04.魔晶族の女王
外は日が沈み、大分暗くなっている。
今この学校で起きていることは理解できたが……まだここで帰るわけにはいかなかった。
原因は分かっても今起きていることは何も解決していない。
言わずもがな蓮水先輩――それにオレももう少し八千代たちの前世について知っておきたい。
矢吹先輩にこのことを伝えれば快く了承してくれた。
八千代が今回のことを明かす際に矢吹先輩に頼ったということは、今の八千代にとって矢吹先輩は信用できる存在であるということだ。出来れば矢吹先輩も一緒に話し合いたい。
矢吹先輩が紅茶を淹れなおしてくれている間(先輩に淹れさせるのも申し訳なかったが、「あたしがやる」と聞かなかった)、オレは八千代に尋ねる。
「そういえばお前と蓮水先輩が前世で姉弟だったってのは分かったけどよ、鉱物から生まれる存在に姉弟とかあるのか?」
「前の私と蓮水先輩は同じ場所の同じ鉱物から生まれたんだよ。後、生まれたばかりの蓮水先輩の面倒を私が見てたからってのもあるかな」
「そ、そうなのか」
生まれる場所と元になる鉱物が同じなら姉弟になるのか。血の繋がりというよりは、地縁的なものなのか……。
まあ知らない世界のことをうだうだ考えてもしょうがない。八千代がそう言うんだったらそうなんだろう。
「後、前世の名前を教えてくれ」
おかしくなった(前世に引っ張られた)生徒たちはお互いを知らない名前で呼び合っていた。
それはいくら前世が魔物みたいな存在といえど一人一人に名前が付いていたことを意味するし、八千代や矢吹先輩、蓮水先輩の前世にもあるはずだ。
「名前? どうして?」
「これからずっと『八千代の前世』、『蓮水先輩の前世』って言ってくのも面倒くせーだろ。それに前世と今世はちゃんと区別しておきたいんだ」
蓮水先輩は八千代のことを前世と同じ『姉』として接していたが――いくら前世の記憶があろうと今は『三縁八千代』で、オレの妹だ。
今後前世の話をするときに、『八千代の前世』と八千代の名前を入れて呼びたくない。
続けてそう言うと、八千代は表情を歪ませた。
「望兄さんは、ちゃんと『私』を見てくれるんだね」
今日の八千代はずっと泣く一歩手前の表情をしている。
矢吹先輩がいてくれたとはいえ、ずっと一人で抱え込んでいたのだろうか。
「何言ってんだ当たり前だろ。オレは前世のお前なんて知らねーんだから」
「……そっか。分かった」
すぅ、と八千代が息を吸う。
「前世の私の名前はルミベルナ」
そう名乗る八千代の声は凛としていて、張りがあった。
ルミベルナ。
オレは心の中で繰り返し名前を呼ぶ。
前世だったからなのか、不思議と八千代にしっくりくるような気がした。
「ルミベルナ……か。八千代から見てどんなヤツだったんだ?」
「それは――」
そこで八千代は言葉を止めた。
な、何だか、すごく言いたくなさそうな顔をしている。
ルミベルナは結構ヤバいヤツなのか……?
聞かない方がよかっただろうか……
気まずい空気になったタイミングで、紅茶を淹れ終えた矢吹先輩が戻って来た。
「ルミベルナ様ー、言いたくない気持ちは分かるんですけどぉ、今後のためにもちゃんと話しときましょーよ」
距離的に、今までの会話は全て聞こえていたのだろう。
というか、あれ? 今、八千代に敬語で話してたのか?
軽く混乱するオレを見て、矢吹先輩はぷぷっと笑い「分かりやすっ」と小声で呟いた。
……全部聞こえているんだが。自分が分かりやすい性質なのは十分自覚している。
「ちなみにあたしの前世ネームはアイリーン。ルミベルナ様とは一緒にいることが多かったんだー」
オレたちの前に紅茶の入った紙コップを置きながら、矢吹先輩はそう続ける。こう聞くと、本当にオンラインゲームのオフ会のようだ。
紅茶は一回目よりも湯気の量が多い。会話が長くなることを見越してなのか、熱めに淹れたみたいだ。
「『ルミベルナ様とは一緒にいることが多かった』ですか……」
不思議に思っていたのだ。
いくら同じ委員会の先輩だからといって、矢吹先輩の見た目は八千代が苦手としそうなものだ。
また高校に入学して二か月経つか経たないかというのに、八千代と矢吹先輩はかなり仲が良さそうだった。
なるほど、前世からの付き合いだったからなのか。
「もしかして、ルミベルナってかなり偉いヤツだったりします……?」
「本人は違うって言い張ってるけど、実質的に魔晶族のリーダーみたいなものだったねー。RPGで例えるならラスボス。魔王様だよ魔王様」
「ま、魔王様……」
オレは思わず八千代を凝視した。
少なくとも、八千代はとても人の上に立つようなタイプではない。ルミベルナはむしろ逆で、カリスマ溢れる性格だったというのか。
「に、兄さん違うよ。たしかにリーダーみたいな感じだったけど、魔王だなんて」
「……矢吹先輩、どうなんですか?」
「八千代、あたし含めたほんの数体の間では確かに対等だったよ。でもさ、格下の魔晶族と人間から見たらそうじゃないよね? 望クン、さっき『魔晶族は定期的に魔素を放出しなければいけない』って言ったじゃん?」
確か魔素が溜まり過ぎると、体が耐え切れずに崩壊してしまうんだったか。
難儀な体だよな、と思いながらオレは頷く。
「で、知能の低い魔晶族はむやみやたらに暴れて魔素を放出するわけなんだけどー、それだと人間とか他の種族に迷惑かけちゃうのね? あまりにやりすぎちゃうと危険視されてー、ちゃんと被害が出ないよう調節してるあたしたちまで生きづらくなっちゃうわけ。そこで、そいつらが闇雲に暴れないように制御してたのがルミベルナ様。いわゆる魅了よりの洗脳ってやつ? 魔法で魔晶族を洗脳して自分にメロメロにさせてたわけよ」
「せ、洗脳……!?」
予想だにしていなかったワードに思わず声を上げた。
ルミベルナはカリスマ性で治めていたワケではなく、洗脳で一族をまとめ上げていたのか……?
八千代に視線を向けるが俯いていて表情が見えない。
「洗脳した魔晶族どもにルミベルナ様が『無暗に暴れるなー』って言えばその通りに動いてくれる。洗脳するのにルミベルナ様も魔素を消費出来る……一石二鳥だったのね。でも何も知らない外野から見れば、絶対的な権威を持ったルミベルナ様が魔晶族を使役しているように見えるでしょ? 人間たちからは『魔晶族の女王』なんて呼ばれてたよー」
なるほど……それならば確かに色んな意味で『魔王』という例えが当てはまるだろう。
オレが理解したのを見てから、今度は矢吹先輩は暗くなっても相変わらず騒がしい窓の外を見つめる。
「一応今回のヤンキー校化事件ね、解決法はあるんだよ。八千代が前のように皆を洗脳しちゃえばいい。まー学校全体が八千代を神とした宗教団体みたいになっちゃうだろうけど」
「それだけは嫌」
八千代から吐き捨てられるように出たのは明確な拒絶の言葉だった。
顔は俯いたままだが、膝の上で握られた拳が小刻みに震えている。
「ルミベルナには、戻りたくない。もう、あんな……自分の洗脳にかかった同族を、駒みたいに扱うなんて、したくない。 ――私は、三縁八千代で、いたいよ」
わずかに見える口元から唇を噛んでいるのが見える。
「……分かってるよ。意地悪なコト言っちゃったね、ごめん」
矢吹先輩が身を乗り出し、八千代の頭を撫でる。
八千代は苦し気に息を吐くと、震えていた拳を解き自分の顔を覆った。
「思い出してから、考えるの。今まで異様にモテたのも、無意識に相手を洗脳してたからかもしれないって……、望兄さんだっていつも私の味方でいてくれるけど本当は」
わ、私が自分の味方になるように洗脳してるだけなんじゃ……
――その言葉に、オレの中の何かが切れた。
「ふざけんなよ」
オレは立ち上がり、八千代の手首を掴んで、無理矢理剝がす。
ずっと隠れていた顔は青ざめ、目からは今にも涙が溢れそうになっていた。
いきなり手を剥がされたことに驚いたのか、八千代はぽかんとした表情でオレを見上げている。向かい側に座っている矢吹先輩も驚いた表情でオレを見ていた。
「お前は自分を舐め過ぎなんだよ!? すれ違う人が皆振り返ってお前を見てるの知らねーだろ! 何も顔だけじゃねー! お前は物心ついたときからずっと、仕草や振る舞いにどこか品があって、同年代のヤツからは憧れの目で見られてた! それが前世の影響なのかは知らねーが、洗脳なんて使わなくてもお前はモテるだけの魅力を持ってんだよ!」
頭に血が上っているのか、言葉が止まらない。
「それに何が『オレを洗脳しているかも』だ! 最後の最後に味方になれるのは家族なんだ! オレはお前の兄貴なんだぞ、味方になるのは当たり前だろうが! 洗脳? 上等だ、もし不安ならとっととオレを洗脳しちまえ!」
「な、何言ってるの……兄さん」
青ざめた顔からさらに血の気が引いた八千代の肩を両手で掴む。
「洗脳されてようがされてまいが、オレはお前の味方なのに変わりはねーんだよ!」
八千代の大きな瞳いっぱいに溜まった涙が、遂に溢れ出した。
はらはらと涙を流す八千代と、一気に喋ったせいで息を切らして立っているオレを見て、矢吹先輩は
「……望クン、君が洗脳されている可能性は低いと思うよ。洗脳されたやつってさ、本当にルミベルナ様のことしか考えられなくなってたんだよねー。君は今、八千代以外のことはどうでもいい? 八千代のすることは全てが正義で、八千代さえ良ければ他がどうなっても構わない?」
とオレに問いかける。
……確かに八千代は大事だが、さすがにそこまではない。
味方でいるのは当然だが……もし、八千代が間違った道に進むようなことがあればそれを止めるのも兄の役目だと思う。
そう思いオレが首を横に振ると、矢吹先輩は小さく笑い、先ほど頭を撫でていた手で今度は八千代の頭を軽く小突く。
「ホラ、どう見たって望クンは洗脳なんかされてないでしょ? 八千代も悪い方に考えないのー」
我慢が出来ないのか、しゃくりあげながら泣き続ける八千代に矢吹先輩はポケットティッシュを差し出す。
きっと、今まで抑えていたものが一気に決壊したのだろう。八千代がここまで泣いたのは、ストーカーに合っているのをオレに明かした時以来だ。
今回は前世なんて非現実的なことだが、八千代は決して一人ではない。
少なくとも今ここにいるオレと、矢吹先輩は味方だ。
決して一人で抱え込む必要など、ないのだ。
オレはそう言い聞かせるように八千代が落ち着くまで背中をさすり続けた。