02.矢吹侑里との邂逅
オレと八千代は体育館から遠く離れた空き教室まで逃げ込んだ。
全速力で走ったおかげで息も上がり、脇腹が痛い。
おまけに大分マシになったが、先ほどまで忘れていた蓮水先輩にやられた分の痛みが戻ってきている。
疲労と痛みにオレは教室の壁に背を付け、ずるずると座り込んだ。
「大丈夫?」
外の様子を見て追いかけてくる気配がないことを確認した八千代がオレの傍に来る。
そう問いかける妹は、オレと違い全く息を切らしていない。
「はぁ、はぁ……こんなにハードなのは、入院した時以来だな……」
息を切らしながらそう答えると、八千代は表情を歪ませる。
どうやら、少し怒っているようだった。
「どうして先輩に殴りかかるようなことしたの? また退学になるかもしれなかったんだよ」
「『蓮水綾斗が三縁八千代を姉上と呼んで付きまとっている』なんて話を聞いて、実際にそれを見てしまったら耐えられなくてな」
「私、何もないって言ったよね」
「嘘なのバレバレだっつの。最近明らかにオレを避けてて、たまに怪我もして帰ってくる。何かあったと思うのが普通だろ」
実際あったじゃないか、と続けると八千代は苦い顔で黙り込んだ。
その様子を見てオレははあ、と呆れたようなため息が出た。
「……で? さっきのは何だよ?」
蓮水先輩のヤバさで上手く気が回らなかったが、冷静になった頭で先ほどの出来事を思い返すと何とも不可解な点が多すぎる。
蓮水先輩に叩きつけられた頭をさすりながら、オレは八千代に尋ねた。
「生徒会長があんなサイコヤローだったのにもビックリだが、何だよアレ……明らかに人間を辞めてるじゃないか。それにお前も……さっきのは『実は運動神経が良かった』じゃ説明つかないだろ」
「そ、それは……」
どもる八千代にオレは言葉を続ける。
「先輩はお前に『思い出せ』って言ってたよな。オレ、以前に他のヤツらが同じようなことを言ってたのを何回も聞いたことがあるんだよ」
責めるような言い方になっているのは自覚していた。
だが、オレも限界だったのだ。
突然変わってしまったクラスメートたち。
訳の分からない会話を交わし、訳の分からない理由で日常的に喧嘩が頻発する。
平穏だったはずのこの学校が、一体なぜ世紀末と化してしまったのか。
オレには、その原因を八千代が知っているという確信があった。
「学校が急に変になったのと関係あるんだろ?」
教室には夕日が差し込み、校庭辺りで乗り回しているのかバイクの音が響いている。
オレと八千代の視線が交わる。
夕日で八千代の顔は陰になり、表情はよく見えない。
しばらくの沈黙の後――先に目を逸らしたのは、八千代だった。
「さすがにもう、隠し切れないよね。 ……でも本当に非現実な、妄想みたいな話だよ。それでも聞く?」
「非現実なら既に体験したし、ちょっとやそっとのことじゃ驚かないさ」
あんな目に合った直後に言われても今更の話である。あれを現実的な話で説明できる方がおかしいし、実際に今なら何を言われても納得出来ると思う。
そんなオレを見て、とうとう八千代は観念したように両手を挙げた。
「分かった、説明するから場所を移動しよう。誰にも見つからないようにね」
◆
再び移動してやってきたのは図書室だった。
かつては放課後本を借りたり勉強をしに来る生徒がちらほらいたが、今はほぼいない。学校自体が危険なのもあり、まともな生徒は授業が終われば即行で帰宅するからだ。おかしくなった生徒で放課後図書室に訪れるようなヤツは……多分、いないだろう。
「侑里先輩、いますか」
侑里先輩……どこかで聞いたようなと思ったが、すぐに八千代は図書委員だったことを思い出す。
たしか、侑里先輩は図書委員長だ。八千代がとても良くしてくれる先輩だと聞いている。
実際会ったことはなかったが、八千代が信用しているのなら大丈夫そうだ。
――と思ったが、貸出受付に立っていた生徒にオレは硬直した。
「八千代ー? 今日は非番じゃなかった?」
今時なかなかいない、金に染めた腰まである長い髪。
八千代も以前は同じくらいの長さだったが、高校入学を機にバッサリと切り今はおかっぱに近いボブだ。似合っていたのに勿体ない気もしたが、ストーカー事件等もあって、心機一転気持ちを切り替えたかったのだろう。
両耳にバチバチに開いたピアス。着崩した制服は胸元が開いており目のやり場に困る。メイクもかなり濃いが、彼女にはよく似合っていた。
言わば、典型的なギャルである。
図書室の景色と彼女の姿はあまりにもアンバランスだ。
侑里先輩は八千代の隣にいるオレを見ると、付けまつ毛に縁取られた目を丸くし、すぐに何かを察したのか「なぁるほどー」と呟いた。
そのままオレたちが入ってきた入り口の前に『本日は終了しました』の立札を掛けると、鍵を内側からかける。
「今お茶を入れるからさー、二人とも疲れてるみたいだし? その辺りに座って待ってて」
「えっ、図書室は飲食禁止じゃあ……」
「いいじゃんこれくらい。それに給湯スペースもあるのに使わないのは勿体無いよー」
そう言いながら侑里先輩は受付の奥にあるケトルでお湯を沸かし始める。
な、何だかすごくマイペースな人だ……。
だが疲れが抜けきっていないのも事実だ。
手持無沙汰になったオレと八千代は受付に一番近い席に座り大人しく待つことにした。
しばらくして、「お待たせ」と言いながら紙コップに入った紅茶を目の前に置いた侑里先輩は、オレと八千代の前に座ると頬杖をつきながらオレをじーっと見つめてくる。
初対面の先輩にそんな目で見られればさすがに緊張してしまい、自然と背筋が伸びた。
「初めましてー。えーっと、八千代のおにーさん、でいいよね?」
「は、はい、1年A組の三縁望です。色々あって再入学したんで、八千代とは同学年です」
「知ってるよー有名だもんねー。あたしは矢吹侑里、3年C組で図書委員長やってるよー」
よろしくーと侑里……もとい矢吹先輩は綺麗なウィンクをしてきたので、オレは軽く頭を下げた。
次に矢吹先輩は八千代の方を見ると、意地悪そうな笑みを浮かべる。
「で、こうやって兄妹揃い踏みでここに来たってことは、遂にバレちゃったんだねー」
薄々分かってはいたが、矢吹先輩も今回の件について八千代と同じように知っているようだ。
もしかして、おかしくなった生徒の一人だろうか?
だが……見た目は確かに派手だが、他のおかしくなった生徒のような感じはしない。何というか、落ち着いている。
八千代はバツが悪そうに下を向き、紙コップの中の紅茶を見つめた。
「……はい。でもいざ、望兄さんに説明しようと思ったら……どうやって説明したらいいか、分からなくて」
「うーん、別にストレートに言っていいと思うけどなぁー。ま、とりあえずはバレた経緯でも聞こっかー?」
八千代は今日のいきさつをぽつぽつと話し始める。
概ねオレの知る内容だったが、一つだけオレも知らなかったことがあった。
それは、今日体育館裏に蓮水先輩を呼び出したのは八千代だったという事だ。
「な、何でそんな危険なことを……」
「二人だけで話をつけるつもりだったの」
本当にオレには隠し通すつもりだったらしい。
先ほどの出来事を話し終えると、さすがの矢吹先輩も苦々しい表情をして乾いた笑いを漏らした。
「うへぇ、綾斗のヤツ……遂に殺しも厭わなくなっちゃったかー……」
「先輩は蓮水先輩のことを知っているんですか?」
「まあねー、一応幼稚園から高校までずっと一緒。腐れ縁と言っていい仲ではあるかなぁ」
そう言って矢吹先輩は自分の紅茶に口を付け、ずずっと音を立てて紅茶をすする。
失礼かもしれないと思いながらも、オレは恐る恐る尋ねた。
「その……先輩は、あんなヤバいヤツだったんですか?」
「ううん、綾斗はちょっと抜けてるトコもあるけど、至ってふつーのやつだったよ。今はもう勝手な使命感から別人になっちゃってるけど」
「し、使命感……?」
本当に、蓮水先輩に何があったというんだ?
紙コップを机に置くと、矢吹先輩は神妙な面持ちでオレを見る。
なぜだか分からない。蓮水先輩もそうだったが……矢吹先輩に見つめられるとどうにも緊張する。
先輩だからだろうか……?
「ねえ、望クン」
オレを見つめる矢吹先輩は、どこかで見た吸い込まれそうな瞳をしていた。
「単刀直入に聞くけどさー。キミ、前世って信じる?」
次回更新は本日19時30分頃の予定です。