47.かつての宿敵たち【♡】
前回書き忘れていましたが、Chapter.4は8割以上が八千代視点になりますので、彼女の視点の話にはタイトルの後に【♡】を付けていきます
二人がけの赤いソファーに腰かける。
正面の壁にかけられている時計から、十三時を告げるアラームが鳴った。
いつもだったら午後の授業が始まっている時間。今回の事件さえ起きなければ、普通に授業を受けられていたはずなのに。
少なくとも校内では、理事長先生が目を光らせていれば転生者が大きな問題を起こすことはないはずだった。でもそれは理事長先生を王だとみなしている転生者に限った話だ。そもそも前世に引っ張られていない蓮水先輩や、生まれ変わってもなおルミベルナだった三縁八千代を王だと思っている侑里先輩もといアイリーンに対しては意味がなく、今回はその穴を突かれた形となった。結果理事長先生は辞任に追い込まれてしまった。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
あれからほぼ毎日蓮水先輩の家にお見舞いに行ったけれど、結局理事長先生には一度も会えていない。先輩も事件当日以降夜遅くにしか顔を見ていないって言うし。謝りたいけどきっと怒ってるだろうな。
そこまで考えて心の中で首をぶんぶんと横に振る。
駄目駄目。今はそんなこと考えたってどうしようもないじゃない。
気を逸らそうと顔を上げると、兄さんが来た時に出す茶菓子の準備に動き回っている侑里先輩が目に入った。最初の立ち上がることすら辛そうだった頃に比べると、随分と回復したと思う。
「もう普通に歩けるようになりましたね」
「まあねー」
個包装のチョコレートクッキーとポテトチップスを入れた大きなカゴをソファーの前のローテーブルに置くと、侑里先輩は私の隣に勢いよく座った。
「日常生活送る分にはもう何の問題もないよ。ゴメンねー、ご飯もそうだし部屋まで掃除させちゃって」
「気にしないでください。でも、もう少し小まめに掃除はした方がいいですよ」
実際達成感はあった。あの汚部屋が自分の手によってピカピカになっていくのは爽快だったし、掃除している間は余計なことを考えずに済んだ。二回目はさすがにやりたくないけど。
私の注意に先輩はバツが悪そうに苦笑いをする。……うん、多分近いうちに前の状態に戻るんだろうな。
「綾斗の方はどんな感じ?」
「昨日お見舞いに行った時はまだ辛そうでしたよ」
「あいつインドアだからねー、急に激しい運動したせいで体がビックリしちゃったんじゃない?」
駐車場で三人を見つけた時、一番怪我と体力の消耗が酷かったのは蓮水先輩だった。その泥まみれ傷だらけの姿から、アイリーンに翻弄されながらも、私を助けるために土砂降りの校庭をずっと走り回ってくれたのだとすぐに分かった。
嬉しさと申し訳なさと……色んな感情がぐるぐると渦巻いているけれど、一番大きいのは驚きだ。あのルカがアイリーンに立ち向かうなんて。蓮水先輩がルカとは違うことは分かっているけれど、ルミベルナが戦わせなかったおかげで前世は戦闘経験なんてほとんどなかったのに。
――あれ? どうしてルミベルナはルカを戦闘に出さなかったんだっけ?
サーシス国との戦争は劣勢だった。傍に置いてたのは洗脳が効かず信用出来ないからだったけれど、ルカが人間側に寝返るとも思えない。後方支援が得意とはいえ強い魔法も使えるし、別に戦場に出しても良かったのに。
どうして――
「……っ」
ズキリと頭に痛みが走る。まるで、これ以上考えることを脳が拒んでいるようだった。
「どうしたの?」
思わず頭を押さえた私に、侑里先輩が不審そうに覗き込んでくる。
「何でもない、です。ちょっと頭痛がしただけ」
「酷かったら鎮痛剤あるよー?」
「平気ですよ。もう治まりましたから」
嘘は言っていない。既に痛みは感じないし、きっと変なことを考えてしまったせいだ。私の言葉に先輩は「そう?」と軽く返し、ソファの背もたれに背中をべったりと付けて指を絡めて大きく伸びをした。
「筋肉痛で動けなくなったのって多分アイリーンが派手に暴れたせいだと思うんだけどー、まさかここまで反動が来るなんて思わなかったよ」
伸びを止めると今度は肩を回す。動いていないせいでこっているのか、回したところからゴリゴリと音が鳴った。
「魔晶族の身体能力に人間の体がついて行けるわけないじゃないですか」
今の私たちは人間の体に魔晶族の能力がインストールされている状態だ。いくら高性能のソフトを入れようが、ハードの性能が低ければ上手く起動できなかったりハードに負担がかかったりする。それと同じような感じだと思う。
苦笑いをしながらそう返すけれど――
「……でもさ、ついて来れてたじゃん。前世の世界の人間は」
もちろん、例外もいる。
前世の人間は魔法が使えること以外、この世界の人間とスペック的にはそう変わらない。だから戦争になった時、始めはその圧倒的な身体能力と魔力の差で魔晶族が優位に攻められていたのだ。戦争相手である人間――サーシス国の中でも特に腕利きの者たちが参戦してくるまでは。
「確かに魔晶族と戦えるのはほんの数人だったよ? でもその数人が全員化け物だったというか」
「……うん、本当に色々な人と戦いましたよね」
遠い昔、火薬や硝煙の匂いが充満する戦場でかつて直接戦った人間たちを思い出す。女王だったルミベルナは他の三体と比べて色んな立場の人間に狙われ、交戦した。
サーシス国の各軍隊長、隠密部隊の隊長、サーシス国が信仰していた宗教の聖女に果てには国王まで。他の人間は簡単に蹴散らせるのに、これらの面子は同じ人間なのか疑うくらいに強くて、他の人間は支援に回してこの人たちだけが戦ってればいいんじゃないのと思うほどだった。
「八千代はさ、誰が一番印象に残ってる? やっぱマリー・カレンデュラ?」
「当たり前ですよ。あのヒト……って言っていいのか分かりませんけど、強さは頭一つ抜けてましたもの」
懐かしい名前だ。強過ぎてどうしようもなくなっちゃって、最終的にクレイヴォルに丸投げしたんだっけ。それからクレイヴォルとだけ戦うようになったけど、まさかあんな結末になってしまうなんて。
侑里先輩はうんうんと頷いているが、その表情は苦い。きっと私と同じことを思っているからだろう。『あの結末』は、マリー・カレンデュラを私たちの記憶に強く残すには十分過ぎた。
「あたしさ、やっぱりクレイヴォルのことは許せないよ。あいつの戦いの対する姿勢と強さだけは信用してたのに、それを最悪の形で裏切ったのは紛れもない事実だもん」
でもさ、と眉間に皺を寄せながら太ももに置いた両手で拳を作る。
「あの時は頭に血が上っちゃったけど、冷静になって思い返すとさ、やっぱり色々フクザツっていうか……自分の信念を曲げてでも、あいつはマリー・カレンデュラを助けたかったのかなって」
あの時、というのはきっと約三週間前の図書室でのことだろう。生まれ変わって別人になった今、先輩も思う所はあるみたいだ。
戦争での殺し合いを通してあの二人に奇妙な絆が芽生えていたのは間違いなかった。もっと違う形で出会えていれば……と思うけれど、戦争での殺し合いという出会いだったからクレイヴォルは興味を持ったし、相手もクレイヴォルと戦ったんだろう。
そういえば、兄さんがクレイヴォルの転生者に会ったって言ってた。その時は気分が沈んでて軽く流してしまったけれど、もっと詳しく聞いとけば良かったな。
微妙な空気になってしまったのを切り替えるように、侑里先輩は右手を払うように振る。
「ああもう、次行こ次! マリー・カレンデュラは印象に残って当然だもん」
「つ、次ですか……? ええっと……覚えてるのは」
遠い昔の記憶だからか、朧気ではっきり思い出せない人も多い。
どうにか記憶を辿っていたけれど、ある人物に思い至った瞬間、その姿がはっきりと鮮明に浮かび上がった。
「サーシス国王、かな」
「へえ」
意外だったのか、その人物に先輩は目を瞬かせた。
「同じトップとして注目していたのもありますけど……」
王としてはまだ少し若い三十代くらいの年齢の男性。魔晶族を追い詰めるための施策を次々に進めた切れ者だ。頭だけでなく個人としての強さも相当なものだった。でもそれ以上に――
「王様なのに自ら戦線に突っ込んで、命を投げ捨てるような戦い方をしてて……。当時は人間特有の感性や常識なのかなって思ってたけど、やっぱりおかしかったですよね。止める人もいなかったし」
あれだけ頭が切れるのだから、国の象徴としての自分の命の重さはよく分かっているはず。死ねば少なからず自分の陣営の混乱を招くことも。けれども自ら参戦し、怪我を負うのも構わず自分の魔法で作り出した双剣で斬りかかる姿は、とてもその立場を分かっているものとは思えなかった。
戦いの時に感じた肌寒さと私を見つめていた氷のように冷たく底暗い瞳は今でもはっきりと覚えている。
「確かに王様も大分頭のネジが飛んでたよねー。ええっとどんな顔してたっけなー……」
私と違って記憶が朧気なのか、思い出そうと腕を組んでうんうんと唸り始める侑里先輩。
そんな先輩からふと正面にかかっている時計に目をやると十四時まであと五分になるところだった。
……おかしいな。兄さん、遅くても十三時過ぎには来るって言ってたのに。蓮水先輩の家からこのアパートまで歩いて十五分も離れていない。道も一本だし迷うこともないと思うんだけどなぁ。
スマホには何の連絡もない。『まだ蓮水先輩の家?』とメッセージを送ってみるけれど、しばらく待っても既読が付かない。
「兄さん遅いですね、どうしたんでしょうか」
「……」
隣からは何の反応もない。
聞こえなかったのかなと思い、もう一度、今度は先輩の方を見て言おうと口を開く。
「せんぱ……」
けれどもその言葉は最後まで紡がれることはなかった。
顔を向けた先には、青白い顔をした先輩が口をわなわなと震わせてどこか遠くを見つめていたから。
「うそ、だ」
「え?」
震える口から出たのは、今にも泣いてしまいそうな声だった。
「嘘だ、あのコがそんなわけ」
どうして急にこうなってしまったのかは分からないけれど、尋常じゃない状態の先輩に慌てて肩に手を伸ばし激しく揺さぶる。
「先輩どうしたんですか、しっかりしてください……!」
今だに来ない兄さん。様子のおかしい侑里先輩。
まさか、また私の知らない所で何かとんでもないことが起きているんじゃないか。
そんな不安をよそに、時計からは十四時を告げるアラームが鳴るのだった。




