43.親友と経緯
着信のアラームが鳴り響く。
まどろみの中を泳いでいたオレは、突如鳴り響いたその音に一気に現実に引き戻された。
のろのろと枕元に置いてあったスマホを手に取り、そこに書かれていた名前を確認してから受話器を取る。
「……もしもし」
オレの喉から出た声に、電話の相手――樫山律は思わずといったように吹き出した。
『あっははははは、カッスカスじゃん。風邪でもひいた?』
「うるせー……ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ」
オレの掠れて裏返った声に笑っていた律も、その後の痰の絡んだ咳にはハッとしたようだった。
『大丈夫? 電話しない方が良かった?』
「いや構わねーぜ。どうかしたのか?」
『どうかしたのか、じゃないでしょーが! 何なのあのニュース! 六天高校で校舎破壊と刃物切りつけが同時に起きたって! あんた大丈夫だったの!?』
律の焦った声がスマホの向こう側から聞こえてくる。そういえばと壁にかけてある日付入りの電子時計を見ると、あの日から既に二日が経っていた。
あの日帰宅してベッドに入ってからの記憶が一切ない。どうやら丸一日眠っていたようだ。
「ヘーキヘーキ、じゃなきゃ今家で寝てねーって。ていうかニュースにまでなってたのか、オレずっと寝てて知らなかったぜ」
『おれの周りじゃその話題で持ち切りだよ!? 昨日全く繋がらなかったのは風邪だったからだとしても、一体何があったのさ』
「悪りー、全然気づかなかった。後その件については……」
六天高校で起きたことは、そうなった事情も含め当事者のオレが一番よく知っている。
だが、一般人には魔法なんかの前世に関わることは分からないようになっているはずだ。今までずっと寝ていたオレには今回の経緯が外部にどう伝えられたのかまでは知るところではない。
「逆に聞くんだが、どんな感じで報道されたんだ?」
『どうって……』
変に説明して辻褄が合わなくなっても困る。ニュースを見てなかったことは本当だし、今の返しも不自然には思われないはずだ。
『本館が改築が必要なレベルで破壊されたのに、近隣住民は誰も校舎が破壊される音に気がつかなかった、とか。後は……当時校内にいた人は皆何も覚えてなくて、監視カメラも全部データが破損していて捜査は難航してるとも言ってたかな……とにかく不可解な点が多すぎるって』
大体予想していた通りになっているらしい。
良かった。律が言った通りなら、今のところ矢吹先輩が疑われたり逮捕されたりはしていないようだ。
二日前のことを思い返す。
目を覚ました時、そこは気を失った駐車場ではなく体育館の片隅だった。オレが眠っている間に、当然ではあるが今回の件はかなりの騒ぎになっていたらしい。
恐らく術が解けた後、異変に気づいた近隣の住民の通報によって警察や救助隊が駆けつけた。そこで彼らが見たのは、破壊された校舎と倒れている学校関係者たち。病院へ運ぼうにも人数が多すぎるため、体育館で診察が行われたのだが――
結果、全員怪我はなし。一部の生徒や教師の中には疲労困憊な者もいたが、命に別状はなく、十分な栄養と休養を取ればすぐに良くなると診断された。
オレや蓮水先輩の傷もいつの間にか綺麗さっぱりなくなっており、ただズタボロの制服を着ているという奇妙なことになっていた。
だが一部の生徒や教師に刃物のようなもので切られた跡があったことから、オレと蓮水先輩は目覚め早々警察からの事情聴取を受けることに。他にも切られていた生徒がいたにも関わらずオレたち二人が真っ先に呼び出されたのは、制服が群を抜いてボロボロだったかららしい。
ここで前世とか魔法とか言い出せば、パトカーよりも先に黄色い救急車を呼ばれてしまうだろう。当然オレと先輩は全力で記憶喪失になったフリをした。
ちなみに目を覚ました矢吹先輩は完全に元の矢吹先輩に戻っており、またアイリーンの言っていた通り、前世の人格になっていた時のことを何も覚えていなかった。
本物の記憶喪失者がいたこと。その後の生徒や教師も皆同じ回答をしたことで、結局警察も信じざるを得なかったようだ。
その後解放され、帰宅してシャワーを浴びた後ベッドに入り今に至る。その時から寒気は感じていたが、本当に風邪をひいてしまうとは。
『あんたも当時学校にいたの?』
「ああ……ゲホッ、警察に事情聴取もされたぜ」
『やっぱ何も覚えてないの?』
「さっぱりだ。オレも気がついたらあんなことになってて困惑してるんだ」
オレを心配してわざわざ電話してきてくれたのはありがたいが、警察にそう言ってしまった以上同じように答えることしか出来ない。コイツになら本当のことを話してもいいんじゃないかとは思うが、ただでさえコイツは私生活が忙しいのだ。前世云々をコイツに話して余計な心配をかけさせたくなかった。
『……そう。ま、あんたが無事なら良かったよ』
律はしばらく黙っていたが、信じてくれたのか静かにそう言った。
『でもホント謎だらけだよね。噂じゃ警察は事件として捜査してるけど、あまりにもオカルトじみていてこれ以上進めるのを怖がってるって話』
「へ、へえ……そうなのか」
怖がる気持ちも分からなくはない。
目撃者どころか破壊音を聞いた者すらおらず、前世に関することは映せないので監視カメラも意味なし。データが破損しているということは、モザイクがかかった映像を無理矢理鮮明にしようとでもしたのだろう。
これだけでもホラーに片足を突っ込んでいるが、多分次は大量の蜘蛛が這い回っていた痕跡でも見つかるんじゃなかろうか。そうなれば完全にB級パニック映画の再現である。死人や怪我人もいないし、関わってはいけない事件だと手を引いてくれればいいんだが。
一部疑問点もあるが、面白いくらいに前世の世界の痕跡が隠されている。蓮水先輩の推測した通りだったなとオレは内心でホッと息を吐いた。
「後何か分かることはあるか?」
これ以上は自分で調べろと言われるかもしれないが、一応聞いてみよう。『引き出せる情報は全て引き出せ』ってアイリーンも言ってたしな。
『え? そこまで詳細に知ってるわけじゃ……あっ、そういえば』
「どうした?」
『おたくのとこの理事長さん、昨日会見してたけど、今回の責任を取って辞任するらしいよ』
「――え?」
一瞬、頭が真っ白になる。
理事長が辞任する……だって?
「はあ!? ウッソだ、ゴホゴホゴホゴホッ!」
ただでさえ喉の調子が悪いのに、急に声を荒げたせいで気管支が驚いたのか咳がこみ上げてくる。そんなオレに律は「ほら無茶するから!」ときつめに言いながらも、落ち着くのを待ってくれていた。
『ほんとだよ。まあ今回の後処理と、破壊された本館の改築が終わるまでは続けるみたいだけど』
なるほど、そこまではやるのか。世間体的にはどうなのかは知らないが賢明な判断だと思う。すぐに辞めたところで今の六天高校をまともに運営できるヤツなんていやしない。
だが本当に理事長が可哀想だ。何も悪くない――むしろ立派な被害者だというのに、不特定多数に向かって謝罪して、しかも今の任を辞めないといけなくなるなんて。
それに蓮水先輩も気になる。このことについてどう思っているんだろう。自分を責めたりしていなきゃいいんだが。
改めてアイリーンがやらかしたことの大きさを思い知り、オレは大きなため息を吐いた。
「マジか、オレ結構好きな先生だったのにな」
『……へえ、『権力者なんて皆クソ!』なんて言ってたノゾムがねえ』
その声から受話器の向こうでニヤついているのが容易に想像出来る。
それを言っていたのはちょうどストーカー事件で明迅学園を退学になった頃だ。警察とグルになったストーカー野郎を守る明迅の経営陣は間違いなくクソだった。当時は感情のまままくし立ててしまったが、それを嫌な顔せず全て聞いてくれた律には感謝している。コイツも自分が通っている学校をボロクソに言われていい気はしなかっただろうに。
ストーカー野郎はその後案の定明迅学園へ入学したみたいだが、その話題をしたことは一度もない。オレも敢えて聞かなかったし、律も察しているのかソイツのことを話すことはしなかった。あのストーカー野郎が今何をしているかなんて知りたくもない。
そんなことをぼんやりと考えていたが――
『関係者からは辞めないでくれって止められてるみたいだし、六天の理事長さんは人望あるんだねえ』
続けられた律の声にハッと我に返る。
「どういうことだ?」
『えっ?』
まさか突っ込まれるとは思っていなかったのか、律から気の抜けた声が漏れる。だがオレの方もほぼ反射で返したようなもので、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。妙に含みを持たせたような言い方だとは思ったが、別に流してもよかったのに。
気まずい空気が流れる。
『えっと、今のは』
この空気に耐えられなくなったのか、それとも今の言葉に自分でも何か思うところがあったのか。律らしくないたどたどしい口調で話し始めた。
『でっかい不祥事起こしてさ、今の立場が揺らいでるのに、誰も手のひら返さないんだなーって思っただけだよ』
「お、おう……?」
いきなりどうした……?
突然そんなことを言い出すものだから、オレは困惑の声を上げることしか出来ない。
『だってそうでしょ、その地位にいる間は皆ヘコヘコするくせにさ、いざその地位が揺らいだ時に味方になってくれるやつが何人いるの? それまでに恨まれるようなこと繰り返しているなら猶更ね』
「確かに、そうかもしれねーな」
それはルミベルナと八千代を見ていればよく分かる。
洗脳することで創り上げていた女王という立場が、転生して洗脳が解けてしまったことで崩れ落ちてしまった。信念のためとはいっても、ルミベルナがやったことに恨みを持つヤツがいることは理解出来る。それを八千代に押し付けるのが許せないだけで。
幸い八千代には矢吹先輩と、最初やり方は間違えてしまったけれど蓮水先輩という味方がいてくれた。
それに、オレだって。決して転生者みたく戦えるわけじゃない。弱い自分が八千代の前に立っていいのか迷いもあったが、今回の件で少しだけ自信がついた。
律の考えは一理あるが、『人望がある=手のひらを反すヤツがいない』はやっぱり違和感を感じる。
『今の六天があんなに荒れててさ、その積み重ねの上に今回の騒動があったのに、ニュース見てても理事長さんの評判はいいものばっかり。あはは、ほんとに上手くやったんだろうね』
そう言って笑う親友に、オレはごくりと唾を飲んだ。
おかしい。コイツはどうしてこんな言い方をするんだ? 確かにいつも飄々としてて嫌味を言うこともあるが、こんな意地悪なヤツじゃなかったはずだ。
オレの体を風邪じゃない悪寒が走るが、同時に感じ取れたこともある。
この嘲笑は、多分だが理事長に向けられたものじゃないってことだ。
その言葉を最後に、再びオレたちの間に沈黙が流れる。
『……それだけ。ごめん、変なこと言ったね』
そう気まずそうに謝る声はいつもの律のものだった。
「あ、ああ……別に構わねーぞ。オレだって退学になった時散々言ったんだから」
『あれはああ言いたくもなるでしょ。はあ、おれもちょっと疲れてんのかなー』
「そうだぜ、むしろお前の方が休まなきゃいけないんじゃねーか?」
『休んではいるつもりなんだけどね』
電話してきた時間を考えると、きっと今はバイトの休憩時間だろう。大分長く話してしまったし、そろそろ休憩も終わるんじゃないだろうか。
その予想が正しかったのか、律は話を切り替えるように一つ空咳をした。
『ノゾムが無事なの確認したかっただけだから、そろそろ切るよ。学校もしばらく休校になるんでしょ? その間にしっかり体休めなよ』
「お前も毎日忙しいんだろ? マジで無理はすんなよ」
『分かってるよ。じゃあ、お大事に』
電話を切り、だるい体をベッドに横たえる。
そのまま目を閉じ、やはり疲れが取れていなかったのかすぐに無意識の世界に落ちていった。
◆
玄関から誰かが帰ってきた音で、オレの意識は再び覚醒する。その足音から誰なのかを察したオレは、部屋を出るとリビングまで向かう。
予想通り、そこには八千代がいて外出用のバックをおろしているところだった。
八千代はオレに気がつくと目をパチパチと瞬かせる。
「兄さん、起きてたんだ。熱は大丈夫?」
「ああ、大分良くなったよ」
だがオレの喉から出た声に、八千代は顔をしかめた。
「嘘。声酷いよ、まだ休んでなくちゃ」
「軽く水飲んだらすぐ戻る」
確かにこの声で言っても説得力はないだろう。
そう返し、リビングと繋がっている台所の冷蔵庫から水の入ったペットボトルを出す。コップに注いで戻ってくると、オレは八千代がかけていたクリーム色のトートバッグに目を向けた。
「出かけてたのか?」
「先輩たちの家に行ってたの。二人とも、兄さんと同じように熱が出てたから」
「マジか、三人そろって風邪ひいたのか」
どうやら蓮水先輩も矢吹先輩もずっと雨に打たれていたせいで、オレと同じように体調を崩してしまったようだ。
「うん。おまけに蓮水先輩も矢吹先輩も全身筋肉痛で動けなくなっちゃってて。二人とも家に一人だから、ご飯の差し入れと部屋の掃除と洗濯をしてきたの」
「筋肉痛……」
オレも多少筋肉痛にはなったが、動けないほどではない。
もしかして前世の力を使い過ぎたとか、その辺りが原因だろうか。特に蓮水先輩はかなり疲れているみたいだったし。
「というか、差し入れに掃除に洗濯って……そこまでやるのか?」
「理事長先生は今回の後処理でほとんど家に帰れてないみたいで、矢吹先輩は一人暮らしなの。誰も動ける人がいないなら私がやろうかなって。私に出来ることは、これくらいだもの」
「そうか。先輩たちはどうだった?」
八千代は今回の件で、かなり思いつめているようだった。
体育館で目を覚ました時、真っ赤に泣き腫らした目で謝られたのは記憶に新しい。オレも蓮水先輩も気にする必要はないと言ったのだが、アイリーンがあんな行動を取ったのは今の自分が頼りないせいだと思ってしまっていた。
物事をネガティブに考えてしまうのはコイツの悪い癖で、その度に考えを改めるように言ったり誘導したりしている。だが今回ばかりはいくら言っても、というか言えば言うほど悪化していく一方だった。
今は言ってはいないが、近いうちにどうにかしなければとは思っている。
「蓮水先輩は筋肉痛が酷いのか起き上がるのがやっとで、ほぼ寝たきりになってるの。手も力が入らなくって一人じゃ食事が出来なかったから、私がご飯を食べさせてきたよ」
「は? 八千代自ら?」
「うん。熱もあったし栄養摂らなきゃいけないでしょ?」
バックからおかずが入っていたであろうタッパーを取り出しながら「すごく恥ずかしがってたけどね」と八千代は苦笑いする。
そんな八千代に、オレは雷を落とされたような気分になった。
コイツ、いくら前世で弟だったとはいえ異性の家に一人で入ったのか?
そして蓮水先輩に「あーん」ってヤツをしてきたと?
蓮水先輩が八千代をそういう目で見ることは想像出来ないし、八千代も淡々としているから何も変なことはなかったんだろう。
別に、気にしなくてもいいか。
まあ先輩は今回のMVPみたいなものだし、大好きな(元)お姉ちゃんからご飯を食べさせてもらえるなんて最高のご褒美だよな。
コップの水に口をつける。冷たい水が全身に染み渡るようで、とても美味い。
「矢吹先輩は蓮水先輩ほど酷くはないけど、外出はまだ出来ないみたい。差し入れして、部屋を掃除してきたの。でも――」
「ん?」
「矢吹先輩、アイリーンに引っ張られてた間のことは忘れてるけど、やっぱり察してる」
「……そうか」
かつての自分が使っていた力だ。記憶はなくとも、破壊された校舎の形跡から自分がやったことだと分かってしまったのだろう。
先輩たちも大変そうだ。症状を聞くとオレが一番軽症なのだと思う。熱が下がったらオレも見舞いに行こうかな。
空になったコップを流しに置く。部屋に戻ろうとしたところで、ふと八千代に訊ねようとしていたことがあったことを思い出した。
「八千代、一つ聞いてもいいか?」
「どうしたの?」
「あのさ、」
今回の事件の結末、一つだけどうしても腑に落ちないことがあった。
警察の事情聴取の時、オレと蓮水先輩は記憶喪失のフリをしたが――
「学校のヤツらが何も覚えていなかったのって」
一般の生徒や教師、転生者までもが何も知らないと言い張ったのだ。前者なら、前世の力が分からないようになる謎の補正のおかげで覚えていなくてもまだ納得出来る。
だが後者は? 彼らは前世の力も、この一件がアイリーンが起こしたものだということも分かっている。なのになぜ全員が白を切ったんだ? 一人くらい喋るヤツがいてもおかしくなかったのに。
「もしかして――」
「兄さん」
言いかけた言葉は八千代の静かにオレを呼ぶ声によって遮られる。ハッとして八千代を見ると、彼女はどこか悲しそうにオレを見つめていた。その揺れる瞳に、オレは確信する。
「分かっているのなら、聞かないで」
ああ、やはりそういうことだったか。
Chapter.3はここで終わりになります。




