41.ブレイクスルー
竜巻が起こっている場所に進んで行くと、学校の最も北西にある駐車場に辿り着いた。
駐車場とはいっても、現在は老朽化で使われておらず空き地になっている。学校がおかしくなる前から、よく不良の溜まり場になっていた場所だ。
風の強さはグラウンドにいた時とは比べ物にならない。体全体に重心をかけていなければたちまち吹き飛ばされてしまいそうだ。
オレは駐車場の入り口まで足を引きずりながら来ると、そこで足を止めた。目の前には視認出来る風が駐車場を囲むように渦巻いている。まるで、バリアーのように。これ以上踏み込むなと言うように。
渦は雨風だけでなく時折熱風や火の粉も運んでくる。中はよく見えないが、きっとここに先輩たちがいるんだろう。
オレはそこを通ろうと足に力を込めるが、風が強過ぎてこれ以上足が動かせない。
風の圧に押されて体が重く、立っているだけで精いっぱいだ。
だがここでつっ立っているわけにはいかない。
伸びている糸はギリギリ刀が届かない位置にある。どの道、糸を切るには中に入らなければならない。
考えろ。どうすれば、渦を突破出来る?
オレは刀を持っていない手を持ち上げる。足はびくともしないが、手だったら何とか動かせそうだ。
そのまま渦に手を伸ばすが、触れた瞬間バチンと音を立てて弾かれた。
その拍子にバランスを崩し、オレは尻もちをついてしまう。
「痛てー……ん?」
今日何度目か分からない言葉を呟き、のろのろと立ち上がった時。
オレは杖代わりにしていた刀に目を向けた。
「コレ、この渦に使えねーかな」
今手で触れた限り、この渦はただの障壁だ。触れた手に怪我はないし、さっきの繭みたく棘が飛び出してくることは無い……と思いたい。
思いつきに突き動かされるまま、刀を構え、渦に向かって突き刺すように前に出す。
「――ッ!?」
黒い切っ先が渦に触れた瞬間、手に強い振動が起きると共に、渦と刀の接地面から黒いエネルギーのようなものが放射状に溢れ出した。
内心動揺したが、弾かれることなく少しずつ渦を貫いている感触にオレは思わず笑みを浮かべる。
この渦を消す必要なんてない。ただ一瞬でもオレが通り抜けられる穴が開けばそれでいい。
力を込め続けて刃の部分が全て渦に飲み込まれると、オレは刀を両手で強く握りなおし、気合を入れるように咆哮した。
「うりゃあああああああッ!!」
腕に力を込めた瞬間、溢れ出ていた黒いエネルギーが一気に刀身に集まる。力のままに振り抜くと、それが一気に放出され、渦を切り裂いた。
モーセが海を割り開くように一本の道が現れる。
「ぜえ、ぜえ……」
この刀、エネルギー波まで打てるのか。
厨二病全開だが某バトル漫画の主人公みたいでカッコいいじゃねーかよ。
今のエネルギー波が関係しているのか、ただ振り抜いただけなのに一気に疲労感が押し寄せる。
切り開いた道の先にはポカンとした表情でオレを見つめる蓮水先輩とアイリーン。
二人とも、酷い見た目をしている。
蓮水先輩は全身に切り傷を負っており、制服も泥で汚れて所々破けている。髪もボサボサで、紛失したのか壊れたのかは分からないが眼鏡もかけていない。対するアイリーンは怪我はないようだが、頭から泥を被ったようで、蓮水先輩以上に泥まみれだった。
道が閉じてしまう前に先輩の所まで走る。
渦の中は外とは打って変わり、全く風が吹いていない。
風が消えたことでバランスが崩れ、よろけるオレの肩を先輩が掴んで支えてくれた。
「どうして来たんだ!? というかその刀……」
「その話は後です!」
あの先輩たちですら知っていたことを、蓮水先輩が知らないわけがない。やはりというべきか、蓮水先輩も刀を見て目を見開いていた。
オレはアイリーンの後ろにある糸の終着点を指差す。最後の糸に捕まっていたのはいかにもヤンキーといった風貌の男子生徒だった。多分、ここを溜まり場として使っていたんだろう。
「先輩、校舎内の糸は全部切り終わりました! その糸が最後ですよ!」
「本当か!?」
「どうです? オレだってやれば出来るんすよ!」
最終的には夜久先輩に助けられてしまったが、苦手な蜘蛛相手に金属バット一本であそこまでやれたのは我ながらよくやったと思う。
得意げに胸を張るオレに、先輩の強張っていた表情が解けていく。
「……最初からお前の度胸なら出来ると思ってたさ、さすがだな」
柔らかく微笑んだ蓮水先輩の口から出たのは、心からの賛辞。やはり褒められると嬉しいもので、オレも思わずニイッと口の端を吊り上げた。
「妾を無視するでないわ」
その言葉と共に視界の端から飛んできた糸を、咄嗟にオレの前に出た蓮水先輩が風を纏った腕を振るうことで相殺させた。
そのままオレを庇うように前に出るが、アイリーンの紅い目はオレに向いている。その目つきは何かを探るような、疑いの色を持ったものだった。
「三縁望、お主は一体何者じゃ」
「何者って……」
「ついさっき得たばかりのモノを何故そこまで使いこなせておる?」
つ、使いこなす……? イヤイヤ、全く使いこなせていない。
あの刀にエネルギー波をだす力があるなんて知るわけがないし、今のも無意識に出したものだ。
言い返す間もなく、彼女はさらにオレに問いかける。
「そもそも、何故お主が『ソレ』を打てる?」
「ソレ?」
「その刀はあくまでもあやつの異能で影を具現化したモノに過ぎぬ。闇属性の魔法を放つ機能なぞ付いておらぬわ」
アイリーンの言葉にオレは困惑する。この刀に闇属性がエンチャントされてるわけじゃないのか?
確かにエネルギー波を放った後疲労を感じたし、棘に刺されてから感じていた体の熱さも少し治まっている気はする。
まさか、今のエネルギー波はオレ自身が……?
混乱するオレに、アイリーンは訝し気な視線はそのままにニヤリと笑みを浮かべた。
「蓮水綾斗に起こした妙な現状といい、お主の存在も随分ときな臭いのう」
そう言ってヒヒヒと笑う彼女に、オレは何も言い返せなかった。オレが他の転生者とは致命的に何かが違っていることくらい、とうに分かっていたからだ。
そんなオレに背を向けたまま、蓮水先輩が口を開いた。
「気にするんじゃない。ああ言って、揺さぶりをかけようとしているだけだ」
……そうだ。先輩の言う通り、今はそんなこと考えている場合じゃない。
今考えなければいけないことは、一刻も早くこの術を解いて八千代を助け出すことだけだ。
先輩には見えていないだろうが、オレは無言でこくこくと頷く。
「……そうすね、早くあの糸を切っちまいましょう」
「その件なんだが……折角来てもらったところ悪いが、後は僕にやらせて欲しいんだ」
「先輩が?」
驚愕に目を見開くオレを無視し、蓮水先輩はアイリーンに向かって声を張り上げる。
「アイリーン! さっきお前は三縁を合格にしてただろう!? ならもう三縁がどうこうする必要はないよな!?」
「えっ、合格してたんすかオレ」
もしかして、オレにずっと監視カメラ……もとい監視蜘蛛でもついていたのだろうか。ならあの巨大蜘蛛との接触も、その後の夜久先輩との会話も見ていたことになる。
つまりはアイリーンには夜久先輩の正体がバレているということか。
オレのそんな思考を知るはずもなく、アイリーンは腕を組んで頷いた。
「ウム、三縁望は別にもう何もしなくとも構わんぞ。妾ももう貴様にしか用はない」
その言葉を聞いて、蓮水先輩は振り返ってオレを見る。
「というわけだ。お前はもう十分仕事をしてくれた。後は僕に任せて休んでくれ」
「先輩……」
正直心配ではある。
傷だらけの先輩と泥をかぶっただけで無傷のアイリーン。先輩とアイリーンの姿を見比べれば、これまでの衝突でどちらが優勢だったかなんて一目瞭然だ。
だが今の先輩の表情は、今までとは何かが違っていた。
思い当たる限り、さっき部室で吹っ切れたように笑った時に一番近い表情をしている。
あの時よりも何かを決意したような、清々しい顔だ。
そんな先輩の意思を無視することは、オレには出来ない。
「分かりました、先輩がそうしたいって言うのなら尊重します」
「あっさり了承するんだな」
「オレも我儘聞いてもらってここにいますし、それにそこまで覚悟キメた顔されちゃ止められねーっすよ」
オレだって、夜久先輩に無理言って糸を切らせてもらった身だ。そんなオレが蓮水先輩に反対する権利などありはしないのだ。
「悪いな、ありがとう」
「代わりと言っちゃなんですけど、オレも最後まで見届けさせてもらってもいいですか。流れ弾は避けるかこの刀で何とかしますんで、巻き込むとか考えず思いっ切りやっちゃってください」
「……分かった、全力でやるから気をつけろよ」
オレは軽く頭を下げると、先輩たちから距離を取る。
渦の内部――駐車場はかなり広く、先輩たちが暴れるのには十分な面積があった。駐車場の角付近に陣取り、どこから魔法が飛んで来ても対処出来るようにする。
再び対峙する、蓮水先輩とアイリーン。
「ずっと、おかしいと思ってたんだ」
いつ動き出すのかハラハラしながら見ていると、不意に蓮水先輩が口を開いた。
「姉さんを狙うやつを排除するだけなら、学校まで破壊する必要はない。姉さんの安全を考えるのなら、父さんを殺してもデメリットしかない」
姉さんを狙うやつを排除? 父さんを殺す?
突然出てきた情報に混乱するが、努めて冷静に整理する。
そういえば、体育館から大量の紅い煙が上がっていた。アレは八千代を狙う転生者を殺そうと……? イヤ、それだとなぜ最初から狙いに行かなかった? 分からないこともあるが、オレたちを試すついでにそうしようとしたのなら分からなくもない。
理事長も背中に傷を負っていた。会話から推測するに、あの傷はアイリーンが付けた傷である可能性が高い。
だが先輩の言う通り、いくらこの術がそういうものだからといっても、学校を破壊するなんてやりすぎだ。理事長を殺すのだってそうだ。
アイリーンは無表情で先輩を見つめている。そんな彼女に先輩は一歩、前に進み出た。
「じゃあどうしてそうしたか? 僕の自惚れじゃなければ……」
そこで一度言葉を止めると、先輩は確信を持った目でアイリーンを見つめた。
「お前は僕に何かを期待してるんだろう?」
相変わらず無表情ではあったが、その形の良い眉がぴくりと動く。
そんなアイリーンを見て、蓮水先輩は続けた。
「学校を壊すのも、父さんを殺すのも、ただそれをやるだけじゃ意味はない。『僕の目の前で』やることに意味があるんじゃないのか」
「ヒヒヒッ、どうじゃろうのう。お主が妾を出し抜けたら教えてやらんでもないぞ」
茶化すように笑うアイリーンに、先輩の纏う空気が変わった。
「じゃあそうさせてもらうさ……!」
瞬間、先輩の周囲から緑色のオーラのようなものが湧き上がる。そのオーラに先輩の足元の老朽化したコンクリートの地面は耐えられなかったのか、割れて砕け散った。
そのまま右手を前に出すと、緑色を帯びた螺旋状の風がアイリーンに向かって飛んでいく。
「――甘いわ!」
だがそれは、同じくアイリーンが出した螺旋状の炎によって相殺される。
相殺された時に発生した熱風がこっちにまで来るが、蓮水先輩の異能のおかげでそこまで熱さを感じずに済んだ。
相殺されることは想定済みだったのか、すぐに先輩が動く。目にも留まらぬ速さで回り込み、アイリーンに蹴りを入れるが簡単に受け止められた。
そのまま足を掴まれ地面に叩き付けられそうになるが――一足先に先輩が背後の糸に向かって刃の形をした風を放つ。
「チイッ!」
糸を守ることを優先したのか、攻撃対象を先輩から風の魔法へと変えた。その拍子に先輩を掴んでいた手が緩み、その隙に先輩は抜け出して地面に膝を付いて着地する。
「す、スゲー……マジでバトル漫画じゃねーかよ」
こんな状況だというのに、オレはその戦いに見惚れてそんな空気の読めない発言をしていた。
風の刃も打ち消され、再び元の位置に戻った二人。
お互いに強く睨み合い、今度はアイリーンから口を開く。
「戦闘中の急激な身体能力と魔力の上昇……よう覚えておるわ。まさか魔晶族であった貴様がそうなるとは思わなんだ」
「薄々感じてはいたんだが、この力が溢れてくる感じはやっぱりそれか」
前世のことなんだろうが、オレにはさっぱりだ。
だが先ほどオレを庇いながら蜘蛛と戦っていた時と、今の先輩は明らかに違う。魔法も強化されているし、動きも俊敏になっている。
「きっと、今の自分が『人間』だという意識が強いからだろうな」
先輩の呟きにアイリーンがわずかに驚いたような表情をした。
「ホウ、人間とな」
「ああ。生憎、僕は前世の記憶が戻ってから一度も前世に引っ張られたことがないんでね」
「……そうじゃったな」
二人の間に、しばらく沈黙が流れる。
「――妾からも一つ問おう」
「僕の問いには答えてくれないのにか?」
「試しているのは妾じゃ、本来貴様にそのような権利なぞ無いことを理解せよ」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せて不平訴える先輩に、アイリーンはそうピシャリと言い捨てた。
「はあ……そうかよ。で、お前は何が聞きたいんだ?」
「先ほど何故御父上殿を助けた?」
その問いに先輩は目を瞬かせ、ひゅっと息を飲む。
そこには動揺の色がありありと浮かんでいた。
「お主にとって、御父上殿は学生時代の大半の時間を奪った憎むべき相手だったはずじゃ。三縁兄妹にお膳立てしてもらったのにも関わらず、突っぱねた相手じゃ。それが何故、急に助ける気になった? お主を守ろうとする姿に、かつての行いを許す気にでもなったのか?」
「……間違ってはいない」
少しの間を置いて、苦々しく顔を歪めながら先輩は答える。
「父さんが心から後悔していることは分かってた。お前に言われてからぐだぐだと色々考えたけど……結局、僕はただ受け入れたくなかったんだってことに気づいたんだ」
どこか辿々しく、言葉を探すように。
「父さんが自分の行いが間違っていたと認めた時……それを全部そうだと受け入れてしまえば、これまでの学生生活は無駄だったと切り捨てられることになるんじゃないか。それがなぜか嫌で、どうやって接せばいいのか分からなかった。確かに苦痛でしょうがなかったけど、僕の人生の一部なのは間違いないし、楽しい思い出だってなかったわけじゃないんだ」
「フン、とんだ愚か者じゃな。その自己中心的な考えがどれほど周りを振り回したか」
「……どうとでも言え」
自虐的な笑みを浮かべ、そっとアイリーンから目を逸らした。
「『許す気になったのか』、か」
彼女に言われた言葉を自分自身に問いかけるように繰り返すと、すぐに首を横に振り、逸らしていた視線を戻す。
「いや、許すのとは違う。そんなおこがましい容赦を与えるのは、違う。もっと単純な話だ」
――もう恨んでいないことを、認めるだけだ。
そう言って小さく笑う蓮水先輩の表情は、どこまでも凪いでいた。
「ここで、死ぬわけにはいかないんだ。姉さんたちと一緒に生きることもそうだけど、父さんとももう一度話さないといけないから」
引き締まった表情になると、雨で顔にはり付いた髪を後ろにかき上げ、先輩は構えの体勢を取る。
そんな先輩をアイリーンはしばらく見つめた後――
「良かろう」
ニィと笑みを浮かべ、蓮水先輩に応えるように彼女も両手を空に向けて構えた。
「妾もお主も次で最後としよう」
「最後……?」
「今のお主が出せる全力の魔法をぶつけてこい」
訝し気に首を傾けていた先輩だったが、アイリーンの言葉に何かを察したらしい。再び周囲から緑色のオーラを発生させると、両手を重ねて前に出す。そこに吸い込まれるように集まってきた風が、緑色の光を帯びる。
対するアイリーンも両手の上に球状の炎を発生させていた。その大きさは蓮水先輩が作っているものをすぐに上回り、この駐車場丸々飲み込めるほどに大きくなる。
熱には強くなっているはずだが、あれだけのエネルギーを受けてしまえばどうなるか分からない。オレは慌てて刀を構えた。
「良いのかの!? その大きさでこれをどうにか出来ると思うてか!?」
「何を言ってるんだ? 大事なのは大きさじゃなくて密度だろう?」
そんなことを言い合いながらも、二人の魔法はどんどん大きく、強くなっていく。
「うおっと!」
蓮水先輩の溜めで起こる風に引っ張られそうになり、慌てて刀から左手を離し、傍にあったフェンスを握り締めた。
右手でいつでも刀を振れるようにしながら、先輩たちの魔法を観察する。
雨と風が吹き荒れる中、爛々と輝く巨大な火球は圧巻だ。そして火球ほどの大きさはなくとも、淡い光を帯びる風球も神秘的な美しさがある。
あの二つがぶつかってどちらが勝つのか――オレには想像もつかない。
そして、互いに溜めを始めてから長く短い時間が経過し――火球が限界まで大きくなり、風がぴたりと止んだ。
そのタイミングはほぼ同じ――両者の準備が整った瞬間だ。
「妾の全力、喰らうがいいわ!!」
「行けええええええぇ――!!」
二人の目がカッと見開かれ、同時に魔法を放つ。
アイリーンの火球に、ビーム状に放たれた蓮水先輩の魔法が一直線にぶつかる。
ガガガガガ……と衝撃音が響く。
ダメだ、見ていられない。
どちらが打ち勝つか見るため目を凝らしていたが、魔法がぶつかり合っている箇所から発生する閃光に耐えられず、目を閉じてしまった。これ以上直視したら確実に視力が落ちてしまう。
せめてもの安全のため、頭を抱えて衝撃で揺れる地面に伏せる。
何も見えない中、学校中に爆発音が響き渡った。