42.終演
耳をつんざくような爆音を最後に、今までの騒音が嘘のように静まり返る。
雨や雷の音もしない。ただそよ風が近くの木々を揺らす音だけが聞こえてくる。
「ん……」
恐る恐る伏せていた顔を上げるといつの間にか雨は止んでおり、鈍色の雲からは光が差し込んでいた。
さっきの閃光でまだ視界がちかちかするし、目の奥が痛い。それでも目を凝らして先輩たちが立っていた場所を見ると、そこには仰向けに倒れた蓮水先輩。そして、そんな先輩をアイリーンが無表情で見下ろしていた。
「先輩!」
オレの呼び声に大きく胸を上下させた先輩がぴくりと反応する。良かった、どうやら意識はあるみたいだ。
すると、今まで黙って蓮水先輩を見つめていたアイリーンがハア、と大きなため息を吐いた。
「結局、切られてしもうたか」
そう言って後ろを振り返ったアイリーンの視線を追うと、最後の糸が消えており、囚われていた生徒が横向きに倒れていた。
「最初から妾の魔法ではなく糸を狙っておるのは分かっておったが……破られるつもりはなかったんじゃがの」
「はあ、はあ……これ、で、もう……終わりだろう?」
「フム、『あの状態』は相応に体力を消費するようじゃの」
仰向けのまま疲れた表情で笑みを浮かべる先輩の声はかすれている。オレは先輩たちの傍まで来ると、倒れていた蓮水先輩の背中を起こしてやった。
そのままどうなんだと睨むように見るオレたちに、アイリーンは観念したように両手を上げる。
「しょうがない。糸は全部切られてしもうたし、妾も今のでもう碌に戦える力は残っておらんのじゃ」
「じゃあ……!」
「お主らの勝ちじゃ。じきこの術も解けるじゃろう、術が解ければ八千代もすぐに目を覚ますはずじゃ」
「よっしゃ!」
思わず声に力がこもり、両手でガッツポーズをする。
あの地獄の中をやり遂げられた。学校全体は散々な状況だが、さっきの体育館での様子を見るに死者はいないはず。本当に良かった、夜久先輩にもいい報告が出来そうだ。
「妾は少し休む、人間の体でこの術を維持しつつ戦うのはなかなか骨が折れるのじゃ」
「おい待て!」
そのままそそくさとどこかへ行こうとするアイリーンに、オレに背中をさすられ幾分か呼吸を落ち着けた蓮水先輩の怒号が響いた。
「まさかこのまま終わりにする気じゃないだろうな……? ここまで学校を破壊しておいて、お前はいいかもしれないが侑里はどうなる? 事故で片付けばいいが、最悪あいつが実行犯になるんだぞ……!」
その言葉にオレはハッとする。
ここまでボロボロに破壊された校舎、絶対に調査が入るよな。監視カメラには残っていなくても、他の生徒たちの証言から矢吹先輩があぶり出されるかもしれない。仮にそうなったら少年院行きになるのか……? それではあまりにも矢吹先輩が可哀想だ。それに――
「……自分の意思でやってなくったって、絶対に矢吹先輩自分を責めちまうぞ」
オレの呟きにフム、と考え込むような仕草を見せるアイリーン。何か矢吹先輩に罪が被らないいい案があるのかと思ったが――
「――妾がやったことは矢吹侑里の記憶からは極力消しておく。精々夢を見た程度にしか残らんじゃろう。あやつが犯人にされることについては……事故で済むことを祈ることしか出来んな」
「お前なあ……!」
火に油を注ぐようなアイリーンの答えに、先輩が顔を真っ赤にする。そのまま彼女に掴みかかろうとしたが、疲労で体が持ち上がらないようだった。
彼女の態度にどうしようもないと悟った先輩は、体をわなわなと震わせながらも自身を落ち着かせるように深呼吸する。
「ならせめて質問には答えろ、お前には聞きたいことが山ほどあるんだ」
「先ほどの問いか?」
「ああ、まずはそれだ」
先ほどの問い――『どうして学校を破壊し、理事長まで殺そうとしていたか』だったか。
蓮水先輩は自分に何かを期待していたんじゃないのかと言っていたが、どういうことなのだろう。
「御父上殿と話しているのを見た時、予想以上のお主のひねくれ具合に間違いなくまた何かやらかすと確信した。三縁望にはそのようなことはもうしないと言われたが全く信用出来ん」
「……それは何度も聞いたぞ」
「そうがっつくでないわ。その後もしばらく観察しておったが……次第に、お主への印象が素直になれんガキに変わった」
「は?」
「御父上殿と一緒に食事するのを見たが、お主からは以前のような憎しみは感じられんかった。にもかかわらず相変わらず態度は冷たい。素直ではないというのはそういう意味じゃ」
高飛車な態度で得意げに胸を張るアイリーンに、蓮水先輩はばつが悪そうな表情で固まっている。
「お主もお主でうだうだ悩んでおったじゃろう。あの時の心が複雑に絡まり合ったお主では、生半可なことでは絶対に本心を見せん……そう思い、試すついでに性根を叩き直してやろうと、ちと派手にやることにしたのじゃ」
じゃあ学校を破壊したのも、理事長を殺そうとしたのも、全部蓮水先輩から本音を引き出すためだったと? お節介にしちゃあ過激すぎねーか。
彼女の言葉を聞いた先輩もどこか腑に落ちない表情をしている。
「言わんとすることは分からなくもないが、じゃああの時、僕と三縁を排除して姉さんを独り占めしようとしていたってのは……?」
コイツ、そんなこともしようとしていたのか。
顔を引きつらせるオレに、アイリーンは「止めんか」と不愉快そうに手を叩く。
「目的の一部じゃと言ったじゃろう。お主が素直になれればそれでよし。もし変わらなければ三縁望諸共容赦なく殺し、妾――いや、矢吹侑里一人で八千代を守っていくつもりじゃった。ついでに八千代に敵意を抱く者も一緒に始末できれば万々歳といったところか」
「何だよソレ。そんなこと矢吹先輩が望んでたのか?」
今の話じゃ、オレと蓮水先輩が死んだ後のことを全て矢吹先輩に押し付けようとしているように聞こえる。眉間に皺を寄せたオレの問いに、アイリーンは不服そうに頬を膨らませた。
「当然じゃろう、矢吹侑里は妾の生まれ変わりじゃぞ。妾と似た部分も多い……当然いくらかの情は湧いておる。彼女が本気で望まぬことはやらんわ」
「じゃ、じゃあ矢吹先輩は、内心でオレたちにいなくなって欲しいと思っていたのか?」
「マア、お主らが死んだ後に八千代がどうなるかを考えると何も出来なかったようじゃがの。八千代の幸せを第一に考える一方で、お主らに嫉妬しておったのは確かじゃ」
「そうなのか……」
オレたちに嫉妬、か。マイペースにのほほんと笑っていた裏で、そんな風に思っていたのか。オレから見れば、八千代は矢吹先輩にかなり心を開いていると思うんだがな。それじゃダメだったんだろうか。
「哀れなやつよ。誰かを愛しても、どうしようもない理由で拒絶される。仮に愛し愛されても、決してそやつの一番にはなれぬ。誰かの一番になりたいという独占欲の強さも、それが叶わぬ宿命も、妾から受け継ぐ必要なぞなかったのに」
そう言って自分の手のひらを見つめ、アイリーンはどこか寂しそうに笑った。
もしかして、矢吹先輩が八千代の一番になりたかったように、アイリーンもルミベルナの一番になりたかったのだろうか? でもなれなかった……蓮水先輩と見たルミベルナとルカの会話を見る限り、ルミベルナの一番は魔晶族の誇りに生きることだったから。
何となくちらりと蓮水先輩を見ると、先輩はどこか思いつめたような表情をしていた。
ルミベルナのことを考えているのだろうか? それとも、矢吹先輩のことを考えているのだろうか? その表情だけでは、オレには分からない。
「大体分かったが、もう一つだけいいか? 何でそこまで強引な手を使ってまで蓮水先輩の本心を引き出そうとしたんだよ?」
微妙な空気になったのを切り替えるように、今度はオレがアイリーンに訊ねる。すると彼女は今までの愁いを帯びた表情から一変し、神妙な表情になった。
「どんな些細なことでも不安の種は取り除いておくに限る。今後のためにも、な……」
その答えに蓮水先輩がハッと顔を上げる。
「そうだ。お前、最初に言ってたよな。『もう既にこの学校で収まる状況じゃなくなってる』と。それはどういうことなんだ?」
そういえば屋上でそんなことを言っていたな。格の低い魔晶族の転生者を相手にしているだけじゃダメとか何とか……
あの時も蓮水先輩が突っ込んで聞いていたが無視されていた。
アイリーンはしばらくじっと先輩を見ていたが、目を伏せると首を小さく横に振る。
「やはり気づいておらんか。お主も矢吹侑里も、既に出会っておるというのに」
「何だって?」
「矢吹侑里の方は気づかぬようにしておる可能性が高いが……マア当時よりも大分若いからの、気づかんのも無理はないか」
「思わせぶりなことを言わず、もっとはっきり言え」
確かに匂わせるだけ匂わせて何も分からない。だが蓮水先輩と矢吹先輩に関わる話なら、オレは関係なさそうだ。
先輩の声に苛立ちが混じり始めるが、アイリーンは変わらず首を横に振るだけだった。
「じきに分かる。今後も同時多発転生の原因を追い続けるのならば、必ず接触する時が来る」
「……分かった」
納得がいかない顔をしていたが、これ以上アイリーンが何も言わないことを悟ったのか渋々頷いた。
「最後に、三縁望」
突如名前を呼ばれ、オレはびくりと肩を跳ねさせる。
「お主については妾にはさっぱり分からんが……どう見ても普通ではない」
「ッ……」
「今後出会う者、得る情報……全てに気を配れ。中にはお主が求める情報を持つ者もおるじゃろう、そやつから引き出せる情報は全て引き出せ。妾から言えるのはそれだけじゃ」
「!? それって……」
まるでオレについて知っているヤツがいることを確信しているような口振りだ。
続けようとした言葉は、アイリーンがオレの口元に人差し指を当てることによって止められる。
「久々に全力を出して妾は疲れた。そろそろ寝かせてもらうぞ」
――お主らも、そろそろ限界じゃろう?
続けられた言葉と共に、オレの視界がぐらりと揺れる。
そうだ、そもそも今までずっと雷雨や炎の中を大量出血しながら走り回っていたんだった。アドレナリンが出ていたのか、気分が高まったまま今まで動けていたが、体力的にはとうに限界を超えている。
地面に手を付いて何とか意識を繋ぎ留める。アイリーンは傍のフェンスに寄りかかりながら座り、目を閉じる。本当にここで寝るつもりのようだ。
蓮水先輩を見ると、既に横に倒れ意識を失っていた。腕にはオレの腕と肩のように薄皮が出来ている。自分で治したのだろうか……傷の範囲を見る限り、かなり深かったようだ。
きっと先輩の方が、オレよりも怪我も体力の消耗も多かったはず。今はゆっくり休ませてやろう。
せめてオレは体育館に戻って状況を伝えなければ。八千代の無事も確認しなければ。そう思うのに、体が動いてくれない。急激に襲い来る眠気に耐えられず、アスファルトの地面にうつ伏せに倒れる。濡れてはいるが固い地面が今は心地いい。
悪い八千代。すぐに起きるから、ちょっとだけ休ませてくれ。
意識が遠くなっていく。
――ごめんなさい。ごめんなさい、兄さん。
意識が完全に途切れる直前、聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。