45.忍び寄る影
「そういえばお前、クレイヴォルの転生者と会ったのか?」
弁当を食べ終えた後。弁当箱を洗っていた蓮水先輩はふと思い出したようにオレに訊ねる。
「ああ、その件なんですが」
いつ話そうかタイミングを窺っていたが、先輩が覚えていてくれて良かった。あの後気を失ったり事情聴取やらなんやらで有耶無耶になってしまっていたが、この件については必ず伝えておこうと思っていたのだ。
あの時借りた刀はいつの間にやら無くなってしまっていた。だが警察の調査で見つかってはいないようだし、警察が来る前にこっそり夜久先輩が消したのだと思っている。
「蜘蛛に襲われていたところを助けてもらったんです。クレイヴォルの転生者だったってのは、オレも他の生徒から聞いて初めて知ったんすけど」
「そうか、どんなやつだった?」
オレはあの日の校舎内での出来事をかいつまんで説明した。途中まで普通に聞いていた先輩だったが、夜久先輩の名前を出した瞬間、驚いたように目を瞠った。
「夜久が……!?」
「知ってるんですか!?」
「昔あいつの家の道場で剣道をしてたことがあるんだ。少しだが面識もある」
「へぇー、先輩って剣道やってたんすね」
「もうほとんど覚えていないけどね」
まさか二人が知り合いだったとは。同じ学校内とはいえ、意外な繋がりがあるものだ。
それに蓮水先輩が過去に剣道をやっていたというのも地味な驚きである。夜久先輩とは真逆の体格で、全体的に細い。前世の力のおかげで身体能力は上がっているが、それがなければオレの力でも簡単にあしらえるくらいには貧弱だった。体育系のクラブ活動ならまだしも、とても武道をやっていたようには見えない。あの見た目で物腰柔らかかった夜久先輩といい、人は見かけによらないものである。
洗い終えた弁当箱を布巾で拭きながら、先輩は解せないと言ったように眉間に皺を寄せる。
「しかしあいつが……いくら何でも変わり過ぎだろう」
「そこまで言います?」
「クレイヴォルを知っていれば誰だってそう思うはずさ。あの戦闘狂いの自己中俺様野郎があんなクソ真面目正義マンになるなんて」
「ほーん」
そういえば以前クレイヴォルのことを聞いた時にチンピラって答えてたな……
夜久先輩とはあの短い時間でしか接したことはないが、後輩のオレにも敬語で礼儀正しかった。最終的にオレの我儘を許してくれたが、巻き込まれた生徒たちのために一刻も早く女郎蜘蛛の巣を終わらせようとしていた。それを考えれば、確かに性格は激変したのだろう。
先輩から拭き終わった弁当箱を受け取り、洗ってくれたことに礼を言ってスポーツバックにしまう。
「夜久先輩には二回も助けられましたし、学校が再開したら会って話したいと思ってるんですよ」
学校は来週の水曜日から再開する予定だ。被害の少なかった別館や部活棟、近隣の施設を利用しつつ授業を行っていくらしい。最初、今回の騒動を機に辞めていく生徒は多そうだと思っていたが、保護者説明会に行った両親曰く、思ったよりも残る生徒の方が多かったようだ。
ちなみに三縁家ではオレと八千代が辞めたくないと言ったところ呆気なく了承された。多分オレをまた退学させたくなかったのもあるんだろう。八千代に関しては、両親はオレさえいれば大丈夫だと思っている節がある。
学校再開日に思いを馳せるオレに、先輩はハッとしたように「待て」と声を上げた。
「夜久は先週で自主退学していたはずだ」
「エエッ、マジですか!? 何で!?」
「悪いな、理由までは分からないんだ」
「そんなァ、どうやってお礼を言えば……」
先週で自主退学って、まさかあの日が最終登校日だったのか? だとしたら最後の最後でとんだ災難に巻き込まれたものだ。
あれだけ助けてもらって何も言わないまま終わってしまうのもモヤモヤする。かといって連絡手段もない。がっくりと肩を落としたが、ふと蓮水先輩と夜久先輩が知り合いであったことを思い出した。
「そうだ、先輩、夜久先輩の連絡先知らないですか?」
オレの問いに蓮水先輩はふむ、と少し考え込む仕草をする。
「あいつ個人の連絡先は知らないが、道場の電話番号にかけてみればいいんじゃないか?」
「おお! さすがは先輩、ナイスアイディアっすね!」
「……大袈裟だぞ」
親指を立てるオレに先輩は苦笑いをしていた。
スマホで『天鍾市 剣道 道場』で検索をかける。するとすぐに夜久剣術道場のホームページが見つかった。トップページには道場主であろう五十代ほどの男性と、何人かの門下生が写っている。その中には胴着をバチバチに着こなした夜久先輩もいた。かなりしっかりした作りのホームページだったため、電話番号を探しつつ簡単に内容を流し見する。
「へえ夜久流の開祖で、四百年も前から続いてるのか……」
「旧家でこの辺りでは結構力のある家みたいだぞ」
「それなら納得です。かなり育ちが良さそうでしたもん」
そんなことを話しながらも連絡先の載っているページを見つけ、番号のメモを取る。すぐにかけようかと思いダイヤルの画面を開くが、ふと手を止めた。
人の家にお邪魔している身で、相手を一人ほったらかしにして電話をするのもどうなんだ? 少しの間くらいならまだしも、もしかしたら長電話になってしまうかもしれない。さすがにちょっと失礼だろう。
今の時間を確認する。矢吹先輩の家に行くには少し早いが、電話の時間も考慮してそろそろお暇しよう。
「スミマセン、そろそろ矢吹先輩のところに行こうと思います」
「もう行くのか? 電話は?」
「長引くかもしれませんし、電話しながら行けばちょうどいい時間になるんで」
「別に気にしなくていいのに。でも分かった、それなら姉さんと侑里によろしく伝えといてくれ」
そう言う先輩は少し残念そうで、やっぱり一日中一人は寂しいのかなと思ったりした。学校が再開する前にもう一回顔を見せようかな。
改めて麦茶と弁当箱の礼を言い、オレは蓮水邸を後にした。
◆
矢吹先輩の家は、蓮水先輩の家から歩いて十五分くらいだ。
道中にあった公園の木陰に入り、先ほどメモした番号に電話をかける。三コール目で相手が受話器を取った。
『はい、夜久剣術道場です』
電話から聞こえてきたのは女性の声だった。家族だろうか。最近はこうやって全く関わりのない他人と電話する機会なんてほとんどないからか、妙に緊張する。唇を舐めると、意を決して口を開いた。
「六天高校一年の三縁といいます。夜久朔彦先輩は今いらっしゃいますか?」
相手のハッと息を飲む音が聞こえた。
『さ、朔彦は今道場にはおりません』
すぐに答えるが、明らかに動揺しているような上ずった声だった。
うーん、夜久先輩を呼び捨てで呼んでるってことは家族かな。でも道場にはってことは、家にいるってことか? 自宅と道場の番号が違うのかもしれない。
相手の声色が変わったのが気になるが、突っ込まずに「そうですか」と返す。
「ええと、またかけようと思うので、いつ頃かけたらいいか教えていただいてもいいですか? 在学中にお世話になったお礼を言えていなかったので、一度お話したいんです」
『……』
そう言うと、相手が無言になってしまった。
な、何か今の言葉に悪いところがあったのか? 知らないうちにマナー違反をしてしまったとか?
内心汗でダラダラになりながら、恐る恐る口を開く。
「あのー……」
『……こうやって電話をかけてきてくれたということは、朔彦が今どこにいるのか知るわけがないですよね』
「へっ?」
予想の斜め上からの返事に思わず間抜けな声が漏れるが、すぐに潤んだ声で続けられた言葉にオレは頭の中が真っ白になった。
『朔彦、二日前から家に帰って来ていないのです』
◆
電話を切る。心臓がバクバクと音を立て、スマホを握る手汗が酷いことになっていた。
夜久先輩とはそもそも先週のあの時が初対面で、オレにとっては恩人というだけで親しくもなんともない。行き先なんて知るわけがない。あの女性の声からも夜久先輩がしょっちゅう外を出歩いて、家に帰って来ないヤツでもなさそうだ。
それならば、何かに巻き込まれたと考えるしか……
警察には伝えているとのことだったが、どうにも信用していない口ぶりだった。まともな警察もいるんだろうが、少なくともこの地域の警察がクソなのは知っているのでオレも期待はしていない。
恩返しも兼ねて何かしてやりたいが、生憎何も思いつかない。
矢吹先輩の家に着いたら相談してみようか。クレイヴォルの名前を出したら矢吹先輩が嫌がるだろうな……
不安が拭えないまま歩き出そうとした時、手の中のスマホが震え着信のアラームが鳴る。
もしかしてさっきの女性が何か言いそびれてリダイヤルしてきたのかと思い相手を見ると――律からだった。
最近よくかかってくるな。かける側だから料金もかかるだろうし、この前から様子もおかしいし、しかも今は午後の授業が始まる直前だ。一体どうしたってんだ。
不審に思いながらも受話器を取る。オレが「もしもし」と言い終える前に律の切羽詰まった声が聞こえてきた。
『ノゾム! 今どこにいるの!?』
「え、何」
『誰かと一緒にいる!? 一人で外をうろついてないよね!?』
こんなに慌てている親友を初めて見る。急にそんなこと言われて一瞬思考が止まったが、彼がここまでなる何かがあるのだと察して、努めて気持ちを落ち着かせながら答えた。
「い、今は一人で先輩の家の近くの公園に……」
『今すぐ誰かと合流して!』
再び言い終える前に律の声に遮られる。そのあまりにも必死な声に、内側からゾクゾクと湧き上がってくるような恐怖を感じていた。
「な、何だよ、まるでオレが狙われてるみてーな」
『狙われてるんだよ!!』
自分でもありえない例えを出したハズなのだが、それは簡単に肯定される。思わず顔を引きつらせたオレに告げられたのは、さっき道場の女性に言われた言葉以上のショックを与えるものだった。
『あいつ、まだ妹ちゃんを諦めてない!! あんたをだしにして妹ちゃんをおびき出そうとしてるんだ!!』
ヒュッ、と喉が鳴った。
風呂上がりに頭から冷水をかぶせられたかのように全身が冷えていく。
『あいつ』なんて言わなくても分かる。
終わって、なかったのか? イヤ、そもそもあの野郎は反省なんてしていなかった。罰も与えられなかった。懲りるはずがなかったのだ。
ただ終わったと、オレが思いたかっただけなのだ。
絶句するオレに律が急かすように言葉を続けてくる。
『ほら、分かったら今すぐ誰かと合流して! 妹ちゃんも絶対に一人にしちゃだ……ッ!?』
今まで矢継ぎ早に喋っていた律の言葉が急に止まった。不思議に思ったのもつかの間、すぐに受話器の向こうから舌打ちが響く。
『くそ、こんな時に!』
「リツ? どうしたんだ?」
『なん、でも、ないっ……!』
そう答える律は息を切らしており、時折空気を切る音が受話器から聞こえてくる。そこから考えられるのは――まさかコイツ今走りながらオレと話してるのか?
嫌な予感が全身を駆け巡り、オレは慌てて声をかける。
「お、オイ!? 何があったんだよ!?」
『い、いから、早く、逃げろって、言ってがはっ……!』
「リツ? リツ!?」
完全にパニック状態で律の名前を呼ぶ。彼がえずく声がしたのと同時に、何かがぶつかるような鈍い音がしたのを確かに聞いたのだ。
律は無事なのか? 一体受話器の向こうで何が起きているんだ……!?
この時のオレは恐怖と混乱に支配され、完全に平常心を失っていた。
だからオレの背後から黒い影が迫っているのにも気がつかなかったのだ。
気配に気がついた時には既に遅し。突然後ろから羽織い締めにされ、口元に白い布を当てられる。どう考えたってヤバいモノなのは分かっていたのに、うっかり何かが沁み込んだ布を吸い込んでしまった。
マズいと思い暴れるが、相手は複数人いたようで集団で抑え込まれる。全員黒服を着ていて、その風貌からもどう見たって堅気じゃない。
何もなす術がないまま、意識が段々と薄れていく。手に力が入らず、とうとうスマホを地面に落としてしまった。
ダメだ。せっかく八千代も笑顔を取り戻してきてたのに。
ここで捕まったら、またあの時に逆戻りじゃねーか……!
寝るなッ、ここで、寝るんじゃ、ねー、よ……
『ノゾム? ……ノゾム!? ちょっと返事してよ! ノゾムってばッ!』
最後に聞こえたのは、受話器を離していても分かる音量で響く親友の悲痛な声だった。