26.修羅場
話を終え、オレと八千代は午後の授業へ向かっていた。
『今回の同時多発転生を引き起こした元凶を探す』という、これからの方針が決まって本当に良かった。
……まあ、オレに出来る事なんて何もないんだが。
だが八千代たちが前世の情報を洗い出している間、自分だけ何もしないのもちょっとどうなんだ。オレも何か情報を集められないだろうか。
そんな事を考えながら教室に向かっている途中、オレはいつもズボンのポケットに入っているはずの固い物を感じないことに気がついた。
「やべ、スマホ忘れてきた」
「あっ! さっき写真撮った時に置きっぱなしにしてたんでしょ」
ポケットに手を突っ込んで何もないことを確認するオレに、八千代はそう言って少し意地悪そうな笑みを向ける。
蓮水先輩を撮った時にポケットに戻していなかったことを思い出し、オレは頭を掻いた。
きっと、スマホはベンチの上に置いてあるはずだ。授業が終わってから取りに行こうかと考えたが、誰かが持って行ってしまう可能性がある。貴重品だし、あまり放置するのも良くないだろう。
「……取ってくる。先に戻っててくれ」
八千代が頷いたの見て、オレは今来た道を引き返した。
◆
戻って来た中庭で『それ』を見た瞬間――オレは自分でも驚くくらいに素早く身を隠していた。
なぜかはオレにもよく分かっていない。ただの直感だが『それ』に今オレが入り込んではいけないと思ったのだ。
授業開始のチャイムの音を聞きながら、オレは見つからないようこっそりと近づき、さっき矢吹先輩の蜘蛛が留まっていた木の陰に隠れ、そこに蜘蛛がいないことを確認する。……よし、大丈夫そうだ。
少し遠いがここからならば気づかれずに話を聞くことが出来るだろう。
授業はサボることになってしまうが、正直こっちの方が気になる。
そっと木の陰から顔を出して『それ』を観察する。
そこには――お互いにきつく睨み合って対峙する蓮水先輩と矢吹先輩。
今から決闘でも始まるんじゃないかと疑ってしまうほどの、険悪な雰囲気。
どう見ても、修羅場だった。
話をしている時、ずっと二人のお互いへの態度が気になっていた。
授業にも戻らず、一体何をしているんだ……?
盗み聞きは良くないとは分かっているが、今の状況で仲間割れはマズい。二人の会話を聞けば理由が分かるかもしれない。
オレは二人の会話を一言一句聞き漏らすまいと耳をそば立てる。
最初に口を開いたのは矢吹先輩だった。
「無事八千代たちと仲直り出来たみたいで良かったじゃん」
顔は笑っているが目は冷めており、言い方にとても棘を感じる。
蓮水先輩がそれに気がつかないはずもなく、ふっとせせら笑った。
「その割にはあまり嬉しくなさそうだな?」
「嬉しくないわけないでしょ、八千代の不安の種が一つ消えたんだから。ただ……」
そこで言葉を止めると、腕を組みながら矢吹先輩はゾッとするような冷たい笑みを浮かべた。
「お父さんとは仲直りしなかったんだ?」
瞬間、硬直する蓮水先輩。すぐにそれは怒りの表情へと変わる。
「やっぱりお前、全部聞いてたな……!」
「聞いちゃうでしょあんなの」
……何となく分かった。やっぱり今朝見たあの引きつった表情はそういう事だったのか。矢吹先輩もその頃から既にあの蜘蛛を学校中に放ってたってことなんだな。
そうか、あの後理事長先生とは話せても和解は出来なかったのか……
矢吹先輩は蓮水先輩に一歩近づき、ずっと抑えつけていた怒りを吐き出すかのようにまくし立てる。
「あたし感動してたんだよ!? あのプライドだけが高い綾斗がさ、ちゃんと反省して土下座までして謝っててさぁ、ふつーあの流れならこのままお父さんとも感動の和解! ……ってなるはずじゃん!? 最後の最後にアレを見せられたあたしの気持ちも考えてよ!」
「知るか! 僕を勝手に見世物にするなよ!」
矢吹先輩がここまでキレるって相当だ、蓮水先輩は理事長先生に何を言ったんだ。
というか例の一件、全部見られてたんじゃないか。一体どこに蜘蛛がいたんだ? 全く気がつかなかったぞ。
蓮水先輩も盗聴されていたことに憤慨し、酷く声を荒げている。そんな目の前の男に矢吹先輩はすぅと目を細くした。
「綾斗あんたさぁ、自分がどれだけ恵まれてるか分かってんの?」
「何だって?」
蓮水先輩は怪訝そうな表情をする。
「あんたそこそこ頭いいけどさー、それお父さんがお金出して塾に行かせてくれたおかげでしょ? 受験だってお父さんが通してくれなかったら、あんた今頃中卒ニートじゃん。今までずっとお父さんの力で生きてきたようなもんなのに、よくあんな事言えたよね」
「……別に父さんの力なんか無くったって、一人で生きていく準備ぐらい」
「舐め過ぎ。あんたみたいな世間知らずのお坊ちゃまが一人で生きていけるほど世の中甘くないっつーの」
蓮水先輩が何か言いかけたが、矢吹先輩はそれを容赦なくバッサリと切り捨てた。
その気の強い顔つきにオレは口元が引きつってしまう。初めて話した時の矢吹先輩はもはやどこにもいない。
あののほほんとしていた姿の方がレアだったのだと思い知らされたような気分だった。
言葉に詰まる蓮水先輩に、矢吹先輩はさらに話を続ける。
「世の中には学校行くために自ら働いてお金稼いでる人だっているんだよ。親の負担を減らすために、塾にも行かずに独学で特待生になって奨学金で通ってる人もいる……そーゆー人たちに失礼とは思わないの?」
矢吹先輩の例えに真っ先に浮かんできたのは親友の顔だった。昨日の電話では随分と疲れていたが、あの後ちゃんと休めただろうか。今日も学校が終わったらバイトに行くのだろうか。
蓮水先輩はそう言う矢吹先輩に一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに心底鬱陶しそうに舌打ちをした。
「説教する気かよ、何も知らないくせに」
「うん知らないよ。知りたくもないね」
お互いに嫌悪感を隠さずに睨み合う。
一触即発の状況に、オレは出て行くべきか大いに迷いながらも二人の様子を見守っていた。
「昔のあんたはさ、いつも習い事ばっかりしてて大変そうだなー、でもちゃんとこなしててすごいなーって思ってたよ。でも今のあんたはお父さんの恩恵にあずかっておきながら拒絶して、何もしてないくせにプライドだけは高くて……自分を棚に上げたことばっかやってて正直見ててイライラするんだよね」
矢吹先輩の話を聞きながら、オレの中では少しづつ疑問が芽生え始める。
こんな事を言うためにわざわざ授業をサボってまで二人きりになったのか?
蓮水親子の間でどんな会話が交わされたのかも、蓮水家の事情も知らないが、例え今言ったことが間違いではなかったとして、ちょっと言い過ぎなんじゃないか?
矢吹先輩の言葉を最後に、蓮水先輩は黙り込んでしまう。
その表情は読めない。矢吹先輩の言った事にイラついているようにも、傷ついているようにも、そのどちらでもなく、何か考え込んでいるようにも見えた。
「なあにだんまり? ふーん、図星で何も言い返せないんだー」
何も言い返さない蓮水先輩に、矢吹先輩は勝ち誇ったように口の端を吊り上げる。
それに対し蓮水先輩は先ほどの嫌悪に満ちた表情はどこへやら、妙に真顔で矢吹先輩を見つめた。
その顔が癪に障ったのか、矢吹先輩は不愉快そうに顔を歪める。
「何よその顔」
「……なあ」
「何?」
「お前、侑里じゃないだろ」
さすがに何を言っているのか分からず、オレはしばらく固まってしまった。
蓮水先輩の言葉を頭の中で何度もリピートし、ようやくその意味を理解出来た時、
――はあぁ!?
思わず出そうになった声をオレは両手で口を押さえることで止める。
当の矢吹先輩はというと、
真剣な表情を崩さない蓮水先輩に、ニィと唇を剃り返したような笑みを浮かべていた。
「何故分かった?」
ぞわり、と鳥肌が立った。
声は間違いなく矢吹先輩の声だ。
だがそれは初めて出会った時ののんびりとした矢吹先輩の声とも、今まで蓮水先輩に突っかかっていた気の強い矢吹先輩の声でもない。
完全に別人の声だった。
「侑里にしちゃあまりにも感情的過ぎる。最初は前世に引っ張られているだけかと思っていたけど……」
言葉を止めると少し迷ったように目線を下に向け、だがすぐに矢吹先輩へと戻す。
「少しでも侑里の人格が残っているのなら――『あいつ』の匂わせは絶対にしない」
あ、あいつ……?
よく分からないが、矢吹先輩にも何かあるのか……?
蓮水先輩は『あいつ』の匂わせをした……らしい矢吹先輩を完全に別人だと確信しているようだ。
どうなんだと言いたげに見つめる蓮水先輩。
そんな彼に矢吹先輩は焦げ茶色の瞳をそっと閉じ――
「――フム、ルカの頃の勘の鋭さは多少は残っておったか」
――血のように真っ赤に染まった瞳を露わにした。
ヒュッと喉を鳴らす。ここからでもハッキリと分かるその深紅。
八千代も前世に引っ張られている時は目に不思議な光が見えたが、矢吹先輩は光っているだけではく、瞳そのものが完全に赤に染まってしまっている。
それに、話し方も全く違う。間延びした喋り方は跡形もなく消え、どこか古風な口調になっていた。
「三縁ですら感づいてたんだ。猫をかぶるのが下手になったんじゃないか、アイリーン」
「フン、転生してまあ随分とクソガキになったものじゃ。あの可愛かったルカ坊は何処へ行きおったのか……妾は悲しゅうて堪らん」
の、のじゃ……妾……
知っているヤツがいきなりそんな話し方になったら、普段ならば大声で笑っていただろう。
だが今はそんな状況じゃない。今の矢吹先輩……もといアイリーンにそんなことをすればとんでもない目に遭いそうな気がする。
よよよ……と泣き真似をするアイリーンに、蓮水先輩は冷めた表情で言い返す。
「おかげさまで、僕はルカにはなれないと十分理解したんでね」
「……開き直りおって」
前世でも知り合いだったからかもしれないが、そんな突然別人になった昔馴染みに蓮水先輩は平然と接していた。
「記憶が戻ってからずっと侑里として振る舞っていたのか?」
「まさか。妾が主導権を握ったのはつい最近よ、サイキン」
「最近?」
「お主がテイガクとやらになった日。朝起きたらこうじゃよ」
蓮水先輩との一件があった日ということはおおよそ一週間前か。だから以前と今であんなにも雰囲気が違ったのか。
なぜこんなことに……と思ったが、すぐに前日にクレイヴォルの話をしたことを思い出した。
あの時既に前世に引っ張られているような気配はあったが、まさかあれが原因か……?
アイリーンの話し方から見るに、自ら望んで矢吹先輩の人格を乗っ取ったわけではなさそうだ。
全くワケが分からないと言いたげに肩をすくめるアイリーンに、蓮水先輩の表情が険しくなる。
「お前が表に出てきたのが不本意だったとして、どうしてあんな事言ったんだ?」
きっと、さっきの蓮水先輩への説教じみた言葉の数々だろう。
そんな先輩にアイリーンは腰に手を当て、面倒くさそうに口を尖らせた。
「別に妾はお主の性格や事情などこれっぽっちも興味はないんじゃ。親と仲が悪かろうが勝手にしてろと思うだけじゃ」
不審そうに眉を寄せる蓮水先輩に「じゃが」とアイリーンは言葉を続ける。
「お主は八千代と友人になり、御父上から八千代を守るよう言いつけられた。今世のルミベルナ様……八千代と、本格的に関わることになったわけじゃ」
「……何が言いたい」
蓮水先輩は苦虫を嚙み潰したような顔で、低い声で尋ねた。
「妾は疑っておるのじゃよ。今のお主が本当に八千代を守れるのか」
表情を消し、鋭い目つきで睨み付ける目の前の少女に先輩は息を飲む。
何か言葉を発しようとして、それに被せるようにアイリーンは口を開いた。
「お主がルカのままであったのならば安心しておったじゃろう。じゃが今のお主は記憶と力だけを持ったただのクソガキ。守れないだけならまだしも、また同じような事をするのではと思うと……妾は不安で不安でしょうがないのじゃ」
「ッ……そんな事するわけないだろう!?」
その言葉に目を見開くと、一週間前の事を思い出しているのか苦し気な表情になる。
「もうあんな思いをするなんてまっぴらごめんだ……! かつて守れなかった姉上を、こんな僕を許して友達にまでなってくれた姉さんを、今度こそ必ず守ると決めたんだ! 僕の目を覚まさせてくれた三縁だってそうだ。これはルカの意思でもあり、僕の意思でもあるんだ……!」
「フム――ならば、ボロを出さぬよう精々頑張ることじゃな」
必死の形相で叫ぶように訴える蓮水先輩に、オレはそんなふうに思ってくれていたのかと胸が熱くなる。
だがアイリーンは全く信用していないのか、その紅い瞳には何も写さず無表情で先輩を見つめていた。
その言葉を最後に会話が止まり、沈黙が流れる。
これ以上アイリーンが何も言わないのを見て、蓮水先輩は深く息を吐いた。
「お前が言いたいのはそれだけか? なら僕はもう戻るぞ」
背を向けて「くそっ、停学明けから授業をサボるなんてどう先生に言い訳すればいいんだ」と言いながら去ろうとする蓮水先輩に、アイリーンは声をかける。
「最後、妾から二つほど忠告しておこうか」
蓮水先輩の足が止まる。
「一つ。お主、あの時御父上に『今度こそ姉上たちと笑って生きる』などと夢だと言いながらドヤっておったが、正直今のままでは無理じゃと言っておこう」
「何だと……!」
怒りに満ちた表情で振り返る先輩を彼女は一切無視して続きを話し始めた。
「二つ。お主は随分とあの二人に恩義を感じておるようじゃが……精々気をつけることじゃの」
その言葉に目を瞬かせる先輩に向けられた、冷笑。
「その性根を何とかせねば――お主は確実にまたあの二人を傷つけるぞ?」
先輩は真っ青になり、この世の終わりのような顔をする。
それが予想していた以上の反応だったのだろう、アイリーンは吹き出し腹を抱えて笑い出した。
茫然と立ち尽くす蓮水先輩はそのままに、彼女の笑い声が中庭に響く。
ひとしきり笑った後、表情を元の冷笑に戻したアイリーンは蓮水先輩に近づくと心臓の部分をぐっと人差し指で押した。
「もしそのような事が起きた時は、妾直々にお主を血祭りにあげてやろう」
「……ッ」
蓮水先輩は歯を食いしばり苦々しい表情になると、自分に触れるアイリーンの手を振り払う。
そのまま何も言わず、アイリーンに背を向けて教室へと戻って行った。
途中から息も出来ずに二人を見ていたオレは、蓮水先輩の背中を見送るとようやく一息吐こうとする。
「――そろそろ出てきたらどうじゃ。隠れてこそこそとしておるのはとっくに気づいておったわ」
「……ッ!? ぅ……はゲホガホゲホ!」
突然の呼びかけに吐こうとした空気が逆流し、オレは盛大にむせてしまった。むせながら視線を戻すと、いつの間にか目の前にいたアイリーンがオレを見下ろしている。
気がつけばオレの後ろにも例の赤い蜘蛛が三匹、オレが逃げられないよう立って威嚇をしていた。
ただ忘れたスマホを取りに戻って来ただけなのに。
万事休す、と心の中で呟いた。