46.臆病者の悟り【Side:Y.M.《♡》】
「ごちそうさまー!」
パンッ、と部屋に手を合わせる音が響く。
「あー美味しかった! 八千代ってホント料理上手だよねえ!」
「あ、ありがとうございます」
そう言って満足そうにお腹をさする侑里先輩の前にある弁当箱は空っぽだ。私の味覚がおかしくなければ今回は中々良い出来だったと思うし、ここまで美味しそうに食べてくれるのは純粋に嬉しい。
「誰かの手料理食べることなんてずっとなかったからさぁ。あー幸せー!」
「いくら料理が苦手でも、ずっとカップ麺とコンビニ飯じゃ飽きますよ。栄養も偏っちゃいますし……」
「あたしだって最初はちゃんとしようと思ったんだよー? でもいくらレシピ通りに作ってもこの世のものとは思えない味になるんだもん。食材も無駄にしちゃうしもういいやーってなっちゃった」
初めて侑里先輩の家にお邪魔した時のことを思い出す。床に散乱したゴミで足の踏み場もなく、ゴミをどかせば埃が積もっている。台所やお風呂場も長い間掃除していないのかカビや水垢で汚れており、排水溝には大量の髪の毛が溜まっていた。汚部屋という言葉を当てはめるのに相応しい部屋に、顔が引きつってしまったのは記憶に新しい。すぐに近くのドラッグストアで掃除道具一式を買い込み、ここ四日間で何とか人を家に呼べる状態にまでしたのだ。
当時の部屋と話を聞く限り、侑里先輩は家事全般が苦手みたいだ。図書室では普通に紅茶やレモネードを淹れていたから想像出来なかった。
綺麗になった台所のシンクで弁当箱を洗っていると、後ろから侑里先輩が話しかけてくる。
「今日望クンは綾斗の家に行ってるんだよね? 大丈夫なの? 一人で行かせてさ」
「心配しなくても、先輩はもう何もしないですよ」
そう返して洗った弁当箱を水切りカゴに入れ振り返ると、そこには浮かないままの先輩が私をじっと見つめて立っていた。
「正直信じらんないんだよね。気がついたら綾斗と仲直りしてるし、しかも二人があんなに仲良くなってるなんてさ……仮にも自分を殺そうとした相手じゃん」
兄さん曰く、蓮水先輩と和解した例の日には既にアイリーンと入れ替わっていたらしい。兄さんよりも一緒にいる時間は長いはずなのに全く気がつかなかった。そして侑里先輩はその間のことを何も覚えていないし、蓮水先輩と和解したことだって五日前に知ったばかり。そう考えるのは当然だ。
「蓮水先輩の目を覚まさせたのは兄さんですから。仲良くなったのも、何か通じるものがあったんじゃないですか」
正直私だって驚いてる。蓮水先輩の目が覚めたのは兄さんが原因で、二人が体験したことも聞いている。恩を感じているのか先輩が兄さんに心を開いているのは分かっていたけれど、兄さんの方も先輩に対してここまで親し気に接するようになるとは思わなかった。
きっと、私が繭の中に閉じ込められている時に二人の間で何かがあったんだ。最初に友達になりたいと言ったのは私の方なのに、ちょっと悔しい気もする。
……繭に閉じ込められている時、かぁ。
気分を変えようと色々しているけれど、結局あの日からずっと気持ちは晴れない。
あの日、私は結構早い段階で繭の中で目を覚ましていた。でもアイリーンは魔力のほとんどを繭に注ぎ込んでいたのか、繭は頑丈でいくらもがいても外に出ることは出来なかった。でも次第に繭に注ぎ込まれる魔力が弱くなっているのが分かって――魔力の供給が途絶えたタイミングで、私は繭を無理矢理こじ開けて飛び出した。
学校は破壊されて酷い有様だった。張り巡らされた糸からもアイリーンがやったことはすぐに分かったけれど、正直信じたくなかった。あのアイリーンが、私のためとはいえここまでするなんて。
そして聞いてしまった三人の会話。気を失う前の会話の意味が分かっていくにつれて、心臓が早鐘を打つのをはっきりと感じていた。
今回の件は、アイリーンが兄さんと蓮水先輩が私を守れるか試すためにしたもので。アイリーンも私を守るために、私に敵意を抱く生徒を排除しようとしていて。
どうして、私は守られる前提なんだろう。
私だってそれなりに強いのに。前世は曲がりなりにも魔晶四天王の一人で、偽りだったけど女王だったのに。
分かってる。
強かったのはルミベルナで、三縁八千代じゃない。
前世の力と前世の壮絶な経験をした記憶を手に入れても、私はずっと弱いままだ。
もし私が強かったら。
兄さんや蓮水先輩の助けが要らないくらい、身も心も強かったら。
そもそも今回の事件は起きなかったんじゃ……?
「八千代、表情が暗いよ」
はっと我に返ると、侑里先輩が眉間に皺を寄せて私を見ていた。
完全に思考の中に入り込んでいたから、自分がどんな表情をしているかなんて考えてなかった。
「あ……ごめん、なさい」
「記憶を消したこと、まだ気にしてるの?」
「っ……」
言葉を詰まらせてしまう。こんなの、そうだと言ってるようなものじゃない。そんな私に侑里先輩はへらりと笑う。
「おかげで捜査も早々に打ち切られそうじゃん。あたしも自分自身の意思と行動じゃないことでお縄になるなんて勘弁だからさー、正直感謝してるんだよ」
「……はい」
前世に関する情報は分からないようになっているとしても、学校が破壊されてしまったのは事実。怪我人もいるし、当然原因を追究される。今回の事件が私が弱かったせいで起きてしまったのに、侑里先輩が逮捕されるなんてことは絶対にあっちゃいけない。
だから、そうならないように記憶を消した。
先輩が犯人だという痕跡が一切出ないように。
女郎蜘蛛の巣が完全に解ける前に約百人の記憶を消すのは大変だった。何とか間に合ったけれど、かなり強引で無理矢理なやり方だった。抵抗する相手は洗脳をかけた。記憶消去後は洗脳を解いたけれど、正直最低だと思う。
「何か溜め込んでいることがあるなら言いなよ。乗っ取られてたとはいえ、犯人のあたしになら言えることもあるんじゃないの?」
侑里先輩は今回の事件の犯人が自分だってことにすぐに気がついたけれど、記憶が全くないせいか罪悪感を感じようにも感じられないみたいだった。特に深く落ち込んでいる様子もない、いつも通りの侑里先輩だ。これについては私に代わって記憶を消してくれたアイリーンに感謝している。
でも自分がやったことだということは分かっているから、こうやって、ある意味『共犯者』として私と同じ目線になってくれる。それがとてもありがたかった。
「私、異能だけは絶対使いたくなかったんです」
「どうして?」
スカートの裾をギュッと握りしめる。
「この力は他人を自分の思い通りに出来るもので、これを使えばきっと色々思い悩むことも減ると思う。でも、偽りで固めたところで、それが脆くてあっけなく壊れてしまうものだってことはよく分かってるから」
ルミベルナは洗脳で崇拝されることによって魔晶族をまとめ上げたけれど、生まれ変わって洗脳が解ければ一斉に憎悪を向けられた。記憶の改竄に関しては私が死んでも続く強力なものだけれど、絶対に思い出さないとも限らない。もしかしたら、来世の私がそのツケを払うことになる可能性もある。今はそんな日が来ないことを祈るしかない。
「もちろん今回のことについて後悔はしてません。でも……兄さんや蓮水先輩はどう思ってるんだろうって考えると怖くって。二人とも気づいてるから」
「ふーん、だから今日一人で来たんだ?」
「二人同時に顔を合わせる勇気が出なくて……」
兄さんは一緒に行こうとしてくれていたが、強引に断ってしまった。きっと不自然だっただろう。兄さん達が一方的に失望することなんてしないのは分かっているし、正直に話せばすぐに終わることなのに。
いつだって私は逃げてばっかりだ。




