49.出会いと再会【♡】
電話が切れた後、私は今の会話の内容を先輩たちに説明する。
信じられない話だ。てっきり転生者たちに襲われたかと思いきや、かつてのストーカーに攫われていたなんて。案の定、私の話を聞いた二人は口をあんぐりと開けていた。そして今から樫山さんが家に来ることを伝え、蓮水先輩に頭を下げる。
「すみません、先輩の家なのに確認もしないで頷いてしまって」
流されるまま返事をしてしまったけれど、本当なら了承を得てから来させるべきだった。
「あいつの言うことが本当なら、今姉さんは危ないんだろう? 別に構わないさ」
本人が気にしていないと笑ってくれたので少しだけホッとする。そのまま椅子に座り直すと、
「樫山さんって、ここに来たことがあるんですか?」
と聞いてみた。樫山さんが蓮水先輩の家を知っているということは、もしかして中学時代は家に遊びに来るくらい仲が良かったのかな?
……と思ったけれど、蓮水先輩は黙って首を横に振るだけだった。すると、椅子に横座りし背もたれに肘を乗せた矢吹先輩が口を開く。
「この校区の中学に通ってた人なら皆分かるでしょ。なんせこの辺りじゃ一番の豪邸だからね」
「なるほど」
確かに、と思う。この家は本当に大きいし広い。最初来た時は何かの施設と併設していると思ったくらいだ。蓮水先輩のお父さんは私立高校の理事長で、一企業の社長と同じようなものだろうし、こんな家に住んでいて当然なのかもしれないけど。
「管理とか大変そうですけど、すごく綺麗な部屋ですよね。掃除は先輩がされてるんですか?」
侑里先輩の汚部屋を見たから余計にそう思う。理事長先生と二人暮らしなら使ってない部屋も多そうだし、ホコリ対策とかも大変だろう。私の問いに、麦茶のグラスを手に取りながら頷く。
「ああ、基本家事全般は全部僕がやってる。庭だけはたまに業者の人にやってもらうが」
その言葉に目を見開いたのは侑里先輩だった。
「へっ? 家政婦さんとかいないの?」
「以前は雇ってたんだが、家の物を盗まれたことがあったんだ。それからは自分たちだけでしてる」
その返答にポカンとした顔をした後、恐る恐るといったように切り出した。
「じゃ、じゃあ、前にちらっと見たあの美味しそうなお弁当は……?」
「いつのやつかはしらないが、弁当は基本自分で作ってるぞ」
「う、うっそだぁ、どう見たってお店クオリティだったじゃん!」
侑里先輩が勘違いするのも無理はない。先輩の停学復帰後、一度兄さんと三人で昼食を一緒に食べたことがあった。その時に持って来ていた先輩のお弁当は、筍と山菜の炊き込みご飯と和食を中心とした色とりどりのおかずが曲げわっぱに入っていて、本当に美味しそうだったのだ。先輩が作っていると聞いた時は兄さんと二人で驚いたんだっけ。
侑里先輩はずっとそのお弁当を雇っている家政婦さんに作ってもらっていると思っていたのだろう。
「あんまり中身が偏ってると父さんがうるさかったから。それに、ずっと作ってればさすがに慣れるさ。おかずも基本大量に作って冷凍したのを入れるだけだ」
「へ、へーえ……料理出来るんだ、知らなかった」
口の端をぴくぴくと痙攣させて、明らかに動揺している侑里先輩を蓮水先輩は訝し気な目で見つめる。
「お前さ、ここ三、四年は個人的な話なんて全くしなくなってたとはいえ、今まで僕にどんなイメージを抱いてたんだ」
「えっ、えーっと」
目を泳がせるけれど、蓮水先輩が誤魔化す隙を与えてくれない。そんな先輩を見て遂に観念したようにがばっと頭を下げた。
「しょ、正直に言わせてもらいますと、身の回りの世話は全部使用人にやってもらって、自分は命令だけして遊んでるボンボンのイメージでした!」
「あまりにも偏見に塗れ過ぎじゃないか……?」
「本当にスミマセンっした!」
そう言ってペコペコ頭を下げ続ける侑里先輩に、蓮水先輩は椅子の背もたれに寄りかかって一つため息を吐く。
「……だからあいつはあんなこと言ってたのか」
言葉の意味は分からなかったけれど、誰に言うわけでもなくそう呟く先輩の顔は、どこか腑に落ちたような表情をしていた。
「でも、どうして樫山さんは私が蓮水先輩の家にいることが分かったんでしょうか」
大分会話が逸れてしまったけれど、一番気になるのはそこだ。樫山さんは「当たりだね」と言っていたけど、それにしては確信を持ったような言い方だった。
「それは僕にもさっぱり。三縁が話してた可能性もあるけど」
「ですよね……」
さすがに分からないのか、先輩たちも首を傾げている。来た時に聞けばいいかと思い、時計を見るともう十五時前だった。兄さんがいなくなってから二時間半、樫山さんが来るまで何も出来ないのは分かっているけれど、時間だけが過ぎていくようでやきもきしてしまう。明迅学園からここまでは電車を使って大体ニ十分くらいだからもう少しかかるだろう。
少しもやもやしていると、ふと蓮水先輩が麦茶を飲んでいる侑里先輩に声をかける。
「侑里、僕はいなきゃおかしいだろうから同席しようと思うけど、お前はどうする?」
その問いに、先輩はすぐに首を横に振る。
「あたしは外しとくよ。あいつもあたしの顔は見たくないだろうからさ」
そう言ってへらりと笑う侑里先輩は少し寂しそうだった。顔も見たくないって……何があったんだろう。そのまま椅子にかけていた自分のショルダーバックを持って立ち上がる。
「後さ、どこでもいいから部屋貸してくれない? 話はそこで蜘蛛を通して聞こうと思うんだよね」
すると、待っていたかのようにどこからか三匹の紅い蜘蛛が机の上に現れる。見るからにはりきっていてこの後の会話を盗聴する気満々みたいだ。さっき兄さんのスマホを見つけたのもそうだけど、侑里先輩の蜘蛛って本当に優秀だなぁ。
勝手に盗み聞きさせて樫山さんには申し訳ないけれど、後から話す手間が省けるのを考えればその方がいい。蓮水先輩もそう思ったようで、
「なら二階の空き部屋を使っていいぞ。階段を上がったすぐ右の部屋だ」
「りょーかい。もしかしたら早く来るかもしれないし、先上がっとくね」
そう言って階段のある玄関の方向に体を向け「……あっ、あたしはその家政婦と違って物とか盗んだりしないからね!」と思い出したように言い残すと、さっさと部屋へと行ってしまった。三匹の蜘蛛は一匹がリビングのソファの下、一匹がダイニングの掛け時計の裏、もう一匹が椅子に引っかけている私のトートバックの中に入っていく。
侑里先輩の背中が見えなくなると、私は蓮水先輩に訊ねる。
「あの……侑里先輩と樫山さんって」
侑里先輩のあんな姿を見た以上、聞かれないはずがないと分かっていたのだと思う。蓮水先輩は侑里先輩が去って行った方向を見つめたまま、苦い表情をした。
「中学の時に色々あったんだよ。今はちょっと聞かないでくれないか、気軽に話せる内容じゃないんだ」
「そ、そうですよね。すみません」
ここまで接触を避けるということは、少なくともその色々が絶交レベルだったってことだけは分かる。けどさっきの会話から侑里先輩から樫山さんに嫌悪といったような感情は感じなかった。むしろ逆というか、樫山さんを気づかって、どこか負い目を感じているような――
兄さんのスマホからピロリンとメッセージが届いた音が鳴る。そこには樫山さんから『到着したよ』とのメッセージが入っていた。
◆
遠隔操作で門扉を開け、先輩と二人玄関で樫山さんが来るのを待つ。ふと土間を見ると、そこには私と蓮水先輩の靴しか置いていなかった。侑里先輩はご丁寧に靴まで持って上がったみたいだ。
今更ながらドキドキする。
樫山さんと会うのは初めてで、兄さんの一番の友達ってことしか知らない。一体どんな人なんだろう。
玄関ドアに影が映り、ゆっくりとドアが開かれた。
「……!?」
入って来た一人の男子生徒。
かつて兄さんも来ていたグレーを基調とした明迅学園の制服。背は兄さんよりも少し低いくらい。ネイビーの大きめのキャスケットを深くかぶっているため、顔はよく見えない。
制服には皺は入ってないものの、どことなくくたびれているように見える。それに対して被っているキャスケットは綺麗で、何ならさっき買ってきましたと言わんばかりに新品同然で違和感があった。
顔も分かりにくいし、ちょっと怪しい雰囲気はある。
けれどもそれ以上に彼に感じたのは――強烈な既視感だった。
「お邪魔します。お久しぶりです、蓮水さん」
「ああ、久しぶりだな」
先輩と樫山さんが挨拶を交わす。私は言葉が出て来ず、固まった表情で頭を下げることしか出来なかった。そんな私を樫山さんは一瞥する。
キャスケットの陰から覗く目が合った瞬間、寒気を感じてぞわりと鳥肌が立った。
なんだろう、これは。
恐怖からくる比喩じゃなくて、本当に気温が下がったような感覚。
条件反射とでもいうのかな、彼を見た瞬間に『寒い』と感じてしまった。
そんな私に気づいているのか分からないけれど、私を頭から足の先まで眺めた樫山さんは「へえ」と感嘆の混じった声を出す。
「噂には聞いてたけど、これは……あいつも執着するわけだ」
「もっと上手い褒め方はないのか」
思わず顔を引きつらせた私を見て、蓮水先輩が樫山さんを軽く嗜めてくれた。私の見た目を褒めたみたいだけれど、こんなに嬉しくない褒められ方は中々ない。
樫山さんは「ごめんごめん」と軽く謝ると、改めて私を見つめる。
「ノゾムとは全然似てないんだね」
「よく、言われます」
彼の言う通り、前世の姿のまま生まれ変わった私と兄さんでは精々髪の色調が同じくらいで、他は全く似ていない。過去に血の繋がりを疑われたことすらあったくらいだ。それを少なからず気にしていた時期もあったけれど、前世の記憶を思い出した今となっては納得している。
そのまま樫山さんをさっきまで先輩たちと三人で座っていたテーブルへ案内すると、蓮水先輩は麦茶を出した。今日は何回も出していたせいなのか樫山さんに出した一杯で冷やしていた麦茶は切れたようだ。
「僕は席を外した方がいいのか?」
「妹ちゃんから話は聞いてるんでしょ? どっちでもいいですよ」
「……聞こう」
私が心配なのと、後はやっぱり兄さんを放っておけないんだろう。先輩はこくりと頷くと、私の隣に座る。私たちの準備が出来たのを見て、樫山さんはキャスケットを深く被りなおした。
「今回の件だけど――」
「ちょっと待て」
早速本題に入ろうとするけれど、その言葉を先輩が口を挟んで遮る。
「ずっと気になっていたんだが、どうしたんだその帽子。部屋の中でくらい外したらいいだろう」
その言葉に私も頷いた。
気にしないようにしようと思ったけれど、どうしても気になる。夏も近いとはいえ、ここまで深く被るのは逆に暑そうだし視界も悪そうだ。それに、今のままじゃ彼の顔が分からない。顔を見せたくないみたいだ。
樫山さんはしばらく黙っていたけれど、沈黙に耐えられなくなったのか少し俯いたまま口を開いた。
「こうしてないと、今のおれはちょっと目立つから」
「目立つ……ですか?」
「――見れば分かるよ」
口の端をきゅっと結ぶとキャスケットのつばを摘まんで取り去り、その顔を私たちに晒す。
「なっ……!?」
「お前……!」
私は驚愕に肩を大きく震わせ、蓮水先輩は思わずといったように勢いよく席から立ち上がった。
キャスケットの下から現れた樫山さんの髪は――眩い銀色だったのだ。
染めたようなものじゃない。どう見ても地毛だった。
そして、露わになった素顔。
切れ長の目に、スッと通った鼻筋。左目の下には泣き黒子。少し長い前髪から見える瞳の色は日本人離れしたアイスブルー。
ごくりと唾を飲み込む。
知っている。その髪色も、瞳の色も、素顔も、私はよく覚えている。
そっか、電話をした時から感じていた既視感の正体はこれだったんだ。
「改めて初めまして――いや、久しぶりって方が合ってるのかな」
「貴方、やっぱり」
警戒心を剝き出しにして睨むように見つめると、相手は「はっ」と鼻で笑った。
「正直もっと早く気づくかと思ったんだけど、顔を見せないと分からないなんてちょっと平和ボケしてるんじゃないの? それとも、おれのことなんて記憶に残らないくらいどうでもよかった?」
ねえ女王サマ?
記憶よりも幼さが残っているけれど。
そう言ってゾッとする笑みを浮かべる樫山さんは――かつて魔晶族に戦争を吹っ掛けてきた王国の国王と同じ顔をしていた。




