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三縁望の奪還 ~同時多発転生に巻き込まれ(に行き)ました~  作者: ひねもす
Chapter.4 三縁八千代の決意
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51.復讐の対価【♡】

「どういうことだ……!」


 一気に空気の重くなった室内。蓮水先輩は眉間に皺を寄せながら低い声で言い返す。その先輩が出すには珍しいドスの効いた声には、困惑とほんの少しの怒りが込められていた。

 対してその声を向けられた相手は涼し気な表情をしていた。


「おい、何を黙って……」

「前のおれがあんたたちに仕掛けた戦争は、」


 蓮水先輩の話を遮るように、樫山さんが口を開く。


「サーシス王国への復讐の総仕上げだったんだ」

「復、讐……」


 きっと当時は隠していたであろうこととはいえ、そんなこと考えたこともなかった。

 思えばディルク・バーンズのことといい、前の私たちはサーシス王国のことについて、サーシス軍のこと以外碌に知らなかった。これでは当時追い詰められてしまったのも当然だ。


「王様が、自分の国に復讐するんですか……?」

「馬鹿らしいと思う? 少なくとも前世のおれ――ジュリアスは本気だったよ」


 その表情と声には何の感情もない。ただその瞳は仄暗く、奥には強い憎悪が爆ぜている。それは、記憶の中のサーシス王がしていた顔と全く同じものだった。


 当時その目を見た時は、どうしてここまで魔晶族に対して強い恨みを抱いているのだろうと思っていた。まさかそれが自国に向けられていたものだったなんて。


「国をいわゆる『詰み』の状態にするために実権を握ってからは色々やったよ。まず国内での身分に大きく格差をつけて、他の国には高圧的に出て徹底的に嫌われるように立ち回った。そして稼働に大量の魔素を消費する軍事工場を建てまくって大量に魔素を使わせた。工場から出る有害物質は川に垂れ流しになるようにもしたさ、そうすれば水も土壌も汚染されてまともに作物も育てられなくなるでしょ? 仮にクーデターが起きたり他の国が攻めてきたとして、どんな結果になってもその後まともな立て直しが出来ないようにしてやったよ」


 歴史の授業で習ったことがある。内憂外患……だっけ。あの世界にその言葉があったのかどうかは分からないけれど、サーシス王は意図的にその状況を作り出したんだ。

 おまけに国内で食糧も供給出来ないようにするなんて、やり方が容赦なさ過ぎて先輩と一緒に固まってしまう。

 

「で、でも、前の貴方は魔晶族を追い詰めるための施策を次々に進めて、実際に追い込んでいたじゃないですか……」


 戦争を起こしたのが国を再建するためじゃなくて滅ぼすためだったのなら、大人しく魔晶族に負けるように立ち回れば良かったはず。そんなごく当然の疑問に、なぜか樫山さんは目を丸くした。


「何それ、ジュリアスってそんな有能に見えてたの? 国民からはバカ殿扱いされてたんだけどなぁ」


 あっけからんとそう言ってからからと笑う。その事実に、私の中で築き上げられていたサーシス王のイメージがガラガラと崩れていく音がした。


「まあ……上が無能になると下が頑張るみたいでね、実質魔晶族を追い詰めたのは軍隊長とかその辺りだよ。ジュリアス自身は下からの要望に適当に許可出して、後は戦場に出るくらいしかしてなかったし」

「戦場に出る……」


 脳裏に戦場を駆けていたサーシス王が蘇る。

 最前線で、王という称号には似つかわしくない、傷だらけで血反吐を吐きながら泥臭く戦っていた姿が。


「ずっと不思議に思ってました。どうして王なのに戦場に出てあんな戦い方をしていたんですか? すごく強かったですし」

「実は戦争起こした時点で、仮にあんたたちを捕らえてももう国は再建不可な状態までいってたんだよね」

「は……?」


 思わず口から出た声は先輩と綺麗に重なる。


 仮にルミベルナたちを捕らえて魔素を抽出してもサーシス王国は再建不可だった……?

 どういうこと?

 それじゃあ国を滅ぼすための戦争だったとしても、ルミベルナ(わたし)たちが戦った意味って――


「戦場に出たのは、そうなった以上ジュリアスとしてはいつ死んでも良かったから。当たり前なんだけど、本当人望なかったんだろーね。誰も止めるどころか、皆嬉しそうに早く死んで来いって顔で送り出すの。想像以上にジュリアスが強かったのか、最初に戦う姿を見た時の顔は傑作だったよ」


 国の寿命を縮めるような政策を続けて、少なくとも国民も反発していたんだろう。バカ殿扱いされていたというけれど、樫山さんの様子を見る限り、内心ではもはや『評価などどうでも良い』と思っていたか、むしろ思惑通りだったんじゃないかな。


「戦い方があんなだったのは、うっかり死ねるようにって言ったところかな。まあでも、あいつらのあんな反応見てあっさり死ぬのも癪だったんだよね。他のやつより強かったのも、サーシス王国が詰む前に暗殺されるわけにはいかなかったから隠れて鍛えてたんだよ」


 死ぬために戦っていたのなら、あんな戦い方になるのも理解できる。でもこっそり鍛えてあれだけ強いんだったら、常日頃から鍛えていた一般兵士たちの立つ瀬がないと思うのだけれど。それだけの執念を持っていたってことかな。


 依然として険しい表情のまま、蓮水先輩が口を開く。


「だがサーシス王は死ななかった。いや、死ねなかった……そうだな?」

「そうなんだよねぇ。当初は魔晶族にボコボコにされる予定だったんだけどさ、ジュリアスは生き残って、軍も予想以上に頑張っちゃったものだから勝ちそうになっちゃって。だから、最後はちょっと強引に始末することにしたんだ」



 まさか自爆なんてされるとは思わなかったけど。



 ニィと唇を剃り返したような笑みを浮かべる樫山さんに、私たちは全身の血が引いていくのを感じていた。


「まさかあれもサーシス王が意図的に用意していたのか!?」

「あっははは、おかげで攻めやすかったでしょ?」


 血相を変えた蓮水先輩が樫山さんに詰め寄るけれど、その反応がそんなに面白いのか、相手はけらけらと笑っている。


「戦争に勝ったところでどうにもならないって言っても、またディルクみたいなやつが厄介なもの発明するかもしれないじゃん? だから、ジュリアスが知る限り国をどうにかしてしまいそうな可能性があるやつを集めて、自分と一緒にやっつけてもらおうと思って。でもてっきり奇襲をかけてくるだけかと思いきや、生き残り全員で自爆してくるなんてパーフェクトな行動だったよ! おかげでおれが殺したかったやつ全員死んでくれたからさ」


 その後続けられた内容に、先輩はわなわなと震えていた。そんな先輩を見て逆に冷静になったのかもしれない。確かにビックリしたけれど、納得出来た。確かに妙に隙だらけだとは思っていたのだ。


 けれど、あの鑑賞会までサーシス王の復讐計画の一環だっということは――

 これじゃ結局、最初から最後まで魔晶族はサーシス王の手のひらの上だったってことじゃない。


 ならルミベルナが尊厳を守るために、魔晶族を操ってまで戦って死んだ意味って……?



「どうしてですか」



 ああ、自分は冷静だと思っていたけれど、そうじゃなかったみたい。多分、怒りが一周回ってこうなってるだけなんだ。

 冷静だったら、こんなに冷たい声が出るわけない。二人がこんなぎょっとした顔でこちらを見るわけがないもの。


「どうして、そこまでして……無関係の魔晶族まで巻き込んで、復讐を? それだけの理由があるんでしょうね?」


 太ももの上に置いた拳を爪が食い込むくらい強く握りしめて、キッと樫山さんを睨みつける。


「は、はは……何だ、生まれ変わってただ気弱なだけの女の子になったと思ったら、ちゃんと女王サマっぽい表情(かお)も出来るんじゃん」

 

 そんな私に、樫山さんは顔を引きつらせながらも少し興味深そうに目を細めた。けどすぐに、それは鋭く冷たいものへと変わる。



「許せなかったんだよ。腐りきって自浄作用もない、あの国が」



 さっきしていたサーシス王の顔とは違う。今の樫山さんは全身から憎悪を剥き出しにしていて、心なしか部屋の気温も下がった気がする。そういえば前に戦った時も、サーシス王の周辺だけ凍土になっていたことを思い出した。


「国民一丸となって王都から追放して迫害までしておきながら、自分たちの都合が悪くなればジュリアスの大切なものを悉く踏みにじってから無理矢理城に連れ戻した」

「お前過去に追放されていたのか……!?」

「別に罪を犯したわけじゃないですよ? 当時の王の第一子として生まれたにもかかわらず『異能を持たない落ちこぼれ』だった――それだけで、ジュリアスを産んだ王妃と母方一族揃って全国民から犯罪者扱いですよ」


 樫山さんの口から飛び出したサーシス王の経歴に、私たちは口をあんぐりと開けてしまった。行儀悪く頬杖をついた樫山さんは、当時を思い出しているのか冷たい表情のままそっと目を逸らす。


「最初追放された時は『異能を持たなかった自分が悪い』って思ってたし、別に悪いことばかりじゃなかったんだよ。一緒に追放された王妃は変わらずジュリアスのことを愛してくれたし、落ちぶれても付いて来てくれた家臣もいた。追放された先で、迫害せずに仲良くしてくれた人もいた。――全員、城に連れ戻される時に殺されるか、殺されるよりも惨い目に遭ってしまったけど」

「それは……」

「そこで気づいちゃったんだよね、『異能を持たなかった自分が悪い』って思い込もうとしてたことに。大切なものを踏みにじった貴族どもだけじゃない――理由は置いといても追放された時点で落とし前は付いていたはずなのに、それにもかかわらず迫害してきた国民。そして、それを黙認して許してきた国そのものに対しての憎悪を自覚しちゃったってわけ」


 そこで一度口を止めると、再び樫山さんは逸らしていた目を私たちに向けた。


「だから、無理矢理城に連れ戻された時に、絶対にこんな国滅ぼしてやるって決めたんだ。とにかくサーシス王国には出来る限り苦しんで滅んで欲しかった。そうなってくれればジュリアス自身はどうなろうが構わなかったよ。……まあ、あんたたちにとってはとんだ災難だっただろうけどね」


 ここで、樫山さんの話は終わる。

 さらりと簡単に言っているけれど、壮絶な経験だったはずだ。私たちは何を言っていいのか分からず、ただ黙り込むことしか出来ない。そんな私たちに、相手は訝し気な表情をした。

 

「おかしいなぁ、もっと激怒するかと思ってたんだけど」


 確かにさっきは怒りが湧き上がっていて、許せない気持ちが大きかったけれども、話を聞くうちに段々萎んでいって今はそこまでない。あくまでも戦争は前世で終わってしまった話で、今の彼はジュリアス・フェルデ・S(サーシス)・シェルシエールではなく樫山律なのだ。少なくとも、私と蓮水先輩はそれを分かっている。


 それに――前世で散々同族を洗脳して利用してきた私が、樫山さんのことを非難なんて出来るわけがない。


「まあ、話していた貴方の表情を見れば……いかに国を憎んでいたかは理解出来ます」

「へえ許すの? ちょっと甘過ぎない?」

「サーシス王のことは許しませんよ。でも、今の貴方は樫山律でしょう? 樫山さんが復讐のために私たちを巻き込んで何かしましたか?」


 ――コイツはテメーらが言う『女王様』じゃねー、三縁八千代ってオレの妹だ! 八千代がテメーらを洗脳して戦争に投入したのかよ! してねーだろうが! 


 兄さんに転生のことを知られた次の日、中庭で兄さんがガンを付けてきた先輩たちに放った言葉を思い出す。考えれば当たり前の言葉だけれど、あの台詞に三縁八千代(わたし)の心は軽くなったのだ。

 その言葉を借りて樫山さんに返すと相手はわずかに目を見開いた――気がした。けれど一瞬の間にすぐに元の訝し気な顔に戻る。


「実際今巻き込んでる最中なんだけど?」

「それについては、むしろ来てくれてありがとうございます。そうじゃなきゃ、きっと兄さんがあの人に攫われたなんて考えつかなかったでしょうし、王国側まで転生しているなんて分からなかったでしょうから。でも、どうして戦争のことまで話してくれたんですか? 話しても自分の立場が悪くなるだけだと思うんですが」

「あー、それは……」


 今までの饒舌さとは打って変わって、歯切れ悪く話す樫山さんの顔色は少し悪い。どうしたんだろう、ちょっと寒いからかな。

 流石に室内が寒すぎたのか、外の空気を取り込もうと蓮水先輩がテラスに続く開き窓を開けた。話が気になるのか、ちらちらとこちらの様子を窺っている。


「接触した以上……どうせバレることだし。それに、あんたたちはジュリアス(おれ)の個人的な復讐に巻き込んでしまったから話しておくべきだと思った、それだけだよ」

「本当にそれだけですか?」

「え?」

「直感ですけど、ただそれだけの理由だったら、少なくとも魔晶族を捕らえても意味がなかったことは黙ってたんじゃないですか」


 何が言いたいと言わんばかりに睨んでくる樫山さんに、私は薄く笑った。



「――ルミベルナ(わたし)が、兄さんの妹だったからでしょう?」



 目の前の白銀色の男子は今度こそ大きく目を見開き、そのアイスブルーの瞳に私を写した。やっぱりそうなんだと確信して、笑みを浮かべたまま私は続ける。


「きっと今の貴方は兄さんが大切で、兄さんに対して不誠実なことはしたくないんですよね、違いますか?」

「……」


 図星なのか、黙り込んでしまった樫山さんに構わず私は話し続けた。


「知ってますか? 兄さんって基本誰とでも仲良くする人なんですけど、特定の友達って作らないんですよね。仲良くなった人がいても、進学とか、環境が変わればそれまでの関係を切っちゃうんですよ。人間関係リセット症候群って言うらしいんですけど」


 口を閉ざしたままだけれど、その重めの前髪からわずかに見える細い眉がぴくりと動いた。隣に座り直した蓮水先輩の顔が今の言葉を聞いて凍り付いたけれど、どうしてなんだろう。

 ……気になるけれど、今は話を進めよう。


「そんな兄さんが学校が変わっても仲良くする相手がいるなんて、珍しいなって思ってたんです。しかも今回の転生騒動のことを相談までしてる……そこまで信頼してる相手がいたなんて初めて知りましたよ」


 そこでようやく、さっきよりも顔色を悪くした樫山さんが口を開いた。


「……何が、言いたいの」

「そこまで兄さんが心を開いてる相手なら、きっと相手も兄さんのこと好きなんだろうなって思って。だから、妹の私にもちゃんと教えてくれたんでしょう?」

「はっ、何それ。今までの話全部嘘かもしれないじゃん。騙して今度こそ殺そうとしてるとか思わないわけ?」

「……ふふっ」


 その態度に、思わず笑ってしまった。

 鼻で笑ってそう言い返されても、どう見たって凄んでいるようにしか見えないし、全く怖くなんてない。抑えきれなくてお腹を抱えて笑う私を、樫山さんは奇妙なものを見る目で見つめていた。どうにか笑いを収めると、まだ少し吊り上がった口で相手を見つめ返す。


「最初電話で貴方の声を聞いた時、純粋に兄さんを心配しているように感じましたよ。そんなあなたが兄さんが攫われたなんて嘘を吐くことも、妹の私を騙すなんて真似をするとは思えませんね、ふふふ」

「……だそうだ、姉さんを全面的にお前を信用するみたいだぞ」


 ツボに入ってしまってまた笑ってしまった私の代わりに、蓮水先輩が言いたかった言葉を代弁してくれた。その様子を見る限り、先輩も一旦信じることにしたみたいだ。

 笑いの止まらない私を樫山さんは呆然と見ていたけれど、緊張が解けたかのように一気に脱力した。


「……前言撤回する」

「ふふふふふ、何をですか?」

「あんた、ノゾムにそっくりだよ。そういう馬鹿正直に人を信じちゃうところ」

「それは光栄ですね」

「全くだよ……挙句の果てにはノゾムと同じようなことまで言っちゃってさ」


 最後の方は少し声が小さくて聞き取りにくかったけど、何とか聞こえた。一体何のことだろう、兄さんの台詞を借りた時かな……うーん、分からない。

 そんな私を他所に樫山さんは手を頭の後ろで組むと、椅子の背もたれに寄りかかった。


「はーあ、ブチ切れたあんたらに殺される覚悟で来たのに、拍子抜けしちゃったよ」

「……さすがにそこまで野蛮じゃないぞ」

「外から六天の様子を見てるだけじゃ、そうなるとしか思えないんですって!」


 最近は落ち着いているとはいえ記憶が戻った直後の六天の荒れ方は酷かったし、私たちも荒れていると思っても不思議じゃないけど……ちょっと心外だ。

 「殺されなくて良かったー」と安心したように手をぷらぷらと振る樫山さんに対して、蓮水先輩は神妙な表情で眼鏡のブリッジを中指で持ち上げた。


「なあ樫山、一つ聞いてもいいか?」

「何です?」


「お前は大丈夫なのか?」


 その意味を理解するのに、少しだけ時間がかかった。分かりやすく顔を強張らせた樫山さんに対し、先輩の表情は険しい。逆光で眼鏡のレンズを光らせて、少しだけ樫山さんに身を乗り出す。


「姉上は他の魔晶族を洗脳して戦争に出して最期は自爆させた。魔晶族の誇りと尊厳を守るためにやったこととはいえ、今世では皆それを恨んで姉さんに敵意を抱いている。今言ったことが本当なら――お前が王国のやつらに恨まれないわけがないと思うんだが?」


 どうしてすぐに気がつかなかったんだろう。

 ルミベルナもサーシス王も自分がまとめ、もしくは治めていた相手に対して恨みを買うようなことをくり返していた。違いがあるとすれば、ルミベルナがやり方はどうであれ動機が魔晶族を守るためだったのに対し、サーシス王の動悸が国への復讐だったことくらいだ。


 先輩の言う通り、私ですら今こうなっているのに、前世で散々自国民を苦しめた樫山さんは平穏に学園生活を送れているの……?


「あ、ははは……それ聞いちゃいます?」


 顔は笑っているけれど、その目は『余計なことに気づきやがって』と言わんばかりに蓮水先輩を見ていた。


 そんな樫山さんを見て、ふと思う。


 さっきからずっと気になっていたけれど、樫山さんの顔色がどんどん悪くなっている。最初は自分の発した冷気で寒かったのかなとも思っていたけれど、今はもう冷気は出していないし、部屋だって開いた窓から初夏の風が入ってきて少し暑いくらいだ。心なしか息も荒いし、もしかして体調が悪いんじゃ……。


「まあぼちぼちやってますよ、あんたたちが気にする必要なんて……」


 その予想が当たっていたのか、言葉の途中でふらっと樫山さんの頭が傾いた。それを見た先輩も樫山さんの様子がおかしいことに気がついたみたいで、一気に目つきが鋭くなった。


「樫山さん、どこか悪いんですか」

「別に何ともないよ、ちょっと眩暈がしただけ」

「嘘を吐くならもっとまともな顔色で言ってくれないか?」


 何ともないと言っている本人の目はどこか虚ろ気だ。空元気を出しているようにしか見えず、私は席を立って樫山さんの傍に行く。


「まさか熱があるんじゃ……」

「――ッ! 触るなッ!!」



 バチンと音を立てて、樫山さんに伸ばした手は、本人によって叩き落された。



「姉さん!? 樫山、何をするんだ!?」


 蓮水先輩が声を荒げるけれど、相手はただフーッ、フーッと息を荒げ、焦点の合わない目でこちらを睨みつけている。その前世を含めて一度も見たことがない鬼のような形相に息を飲んだ。

 間違いなく樫山さんの身に何かが起きている。叩かれた手の痛みなんて、今は気にならない。

 

 構わず私は樫山さんに手を伸ばした。


 相手は今のでひるんだと思っていたのか、まさかまた手を伸ばしてくるとは思わなかったんだろう。意識が朦朧としていたのもあるかもしれない。

 反応が一瞬だけ遅れ、その隙に伸ばした手が樫山さんの肩に触れた――その時だった。



「――ッ、ああああああああぁッ!!」



 樫山さんが絶叫し、私が触れた肩を押さえて体を丸め込む。私はただ触れた手を宙に彷徨わせたまま、蓮水先輩と一緒にただ苦悶の表情で震える樫山さんを見つめることしか出来なかった。


「か、しやま、さん……?」


 私はただ触れただけなのに。

 どうしてこんなに痛そうにしているの?


 一体この人に何が――




「――おやおや、中々おもろいことになっとりますなぁ」



 

 背後から突然割り込んで来た声に、全身の肌がぞわりと粟立つ。 

 驚いたのは二人も同じだったようで、特に樫山さんはビクリと大きく肩を跳ねさせた。そして丸まって下を向いていた顔をぐぎぎぎぎ……と錆びた人形の首を動かすように上げる。樫山さんに合わせて、私も恐る恐る後ろを振り向いた。


 とうに覚悟は出来ていた。この声も過去に聞いたことがあったから。


 振り向いた先――開いた窓の先にあるテラスの手すりには、いつの間にか明迅学園の制服を着た一人の女子生徒が座っていた。


 綺麗に切り揃えられた姫カットに、背中の半分くらいまで真っ直ぐ伸びた藤色の髪を風になびかせている。糸目と言えばいいのか、その目は閉じていて瞳の色まで確認することは出来ないが、その顔立ちは十分に整っている。

 振り返って相手を視界に入れた私と蓮水先輩に、女子生徒はにっこりと笑いかけた。


「お久しう、ルミベルナ女王はん、ルカはん。うちのこと覚えとります?」


 記憶とは話し方が全く違うけれど、この貼り付けたような不気味な笑顔は今世でも変わらない。



「――ええ、覚えていますよ。サーシス軍隠密部隊隊長、リリス・ラジアータ」



 その底の見えない恐ろしさに震えそうになるのを押さえ、私も同じように貼り付けた笑みで相手に笑い返した。

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