34.雨天、炎を駆ける
「でりゃあああああああ!!」
大きくスイングした金属バットが、飛びかかってきた蜘蛛にクリーンヒットする。ガキンと硬い音を立てて、手のひらサイズの蜘蛛は遠くへと打ち上げられて星になった。
「うっし、ナイスホームラン」
上空へ消えて行った蜘蛛を見つめ、オレは小さく呟く。
周りの蜘蛛がオレに襲いかかって来る前に、土砂降りの中を走り出した。
この非現実に少しづつ順応してきたせいなのか。小さい蜘蛛ならば何とか見れるようになった。
それでもまず日本には存在しないサイズなのだが、規格外が多すぎて完全に麻痺してしまっている。
走りながら、バットを持っていない右手で左腕を押さえる。
傷は浅いが、雨や泥水が沁みて痛い。
――まだ少ししか進めていないにもかかわらず、オレの見た目は既にズタボロだった。
蜘蛛にも様々な攻撃手段がある。
飛びかかって噛みつこうとしてくるヤツ。口から火や糸を吐いたりするヤツもいる。
一度右の脹脛を噛みつかれたが、小さい蜘蛛で助かった。毒はないのか今のところは何ともない。
それ以降は何とかオレに触れる前にバットで振り払えている。
厄介なのが火や糸でオレを襲ってくるヤツだ。
この雨で火は使えなくなるんじゃねーかと思ったが、蓮水先輩曰く『アイリーンの炎は特別』らしく水で消すことが出来ないらしい。
おかげでこんな天気でも、蜘蛛らは火を使い放題だ。さっき一度全身に炎を浴びてしまい、本気で肝が冷えた。
蓮水先輩の異能がなければ、オレはとっくに炭になっていただろう。
糸についてはさらに二種類に分かれる。
糸を絡めてオレを妨害してくるヤツと、恐ろしく切れる糸を使ってオレを攻撃してくるヤツだ。
前者には何度か足を取られ、盛大に転ばされた。
後者には全身に切り傷を負わされた。
そのせいでオレの制服は泥まみれで所々破けている。今後この制服で学校に通うのは無理だろう。
休んでいる時間も場所もない。全身が痛むが、まだまだ走れる。
何、この程度――三年前に不良と喧嘩して二週間入院した時と比べれば何てことない。
――ボカン! ドォン!
やっと部活棟のエリアから抜けた頃、グラウンドの方角から激しい衝撃音が聞こえ始める。
「先輩は、無事アイリーンと接触したみたいだな」
周りの蜘蛛もその音が気になるのか、さっきよりもオレをターゲットにする蜘蛛が減った。おかげで体力的にも精神的にもさっきよりは大分動きやすい。
「オレも、急がねーと」
繭から伸びている一際太い糸を睨みながら、オレは校舎に向かって走り続けた。
◆
それから何度か蜘蛛とやり合い、やっと校舎の昇降口が見えてきた。
目的の建物にたどり着けただけで、幾分か心が軽くなる。
「はあ、はあ……」
全身雨でずぶ濡れで、顔も体も泥まみれ、傷まみれ。見るも無残な姿だ。
普段ならこんな姿で絶対中に入ってはいけないのだが、今回だけは許して欲しい。
「やっと着い……」
息を切らしながら昇降口に入ろうとしたその時――
ボッ、という音と共に熱を持った風がオレを通り過ぎて行った。
「――え」
足を止め、燃え上がる昇降口を見つめる。
視線を上に向けると、昇降口だけではない――校舎全体が紅い炎に包まれていた。
どこかから発火して炎が燃え広がったのではない。
一瞬で建物全体が炎で覆われたのだ。
「が、学校が……」
燃えている。
雨の中を、轟々と音を立てながら。
思わずグラウンドの方を見ると、大量の蜘蛛に囲まれながら蓮水先輩とアイリーンが向かい合っているのが見えた。
さすがにここからでは話している声までは聞こえないが、蓮水先輩が校舎の方を指差してアイリーンに詰め寄っており、遠くからでも先輩が激怒しているのがありありと伝わってくる。
やっぱり、これはアイツがやったのか……
許せない。
オレたちはこの騒動を解決して、平穏になったこの学校で過ごしていきたいのに。
校舎が焼け落ちてしまえば、事件を解決したところで何の意味も――
「……ん?」
オレは校舎を燃やす炎をじっと見つめる。その燃え方にどこか違和感を感じた。
確かに校舎に火はついているが……
「燃えて、ない……?」
普通何かが燃える時には、音を立てながら煤や煙が発生するはずだ。
だが今は煙すら発生していなければ、焦げ臭い匂いもない。燃える音もせず、ただ雨が地面や屋根を打ちつける音が響くだけだ。
まるで、火がただそこにあるだけのような……
これだけ派手に燃えているにもかかわらず、あまりにも静かなのだ。
これはつまり――
「まさか、オレが校舎に入れないようにしているのか……?」
校舎を燃やさずとも、校舎以外……例えば中に入ろうとするヤツなんかは燃えるように出来ているのでは?
試しに傍に落ちている濡れた木の枝を炎にかざす。水を吸っているはずの枝はかざした瞬間に火がつき燃え上がったため、オレは慌てて手を離した。地面に落ちた枝は炎に包まれ、最後は水を吸った灰と化す。
どうやら、オレの予想は正しいみたいだ。だが――
オレがこの程度で怖気づくとでも思ったか?
オレは金属バットを握りなおすと、炎の中へ飛び込んだ。
校舎の外側だけではなく内側にも炎は浸食しており、紅い光がオレの体を照らす。
熱は確かに感じるが、今のオレには大したことはない。
――三縁、念のためお前に火と熱への耐性を付けておく。
廊下を走りながら、分かれる直前の蓮水先輩との会話を思い出す。
――耐性?
――ああ。正確にはお前を『熱や炎に囲まれた環境に適応出来る』ようにする。
――もしかして、先輩の異能を使うんすか?
――そうだ。アイリーンや取り巻きの蜘蛛は強力な炎を使ってくる……灰になりたくないのなら受けておくことを勧めるぞ。
――……オネガイシマス。
あの時異能を受けておいて本当に良かった。おかげで道中の蜘蛛が出す火を受けてもほぼ無傷だったし、今炎の中を駆け回っても何ともない。効果は永久じゃないみたいだが。
「やっぱ強過ぎるよな、この異能……」
ある意味何でもありのこの異能を前世じゃ宝の持ち腐れにしてたとか、マジで勿体無いと思う。
◆
校舎に飛び込む前に確認した糸の場所へ向かって全速力で走る。
オレが平気なだけで、校舎の中は相当熱いのだろう。ずぶ濡れだった体と制服はあっという間に乾いてしまった。
オレが切るべき糸の数は、三。
二階に一本、三階に二本。
まずは二階――場所的にオレと八千代の教室がある辺りだ。
校舎の中にも相変わらず蜘蛛が動き回っている。
オレに興味がない個体もいるが、飛びかかってくる個体にはバットで振り払ったり蹴り飛ばしたりして進んで行った。
結構本気で殴っているのだが、野球ボールのように打ち飛ばすのが精いっぱいだ。
一体どれだけ力を込めれば粉々に砕けるのだろう。
蜘蛛に悪戦苦闘しながらも、どうにか一本目の糸がある場所までたどり着く。
糸が太過ぎて、外から巨大な丸太が突っ込んでいるように見える。
やはりというべきか、そんなとてつもなく太い糸が貫いていたのは一年B組――八千代の教室だった。
教室の引戸をあけ、中の様子をうかがう。
教室の中にも火は回っており、糸が突っ込んできたせいかあちらこちらに机や椅子が散乱している。
逃げ遅れたのか、それとも転生者に気づいてもらえなかったのか。何人かの生徒が血を流して倒れている。
酷い、有様だった。
そして教室の窓側の中心には――糸に全身を絡めとられ、窓に押し付けられ気を失った一人の男子生徒がいた。
「……ッ」
オレは思わず顔を歪める。
この男子生徒には見覚えがあった。確か理事長先生が学校を一旦治めた後、八千代に謝ってきたヤツの一人だ。
倒れている生徒の顔も確認して、ふと気づく。
教室で倒れている生徒、オレが覚えている限り全員、あの時八千代の周りにいたヤツらじゃねーか。
全員転生者どころか何の関係もない、完全に巻き込まれた生徒である。
教室の中に入り、男子生徒に近づいた。
男子生徒はエネルギーを吸い取られているのか、顔色が悪い。
「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
何度か声をかけるが、全く反応しない。
他の倒れている生徒にも同じように声をかける。生きてはいるみたいだが、目を覚まさない。
このままでは熱にやられて死んでしまう。
早く助けてやらなければと、オレは金属バットを構え、そのまま糸に向かって勢いよく振り下ろした。
ズパッ
「は?」
糸に触れた瞬間、バットの先が切り落とされ、宙を舞う。バットの先端はそのまま黒板に当たり、床に落ちてカランカランと音を立てた。
「マジかよ」
オレは先端がなくなったバットを茫然と見つめた。
蓮水先輩から、この糸には絶対に手で触れたらいけないとは言われていたが……これ、どうやって切ればいいんだ……?
ここまでオレを助けてくれた金属バットもこのザマだ。これならハサミや刃物とかも絶対無理だろ。
途方に暮れていたその時――
頭上からシャーッという異音が聞こえ、オレは反射的に顔を上げる。
「うわあっ!?」
それを視界に認めた瞬間、オレは思わず素っ頓狂な声を上げ、尻もちをついてしまった。
教室に入る時にはいなかったのに、一体いつの間に……!?
それは、シャーッともう一度異音を出す。
そこには、今まで見た中でも断トツで大きい――全長二メートルを超える巨大な蜘蛛が、教室の天井からオレを見下ろしていた。




