21.親友と恋バナ
蓮水先輩が停学になってから週をまたいだ日曜日の夜。
オレは、律と話をするためスマホを手に取っていた。
今日で蓮水先輩の停学期間が終了し、明日からは一緒に登校することになる。その前にどうしても話がしておきたかったのだ。
メッセージで近況は伝えていたが、詳しい事は何も話せていない。何より謝罪とお礼は直接自分の口から言うのがオレのポリシーだ。
勉学にバイトと忙しい間を縫って時間の都合を付けてくれた律に、オレは心の中で手を合わせる。
「もしもし、リツ?」
『……もしもし、久しぶり』
約一週間ぶりに聞いた律の声はどことなく疲れている気がした。きっと毎日大変なのだろう。
オレは先日の出来事を転生の事を省きながら違和感がないよう説明する。
「お前が話を聞いてくれて発破かけてくれなきゃきっと上手くいかなかったぜ! 本当ありがとな!」
『あんたは相変わらず元気そうで何よりだよ』
元気よく礼を言ったオレに対し、律は「はははは」と力のない声で笑った。
コイツ、本当に大丈夫か……? もうちょっと近況を話したい気はあるが、今日はこのくらいにしておいて休ませた方がいいだろうか。
「おいお前今日大丈夫か?」
『え?』
「疲れてんのか? 電話越しでも無理してんのバレバレだぞ」
しばらくの沈黙の後、律は小さくため息を吐いた。
『……あんたに気づかれるって相当やばいんだね、おれ』
「何かあったのか? お前が嫌じゃなきゃ聞くぞ? お前もオレの話聞いてくれただろ?」
この前だって、律が話を聞いてくれたおかげで『同時多発転生の原因を暴く』という目的が出来たのだ。他にも色々なアドバイスもくれたし、律みたいに気の利いた事が言えるわけではないが……出来れば今度はオレが力になってやりたい。
オレの言葉に律はうーんと迷うように唸った後、話し始めた。
『……あのさ、あんた明迅ではおれ以外と連絡先交換してないんだっけ?』
……?
悩みじゃないのか? 何で急にそんな話になるんだ?
「交換してたヤツもいるが、再入学する時に全部消しちまったぜ。お前以外と関わるつもりはなかったから連絡先も変えたし……」
『実はさ……この前、おれがあんたと連絡を取り合えること、千寿さんにバレてさ』
「千寿……?」
かなり変わっているが聞き覚えのある苗字だ。少し考えて、オレはすぐに思い出した。
「ああ、千寿陽菜か! 同じクラスだった……!」
約半年前の話なのに、とても懐かしく感じる。えーっと、どんなヤツだったっけ。
というか、どうして急に彼女の名前が出てきたのだろう。
大して仲良くもなかったし朧げにしか覚えていないのだが。
「それがどうかしたのか?」
『あいつ、あんたの連絡先を教えろって言うんだよ』
「は? 何で?」
そう、彼女とは特に仲良くもないただのクラスメートだったはずだ。
そう思って尋ねると電話の向こうから「はあ!?」と耳をつんざくような声が上がり、思わずオレはスマホから耳を離した。
『噓でしょ!? あいつ明らかにあんたに気があったでしょうが!?』
今度はオレが「はあ!?」と相手の耳をつんざく声を出す番だった。
「知らねーよ、そんなの初耳だぞ!? 話したことも数えるほどしかねーし、正直顔も覚えてねーぜ!?」
『信じらんない! あの子顔可愛いし、話し方独特だし、雰囲気も相まって一度見たら忘れられないと思うんだけど!?』
そう言われれば……漫画でしか見ねーようなお嬢様口調だったな……
見るからに金持ちの家の出身で、深窓の令嬢のような雰囲気だった気がする。
うーん、でもなぁ……
思い出そうとするが、顔の部分が黒くぐちゃふぐちゃに塗りつぶされている。
……ダメだ。どうしても顔が思い出せねーや。
「ま、覚えてねーってコトはきっと八千代の方が可愛かったんだろーな!」
『あんた本当そういうとこだよ』
彼女が欲しいと思ったことは幾度となくあるが、正直作る余裕がなかった。告白されたこともない。
八千代絡みの事件に関わり過ぎたせいで女子は皆オレを怖がって逃げて行ったし、オレの噂を聞きつけて近づいてくる女子もいたが、イメージと違ったのかすぐに皆いなくなった。
まあ正直八千代が平穏に過ごせるようになるまでは彼女なんて出来ないだろうし、今は八千代の笑顔を見ているだけでいいや。
そんなオレに律は完全に呆れており、叩き付けるような口調で吐き捨てた。
「で? それが今のその疲労となんの関係があるんだよ」
『しつこいんだよ。ただでさえ今は毎日生きるだけで精一杯だってのに……』
しつこいのか。千寿ってそんなタイプだったっけ。八千代に似て、もっと控えめで大人しかったような……?
それにお前、そんなに毎日大変なのか。一体どれだけバイトを詰め込んでるんだ?
オレの事を好きなのは素直に嬉しいのだが、正直今は同時多発転生への対応が最優先だ。
千寿とは共通の話題なんて思いつかないし、もしかしたら楽しい子なのかもしれないが……六天高校の噂は千寿だって知っているだろう。あまりオレと関わり過ぎれば、危険な目に遭うかもしれない。
「悪りーけど、止めとくわ。あのお嬢様を今の六天に関わらせるのはマズいと思う」
『あー……それがさ、あいつ……えーっと……六天に探してるヤツがいるっぽいんだよね』
どこかためらうように、歯切れ悪く言われた思わぬ言葉にオレは目を丸くした。
「は? 六天に? 誰だよ?」
『……知らない。なんなら自ら六天に行って探そうとしてるよ。その度に周りのやつらが止めてる』
六天高校に治安最悪なのを承知で行こうとしてる……? 止められても……?
――何だ、そういうことかとオレは妙にストンと胸に落ちた。
おかしいと思ったのだ。ろくに話したこともない相手を好きになるなんて。
「それってさ、オレと仲良くなりたいから連絡先を教えて欲しいんじゃなくて……その探してるヤツの手がかりが欲しいからオレと連絡取りたいんじゃないのか?」
『本人が言ってたけど、それは『あわよくば』らしいよ。一番はやっぱあんたとお近づきになりたいんだってさ』
「マジかよ」
律の勘違いかと思ってたが、ご本人がそう言ってたのかよ。
それは……うん、滅茶苦茶嬉しいんだが、だからこそ今仲良くなるべきじゃねーな。
オレはきっと八千代と同時多発転生の方を優先してしまうだろうから、たとえ今連絡先を教えて交流が始まってもそっちの方が気になってしまうだろう。本当にタイミングが悪かった。
「……今の六天周辺は本当に危ねーんだ」
校内は比較的マシになったが、この一週間、登下校で何回か生徒たちに追いかけられた。
その度に八千代の目潰しと脚力で何とかしてきたが……
「今、どうにか落ち着かせる方法を探してる。その方法が見つかって、それでもオレと仲良くなりてーのならまた教えてくれと千寿に伝えといてくれねーか?」
今回の騒動が収まるまでに、千寿の気持ちが冷めてしまう可能性は十分にある。その時はしょうがない。オレには縁がなかったんだと思おう。
律はオレの返事にしばらく黙り込んでいたが、最後には少しむすっとした声で『分かった』と言ってくれた。
『ノゾムがそうやって言ったら聞かないの分かってるからね』
「悪りーな、オレの事はいくらでも悪者にしてくれても構わねーからよ」
本当は直接本人に断るべきなんだろーけど、それじゃ連絡先バレちまうもんな……
『でもさぁ……千寿さんを蚊帳の外に出来るあんたの妹、本当何者なの?』
「オレの妹だけど」
『そうだけどそうじゃない! ……はあ、何か千寿さんが可哀想になってきた。あんた、ちょっとは恋愛ってものを学んだ方がいいよ』
「んな事言われても、今は正直それどころじゃ……」
『千寿さんとの交流に備えてさ。試しに誰かと恋バナでもしてみなよ』
恋バナぁ? 何を言ってるんだコイツは。
そんなにオレと千寿に仲良くなって欲しいのかよ。
人の恋なんて八千代以外は正直そこまで興味ねー……だから今学べって言われてんのか。
誰に聞くか考えたところで、ちょうどいい相手がいることに気がついた。
「じゃあ、お前」
『……は?』
「言い出しっぺはお前だろ? お前の恋バナを聞かせろよ、ホラホラ」
『……』
どうしてそこで黙るんだ。
「おい、まさか散々煽っておきながら自分はないって言わねーだろうな?」
コイツに限って話すのが恥ずかしいのか? と思い、茶化すようにまくし立てた時だった。
『おれは、ないよ』
感情のない声に、オレの全身から血の気が引いた。
嘘だ。
ないなんて絶対嘘だ。
オレもしかして……コイツの踏んじゃいけない地雷でも踏んだ?
イヤ、恋バナの話をしてきたのは向こうだし……避けられねー地雷だったよな?
『あははごめん。本当にないんだ』
声を出せないオレに律は力なく笑う。明らかに様子がおかしい。
止めよう。コイツの恋愛を探るのは止めておこう。間違いなくとんでもねートラウマ抱えてやがる。
これ以上突っ込んではいけないと思い知り、オレは「あ、ああ……悪りー」と返すことしか出来なかった。
『……明日も朝課外があるからさ、今日はもう切ってもいい?』
律にそう言われ時計を見ると、大分時間が過ぎてしまっている。すぐ終わらせるつもりだったのに、うっかり長電話し過ぎてしまった。
「あ、ああ。リツ、忙しいのは分かるんだが、あんまり無理し過ぎんなよ……体壊す前に休んだ方がいいぞ。本当にきつかったら、オレに電話しろ。すぐに駆け付けてやるから」
律は本当にすごいヤツだと思う。
バイトで生活費を稼ぎながら、塾にも通わず、明迅学園の特待生でいるための学力を維持するために日々勉強に明け暮れている。オレには絶対に出来ない事だ。
だが今の律はどう見ても無理をしている。コイツは八千代に似て、一人で全部抱え込んでしまう所があるから……心配なのだ。
今のオレにはこうやって声をかけることしか出来ない。助けを求めてさえくれれば、力になってやるのに。
オレの言葉に、律は電話の向こうでふっと笑った。
『……ありがと。じゃあ、お休み』
「……お休み」
オレのその言葉を最後に電話が切れた。
オレは電話を傍に放り出してベッドに背中から倒れ込み、強く目を瞑る。
ああは言ったものの、オレはとてつもない不安に襲われていた。
その不安は――後に最悪の形で当たることになることを知らずに。