それにしてはあんまり驚いてないね」
「前世で赤の他人やったのが今世で家族になっとるのは他にもおるしな。さすがに魔晶族と人間の例は初めてやけど」
「ふーん」
誰と誰が姉弟になったのか個人的には正直ちょっと興味があるのだけれど、侑里先輩は心底興味がなさそうな返事をした。
二人が姉弟であった件については、アイリーンが人間に化けた姿を知らなかったのなら、私も紫藤薫子と同じことを思っていただろう。
けれど前世から似た姿であった以上、多分だけれど、二人がたとえ腹違いでも姉弟として生まれたのは偶然じゃない。もしかして、前世で何か関わりが……
そんなことを考えながら振り返ると、樫山さんと目が合った。
分かりやすく疑わし気な視線を向けていたのかもしれない。目が合った瞬間、樫山さんはぎょっとしたような顔をして、何も知らないと言わんばかりに首を小刻みに横に振る。
その顔が嘘だとは思えない。少なくとも、樫山さんは何も分からないみたいだ。
「ねえ。りっくんにかかってる呪いについてさぁ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
視線を元に戻すと、腕を組んだ侑里先輩が紫藤薫子にそう訊ねるところだった。
「はっ、どうせ誰がかけたかとかやろ? 言うわけないやん」
「そんなこと聞いたところで答えないくらい分かってまぁーす。あたしが聞きたいのは、この数の呪いをりっくんにかけるのにどのくらいの人数が関わってるのかってこと」
馬鹿にしたように笑う紫藤薫子に、侑里先輩も煽り顔で言い返す。そんな二人を見て、前世でもこんな感じだったなぁとぼんやりと思った。
人数を聞かれたことに相手は不審そうに眉を寄せる。私も分からないけれど、侑里先輩がそう聞くならきっと何か意図があるんだろう。
「アイリーンはさぁ、前世では人間の使う魔法についてはちょくちょく情報仕入れてたんだよねー。ほら、人間って魔力は弱いけどそれを扱う技術力は中々のもんじゃない? 魔法の参考に出来ないかなーって」
単純な身体に持つ魔素の量や魔力の強さじゃない、魔法のコントロールに応用力。その実力だけを見るなら、アイリーンは間違いなく魔晶族の中で一番だった。
ルミベルナが世界全体の情報を仕入れるために人間の新聞や写真集を読む傍らで、アイリーンは人間の魔術書をよく読んでいた。ルミベルナが生まれるよりも遥か昔から長年かけて集めた魔術書の数は膨大で、中にはかなり貴重なものも所有していた記憶がある。
女郎蜘蛛の巣のような巨大な結界を張りながら大量に蜘蛛を生み出し操る。かつその中で自分も自由に行動出来て魔法も使えるなんて滅茶苦茶な術を使いこなせたのも、アイリーンが持つ膨大な魔力と異能、そして人間の持つ魔法の技術力を組み合わせて昇華した結果なのだ。
「で、今りっくんにかかってる呪い。魔力封じに痛覚倍増に生命力吸収にその他もろもろ……どれも前世の世界じゃ数百年前に禁呪になって封印されてたものばっかりじゃん。それを扱えるってだけで使ったやつは大体絞り込めるけどさぁ、まさかこの呪術を全部一人だけでやりました、なんて言わないよね?」
確かに魔法陣の形がサーシス王国が使っていたものと少し違うなとは思っていたけれど、そんなに昔のものだったんだ。それに禁呪――私には封印された理由は分からないけれど、それだけの術を使うなんて、呪いをかけた人の樫山さん……違う、サーシス王への恨みの強さが分かる。
侑里先輩の言う通り、使用者の予想は難しくない。数百年前に封印されたものを知っているのなら、それなりに魔法の知識に精通していて、かつ魔法の実力もある人だろう。樫山さんにサーシス王国側の転生者を聞けばすぐにでも分かるはずだ。
けれども、侑里先輩の最後の一言が気になる。これらの呪いを一人で使ったら何か不味いことでもあるのだろうか。
「……そうだったらどうなるんや」
真剣な表情でわざわざ念を押す侑里先輩に、紫藤薫子も何か嫌なものを感じたらしい。
けれどもその態度は、暗に呪いの使用者が一人だけであることを感づかせるには十分だった。
そんな彼女を見た侑里先輩は呆れたようにため息を吐く。
「禁呪になった理由も知らずにほいほい使ったんなら相当な馬鹿としか言いようがないよ。知った上で使ってんなら何も言わないけど……でもさぁ」
少しだけ後ろを向いて樫山さんを見て、そして再び紫藤薫子を見た。
「矢吹侑里としては弟がこんな目に遭わされて黙って見てるなんて無理なわけ。今すぐにでも解いてやって楽にさせてあげたいの。そしてその結果――呪いをかけたやつがどうなろうが知ったこっちゃないんだよね」
地を這うような声だった。
樫山さんの魔法の影響でこの場はまだ少し肌寒かったけれど、さらに二、三度気温が下がったような気がした。
「やっぱり解き方を知っとるんやな……!」
侑里先輩の言葉に今までずっと閉じられていた紫藤薫子の目が開かれる。前世の記憶が戻って樫山さんと同じように目の色も変わったのか、その瞳は若葉のような緑色をしていた。
「正直あんたの相手してる暇なんてないからさっさと帰ってくれない? こっちはりっくんに望クンに忙しいんだからさぁ」
「んなこと言われて帰れるわけないやろ!」
しっしっと追い払うように手を振る侑里先輩に相手が一歩前に出る。同時に周りの蛇がシャーッと牙を向いて、警戒態勢を取った。
そんな紫藤薫子を、侑里先輩は冷めた表情で見つめる。
「……今のあんたじゃ、あたしには勝てないよ」
「そっくりそのまま返させてもらうで。前世よりも弱くなったあんたが、死にかけのやつと碌に動けんやつと魔法も使えんやつを抱えてうちと戦え……」
言い終わらないうちに、紫藤薫子の顔の横すれすれを炎の球が掠めていった。
火球は相手の後ろにあった木に当たり、その瞬間に木全体が炎に包まれ燃え上がる。
掠めても少しは当たっていたようで、焦げてチリチリになった髪に恐る恐る触れた相手に、右手を前に出したまま侑里先輩は冷たく言い放った。
「あたし今すっごく機嫌悪いんだよね。八千代みたいに加減はしないよ」
「よくもうちの髪を……」
最初からずっと浮かべていた、前世と変わらない不気味な笑みはどこへ行ってしまったのか。今の彼女は青筋を浮かべて怒りに声を震わせている。
前世で戦闘で追い詰められた時ですら、リリス・ラジアータがこんな激しい表情を見せることはなかったのに。もしかしたら、本来の紫藤薫子はこういう人なのかもしれない。
今にも飛びかからんと周りの蛇と一緒に構えを取る相手に、侑里先輩も同じように構えを取りながら私に声をかける。
「八千代、テラスに下がっててくれるかな」
「は、はい」
先輩の言葉通り、立ち上がってテラスにいる蓮水先輩たちのところまで行こうとして足を止める。
侑里先輩にとってはこの状況は不本意のはずだ。あんなに樫山さんとの接触を避けようとしてたのに、出て来なくちゃいけなくなってしまった。
「先輩……その、ごめんなさい。私が抑えられてれば」
きっと、樫山さんとこんな形で再会することもなかった。
前世だけの情報だけで判断して、あんな小道具にしてやられた自分が酷く情けない。
そんな私に、侑里先輩は振り向くとニッと無邪気に笑った。
「何言ってんの。りっくんに酷いことしたら許さないって啖呵切る八千代、カッコよかったぞ」
その笑顔に少しだけ心が軽くなる。私も思わず笑みを漏らすと、座り込んでいる樫山さんと蓮水先輩のいるテラスへと下がった。
侑里先輩はそのまま蓮水先輩に声をかける。
「綾斗、先に謝っとくわ。この庭焼け野原にしちゃうかも」
「……頼むから庭だけで済ませといてくれよ」
紫藤薫子の背後で燃え続ける木を遠い目で見つめながら、蓮水先輩は苦笑いしつつそう答えた。侑里先輩が戦う以上、庭が五体満足で済むとは最初から思っていない、完全に諦めている様子だ。
「りっくん」
最後に侑里先輩は樫山さんの名前を呼ぶ。
まさか呼ばれるとは思っていなかったようで、思わず侑里先輩を見上げた樫山さんのアイスブルーの瞳が揺れている。
そんな樫山さんに、侑里先輩は眉を下げて少し寂しそうに笑った。
「ごめんね。せっかくあたしたちの関係が漏れないようにしてくれてたのに無駄にしちゃってさ」
「……」
樫山さんは何も答えなかった。
そんな反応に侑里先輩も何も言わず振り返っていた顔を戻す。そして指先から紅い糸を出してワイヤーのように引っ張りながら相手を睨みつけた。
「弱体化したからってナメて魔晶族の長老にケンカ売ったこと、後悔させてあげるよ」




