14.まやかしと追憶
室内が一気に緊張感で包まれた。
先輩の手には恐らく理事長に届けに来たのだろう数枚の書類がある。
「……なるほど、そういう事だったか」
蓮水先輩は、理事長室にいたオレたちを眼鏡越しに冷たい目で睨み付けた。
一昨日の事が嫌でも思い出され、オレは唾を飲み込む。
「急に全校集会なんか開くからおかしいとは思っていたんだ。お前たちの入れ知恵だな?」
「……まるで、学内の生徒を大人しくさせたことが都合が悪いみてーな言い方ですね?」
こんな形で再会することになるとは思わなかったが、先輩とはもう一度話そうと決めていたのだ。それに――確かめたい事もできた。
震えそうになる体を必死で抑え、オレは先輩に言い返す。
結局今も治まっていない体の熱っぽさのせいか、緊張のせいか――体が熱い。
「先輩は八千代を守りたいんですよね? でもオレからは八千代を危険な目に遭わせようとしているように見えます」
「僕が守りたいのは姉上だ。三縁八千代じゃない」
相変わらず会話が通じない。オレは心の中で舌打ちをする。
「綾斗、お前は何がしたいのだ」
理事長が険しい表情で蓮水先輩に問いかける。
「お前の言っている事は滅茶苦茶だ。この子を危険な目に遭わせようとしておきながら、守りたいだと? 昨日は『姉上が僕を見てくれない』などと取り乱したり……一体お前はこの子にどうして欲しいのだ」
昨日蓮水先輩を休ませたのは錯乱しているからとは聞いていたが、そんな事を言っていたのか……
意外と一昨日の八千代の言葉は蓮水先輩に効いていたのだろうか。
「うるさいな、お前には関係ないだろ」
心底迷惑そうな表情で蓮水先輩は理事長に吐き捨てる。
とても親に向かってきく口じゃない。生徒会長だし真面目そうな印象を受けていたが、素はこんななのか。
「関係ある。彼女はこの学校の生徒だ、私には守る義務がある」
そんな蓮水先輩に、理事長は毅然とした態度を崩さない。オレも八千代も固唾を飲んで蓮水先輩の言葉を待つ。
そんなオレたちのどこが笑えるのか知らないが、蓮水先輩は声を上げて笑い出した。
「そんなの、姉上の目を覚まさせるために決まっているじゃないか!」
手を高らかに上げ、恍惚とした顔でそう叫ぶ。
ぎょっとしたオレたちを他所に、蓮水先輩は完全に自分の世界に入り込んでいた。
「また姉上に会える……! そう思っていたのに、僕が見たのはかつて支配していた相手に怯え、ビクビクと隠れる姉上。……違う! 姉上はそんなんじゃない! 歯向かう相手は自分の魔力で服従させ! 時には冷酷に駒にし、使い捨てる……! そんな姉上に僕は憧れを抱いていたのに……!」
絶句する八千代を舐め回すように見て、蓮水先輩はにんまりと笑った。
「だから、目を覚まさせてあげようと思ったんだ。隠れていても、命が危険に晒されれば……元の姿に戻らざるを得ないよね? そして元に戻った姉上を僕が守るんだ……!」
……狂っている。
本当に、敢えて、学校の生徒に襲わせるように仕向けたって事かよ。
オレは心の中で親友に白旗を振る。こんなの、味方に付けるとか無理だろ。
「何ということを……!」
理事長が顔を真っ赤にして怒りでぶるぶると震えている。
息子がよりにもよって自分の学校で生徒を襲わせるように仕向けて、それを堂々と公言しているのだ……心中は測り知れない。
「なのにだ!」
そんな理事長を無視し、蓮水先輩は急に語気を強めてオレを勢いよく指差す。突然のことにオレはびくっと体が跳ねた。
「姉上は目を覚ましてくれない! そうだ、お前がいるから……姉上は目を覚まさないんだ! お前がそそのかすから、姉上は一度目を覚まさないまま殺されかけたんだぞ……! 僕が助けなければどうなっていたか……」
そこで言葉を止めると、蓮水先輩は不気味な笑い声を出した。
直感的に身の危険を感じ、オレはソファから立ち上がると一歩先輩から距離を取る。予想していた通り、先輩はオレに向けて手を向けてきた。
マズい。一昨日と違ってここは室内だ。おまけに近くには八千代や理事長もいる。
部屋が壊れる程度で済めばいいが、下手すれば――
「ああ、やっぱりお前を姉上から引き離さないと――」
オレに向けられた手のひらに空気が集まり、球体になって渦巻き始める。
大きさを見るに、まさかあれは一昨日オレが腹に食らった攻撃じゃ……!?
「綾斗、止めなさい!」
理事長が叫ぶが、蓮水先輩は聞く耳を持たない。
仕方がない、理事長室は無事では済まないだろうが避けよう。命には代えられない。折角この学校で唯一の無傷な部屋だったのに……
蓮水先輩の手から空気の弾丸が放たれるのと、オレが避けるために横へ飛び込むのと、八千代がソファから勢いよく立ち上がったのは同時だった。
八千代はオレと先輩の間に割って入り、そのまま左手で空気の塊を弾き飛ばした。
弾き飛ばされた空気の弾丸は蓮水先輩を掠め、後ろの引戸に命中。バァン、と校舎中に響きそうなほどの音を立てて、引戸は吹き飛んでいった。
勢いよく飛び込んで床に伏せていたオレは、そのままの体制で吹き飛んだ引戸と弾き飛ばした八千代の左手を交互に見つめる。
「や、八千代! お前手が……!?」
八千代の左手からは摩擦熱なのかは知らないが、シュウシュウと音を立てながら煙が上がっていた。よく見ると、わずかに焦げているようにも見える。その傷に、オレから血の気が引いていくのを感じていた。
もう怪我をさせないと誓ったはずなのに、また負わせてしまった。
オレの声から感情を読み取ったのか、八千代は振り返って、大丈夫だというように微笑む。煙の出ている手をスカートに擦り付けながら、再び蓮水先輩を見た。
「……無闇に力を使うのは止めましょうよ。ここは前の世界と違って争いはご法度なんですから」
よく知っている、だが今だ聞きなれないトーンの声が蓮水先輩に向けて発せられる。オレは立ち上がり、様子を窺う。八千代は無表情で蓮水先輩を見つめていた――その目を不思議な色に輝かせながら。
この目は前に二度ほど見てきたが、この目になる時は決まって以前の八千代からは考えられない行動をとる時だった。
これは、オレの憶測だが――ルミベルナの性質が強く出ている時になるのではないだろうか。
「それに、姉上はそんなんじゃない……? それはこっちの台詞です、ルカはそんなんじゃありません」
表情を作らずに冷静に話しているように感じるが……声からは怒りを隠せていない。
蓮水先輩は八千代の言葉に不服そうにしながらも、ルミベルナに近くなっている(と思われる)八千代に何も言葉を返さずそのままでいた。
八千代は蓮水先輩を睨み付けながらいつもよりもやや低い声で言い放つ。
「まず貴方、前世の人格に引っ張られてませんよね?」
八千代から放たれた言葉に、蓮水先輩の顔が凍り付いた。
その表情でオレと理事長は全てを悟る。やはり――そうだったのか。
そもそもの前提から間違っていたのだ。
最初から『蓮水先輩は前世に引っ張られている』という前提で話を進めていたから、嚙み合わなかった。
蓮水先輩は前世の記憶は戻っていても、決して前世に引っ張られたりなどしていない。
この人は――ただ、前世の自分の振りをしていただけだったのだ。
「変な解釈違いを起こしたまま真似をするの、止めてください。ルカとの思い出が穢れてしまいます」
「な、何を言っているんだ……? 僕との思い出だと……?」
先輩は先ほどの狂気が嘘のように狼狽え始める。
「姉上は僕のことなんて信じてなんかいなかっただろう!? ただ僕が一方的に想っていただけだ! 姉上に穢れてしまうような思い出なんてあるものか……!」
泣きそうに顔を歪めて、絞り出すように叫ぶ蓮水先輩に八千代は目を瞬かせると、目をそっと伏せた。
「……そうね、かつての『ワタシ』は誰も信じちゃいなかった。でも、信じてはいなかったけど、認めていたものならいくつかある。アイリーンにクレイヴォル……ルカ、かつての貴方もそうだった」
八千代のはずなのに、とてつもない違和感を感じた。
多分だが、今の八千代は完全に前世モードに入っている。あんなに前世を嫌がっていた八千代が、今敢えて『ルミベルナ』として、蓮水先輩と話をしているのだ。
「貴方が『ワタシ』のことを慕ってくれているのは分かってた。でも、確証が持てなかった。『ワタシ』は確かに強かったけれど、王としての素質なんてこれっぽっちもなかったから。ただ面倒を見ていた姉というだけで、なぜここまで慕ってくれるのか分からなかったから」
だかその違和感も、「でも」と続けられた言葉と共に八千代から消える。
「今世で兄という存在が出来て、今度は面倒を見られる側になって……そうやってここまで来た今なら分かる気がするんです。貴方は本当に『ワタシ』のことが大好きだったんだなって。……分かってしまえば、前世で貴方やアイリーンと過ごした日々は、私の大切な思い出になったんです。――それをルカに成りきって壊すような真似をするのは止めて下さい」
そう言い切って八千代が目を開け蓮水先輩に一歩近づくと、先輩は一歩後ずさった。
「ち、違う、ちがう……! 僕はただ姉上に目を覚まして欲しいだけなんだ……! 元の気高い姉上に戻って欲しいだけなんだ……!」
声を震わせ縋るように言い返す蓮水先輩に、八千代も胸に手を当てやや感情的に言葉を返す。
「今の私は……ルミベルナのような強さも、全てを敵に回しても貫けるような信念もない。貴方が憧れていた『ワタシ』とは程遠い姿だと思います。失望して、見損なっても構いません。でも私は、かつての『ワタシ』のような生き方はしないという事を分かって欲しい……!」
「どうして……!?」
「今はルミベルナではなく三縁八千代として生きているからです……! 三縁八千代として生きてきた以上、たとえルミベルナの人格に引っ張られたとしても、完全にルミベルナに戻るなんて不可能なんです……!」
「嘘だ!」
「嘘じゃない! 貴方だって同じです!」
そう言って八千代はもう一歩蓮水先輩に近づき、蓮水先輩もまた一歩後ずさりする。蓮水先輩の足が、吹き飛んだ引戸がかかっていた桟に引っかかった。
「止めろ……!」
「今の貴方にも『蓮水綾斗』として生きてきた記憶と経験がある! どう真似したって、足掻いたって、『ルカ』にはなれません!」
「止めろと言っているんだ!」
止めろと必死の形相で叫ぶ蓮水先輩に、八千代は怯まず言い返す。
言い聞かせるように。耳を塞ぐのは許さないと言わんばかりに。
「いくら『ルカ』に成りすましたところで、貴方は『蓮水綾斗』でしかないんです……!」
蓮水先輩の目を真っ直ぐに見つめ、八千代ははっきりとそう言い切った。
対して蓮水先輩の方は、完全にパニック状態に陥り何も言い返せない。
「う、あ……違う、違う……僕は……」
真っ青な顔で言葉にならない言葉をいくつか漏らすと、蓮水先輩は「うわああああ!!」と叫びながら理事長室を飛び出し、どこかへ走り去っていった。
八千代もすかさず、蓮水先輩を追いかけるため理事長室を飛び出す。
「八千代!?」
「綾斗!」
オレと理事長がそれぞれ名前を呼ぶが、理事長室の前の廊下には既に二人の気配はない。
それどころか今の騒ぎを聞きつけて、何人かの教師や生徒が集まって来ていた。
マズい、これに捕まったら間違いなく時間を取られる……!
その間に八千代に何かあったら……!
「……ッ、理事長先生スミマセン! オレ二人を探して来ます!」
「なっ、望くん!?」
コイツらの対応はお願いします、とオレは心の中で理事長に手を合わせる。
オレはギャラリーたちの間を縫い、二人を探すため全速力で廊下を駆け出した。