50.サーシス王国と明迅学園【♡】
遠い昔、こことは違う世界で行われた魔晶族とサーシス王国との戦争。
魔晶族が持つ魔素を求め、勢いを増していくサーシス王国に追い詰められた魔晶族たちは、相手側の要人を巻き込み自爆して死ぬことを選んだ。
その行動そのものにサーシス王国をどうこうする力はなかっただろう。要人を殺したところで混乱はするだろうけれど、また別の人がその立場に着いてやっていくだけのことだ。
一番の目的は自爆によって魔素を使い果たし、サーシス王国が魔晶族から魔素を得られる量を限りなく少なくすることだった。
魔素がどこかにある限り魔晶族はまた生まれるだろうけど、ルミベルナたち四天王のような膨大な魔素を持つ魔晶族が生まれるのには数百年かかる。いくら弱い魔晶族を捕まえようと、そこから得られる魔素なんて雀の涙だ。そもそも魔素を使い過ぎて滅亡寸前だったサーシス王国がそれまで持つわけがない。国民の暴動が起きるか、緩やかに滅んでいくか――ルミベルナたちがいなくなった後のサーシス王国がどうなるのかは想像に難くなかった。
自爆をすると決めた時点で魔晶族はもう捕まったり殺されたりしてほとんど残っていなかったから、王国側は最低限の戦力で勝てると思っていたのかもしれない。普段戦場に出ていた強い人たちが必要最低限の装備で集まって呑気に鑑賞会なんて開いていたものだから、その隙を突いて襲撃した。結果は大成功だった。
そして、その巻き込んだ中にはサーシス王国の国王もいた。
死ぬタイミングはルミベルナたちとほぼ同時。だったら『そうなっても』全然おかしくない。
「サーシス王……いえ、ジュリアス・フェルデ・S・シェルシエール、貴方も転生していたんですね」
「へえ、そんなくそ長いフルネームは覚えてたんだ?」
確認のためにフルネームで呼んでみたけれど、意外だったのかサーシス王――もとい、樫山さんは面白そうに目を細めた。
「ま、そういうことだね。おれだってまたあんたたちと相見えることになるなんて思わなかったよ」
沈黙が流れる。
今だに警戒を解かない私たちに、相手はため息を吐いてやれやれといったように両手を上げた。
「そう身構えないでよ。今のおれにあんたたちと戦う理由なんてないんだからさ」
「っ……そもそも、どうして私がルミベルナの生まれ変わりって分かったんですか。前世は私、顔隠してましたよね」
「ああそれ? ちょっと前に六天高校の荒れ方が引っかかって、もしかしてーって思ってノゾムに聞いてみたんだよね。そしたらノゾムの様子がおかしくてさ、そこ突っついたら相談されたんだよ。『妹が生徒会長に姉上って呼ばれて付き纏われてる』って」
兄さん、樫山さんに相談してたんだ。きっとそこで樫山さんは六天高校に魔晶族が転生していることを知ったんだろう。
「元々ルカが蓮水さんってことは分かってたからその時点でほぼ確信してたけど、もしかしたら勘違いって可能性もあるじゃない? どうしても気になっちゃってさー、試しに生徒会長を調べてみたら――ビンゴってね」
そう言って茶目っ気たっぷりに笑う姿は、前世での印象と大分異なる。前世で実際に戦った時のサーシス王は、感情を言動に出さず、表情にも出さず、ただ唯一その目にだけ映す――そんな、氷のような人だったのに。
それはそうとして、私がルミベルナだと知った経緯は分かった。
席を立ったままの蓮水先輩も少しばかり警戒が解けたのか納得がいったように頷いている。
「なるほど、だから姉さんが僕の家にいることが分かったのか」
その言葉に樫山さんの笑みがひくりとした。
「うっわ、まじで姉さんって呼んでんの……?」
「姉さんと三縁からは了承済みだ」
いくら前世で姉弟だったのを知っているとはいえ、こうなるのは仕方がない。得意げに胸を張る蓮水先輩に対し、相手の先輩を見る目は完全に引いていた。見てはいけないものを見てしまったような表情をした樫山さんは、少しの間を置いてそーっと目を逸らす。
「へっ、へーえ! いいいいいいんじゃないの、本人たちがいいなら。お、おれがどうこう言う権利はないですもんねぇ!」
「ああ、生まれ変わろうが姉であったことには変わりないからな」
「ふ、ふーん、へーえ、そう……」
頷きながらも冷や汗がだらだらと流れている。正直あのサーシス王がこんな表情をしながら上ずった声を出すのを見たことがなかったから、ちょっと面白い。
先輩も先輩で最初呼ぶときはあんなに遠慮した感じだったのに、今はもう完全に吹っ切れてしまっている。
でも、生まれ変わろうが姉であったことは変わらない、か……。
ルカはルミベルナを姉として慕ってくれた。蓮水綾斗に生まれ変わった後も、変わらずその愛情をそのまま私に向けてくれている。
私は、違う。
確かにルカが弟だという認識はあったけれど、少なくともルミベルナは家族愛だとか、ルカを思いやるような感情は持っていなかった。姉弟らしい思い出もない……だから蓮水先輩と友達になった時、関係を一からやり直していこうと思ったのだ。
今はあまりゆっくりは出来ないけれど、落ち着いたら兄さんや侑里先輩たちと一緒にどこかに遊びにーー
――姉上、この前読んだ人間の旅行記に書いてあったけど、世界樹から見る夕日ってとても綺麗なんだってね。見に行ってみないか?
――見てみたいけれど、世界樹って高いじゃない。そこまで行けるかしら。
――何言ってるんだよ、僕は飛べるし姉上をおぶっていくくらい簡単さ!
「っ……!?」
突然脳裏に浮かんできた会話に、息を飲む。
今のは、何。
ルカと一緒に世界樹からの夕日を見に行く……?
心臓が早鐘を打つ。
知らない。
こんな会話、知らない。
――ズキリ。
また頭痛だ。さっきと同じ、これ以上考えるなと私の本能に告げてきているような痛み。一体何なんだろう、これは。
気になるけれど、今は考えちゃ駄目だ。これ以上頭痛が酷くなれば、話し合いを続けられなくなってしまう。
俯いていた顔を上げる。幸い二人に私の頭痛は気づかれていないようだった。
気を逸らしていた間、ずっと先輩の私とルミベルナに対するトークが繰り広げられていたみたいで、口の止まらない蓮水先輩に樫山さんは死んだ目をしていた。
ちょっと、いや、すごく恥ずかしい。
目が合った瞬間、樫山さんが助けを求めるような目で見てきたので、
「先輩、そろそろ……」
「ああ、そうだったね」
こちらとしても、これ以上話されるのは困ってしまうのでやんわりと先輩を止める。席に座り直した先輩は思う存分話せたのかキラキラしていて、なぜかこっちの方がとてつもない羞恥心に襲われた。大切に想ってくれるのは嬉しいよ、嬉しいんだけど……!
「――というわけで、前世で背負わせてしまった分、今世はちゃんと姉さんと向き合って仲良くしたいって思うんだ」
「ああもう分かった、分かりましたから!」
そう言って、やっと終わったといった表情で全身の力を抜く樫山さん。
「ったく、シスコンはノゾムだけで十分だっての。……でも羨ましいですね、姉にそんな綺麗な感情を向けられるなんて」
蓮水先輩が何か言いたげな表情をしていたけれど、それを誤魔化すように樫山さんはゴホンと一つ咳払いをした。
「っていうか蓮水さんなんてさ、中学の時から面識あったでしょ。何で記憶が戻った時点で気づかなかったんです?」
「そもそも国王の顔なんて遠くから見たことがある程度だったし、その髪と目の色でピンときたんだ」
白銀の髪とアイスブルーの瞳はサーシス王家の象徴だ。でもルカはほぼ戦場には出なかったからサーシス王と戦うこともなければ、面と面を合わせることすらなかっただろう。当時よりも若いし気がつかないのもしょうがないとは思う。
「というかどうしたんだその髪。前は普通に黒髪だっただろう」
「記憶が戻ったと同時にこうなったんですよ。黒染めしても全然染まらないし……そっちは見た目が変わったりしなかったんですね」
六天高校では前世の記憶や力が戻っても容姿まで変わることはなかった。精々前世に強く引っ張られた時に目の色が前世のものになるくらいだ。でも髪の色まで変わった樫山さんがサーシス王に引っ張られている感じはないし……魔晶族と人間では前世の影響の現れ方が少し違うのかもしれない。
「そんな髪色で、校則とか大丈夫だったんですか?」
「それが先生たちだーれも気にしないの。生徒の髪色が一気にカラフルになったのにさ、認識すらしてないよ」
やっぱり前世に関わることは分からないようになっているんだ。
私は納得したけれど、今度は蓮水先輩の表情が険しくなった。
「……一気にカラフルになった?」
「ああ、そっちと同じですよ。明迅にはサーシス王国のやつらが大勢転生してきてるんです」
サーシス王の生まれ変わりである樫山さんが現れた時点で、他の人もいるんだろうなとは思っていた。けれど、まさか明迅学園の方でも同時多発転生が起きていたなんて。
でもそれらしき噂、今まで全く聞いたことがなかった。どうしてなんだろう。
「それにしては、六天と違って静かですね」
「表向きそう見えるだけで明迅の方も大概だよ。そっちと違って皆騒ぎにならないよう立ち回るし、学園側も隠ぺいするしで質が悪い」
魔晶族という人外から人間に転生している六天高校とは違って、明迅学園では人間から人間に転生しているわけだから知能が大幅に下がることもないだろう。本能のまま大暴れすることもない。
ただその分別の問題が起きているようで、そう話す樫山さんの顔は疲れきっていた。
続けてテーブルに肘を付けて手を組んだ蓮水先輩が訊ねる。
「どうしてこうなったのか心当たりはあるか?」
「あれば良かったんですけどね。気になることがないわけじゃないですけど」
「と、言うと?」
「今回転生してきているのが、自分含めておたくらの自爆に巻き込まれて死んだやつなんですよね。一部を除いて」
それはこっちでも同じだ。もしかして、あの自爆に何か関係があるのかな……?
でもそれだとクレイヴォルまで転生してきていることの説明がつかない。本当に、どうしてこんなことになったんだろう。
そんなことを考えていると、今回の転生騒動について新たな情報を得られる絶好の機会だからなのか、先輩がさらに切り込んでいく。
「その一部というのは?」
「そっちが知っている名前で例を挙げるなら、マリー・カレンデュラ。他にもいますけど、戦争とはほぼ関わりなかったから分からないと思いますよ」
告げられた名前に思わず目を丸くする。
――そっか、あの人も転生してるんだ。どんな人なんだろう。
「……安心しなよ。今世ではちゃんと人間の形をしてるから」
私の表情を見て何かを勘違いしたのか、樫山さんがそう付け加えた。
「で、本題に戻すんだけど。別におれはただ前世トークをするためだけに明迅の現状を明かしたわけじゃないのよ」
その言葉にはっと我に返る。
そうだ、サーシス王のインパクトが大きすぎて忘れていたけれど、そもそも樫山さんは攫われた兄さんのことについて話すために来たんだった。
樫山さんは腕を組んで、視線を少しだけ下に向けると話し始めた。
「今回ノゾムを攫った糸杉千景なんだけどさ、あいつも転生者なんだよね。前世名はディルク・バーンズ、前世の頃からあいつはあんたにお熱だったよ」
転生者? あの人が?
しかもそのころから私を……!?
考える間もなく、私は言い返していた。
「待ってください。私、あの人と前世で会った記憶なんてありませんし、そのディルク・バーンズって名前も知りません……!」
「そりゃあそうだろうね、ディルクは科学者で戦場には出なかったから。ただひたすら遠くからあんたを観察してたよ」
その言葉に顔が強張ってしまう。まさかあの人、前世から私をストーカーしていたの?
怖すぎる。当時は見られていたなんて全く気がつかなかった。
「そもそも前世で起きた戦争ってさ、あいつの誘いに前世のおれが乗ったのが始まりなんだよね。ディルクは女王サマを自分のものにするために魔晶族から魔素を抽出する技術を開発してさ、おれにこれがあれば魔素不足を解消出来るぞって持ちかけてきたんだよ」
私と先輩は大きく目を見開く。
あまり考えたことはなかったけれど、そもそもの始まりはサーシス王国が魔素を狙って魔晶族を捕らえ始めたことだ。ということは全ての元凶は戦争を仕掛けてきたサーシス国王ではなく、魔素抽出なんてことを出来るようにしたそのディルクとかいう科学者なんじゃ……?
「そいつか、魔晶族を勝手にエネルギー資源にしたやつは……!」
蓮水先輩が怒りでギリ、と歯を食いしばっている。そんな先輩をちらりと見て樫山さんは再び口を開いた。
「ま、最初からディルクの目的が女王サマなのは分かってたし、おれとしては別に国の魔素不足なんてどうでもよかったから別に相手にしなくたって良かったんだけどね。でももしそれで魔晶族と敵対して戦争なんてことになったら……面白いことになりそうじゃん? だから誘いに乗ることにしたんだ」
笑いながら世間話をする感じで言うものだから、一瞬反応が遅れた。
この人は一体何を言っているんだろう。
横目で蓮水先輩の様子を窺うけれど、彼もまた宇宙人を見るような顔で樫山さんを見ている。
ごくりと唾を飲み込み、何かの誤解であって欲しいと思いつつ、恐る恐る訊ねた。
「あ、貴方、国王でしょう……? 魔素不足なんてどうでもいい、戦争なんて面白そうって、どうしてそんなこと……」
「どうしてって、サーシス王国が魔素不足になるように積極的に国民に魔素を使わせたのはおれだもの」
愕然とする私たちに、当時を思い出しているのか樫山さんは自虐的に笑う。
「前世のおれはね、サーシス王国を滅ぼしたかったんだよ」




